少女と手紙【5】
「もう待てん、と言ったろう?」
無駄な贅肉を蓄えた男が、その巨体を支える豪奢な椅子にふんぞり返っている。
「丁度良い頃合いには、もうしばらく時間が必要かと」
エルジボは最大限の礼儀を持って返答した。
苛立ちを抑えられない事は、当然相手にも伝わっている。
「何度その台詞を言った? それしか言えん程、お前は馬鹿だったか?」
「いえ……」
「待っているのは儂だけではない」
「はい。勿論それは分かっておりますが、しかし……」
「黙れ。お前は儂に意見できる立場なのか?」
「……いえ」
「なら早くしろ」
「……はい。早急に取り掛かります」
言って一礼をする。
「ふん」と鼻を鳴らして葉巻をくゆらす男の姿を見ないまま、エルジボは足早に退室した。
舌打ちをしながら長い廊下を歩く。その後ろからは室外で待機していた側近が追って来て「……やはり、急かされましたか?」と声をかけて来た。
気を使いつつ、会話のきっかけを作ってくる。言葉使い然り、他の頭の悪い部下とは雲泥の差がある。
信頼と共に「ああ」と返すと「そうですか」と一言だけ返って来た。
「脂の塊が偉そうに……。奴の利用価値は金だけだ」
「もうそろそろ、いいのでは?」
「いや、汁はまだまだ啜れる。切るには惜しい。それよりも、どれだけ集まった?」
その問いに対し「それが……」と口ごもる。
どんな答えが返って来るは分かっているが、エルジボはあえて無言で返答を待った。
「十人程度です」
「男だけでか?」
「はい」
無意識に舌打ちをしてしまう。
エルジボは歩きながら、綺麗に磨かれた窓に顔を向けた。
窓の外には中級市民の街並みが広がっていた。そしてその端にある下級市民街。
そこに行けばある程度の人的資源は手に入る。拉致でもしてくれば事足りるが、今ではそう簡単に出来ない。
「今後、どう集めるか検討しなければな」
「はい。出来るだけ不利益が出ない策を考えます」
「そうしろ。とにかく急ぎで一体は確保する。価値は下がるが仕方がない」
「ではさっそく準備を……」
「待て、その人数では十分な時間を確保できん。手ごろなのをこっちで用意しろ」
「しかし、今後の稼ぎを考えると……」
「今回ばかりは構わん。使えん奴は居るだろ? 大小含めて……そうだな、五、六といった所か」
「分かりました」
圧倒的な格差を実感出来る屋敷を歩くと、嫉妬しか湧かない。しかし、ここと近い生活を手に入れた今ではそれも薄れて来た。
いつか必ずこの国の中核に椅子を置いてやる。
そう野心を抱くエルジボは、ほくそ笑みながら屋敷を後にした。
グラスの酒をグッと飲み干し、カウンターに置く。
どれだけ酒が好きなのか。常温のストレートで飲む姿を見るだけで容易に分かる。
「なるほどな」
六瀬は一部始終を話した。
バイドンの怒りは六瀬に向けられたものでは無く、少女の唇を傷付けた輩に向けられたものだった。
「タボライか……。ま、あのルマーナの怒りを買ったんだ。既に灸をすえられているか」
言って空のグラスにまた酒を注ぐ。そして「本当に飲まないのか?」と聞いてくる。
話の途中から何度も勧められているが、その都度断っている。
しつこいのはこの男の特徴なのか、優しさなのか。
「ええ。昼間から飲むほど好きではありませんので」
「そんなんじゃアイツには付き合いきれんぞ?」
「約束ですから、行くのは一度だけです。それに幾ら飲んでも自分は酔いませんので」
「ほう」
目を細めてそう返答すると、笑いながら「酔うふりくらいはしておけ」と言った。そして「渡されたカード、見せてみろ」と続けた。
ジャケットから取り出すと「綺麗」と言いながら少女が見上げていた。
不純物の一切ないクリアカード。その中で浮かぶようにマークが描かれ、光が通ると虹色に煌めく。
バイドンに渡すと、それを裏表交互に眺めて「また随分と気に入られたもんだ」と言った。
「それがあれば飲めるとか何とか……。チケット……の様な物ですか?」
「そうだな。行けば分かる」
カードを返されると六瀬はそのまま少女へ渡す。
「わぁ」と言いながら少女はカードを室内灯へかざし、眺め始めた。
「ところで行くとは何処へ? そもそも場所が分からないのだが……」
「遊び歩かんのか?」
「ええ」
「つまらんだろ」
「いえ。新鮮ですよ。毎日が」
ふっと笑いながら「ま、そうだろうな」とバイドンは呟く。そして少女を見つめて何かを考え始めた。
「……ティニャ。すまんがもう一つ仕事を頼まれてくれないか?」
急に投げかけられた問いに「え? うん」とティニャは少し慌てる。そして「これ、ありがとう」と言いながらカードを返して来た。
バイドンはカウンター内側に備え付けられた棚を覗いて、ごそごそと何かを探った。
「これをルマーナに届けてくれ」
「手紙? いつもと違う」
取り出したのは小さな封筒。見た事の無い折り方の封筒に、開封防止のバンドが取り付けてある。
「請求書も入ってる。場所はロンライン二番の最奥。あのデカい店だ。何度か配達で行った事あるだろう?」
「うん」
頷きながらティニャは封筒を受け取った。
「……あそこ、あのお姉さんのお店だったんだ」
「会った事なかったのか。そりゃそうか、居たとしてもお前が行く時間は基本寝てるしな。おっとそうだ。行って貰いたいのは今夜だ。会えるかもな」
「え? 夜は……」
