少女と手紙【9】
午後から配達を手伝って日も沈み始めた頃、一人の少女が店の前で商品の香りを嗅いでいた。
「いらっしゃい、ティニャちゃん」
片付けをしていたアズリが声をかけるとティニャはペコリと頭をさげて「さっきはハルマ焼きありがとう」と丁寧に礼を言った。
「気にしなくていいよ。それよりも……そろそろ待ち合わせの時間なの?」
「うん。少し早いけど、お花見ながら待ってようかなって思って」
「そっか。弟君、えっと……ティーヨ君はお家?」
「うん」
「一人で大丈夫なの?」
「ご飯は置いてきたし、お姉ちゃんに貰ったハルマ焼きもあるし大丈夫」
置いてきたという言葉は少し気になったが、一日の糧を得るのが精一杯な生活の中、きちんと用意出来たのなら問題ないだろうと安心した。
「そっか。……あ~それで、今夜ホントに私も一緒に行っていいの?」
「うん。でも、あそこって男のお客さんばっかりだよ? あっ。お姉ちゃんも働いてるんだね」
――お姉ちゃんも? ああ、そっか。そういう所だし……ね。
「違う違う。行った事ないし、少し気になっただけ。でも、行くかどうか迷ってるから行かないかもだけど」
疑問符が浮かんだ様な顔をするティニャだが「いらっしゃい」と今度は店の中から挨拶されて、直ぐにそちらに意識を移した。
杖をついたマツリが一輪の花を持っている。
「いつもお花買ってくれてありがとう。ティニャちゃん」
そう挨拶をすると、ティニャは無言でペコリと頭を下げた。
いつもお店に来る時はあまり話さない子だった。でも、ちゃんと会話を投げかければ意外と喋る子だとアズリは知っている。
「青いお花が好きなんでしょ?」
そうマツリが質問すると「うん。一番好き」とティニャは笑顔で返した。
「お姉ちゃんから聞いたの。はい。これ、あげる」
持っていた花は、葉以外が全て青味がかっていて、花弁に至っては深くて美しい青を表現している。少し値は張るが、長期間新鮮な状態を保ち、そして香りが強く香水にも使われる青系統の花では一番人気の物。
「いいの?」
流石にその花の価値は知っていたのだろう。即座にティニャは驚いて、口癖のような確認をする。
「プレゼントだからいいの」
「ありがとう!」
二人の会話を聞きつつアズリがそっと店奥を覗と、明日朝一番で配達する小さなフラワーアレンジメントを作っているベルは、何も言わず笑顔でコクリと頷いた。
「これからもベルの花屋をよろしくね。あと、私マツリっていうの。お友達になれたら嬉しいな」
ティニャへ向けるマツリの笑顔は、屈託のない彼女の笑顔を引き出す。
アズリはそんな二人をみて微笑ましく思った。
と、そんな折「少し早く来たのは間違いだったか?」と声をかけられた。
「ロクセさん」
「あ、おじさん」
いつも見る普段着とは違う、少し余所行きな恰好をしたロクセが立っていた。
いつ買ったのかなんて知らないが、彼が今から行く場所を知っているアズリは、初めて見るその小奇麗な服を見て、何故か不満を覚えた。
「友達が出来て良かったじゃないか」
「うん」
「少し待つか?」
友達云々の会話を聞いていたであろうロクセが気を使ってティニャにそう提案する。しかし「待ち合わせでしょ? いってらっしゃい。また来てね」と、マツリもまた気を使い、ティニャは「うん。また来るね」とそれに答えた。
ティニャがベルの花屋でロクセと待ち合わせをする事も、ロンラインへ行く事も、既にマツリとベルには話してあった。そして、自分もそれについて行く予定であるとも既に伝えてある。でも、敢えて聞く。
「では行くとしよう」
「どこに行くんですか?」
ルマーナに会いにロンラインに行くのだろうと知っていても、バレているとは知らないロクセに対して、敢えて、聞く。
マツリもティニャも、何故そんな事を聞くのか? と言いたそうな、きょとんとした顔で眺めて来るが、そんな事は気にならない。
「ん? 野暮用ですよ」
「野暮用ってなんですか? 何処に?」
「個人的な事です」
「答えになってません。何処へ何をしに? って聞いてるんです」
意地悪をしていると自分でも分かっている。でも、何故だかそうしたい衝動に駆られてどうすることもできない。
「いつもと様子が……アズリさん、どうかしましたか?」
「どうもしてません」
いや、どうかしている。自分でも分かっている。
「こんな小さな女の子……ティニャちゃんを連れて、しかも夜に出歩くって変じゃないですか?」
「……行く場所は一緒ですが目的は別々ですよ」
「この子とはどんな関係なんですか?」
「っ~。……アズリさんには関係の無い事だと思いますが?」
カチンという音と共に、スイッチが入った。
――関係無い?! それに今、一瞬、溜息ついた! 絶対っ!
