少女と手紙【3】
一部始終見ていたのかどうか。そんな疑問は湧かない。
尾行していた彼女達は、路地の反対側からずっと様子を伺っていた。
認識してはいたが、まさか首を突っ込んで来るとは思わなかった。
――尾行していたのとは違うのか?
わざわざ尾行をするのだから、普通は無暗な接触を避ける。
しかし、こうして姿を見せたのだ。本来の目的は違う所にあるのか。或いはこの少女を助ける為なのか。又、その両方か。
「それ、明らかにゴミじゃない? あんた達はどう思う?」
と、女が言葉を続けた。
「見るからにゴミですね」
「ゴミでさ」
女の名前はルマーナ。細身の男はキエルド。体格の良い男がレッチョ。盗聴した会話から得た情報の中で、その程度の事は既に把握している。
「そうだよねぇ。ゴミにしか見えないあたいがどうかしちまったと思ったよ。でも、あんたには、三百万の価値があるんだねぇ。……頭に虫が湧いてんなら、商売なんて辞めちまいな」
「何だと?! いきなり出できて何なんだ! お前らはっ!」
「へぇ~。あたいが誰か知らないの?」
「知らねえよ! 俺にはお前みたいなケバい女の知り合いはいねぇ! 余計な口出すんじゃねーよババア!」
「……言うねぇ。……キエルド、名前もう一度教えてちょうだい」
「タボライって名前でしたね。確か」
「は? 何で俺の名前知ってんだよ」
男の、タボライの表情に変化が起こった。
「タボライねぇ。覚えたわ。そうそう自己紹介しなくちゃね。あたいはルマーナ。聞いたことない?」
「ルマーナ? 知らねえよ。聞いた……事も……ん?」
と、タボライは一瞬沈黙を挟んだ。そして、ルマーナではなく、その隣にいるキエルドに目を向けた。
「やっと気が付きましたね。いつも当店をご利用頂きありがとうございます」
言いながらキエルドは両手を正位置においた礼をする。その立ち姿には、老年の執事が纏う敬意が込められていた。
「まさか、あの店の……」
「ええ。普段は経理ですが、受付を担当することもあります。いつもと服装が違いますからね。気が付かないのも仕方の無い事。でももう、お分かりですね? この方が誰か」
「え? あ、はい……」
「ウチの店はね、客層を一番に考えてる。別に見た目は気にしない。ただ、来店の権利は常識人にのみ与えている。当然、問題を起こす様なら即出入り禁止。さて、その上で聞きたいんだけどねぇ。……あんたは自分に、その権利があると思ってる?」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
「入れ込んでる嬢は誰だった?」
「ルミネちゃんですね」
「ま、待って! あの店の出禁だけは勘弁してくれ!」
「甘いね。店の出禁でだけで済むと思ってる?」
「え?」
「タボライ様、今後はルマーナ様管轄のエリアでは遊べなくなります。良店は他でお探し頂くしかありません」
横柄で上から目線の態度を取っていたタボライの姿は、もう既に無い。見て取れる程に血の気が引いて、畏縮している。
――店の客とオーナー。関係性はそんな所か。
「か、勘弁してくれ。悪かった。し、知らなかったんだ」
「謝るのはあたいに? ……相手が違うだろ?」
言葉に威圧感がある。
態度と暴言、そしてルマーナを知らなかった事実に対しての謝罪を即座にするタボライ。
それを見れば、権力の差異がどれ程あるのか簡単に理解できる。
タボライはハッとして六瀬に向き直った。
「す、すまねぇ。よく見たらゴミだった。三百万なんて……俺どうかしちまったんだ。ははっ。いや、ほんと、すまねぇ。こ、今度ウチの店に来てくれ。サービスすっからよ。な?」
腰を低くして媚びを売る。
六瀬は冷ややかな目で、そんなタボライを見つめた。
――クズだな。
六瀬は無言を貫いた。
ルマーナも六瀬と同じ目をして無言のままだった。
二人が無言で見つめる。その意味に気が付かないタボライは「すまねぇ。許してくれ。な?」と、六瀬とルマーナに向かって、交互に謝罪を繰り返した。
「はぁ~。もういい」
呆れた事を全身で語る、深い溜息をついてルマーナが言った。
