迷いの糸廊【1】
普通に中級街に住んでいるだけなら一生見る事の出来ない豪華な室内。アズリにとっては見慣れた風景となってしまったが、妹のマツリは初体験である為、彼女はただただ「ふぁ~」と感嘆の溜息を漏らしていた。
四度目の来店で既に、ある意味で【ルマーナの店】の常連となってしまったアズリ御一行。ロクセを筆頭に必ず三~五名で来店するただ飯食らいの迷惑客は、決まってVIP用の個室へと通される。
「よく来たね。いらっしゃい」
いつもの如く、店主兼ロンライン二番通りの権力者ルマーナが客をもてなし、個室へと招いてくれた。
ロクセの手には大きな花束があった。恒例儀式のようにそれをルマーナへ渡す。
今回はそれとは別に、紙袋も持っていて「頼まれたやつだ。金はいい」と言いつつそれも渡した。
袋の中身は予想がついていた。前回来店した時に、前に行ったインナー店云々、二番目に選んだやつ云々、等と話していたから、恐らく下着類だろう。
男一人で女の下着を買いに行く精神はいかがなものかと思うが、最近はそういう変わった嗜好のある人、又は、そういった事に頓着しない豪胆な人だと思う様にしている。
「ありがとね。ルミネ、花はキエルドに渡して。こっちはあたいの部屋に」
紙袋と花束を受け取ったルミネは「はい」と一言返事をして退室した。
ルミネが勤める店は別の店だというが、ロクセと共に来店する時は必ず【ルマーナの店】に臨時で来るらしい。ルマーナの指示で、いつもティニャと共に席につく。
「初めまして。あたいはルマーナ」
「は、はいっ。初めまして。マ、マツリっていいます」
「そう。楽しんで行ってね、マツリ」
ルマーナとマツリが挨拶を交わした。
今回初めてマツリを連れて来た。ティニャと友達であるが故に、ティニャの方から誘われたという経緯がある。
ロンラインまでは結構な距離がある為、車椅子移動だ。
アズリは車椅子を押して席へと向かった。だが、進路を妨害するかのようにティニャがやってきて「マツリちゃん。いらっしゃい」と、マツリの手を取ってぶんぶん振った。
「す……凄いね。こんな豪華なお店初めてみた」
「うん。ティニャも初めて来たときビックリしたもん」
この日の為に奮発して買った小奇麗な服を着たマツリ。髪も最近お気に入りのハーフアップにセットして、ロクセから貰ったバレッタで纏めている。
ドレス姿のティニャと比べたら見劣りしてしまうが、そんな事は気にしていない様子で少し安心した。
アズリはルマーナから貰った赤いドレスをいつも着る。
来店すると直ぐに休憩室へ行き、お店の人達がメイクを含めて一気に仕上げてくれる。まるでメイドを持つ上級民になったような気分だが、このサービスは全てルマーナの指示によるものらしい。
マツリのメイクもその時にやってもらった。初めて薄いメイクを施したマツリは想像以上に可愛かった。
勿論その間、同行している男性はボックス席か小さなカウンター席で待たされる。
ロンライン二番通りは女性に優しいのだ。
今回来店したのは、ロクセとマツリとアズリの三名。
皆、席に着き、パームとティニャが客の間に座った。サラは向かいの席に一人で座り、酒の提供と食事の取り分けに徹する。一足遅れてルミネも参加した。ロクセとルマーナだけは上座の二人掛けの席。暗黙の指定席になっている。
「船の修理はどのくらいかかるんだ?」
最初の酒を一口飲んだロクセ。カランと音をたてる氷を眺めた後、ルマーナに尋ねた。
「半年はかかるね。最低でも」
「そうか……長いな」
初来店の時と比べたら二人の間で遠慮が無くなったような気がする。
ルマーナは「~わ」と少し気を使った言葉遣いだったが、今では日頃の横柄な口ぶりに近くなっている。ロクセは既に敬語ではない。”ルマーナ”と呼び捨てだし、彼女を信頼している空気すら感じる。
