少女と手紙【1】
無糖のホス茶が入ったカップを受け皿に戻すと、アズリは向かいに座るレティーアの様子を伺った。
「納得出来ない」
そう言って、レティーアは目の前のホス茶へふんだんに砂糖を入れた。
「仕方ないと思うけど」
自身の中に蟠るモヤモヤを払拭出来ないでいるレティーアにそう言葉をかけても、結局自身が納得しなければ意味がない。
「だってこっちは命の恩人なのよ? 売上の一部くらい……の謝礼は筋じゃない?」
「で、でも。最初に発見したのはあっちですから、権利はこっちには無いと思うんです。それにバイクも一台駄目にしちゃってますから」
ミラナナが恐る恐る反論すると「まぁそうだけど」とレティーアは甘ったるいホス茶を啜る。
「ルマーナさん、大型の空船買ってからまだ数年しか経ってないって聞いてるし、お金の工面も大変だと思うから今回はそれで良かったと思う」
「そ、そうです。同じ船掘商会として助け合いです」
「三馬鹿の商会、あの人数でランク八位よ? お金に困ってる風には見えないけどね」
「他にも色々あるんじゃないですか?」
「色々って何よ」
船掘、狩猟の各商会の格納庫群があるエリアの端には、それらの仕事を生業とする者達が立ち寄る飲食店と様々なパーツ店が並ぶ通称ジャンク通りがある。
そんな通りの中央に、看板が錆びついていて【ニア】としか読めない喫茶店がある。そこは女性限定の喫茶店。オルホエイ船掘商会の女性陣が利用するお茶会会場はここと決まっていた。
しかし今日は、窓際にある一角だけが、妙に雰囲気が悪い。
「色々は色々だよ。いちいち他所ん所気にしてんじゃねーよ。ってか、他の客も要るんだ。店の雰囲気壊すな。ほれ」
そう言って片手に持ったトレイから、パイ生地に包まれたバターケーキを三つ差し出す人物はリビ。
「……頼んでないわよ」
「俺からのおごりだよ」
仕事の無い日にリビはこの店で仕事をしている。
口は悪く愛想も無いのだが、この店では人気の店員だった。
店の制服が異様な程似合っていて、誰もが愛でたくなる姿をしているのがその理由。というのは口が裂けても誰も言わない。
「店はキャッキャウフフが売りなんだよ。むさくるしい男ばっかの職場から解放された女達が過ごす憩いの場。ムスッとしたお前みたいなのが居ると美味い物も不味くなる」
「だったら、リビ。あんたの接客態度から直した方がいいかもね」
「ハァ?」
一瞬ピリリと二人の間に何かが走ったとアズリは感じた。
「ちょ、ちょっと待って。喧嘩はダメ。他のお客さんの迷惑になるでしょ?」
身を乗り出してアズリは言う。
テーブルが揺れてガチャリとカップが揺れた。
「チッ。とにかく、店の雰囲気は壊すな。もうあの日の探索から五日もたってんだ。忘れろ」
舌打ちの後、小さく溜息をついてリビが言うとレティーアは「そう言ったってさ」とこぼして、カップに両手を添えた。
普段から少し喧嘩腰の二人だが、実際に喧嘩をしたことは無い。陰湿な無視を続けたり、手を上げる事も無い。
何だかんだ言っても本来は仲が良い二人である事をアズリは知っている。
ピリリと感じた何かも杞憂なのだと、勿論アズリは知っている。
「情報が漏れてたんだろ。情報元が観測局だ。同時に多数の商会へ売ってたなんてよくある事だしな」
腰に手をやり、落胆と諦めが混じる表情でリビは話す。
「本来は無償の情報なんですけどね」
ミラナナは両手で持ったミルクをちびちび口に付けながら、リビとレティーアの様子を伺っている。
「あいつらの小遣い稼ぎさ」
遺物船落下を発見する観測局の情報は無償で提供するのが基本ではあるが、人によっては懇意にする商会へ優先的に知らせる事もある。中には複数の商会へ同時に情報を売って、複数から謝礼を貰う輩もいる。
「やっと怪我が治って仕事に復帰したと思ったらタダ働きだし。はぁ~嫌になる」
アームホルダーが外れて、晴れて自由の身となったレティーアは先日の探索が久しぶりだった。
「体、なまってたからね。頑張るわよ!」と言って肩をぐりぐり回すレティーアの姿をアズリは思い出す。
意気揚々と仕事へ出た結果、何の成果も持ち帰れずに数日の探索を無駄にしたのだからレティーアの気持ちも分からないでもない。
「次はきっと大きな遺物船見つけられるから大丈夫。それよりもレティー。リビの作ったケーキ食べよう! ね?」