「関係あります。世話役ですから! 私!」
相変わらずティニャはきょとんとしており、普段のアズリを知っているマツリは驚いた様子で見ていた。
冷静に質問しているつもりだが、相応の剣幕になっているのだろうと予想出来る。
でも、止まらない。
「ええ。そうですね。食事に関しても、仕事に関しても色々と世話になってると感謝しています。しかし、それとこれとは……」
「関係あります!」
何故、未だにロクセは敬語なのか。
気をつかう人なんだと分かってはいても、それが敬意からくるものだとしても、そろそろ自分に対してフランクに接して貰いたいと思う。
ティニャには普通に話しているのに、自分に対しては未だに敬語というのも気に障る。
自身も敬語を使っているのにも関わらず、相手の表現には納得いかない理不尽な感情がアズリの中でムクムクと育っていく。
「……まいったな」
「何がですか?!」
「いや……」
「話せない事情があるんですか?! 何かいかがわしい事でもあるんですか?!」
「そういう訳では……」
「じゃあ、話してください」
「……ロンラインという所に行こうと思ってます」
「ロンライン?! 女の子が接客するような場所ですよ? いかがわしい場所じゃないですか! 嘘だったんですか?! さっき違うって言いましたよね?」
「いや、違うとは言ってませんが……」
「同じことです! そんな所にティニャちゃんを連れて行くなんて、何考えてるんですか?」
「……この子とはジャンク通りで知り合いました。雇い主のお使いでロンラインまで行く様で、ついでと言っては何ですが彼女に道案内を頼んだんです」
知っている。ティニャと知り合った経緯までは知らないがそれ以外は全て。
勿論、目的も予想がついている。
「じゃあ、ロクセさんは何をしにロンラインまで?」
「……付き合いですよ」
――付き合う?! ほら、やっぱり! ルマーナさんでしょ。
「誰とですか?!」
「商会の仲間ではありません」
「だから誰ですか?」
「ですから、アズリさんとは関係ないと思いますが」
「だから関係ありますって言ってるじゃないですか!」
既に、ロクセの一言一句全てが気に障る様になっていた。
自分は何を言っているのか? と冷静に考える事も出来ず、コントロールが効かない状態だった。
「はぁ……少し酒を飲んでくるだけですよ」
――溜息ついた! 今度は絶対ついた!
「誰とですか?! この質問三回目です。答えて下さい。それとも答えられないんですか?!」
「いえ、そういう訳では……」
「だったら質問を変えます。何人で飲むんですか? 二人っきりですか?」
「どうでしょうか……それは分かりません」
「いっぱい居るかもしれませんよね? ロンラインはそういうお店ばかりって聞きますから」
「ええ。まぁそうかもしれませんね」
「じゃあ、私も行きます」
「は?」
「何人でもいいなら私行ってもいいですよね?」
「そういう事では無いと思いますが……というか何故?」
その質問には答えず、アズリはマツリに向き直る。
「マツリごめんね。お姉ちゃん、ちょっと行ってくからご飯食べてて。私の分はいいから」
「え? あ、うん。いってらっしゃい」
ハッと我に返ったマツリは、いつもの笑顔に戻って見送る言葉をかける。
その笑顔の奥にある戸惑いをアズリは感じ取ったが、今はロクセの事案が最優先。
「待って下さい。ついてくる意味が分かりません」
キッと睨みながらアズリはロクセに視線を戻す。
「さっきも言いましたけど?」
「何と?」
「世話役ですって言いました! これは義務です! 私の!」
「……お酒は飲めるんですか?」
「飲めないし、飲みません!」
「なら無理についてこなくても大丈夫ですよ。それに直ぐに帰るつもりですから」
本当にそうだろうか? いや、そんな訳はないとアズリは思う。
――男の人が飲みに行ったら一晩中帰って来ないって聞いてる。直ぐに帰る? 絶対、嘘。
「それでも行きます。帰るまで付き合います」
「世話役だからと言っても、そこでしなくて良いのですが……」
ここまで拒否してくるのが信じられない。
どうしても来て欲しくないのか?
来て欲しくない理由でもあるのか?
それはどんな理由なのか?
ルマーナとの誰にも言えない何かがあるのか?
感情のコントロールが効かない状態でも、瞬間的に様々な疑問が頭を駆け巡る。
普段からこれだけ頭が回ればもっと評価される仕事っぷりを発揮出来るだろうし、周りに迷惑をかける事も無い等と変な所で客観視しながら、アズリはロクセを納得させる理由を考えた。
「心配だからです!」
「は?」
「ティ、ティニャちゃんが心配だからです。だから行きます!」
「さっきと言ってる事が……」
「世話役だし、ティニャちゃんも心配だしっ! その二つの理由です!」
取って付けた様な少し滅茶苦茶な言い分をしていると自分でも感じる。
でも、嘘ではない。
「しかし……」
「ロンラインなんかで、小さな女の子連れまわしてたら変態だと思われますよ?!」
「……」
ズドンと一発、これは効いたと確信。
無言のロクセがそれを証明している。
そして更に追い打ち。
「ティニャは気にしないよ?」と、ティニャが上目遣いでロクセの袖を引っ張る。
その好機を逃す筈も無く、間髪入れずにアズリは「じゃあ一緒に行こうか」とティニャと手を繋いだ。
「うん」
ティニャの返事と共に、三度目の溜息がロクセから聞こえる。
「面倒だな……」
「何か言いました?」
「いや……」
――面倒って言ったよね! 今! ……絶対、何か後ろめたい事あるんだ。別にロクセさんが誰とどうしようが私には関係無いけど、見届ける義務がある。そう! 私はロクセさんの世話役だから!
世話役の定義がどういった物なのか、何処までが範囲なのか。
そんな事は誰も説明していないし、本人に任せるという類の物だが、常識的に見てもロクセの判断が正しい。
カナリエにも似た様な事を言われているが、既にアズリの中では周囲が思う範疇を超えた認識になっていた。
それに気づくのは随分後となる。
……のだが、ともかくその時は表現出来ない苛立ちと意味不明な責任感がアズリの体を支配していた。