「そ、そうか? じゃ、じゃあ、今夜も……」
「ああ。考えとく。あたいの気が変わらない内に……消えな」
「あ、ああ。分かった」
タボライは店の裏口を開けて姿を消した。
それを見届けてから、六瀬は人工スキンの入ったケースを拾った。そして、地べたに座り込み、今にも泣き出しそうな少女と同じ目線まで腰を落とした。
「ほら。大事な物なんだろう?」
そう言って渡すと、震える手でそれを受け取った。
「顔、こっちに向けな」
六瀬の隣にはルマーナがいる。
六瀬と同じ姿勢で、ハンカチを片手に持っている。
「切れてるね」
言いながら少女の口元をトントンと優しく叩くように拭いた。
白く、高級そうに見えるハンカチに赤い染みが付いていく。
「お腹は大丈夫? 他に痛い所は?」
「だ、大丈夫……です」
「そう。なら良かった」
少女の唇を優しく拭うルマーナを六瀬は見つめた。
三十歳前後に見える彼女の顔には、少し厚めの化粧が施されている。相当な美人である事は、その化粧が無くても分かる。むしろ、化粧が無い方が良いのではないか、と思えるくらいに顔立ちは整っていた。切れ長の目には、引き込まれそうな目力が宿っている。気は強そうだが、その中に儚さも感じ、男の保護本能を刺激する何かを持っていると六瀬は思った。
その視線に気付いたルマーナは、チラリと六瀬を見やり、そして表情を変えずに少女へ向き直った。
「あの男が謝るべき相手はこの子。そうでしょ?」
「ええ」
「……あなた、名前は?」
「……ロクセだ」
「そう。ロクセ……ロクセ、ね」
何故名前を聞くのか。
空船の通信で、助けた礼を言って来た時も、確かにこちらから名乗ってはいない。しかし、名前なんて同じ商会内の誰かに聞けば分かるはず。
名前も知らずに尾行していたのかと考えると、余計に尾行の意味が分からなくなってきた。
しかし、そんなことは今ではどうでも良かった。
あのままだったら、何かしらの問題が起こっていた。路地の先にはそれなりの人通りがある為、殴って終了。という訳にもいかない。
六瀬は素直に「あのままだったら殴っていた。大事にならなくて済んだ。すまん。助かった」と礼を言った。
しかし、ルマーナは六瀬をチラリと見ただけで何も言わず「何で昼間っからゴミ漁りしてたの。この辺は結構厳しいんだから。やるなら夜って分かってるでしょう?」と少女に問いかけた。
「お、お花」
そう少女が答えると「花? 花がどうしたの」とルマーナが再度問う。
「新しいお花、買いたくて……つい」
「花って……食べる物より大事?」
「え?」
瞬間、ぐーっと少女の腹が鳴った。
「さっきから鳴ってたよ。お腹が空いてるんじゃない?」
「……」
少女は腹を抱えて下を向く。
「その人工スキン。配達……でしょう? お給料は?」
「……貰っても使えない……から」
「……そう。……レッチョ! 何か買って来て」
「分かったでさ!」
「え? でも!」
「いいから。でも、これからは、こんなところでゴミ漁ってんじゃないよ?」
「……うん」
その答えを聞いてルマーナはポンポンと少女の頭に手を置いた。
同時に少女の瞳から涙が漏れた。
「ほら、レッチョ! 早く行きな」
レッチョを急かす。しかし、六瀬は「待ってくれ」と、それを止めた。
「これをやろう」
と、抱えていた紙袋を差し出した。
中には買ったばかりのジャンクフードが入っている。
この状況で、美味そうな香りをばら撒くコレを渡さなければ、それこそクズだ。
「いいの?」
「ああ。食べてくれ」
遠慮がちに少女は差し出された紙袋を受け取った。
それを見てルマーナが一瞬、笑顔を見せた。そして立ち上がりつつ「もう行くわ」と言った。
「あ、ありがとう。お姉さん」
「たいした事してないから気にしないで。そのハンカチはあげる。使いなさい」
「でも、こんな高そうな……」
「いいから。使いなさい。それよりもあなた」
と、ルマーナが声をかけてくる。そして一枚のカードを出した。
「これは?」
見てみると、薄く何かのマークが描かれている。