ともかく、美味しい物を食べれば気持ちの切り替えには丁度いい。特にレティーアには甘い物が一番効果的。頼んでもいないバターケーキを持って来たリビの配慮は、それを知っているからこそ。
「な! なんで俺が作った事になってんだよ。作ったのは店長だよ店長!」
「へぇ~そうなの? 最近あんたが作ってるって聞いたけど?」
「い、いつもじゃねえよ。今回も違うし!」
そうは言っても、赤くなった顔で全てを語っているリビ。
復帰祝いも兼ねてのバターケーキなのだろう。それを懸命に手作りしていた事実を隠そうとしたって無理な話。
言葉使いとは裏腹に、嘘のつけない体質と内に持った本来の優しさが、皆から好かれる理由なのだとアズリは思っている。
可愛い服を着こなした真っ赤な顔のリビをじっと見つめると顔がニヤけて来た。
「何だよ。その顔は!」
テーブルに座る同じ表情のアズリとレティーアに向かってリビが言う。
「ま、いいわ。いただきましょう」
レティーアの合図で三人同時にフォークをパイ生地に当てた。サクッと音を立てた後、柔らかい中身にフォークが通る。
「ん」とレティーア。
「おいしい」とアズリ。
「……」と無言なのはミラナナ。
甘いシロップが薄く塗られたパイ生地と、滑らかでしっとりしたバターケーキが口の中を幸せにする。
そして三人同時にリビに視線を向けた。
「な、何だよ」
「……相変わらず美味しいわね。店長のケーキは」
「うん。すっごく美味しい」
「お、おう。なら後でそう伝えておく」
ニヤけてしまうのを必死に我慢しているのが手に取る様に分かる。バレていても、あくまで雇い主が作った物だと主張するリビがまた可愛く見えた。しかし、
「これ、リビちゃんが最高傑作だって言ってた時の味……」
と、ミラナナはストレートな暴露をした。
「?!」
アズリも意外と空気の読めない発言をするが、ミラナナはアズリの更に上を行く。
キッと睨みつけるリビに気づかないまま、ミラナナは「うん。やっぱり美味しい」と言いながら食べ進める。
「あちゃー」
「あはは。ミラナナらしいわ」
「おい。そんなに美味いか? 店長のケーキは」
赤い顔のまま頬を引きつらせながら言うリビに、漸く気が付いたミラナナはハッと顔を上げて現状を把握する。
しまった!と言わんばかりの表情で「あ、えっと……。違ったかもです。リビちゃんのはもっと深みがあるっていうか……何というか」と、取り繕った。
店長作のケーキだと言い張ってももう無駄だと理解したリビは、諦めの感情を全身から出して溜息をついた。
「……もういいよ。黙って食えよ」
「う、うん。ごめん」
こんなやり取りもいつもの事。
仲の良い二人の会話。それもまたケーキの美味しさを引き上げてくれるとアズリは思った。
「ん? 何だあれ」
と、不意にリビが何かに気づいた様子で窓を眺める。
窓際に座っているアズリもその視線をなぞって外に視線を向けた。
「ロクセさん?」
何か買い物をしたのであろうロクセが店の外を歩いている。
「……と三馬鹿?」
ロクセしか見ていなかったアズリはレティーアの言葉で視線の先を変えた。数メートル後ろにルマーナとそのお友達が、妙な動きで歩いている。
喫茶店は雑貨屋の二階にある為、俯瞰的に彼らの動きが見えた。
「尾行してますね」
歩いている、というより隠れていると言った方が早い。
「あの距離じゃバレバレだと思うけど……」
建物の角。看板の裏。時には店先の商品を物色するふりをして人込みに紛れる。
ロクセから距離もそう離れていない所を目立つ三人がそんな動きをしていたら、怪しい以外に無い。
周囲に居る第三者から見ても、当然アズリから見ても、三人が追っている人物はロクセなのだと容易に分かる。
そんな光景を見て「……暇そうね」とレティーアが呟いた。そしてホス茶を一口飲んで「馬鹿馬鹿しくなってきた」と言った。
「いいわ。もう。リビの……じゃなかった。店長のケーキ食べて今日はのんびりここで過ごすわ」
「そうですね。今は美味しくリビちゃ……じゃなくて店長の作ったケーキ食べてた方が幸せです」
「……はぁ。……そうかよ。勝手にどうぞ」
気持ちの切り替えが出来たのならリビのケーキに感謝。耳横でレティーア達の会話を聞いて、アズリは素直にそう思った。
しかし、目線は窓の外。
何故だか気になり、アズリはずっとロクセ達を目で追っていた。