いつ頃からだろう……とアズリは何度も思い返しているが、答えは出ていない。
それよりも、未だに自分には敬語のロクセ。この差は何なのだろうか。
「資材も足りないからね。こっちは後回しだからさ。まいったよ」
「そうらしいな。船掘で得た船の資材は軍が優先なんだろ?」
「そう。軍の空船や装備、次に工場や採掘の機械、その次にまわってくるのがあたい達。船掘業の無い国もあるからね、そっちにも売られりゃ当然品薄になるさ」
「なるほどな。貿易品も兼ねているのか」
「それに今回、船底全部を遺物船の硬い外装で覆うように、って指示したから余計に時間がかかるって訳」
「……金はあるのか?」
「……聞かないでちょうだい」
個別の振動と溶解液で一度溶かした遺物船の外装は、強度が格段に落ちる。だが、そうしないとあらゆる分野で使い難い為、やむを得ない工程だと聞く。
とはいえ、鉄やカーボンと比べたら断然高強度である為、それで全ての船底を覆えばかなり頑丈な船が出来上がる。
ネードでの一件はルマーナにとってかなり辛い出来事だったのだろう。
メルティを亡くしてしまったのだから、アズリにもその気持ちは理解出来た。
自分も同じ立場だったら、同じ事故を二度と起こさないよう、金をかけてでも仲間を守ると思う。
「で、どうだったんだ。オルホエイとの話は」
本題に入ったロクセ。持っていたグラスを置いて、腕を組んだ。
「あたい達が見つけた物に関しては取り分七割で話しがついたよ」
「好条件じゃないか」
「まぁね。オルホエイとは昔からの知り合いだからさ。それに、このくらいじゃなきゃ旨味がないよ。店に居た方が稼げるなら乗船する意味ないし」
【ルマーナの店】への来店には二つの理由があった。
一つはティニャのお誘いに応え、マツリを連れて来る事。
もう一つは、ルマーナがオルホエイ船掘商会に臨時船員として乗船するかどうかの意思確認を本人から得る事。
オルホエイから「助けてやりたいが、昔色々あってな。少し気まずい部分がある。お前から誘われた方が素直に頷くだろうよ。今のあいつは」という暗黙の依頼があり、来店する事となった。
昔ルマーナはオルホエイの事が好きで、ロンラインの仕事と兼業でオルホエイ船掘商会で働こうとしていたらしい。それをオルホエイは断ったとの事。断った理由は分からないが、ともかくその辺りが気まずい部分なのだろうとカナリエが言っていた。
ロクセから誘った方が良いとする旨は、誰かに聞かずとも理解出来る。
ルマーナがロクセに好意を寄せている事実は、恐らくオルホエイ船掘商会の仲間は殆ど皆、知っている。
数週間前のロクセとルマーナのデート。
レティーアはそれをお茶のお供として語っていた。耳ざとい者達はそれを面白がって酒のつまみにしていた。オルホエイも知っている様子なのだから、ほぼ間違いなく全員が知っている。と、思う。
「そうだな。で? 決めたのか?」
「……ねぇ、ロクセ。あなた、仕事がある時は常に乗船するの?」
「ん? ああ、基本的には乗る。乗らなきゃ給料減るし、その時のボーナスが貰えない。金は必要だからな」
「そう……じゃあ、殆どいつも居るって訳だね」
「そうだが……それを聞いて何の意味がある」
「あるんだよ。あたいには」
「……何だ」
「あ、あなたは、そうね……頼りになる男だから……」
じっとルマーナの目を見て考える素振りを見せるロクセ。
耳を赤くしたルマーナは視線を外した。
暫くしてから「……そういうことか」と、ロクセが小さく呟いた。
オルホエイから「お前から誘われた方が素直に頷くだろうよ」と言われた時、ロクセは「意味が分からない。何故俺が?」とぼやいていた。
「分からないのか? 馬鹿なのかお前は」と言われ、少し口論になったが、結局【ルマーナの店】に足を運ぶ事となった。
何かを理解したロクセ。
だが、それは間違った理解だとアズリは思った。
