満天の星【13】
「それでどちらに?」
「えっと、その、近くですのでついてきて貰えれば」
一体何処へ行こうとしているのか分からない。その意味も分からない。
深夜という事もあって会話は無く、ロクセは黙々と静かに歩くアズリの後ろをついていった。
しかし、外が妙に明るい。昼間の様に明るい訳では当然無いが、ギリギリ街灯がいらないくらいには視界が保てる。先程の荷物を降ろしてる時も、昨夜の裏市の時も、暗黒とまではいかないにしてもそれなりに暗かった様に思えた。
見上げると三つの衛星が並んでいる。
もしかしたら、毎晩決まった時間に衛星同士が重なる掩蔽が起こっているかかもしれない。衛星同士の高度が違えば速度も変わるとは思うが、一晩で重なり合う軌道の衛星は衛星と言えるのかどうか。どちらにせよ、何かしらの衛星相互現象が起きていると考えられるが、軌道計算が出来る知識もなければ、それらの学識も持ち合わせてはいない。
ロクセが考えながら歩いていると「足元、気を付けてくださいね」とアズリから注意された。
視界は保てるが、アズリは懐中電灯を持っている。照らしていれば、確かに星明かりよりは断然明るい。
しかしロクセにとっては懐中電灯の方が邪魔に感じた。暗視システムに切り替えれば今よりずっと明るいとか、そんな事ではない。ただ、夜空から降る光だけで歩く雰囲気が心地良かったからだった。
暫く歩くと、路地とも言えない建物の間に吸い込まれる様にアズリが入っていった。
「こんな所を通るのですか?」
人一人通るのがギリギリの幅。頭がぶつかりそうな場所や足元にパイプやチューブが通っていて、ロクセはその都度軽く屈んだり跨いだりしながら足を運ぶ。
「狭いですけど近道なんですよ。じゃないと、ぐるーっと回って行かなきゃいけないので時間かかっちゃいます」
アズリは振り向きもせずにそう答え、何度も来たであろう慣れた歩みをみせた。
身長の低いアズリにとっては頭の上の邪魔な物を気にする事がないが、ぶつかりそうになるロクセには少しうっとおしく感じる。
抜けると少し広くなった裏路地。空間を埋め尽くす様な継ぎ接ぎだらけの建物の間を通り、そこら中に散らかっている意味の分からない機械や錆びた看板や鉄くずを縫うようにして進む。
見上げると、窓という窓から物干しロープが建物間で繋がっていて、干しっぱなしになっている服や下着が目立った。そこそこ高い建物や洗濯物。そしてパイプや梯子が邪魔をして夜空があまり見えない。
昼間見た大通りとは違い、無秩序な生活感がそこにはあった。
「こっちです」
少し上を向いて歩いていたロクセに声がかかる。いつの間にかアズリが目の前の視界から消え、左脇の建物前に立っていた。
「おっと。すみません。そちらでしたか」
言って再度、アズリの後をついて行く。
アズリは入り口の扉すらない建物へ入り、懐中電灯を切ってそのまま通路を進んだ。
申し訳程度に灯る通路灯には、見た事の無い形状の虫が集まり、それもまたロクセの好奇心を駆り立てる。捕まえてじっくり観察してみたいが今は我慢した。
この建物は集合住宅なのだろう。誰かの住まいの玄関前をいくつも通り過ぎる。通路も外と変わらず、私物かどうかも分からない品物がそこかしこに放置してあった。
右に曲がったと思えば左に行き、細く錆びた階段を登ってまた右へ。何度も似たような道筋を繰り返し上へ上へと進んでいく。
増築に増築を重ね、それ故にこんないびつな構造になったのだと理解ができる。しかし不快ではない。その道なりは迷路の様で、ロクセの興味をひっきりなしにそそり続けたからだ。
まるで深夜の探検のような謎の散歩は、雑然と住まう人々の生活と、この街の在り方を感じ取る事が出来た。成る程こうして歩くのも悪くない、とロクセの今後の行動指針にもなった。
目的の場所までかかった時間はロクセの時間で三十分そこそこ。その時間が長いとみるか短いとみるか。アズリの感覚では近いとの事なのだから、歩きが主として生活しているこの街の住民にとっては当たり前の距離なのだろう。