「あたいの事……知ってるわね? あたいは命を助けて貰ったんだから、こんなんじゃ割にあわない。そう思ってる。謝礼は改めてするつもり。だからウチの店に来て。それがあれば、あたいが管理しているエリアで遊ぶ事が出来るから」
――成程。尾行の理由はこれか。
「いかがわしい店はごめんだ」
「お酒、飲めるでしょう? それだけだから安心して。それにお金もいらない」
「……分かった。気が向いたら行こう」
「いいえ。絶対に来てちょうだい。お店は……来れば分かる。名乗って貰えたら案内するようにしておくから」
「ああ。分かった」
「約束ね。それと、その子の事は任せるから。配達先まで送ってあげてちょうだい」
「ああ」
「じゃあ、行くわ。お店で待ってる」
そう言うと、来た時と同じく、男二人を従えて堂々とした歩みをみせた。何も無かったかの様に路地を去っていく。表通りに入り、その角を曲がる瞬間、何故か小走りになったが。
「おじさんも……その、ありがとう」
ルマーナとのやり取りを黙って見ていた少女が上目遣いで礼を言った。
「いや、助けたのは彼女だ。俺は何も出来なかった。すまんな」
「ううん。そんな事ない……です。これだって、ありがとう」
抱えてた紙袋を見ながらそう言うと、またぐーっと腹が鳴った。
「腹が減ってるなら温かい内に食べるといい。歩きながらでも食べれるだろう?」
「ううん。大丈夫。帰ってから食べるから」
「そうか。なら、早くその荷物を届けないとな」
関わってしまったのなら、最後まで面倒をみなければならない。それに人工スキンを取り扱う様な人物、もしくは店ならば、それなりに良い情報や品を扱っているかもしれない。
これも何かの縁だと感じ、六瀬は少女と共に路地を後にした。
「ぶわっは!」
「やりましたね! ルマーナ様!」
「一歩前進でさ!」
路地を曲がると、一気に緊張が解けた。止めた息を吐き出す顔は、美人とは程遠い。
我慢できずに最後は走ってしまったが、これだけ頑張った自分を褒めたいとルマーナは思う。
「近っ! 顔近っ! 超近かった! 見た?! いい男!」
「う~ん。あまり美形とは思いませんが、人柄的には悪くないですね」
「確かに。女の子を助けに入る気概くらいはある男でさ」
「紙袋の中身は知ってましたが、最後、あの子にあげたのもポイントが高いですね」
「そう! そこ! あたいの目に狂いはなかった!」
「その辺は、これからでさ」
「ですね。どちらかと言えば狂ってる時の方が多いと思いますし」
どういう意味だ? と、問いかけたいが、それ以前に興奮が納まらない。
「はぁ~。もう! ドキドキした」
「お店に来てもらう算段をつけるのが今回の目的。ルマーナ様は頑張ったと思うでさ」
「ええ。早かったですね。あと数日、いえ、それ以上こういう日が続くと思ってましたから。いや~助かりました」
「あたい、変じゃなかった?」
「大丈夫です。結果的に彼を助けた訳ですし、好感度は高いと思います。それに外面を保てたのは良い成果ですね」
「そうでさ。本当のルマーナ様を見せるのはまだ早いでさ」
どういう意味だ? と、問いかけたいが、褒められて「えへへ」と声が漏れると同時に、顔のニヤつきが止まらない。
「好感度、上がった?」
「ええ。それはもう爆上がりですね」
「勿論でさ。でも、上がるも何も元々好感度なんて無かったですけど」
「うへへへ」
触れ合いそうな距離まで近づいて会話まで出来た。
出来立てほやほやの記憶を反芻する度に、自然とニヤついてしまう。
「うわ。相変わらず気持ち悪い顔ですね」とか「見慣れたでさ」等と言われても気にならない。周囲の通行人もギョッとしながら避けて歩いているが、まったく気にならない。むしろ、近距離の彼の顔を思い出すだけで、それをつまみにお酒が飲める。なんて事ばかりが頭を巡った。
「そうそう。ルマーナ様、タボライはどうしますか?」
「あたいのエリアに一歩でも足を踏み入れたら、処理してちょうだい」
「かしこまりました」
今日のお酒は何にしようか。
ルマーナの頭には最早それしかなかった。