バイドンはハッとして「ああ……そうか。弟が居るからな。心配か?」と問う。
ティニャは「それもあるけど……」と口ごもる。心配事は弟の事だけでは無いと言いたげだったが「ううん。……大丈夫」と自分に言い聞かせる様に答えた。
「本当か?」
「うん。もし会えたらお礼も言いたいから」
「そうか。なら、今夜このあんちゃんも連れて行ってくれ」
「何? 待ってくれ……今夜行くつもりは……」
道案内も兼ねてティニャに仕事を依頼した。そんなことは早々に気が付いていたが、強制的に事を進められては困る。だが……。
「早く行っておけ。いつまでも付きまとわれるぞ? 面倒だろ?」
「ええ、まぁ……」
これもまたバイドンの優しさなのだろうと思う。ぐいぐいと親切心を押し付ける形ではあるが、現状、その親切心を受け取っておいた方がいいと思った。ルマーナの誘いをズルズルと引き伸ばせば、確かに面倒な事になる予感もあった。そして何より、夜の歓楽街を幼い少女一人で歩かせるのは危険かもしれない。まさか、そう思う事を考慮してティニャに仕事を与えたのか? と邪推もするが、問いただした所で「そう思うならついて行ってやればいいだろ?」と、同じ結果に持って行かれるのは目に見えていた。
不本意ながらも、その案を受け入れる。
その意を沈黙で返すと「よし、決まりだな」とバイドンは無理やり話をまとめた。
「ティニャ、頼んだぞ。あんちゃんの面倒みてやってくれ」
面倒見るのはどっちだと言い返したくなったが、屈託のない笑顔で「うん」と言われると、言葉を飲み込むしか出来なかった。
「それとティニャ、お前腹減ってるだろ? どうせ、お前の抱えるソレ、弟と食べるつもりなんだろうが、ぐーぐー鳴ってる腹の音聞いてるとこっちまで減って来る。とりあえずこれで何か食ってこい」
バイドンは前掛けのポケットからコインを取り出してカウンターにパチンと置いた。
「いいの?」
「ああ。仕事の駄賃は別に用意しておく。今回の分と前払いで今夜の分もだ。俺はこのあんちゃんと話があるからな。適当な露店で食ってこい。ゆっくりな」
「ありがとう!」
ティニャはジャンクフード入りの袋をカウンターに置くと、コインを取って両手で握った。そのまま小走りで店の入り口へ行き、重い扉を開ける。その扉はまたギギギと音を立てた。
「裏から出入りしろと言ったばかりでこれか……」
ティニャの出ていく姿を見て、バイドンは苦笑した。
「ああいった子は多いのですか?」
時折見かける下級市民の子供。
下級市民の現状を隅々まで把握してる訳ではないのだから、自分が見かけるのは極一部なのだろう。
「まあな。少なくなったとはいえ、まだまだ居る。俺んとこではティニャ含めて二、三人雑用として雇ってる。下級街じゃ働かない者は生きていけんからな」
「まだ十歳かそこらでしょう?」
「下級街の奥に行ったことは?」
バイドンは質問を質問で返した。
「いえ……まだ」
バイドンは二杯目の酒をグイっと空けて「あそこの子供が生きる道は、ゴミ漁りか身売りが基本だ。雑用として何処かに雇われてるだけでもマシ。そんな街……いや、国なんだよここは」と遠い目をする。
そして今度は六瀬の目をみて「無暗に歩けとは言わんが、明るいとこばかり歩くのも勧めん。あんちゃんみたいな古代人には特にな」と言った。
六瀬が遺物船から発見された、所謂古代人である事はバイドンは知っている。
しかし何故、見聞を広めろとも取れる物言いをするのか理解が出来ない。
事実、情報収集はゆっくりとだが実行している。
飲み歩けという事だろうか。
どういう意味だ? と、問うより早く「ま、そんなことはどうでもいい」とバイドンは会話を切った。そして「ところで、俺の店がどんな店かはティニャに聞いたか?」と、流れを変える。
「ええ」
不満気に答えても、バイドンは一切気に留めていない。
「なら話が早い。ついて来てくれ。見せたい物がある」
そう言って、奥の部屋を顎で指した。
六瀬は言われるままバイドンの後をついて行く。
カウンターの先にある小さな事務室を素通りして更に奥へと進むと、想像通りの光景があった。
吊るされた手足がいくつもあって、作業机には未完成の腕が転がっている。半分以上はシートが覆いかぶさっているが、その殆どが同じ物なのだと予想出来た。整理整頓された工具類や何に使うか分からない機械類が所狭しと並んでいる。
一つ、今まで見て来た義肢店と異なる所は、全ての品のクオリティーが全く違うという事だった。
鉄くずとも取れるシンプルな義肢とは違い、関節全てがかなりの高レベルで構築されている。努力の欠片が見える程度の筋組織まで再現されているのは称賛してもいい。人工スキンも使われて、かなり人間に近い出来の義肢まである。
「これは……。普段見かける物とは比較にならないな」
「いい意味でだろ?」
「ええ。それは勿論」
笑いながら「そうかそうか!」とバイドンは言う。そして「近い内にあんちゃんと話がしたいと思っていたんだ」と続けた。
何故だ? と思った。
この作品を見せる事で何があるというのか。そもそも話とは何を示すのか。
――まさか……。
思うと同時に「これを見てくれ」とバイドンは言った。
そして部屋の一番奥にある一際大きなシートを勢いよく外した。
「なぁ、あんちゃん。いやロクセ。あんたもコレと同じなんだろ?」
目の前には人形、否、人工的に作られた人間が居た。