着いた先は何処かの屋上だった。高さは建物十階分程。周りを見渡すと丘の上には数段明るい街並み。逆方向には煙を吐く施設群の他に、都市の外に向かって煌々と灯を照らしている塀と監視塔が遠目に見えた。今いる中級市民街はそれらに比べればかなり暗い。ずっと端の方にも沢山の住宅があり、おそらく人が住んでいるのだろうがそこは暗闇に覆われ、住んでいるのかすら怪しい程だった。
少し冷たい風が吹く。アズリの髪がなびき、彼女はその髪を優しく押さえた。
ロクセにとってはこの風の冷たさも感覚で捉える事が出来ない。数値的な温度として捉えている。彼女には少し寒いのではないだろうかと思ったが、ここまで歩いた体の火照りが、心地いい風に変換されている様に見えた。
「ここ。お気に入りなんです。高い建物だから周りが見渡せるでしょう?」
「ええ」
「最近は人も増えて上に増築していく建物も幾らか出て来ましたけど、中級市民街ではまだまだここが一番高いんです」
アズリは落下防止の鉄柵に手をかけ、北を指差した。
「あっちが上級市民街です。管理貴族の人が住んでいて、奥には……えっと、一番偉い人達の建物もあります。こんな時間なのにまだ明るいって凄いですよね。そしてここが中級市民街。その西側には下級市民街があって、南側の商会格納庫群がある崖の下には軍事施設と工場があります。暗くて分からないと思いますけど、昼間ここに来れば良く見渡せると思いますよ。今日街の案内でもしようと思いましたけどバタバタしてましたから、せめてここだけでも教えておこうかなって思ったんです」
薄っすらと笑顔を浮かばせているアズリはロクセに一瞬目を合わせ、そしてまた逸らす。
「そうですか。では昼間またここに来てみましょう。確かに今は暗いですからね」
会話の途中で暗視システムに切り替えたロクセの眼球には、昼間とそう変わらない景色が見えている。しかし、今は話を合わせた。
「そうしてみてください」
アズリは言った後沈黙を作った。
他に何か話があるのだろうと思えた。そういう雰囲気を隠すつもりも無く、チラチラと此方を伺うように彼女が視線を送るからだ。
ロクセは「他に何か?」と次の言葉を促した。
「あ。えっとその……ごめんなさい。見晴らしがいいからってここに誘ったのは、その、建前で。本当はその……謝りたくて」
「謝る? 何をですか?」
「……初めてロクセさんを見つけた時、逃げちゃいましたから。心細かったですよね、あんな暗い船の中でしたから。あと先日船の甲板で、人間ですか? 何て聞いちゃって、失礼な事言っちゃったなって……。だから謝りたくて。あの……本当に御免なさい」
アズリは深く頭を下げた。
知り合ったばかりの男と二人で深夜に出歩き、ましてや襲われてもおかしくない裏路地や死角の多い場所を平気で歩く不用心さは頂けないが、自分の行動と言葉について律儀に謝る気持ちは褒めてあげたい。若干気弱な部分もある様に思えるが、やはり他愛に厚い。
「謝る事ってそんな事でしたか。そんな些細な事気にしなくても大丈夫ですよ。自分は気にしてませんので」
正直な話、人間かどうかの台詞については驚いた。
起動した瞬間を目撃しているのだから疑問を感じても当然と思えるが、稀とはいえ生きている古代人も存在しているこの世界ではその疑問も薄くなるというもの。そんな中、隠しているその事実を感じ取り、ストレートに聞いて来た彼女には逆に関心した。
いつかは話さなければならない、もしくは悟られるだとうとは思ってはいるが、しかしまだ、その時ではない。
「そうなんですか。なら良かったです。それとあと、お礼も言いたかったんです」
「お礼……ですか? いったい何故?」
「これです」
アズリはポケットから一つの髪留めを取り出した。
「それは……。そうですか。それは貴方が」
遺品の中で、どうしても譲って欲しいとオルホエイが言って来た品。プラチナを土台にアクアブルーのパライバトルマリンを中央に三つ、均等に置いたシンプルで美しい一品だ。
「こんなアクセサリーを頂けるなんて、私なんて一生かかっても手に入らないと思います。これ、妹のマツリに似合うなって思ったんです。だから、その、本当にありがとうございます」
