迷いの糸廊【3】
帰路につき、中央商店街の手前まで来ると、
「じゃ、またね。誘ってくれてありがと」
「明日はブリーフィングあるからな。遅れんじゃねーぞ」
と、レティーアとリビが別れの挨拶をしてきた。
ベルの花屋と二人の自宅は少し離れている。ここでお別れだ。
うん。わかってる、とアズリは答えベルの花屋へ向かった。
「今夜も楽しかった。毎日来たいくらい」
「そうだね。体調が良い時にまた来よう」
出来る事なら毎日通いたいが、孤児院には安いお土産を持参するくらいで食費は出していない。何の貢献もしていないのだからあまり迷惑をかける訳にはいかない。
そもそもマツリは疲れやすく、毎日通っていたら確実に体調を崩す。今だって車椅子移動なのだ。最近少し体力が落ちた気がする。
「良かった。追いついた」
まだ人通りがある時間帯。一瞬自分達にかけられた声だと気づかずにいたが、聞き覚えのある声にアズリは振り返った。
「あれ? タタラさん」
ふーっと息を整える仕草をするタタラがいた。汗もかいておらず、ちょっと演技っぽい。
「一緒に出ればよかったんだけど、ぐずっちゃった子がいてね」
「一緒にって……何か用事でも?」
「ええ、ちょっとね。とにかく途中まで一緒に行こう。一人で歩くの寂しいから」
そう言うと、タタラが車椅子のハンドグリップを半ば無理矢理掴んで来た。
押すの代わるわ、という無言の意思を受け取り「ありがとうございます」とアズリは小さく礼を言った。
「マツリ、楽しかった?」
タタラがマツリの顔を覗く仕草をしながら訪ねた。
「うん。まだ、小さかった子が、日に日にお兄さんお姉さんになってくから、なんか嬉しい」
「子供の成長は早いからね。びっくりするくらいに」
「孤児院に来たばかりの頃は自分もこんなだったな~って思う」
「マツリは今でも変わらない所あるよ」
「あ、お姉ちゃん酷い」
タタラがふふふと笑い、マツリが少しむくれる。
冗談だよ、ごめんね、とアズリは謝った。しかし、少し本音でもあった。
普段のマツリは妙に大人びていて気が利く。商店街の人達にも好かれ、花屋の接客もしっかりしている。だが、人形一つで喜び、毎日抱いて寝る子供っぽさと、リビやフィリッパやレティーア等、好いた知人には遠慮なく甘える節がある。少しぽっちゃりしたフィリッパにぎゅーっとされると安心する、なんて事も言い出すのだ。もしかしたら、母という存在に飢えているのかもしれない。
自分が代わりになれれば……なんて思っているが、自分自身もカナリエには甘えてしまうのだから、まだまだ自分も大人になりきれてないのだろう。
「……ねぇ、ちょっと突っ込んだ話していい?」
急に声のトーンが変わったタタラ。
真面目な雰囲気のタタラに、アズリは「いいですけど、何ですか?」と恐る恐る聞いた。
「ほら、孤児院いるとね、カナリエやエイミューラから色々聞こえちゃうの。あなた達姉妹の事情とか……。実はもう知ってるけど、でもね、やっぱり本人達から聞きたいなって思って」
「隠す事とかないので、何でもどうぞ」
「そう。ありがと。……昔の記憶がないって本当?」
タタラが一呼吸置いてから尋ねてきた。
「はい。私は十一歳くらいから前の記憶は全部。マツリは当時七歳だったからそれ以前は……」
思い出そうとしても全く思い出せず、無理に記憶を探ろうとすると頭痛と吐き気が襲って来る。何も無い広い空間を彷徨う感覚がして、精神的に疲労してしまう。これはマツリも同じらしい。
今では、昔の記憶は思い出そうとせずに今を生きようと二人で決めている。
「そうなの?」
タタラがマツリの顔を覗いて聞いた。
マツリが「うん……」と素直に頷き「でも、名前しか覚えてなくて、自分の歳は、何となくそのくらいだった……って記憶しかないから正確じゃないと思う」と答えた。