ルマーナはタワーロックとキャニオンスライムの件で二度も命を救って貰っている。それ故に”頼りになる男”という信頼と理屈は通る……が、それは一部の理由でしかない。
きっとルマーナの言う”頼りになる男”には、”あなたが好き”が隠れていると思われる。船掘業にロクセが参加するか否かの問いは、ただ単にロクセと一緒に居たいが為の質問だったのだろう。
だが、ロクセはそれに気づいていない気がした。
自分は頼りにされていると純粋に理解し、オルホエイの「お前から誘われた方が素直に頷くだろうよ」のセリフはそれが理由だったのだろうと、今漸く納得したという感じに見えた。
少なくともアズリには……そう見えた。
「お、美味しい……。お姉ちゃん、本当にコレ全部、食べていいの?」
マツリが運ばれた料理を一口食べて目を丸くしたまま聞いて来た。
「え? あ、うん。ルマーナさんがご馳走してくれるから……大丈夫」
不意に問われて少しビクッとした。
「いいんだよ。遠慮しないで食べな」
ルマーナが優しく笑顔を向けて言った。
マツリは丁寧に礼を言ったあと、ティニャと仲良く会話しながら食べた事のない豪華な食事を堪能し始めた。隣に座ったルミネも会話に加わり、ワイワイと盛り上がる。
”可愛い”を絵に描いたような女の子三人。普通ならそこにアズリも加わるのだが今日は……否、【ルマーナの店】に来るといつもロクセに注視してしまう。
「まぁ、俺の事は別として、今日来たのは君の乗船意思があるかないかを確認する為だ。船の修理費を稼がなきゃならないだろう? 乗るか?」
「そうだね……」
「別に君自身が乗る必要はない。キエルドやレッチョがいるんだ、彼らでもいい。それに彼らの他にも商会の船員はいるだろう? 誰でもいいんだぞ」
「こんなチャンス手放せないよ。あたいは必ず乗る」
「チャンス?」
「あ、えーと、とにかく乗る方向でってオルホエイに伝えておいてくれる?」
「分かった。因みに参加人数は何人で考えている」
「……四人だね。あたいとキエルドとレッチョ。あとはティニャ」
「は? この子もか?」
呼ばれた気がしたのだろう。ティニャが疑問符を浮かべた顔をする。
ルマーナは”こっちは気にしないで”とジェスチャーで答え、会話を続けた。
「船医助手として勉強させて貰えればって思ってる」
「ああ、そっちでも医療担当みたいだな。優秀なのか?」
「びっくりするくらいにね。頭もいいし素直だし、度胸もあるし」
「そうか。将来が楽しみだな」
「……ロンラインは欲望だらけの掃溜めよ。こんな所で生きなきゃいけないのは可哀想だけどね」
「人がいる限り、何処で生きようが同じだと思うが?」
ははっと笑うルマーナ。そして小さく「確かにね」と言った。
「ともかく、あの子には危険な事はさせないから安心して」
「そうか、それならいい」
四人だけだが、ルマーナ船掘商会がオルホエイ船掘商会の船に乗る事が決まった。
報酬は七割という特別待遇で。
「どうしたの? さっきから二人の事じっと見てるけど」
パームが声をかけて来てハッとなった。
「あ、いえ……」
アズリは駄目駄目と、心の中でかぶりを振った。
せっかくマツリも来てるのだから、楽しんでいるふりをしないといけない。
「何か気になるの?」
「ルマーナさんも乗るんだなぁ~って思っただけで……。あ、これ美味しい」
咄嗟に目の前にあった料理を食べた。
隣に座るパームが黙って様子を伺ってくる。そして「ふ~ん。なるほどね」と言った。
なるほどとは、どういう意味なのだろうか。
「何ですか?」
「ううん。何でもない」
四度目の来店。アズリは毎回参加する。
毎度出される料理も飲み物も、普通に生きていれば絶対に口に出来ないレベルの物。そして美味しい。
だがいつも、食べた気がしない。
何故だろうか、と考えるが、まだ答えは出ていない。