「……喜んで頂けたら幸いです。きっとマツリさんにも似合うと思いますよ」
アズリは「はい」と言って笑顔を向けた。出会ってまだ数日だが、今までで一番の笑顔を向けられたと感じた。思い出深い品ではあるが、彼女からの信頼を得られたなら安いもの。これから多くの信頼の得ていく足掛かりになればそれで良い。
髪留めを手の平で包むように持っているアズリを見て、ロクセは「ちょっと貸して頂けますか?」と言った。そして受け取ったそれを彼女の髪へ飾り付けた。
「アズリさんにもお似合いですよ」
左サイドの髪を前髪から持っていき、一捻りしただけでそのまま耳上で留める簡単なスタイル。それでもミディアムボブの髪に良く似合っている。
彼女は、はにかみながら「私には勿体ないです。……田舎娘みたいな私になんて」と言った。
しかし、まんざらでもない表情が可愛らしい。薄っすらと肌に乗るそばかすも含めて、十分似合うとロクセは思う。
「これの本当の持ち主はきっと、美しい人だったんでしょうね」
不意に放ったアズリの言葉にロクセは一瞬の悲しみを見せた。その表情を彼女は見逃す筈も無く「す、すみません」と謝罪する。
「お気になさらないで下さい」
「い、いえ、その……思い出させてしまったみたいで」
「大丈夫ですよ。……その髪留め、持っていたのはお転婆な人でした」
「お転婆?」
「ええ。天真爛漫で活発で……そして気持ちも優しい可愛らしい人でした。それはお気に入りでしたから、頻繁に着けていました。今となっては懐かしい思い出ですが、アズリさんに……いえ、マツリさんに使って貰えればきっと彼女も喜ぶと思います」
「……ありがとうございます」
アズリは優しく髪留めに触れながらもう一度謝意を口にした。そして夜空を見上げ「ロクセさんの住んでた場所はどんな所だったんですか?」と言った。
「どんな所……ですか。そうですね。少なくともこの星の様な自然は全くありませんでしたよ。いや、我々が無くしたと言うべきでしょうね」
「自然が無いんですか? じゃあ、怖い生き物とかも?」
「ええ。自然生物はほぼ皆無です。植物も食用動物も全ては養殖。つまらない星です。一番恐ろしい生き物は……我々人間ですよ」
言ってロクセも夜空を見上げた。悲痛の叫びをあげる母星を思い出し、これ以上の言葉は出なかった。
夜空には満天の星が煌めき、衛星が三つ浮かんでいる。夥しい光の粒がいっぱいに広がり視界を覆い尽くす。ロクセは目眩を感じる程のその美しさに見惚れ、同時に哀感が胸にしみた。
「そうですか……。でも……もし、あそこにいる人達がまだ生きているなら、皆んながロクセさんの様な人である事を祈ります」
アズリが言った言葉。ロクセには意味が分からなかった。
――あそこにいる?
「どういう意味ですか?」
アズリはロクセに一度視線を合わせ、もう一度夜空を見上げた。
「……じっと星を見つめてみて下さい。注意深く」
そう言われ、ロクセは星を観察し、沈黙が二人を支配する。それはたった数分だった。しかし、要した時間はそれで充分。
――どういう事だ? これは。
「星が……動いている。無造作に」
現在足を着けているこの星にも当然自転がある。という事は夜空に煌めく星達は同一方向に、線状に動く。いわゆる日周運動だ。しかし、目の前に広がる光達は無造作に動いていた。勿論、自転に合わせて動く星も無数にあるが、それに混じる様に上下左右、又は動きすらしない星もあった。
そして、冷静に考えれば星の数が異常な程多い。と言うより、朝に近づきつつある今現在、正直、その星の数は増えて来ているように思える。
母星では任務時のみドームから外へ出て、まともな夜空を見る事が出来た。それでも、これほどまでに光輝く夜空では無かった気がする。まるで無数の銀河群で埋め尽くされているようで、すでに銀河団まで膨れ上がった存在の中に、この星の恒星系も飲み込まれていると感じた。
ロクセは驚きを隠せず鉄柵を握りしめる。そして隣から、こう言葉をかけられた。
「話では四割くらいって聞いた事がありますけど、あの星の様に見える光は、船なんです。……ロクセさんも、そこから落ちて来たんですよ」と。