「じゃあ、下級街に居た理由も分からないの?」
今度はこちらに聞いて来る。アズリもまた「はい……」と素直に頷いた。
「気がついたらそこに居て、どうしていいか分からなくて、お金無いから服とか売って、後は捨ててある物で食べれそうなの食べたりしてって感じで。そしたら寄生虫がお腹に入っちゃって、死んじゃうかもって時にカナ姐に助けて貰いました」
寄生虫とはソウルワームの事。
ティニャの弟ティーヨが蝕まれ、命を落とした虫だ。
「……どうして服を売ろうって思ったの?」
質問の方向性が変わった気がした。
「え? お金無かったですから」
「それは分かるけど、下着になるまで売ったって聞いてるから。そんなに上等な物着てたの?」
「売ってくれって人がいたから……だから、売ってお金に出来るって思ったのかも」
「じゃあ、元々上級民だったってこと?」
「それは……どうかな……。でも珍しいって言われた気がします」
「……そう」
ここで会話が止まった。
アズリは服の事を聞いて何になるのだろうか、と疑問を持った。
確かにちょっと変わった服を着ていた気がするが、当時は混乱していて、今ではどんな服だったか覚えていない。
タタラが民族衣装か……と、ボソッと呟いた。
「え?」
はっきり聞き取れなくて、アズリは今何て? と聞き返した。
「ううん。なんでもない。とにかく記憶が無いんじゃ、何も分からないわよね」
「……すみません」
再度会話が止まる。
三人は暫くそのまま無言で歩いた。
街灯の下を歩く人達は、自宅に帰る人と、ロンラインへ赴く人に分かれている気がした。
ベルの花屋がある商店街が見えて来た。すると「……もう少しで着いちゃうね」とタタラが言った。そして続けて「これで、最後にするから、もう一ついい?」と言う。
「はい……」
「マツリの病気っていつから?」
やっぱり気になるよね、とアズリは思い、船掘仲間や商店街の人達等、多くの人達へしてきた回答を行う。
「二年くらい前です。ちょうどその頃に船掘業も始めました」
「生きながらにして体の末端から炭になっていくんでしょ? ここじゃ珍しくない病気なの? ネードじゃ見た事ないけど」
「とても珍しいみたいです。何年かに一度発症する人がいるみたいです」
「同じ病の人はいるの?」
「わかりません。でも、もしかしたら、他にもいるんじゃないかって思ってます」
「感染症……では無いわね」
「遺伝っぽいです。でも本当に何も分からないみたいです。薬も一応はあるんですけど、進行を遅らせる効果しかなくて……」
「お姉ちゃん……」
マツリが悲しそうに見つめて来た。
アズリはハッとなって「あ、ごめんね。きっと大丈夫だから。ちゃんと薬打ってればとりあえずは安心って言ってたし。その内治療薬も出来る筈」と取り繕った。
「……アズリ、その薬一本譲って貰えない?」
タタラが妙な事を言いだした。
アズリは「え?」と聞き返した。
「お金は払うから。あ、数が十分にないなら無理しなくていいよ」
「結構買い置きあるんで大丈夫ですけど、何に使うんですか?」
「やっぱり個人的に気になるの。医者の端くれみたいな知識はあるし、興味もあるし。調べてみたいなって」
そういう事か、とアズリは納得した。
「そうですか。分かりました。花屋に着いたら、少し待っててください。持って来ます」
「ありがと」
タタラが笑顔で礼を言った。そして今度は眉根を下げて「マツリ、そんな顔しないで……。ごめんね変な事聞いちゃって」とマツリに謝った。
「ううん。大丈夫」
気丈に笑顔を作るマツリ。
病を消し去り、その笑顔を本物にしたい……とアズリは思った。




