プロローグ
縄張りという狩場を確保する生物は多い。
もし仮に人間が住む場所へ異物が迷い込んだらどうなるだろうか。
害を成さない異物だったとしても、それが危険と判断されれば即座に排除対象となる。
ならば、人間が他種の縄張りに入ったらどうなるか。
言うまでもなく、人間が異物となる。
ゴロホル神山群五十五番、危険度C区域。巨獣指定は無いが、危難指定が一つ付いている場所。別名”迷いの糸廊”
木々の間に糸を張り、洞窟のような迷路を作るトラドワームという生物の巣を探索する区域。
巣の糸廊内では乾燥している部分を歩く。少しでもツンとした匂いと湿気を感じたら即座に引き返す事。それがセオリー。
トラドワームは巣内で頻繁に狩場を変える。それは獲物に安全なルートを覚えさせない為。トラドワームの卵は非常に栄養価が高く”迷いの糸廊”に住む幾らかの動物達はそれを糧として生きている。それを目的に糸廊内をうろちょろと歩き、卵を探す。だが、奴らのセンサーに触れてしまうと逆に捕食対象となる。
センサーはトラドワームの体液。糸を濡らし、それに触れた対象をしつこく追う。一度狙われれば巣の外まで追って来て、丸一日以上は諦めない。
トラドワームの卵は人間でも食べる事が出来る為、稀に商店に並ぶ事がある。味に深みがあり、香りも良いトラドワームの卵。無論、高級食材の部類に入り、一般人ではそうそう口にする事が出来ない。
”迷いの糸廊”に赴く者は、卵を得ようとする狩猟商会又は、少人数で活動する宝食商人と呼ばれる者達ばかり。
だがしかし、そんな糸廊内で今、船掘商会に属する数人が全力で走っている。
”迷いの糸廊”は、船掘商会にとってみれば無縁に近い場所となる。遺物船が落ちたという情報も無く、今まで探索してきた狩猟商会からは「残骸らしきものはあるがそこまで行く事が出来ない」と言われている。よって、この場所に船掘商会が居る……ということ自体、珍しい。
「いや~こんな所で見つかるとは思ってもみなかったでさ」
「そうですね。ここでは初ですよ。たぶん。とはいえ、最大級の収穫をしてしまいましたからね。流石にもう来る事はないでしょう。はっはっは」
現在の状況を無視して、明るく会話するのはレッチョとキエルド。
そんな二人を見て、
「こんなとこ二度と来たくないよっ。無駄口叩いてないで何とかしなっ」
と、ルマーナが叫んだ。
次いで「うるせぇぞお前ら! は・し・れ・よっ!」とリビが叫ぶ。
最後尾にキエルドとレッチョが並び、その前をルマーナが走っていた。
そこから更に十数メートル先を、リビとタタラが走っている。
「弾はもう無いの?」
チラッと振り向いてタタラが尋ねた。
「無いよ。あたいはね。キエルドあんたは?」
「撃ち尽くしました。こんな奴らに使うには惜しい弾でしたね~。はっはっは」
「笑ってんじゃないよっ」
「俺も半分もねぇ。アズリもあと数発って所だろうな」
リビが舌打ちと共に言う。
「マズい状況だね。うわっ」
後方の壁に張り付いて追ってきたトラドワームが、長い管をびゅっと伸ばした。
ルマーナは間一髪それを避け、すかさずレッチョがハンマーを叩き込んだ。
ぶちゅっと白っぽい内臓を吐き出してトラドワームが絶命する。
「対抗手段が殆どおいらのハンマーだけってのが絶望的でさ」
再度管が飛んで来た。それもレッチョが叩き潰し、また走る。
「刺されないようにしてくださいね、ルマーナ様。一気に内臓吸われますよ」
「うるさいね、分かってるよっ」
トラドワームの好みは動物の内臓。細くて長い管を胴体目掛けて勢いよく飛ばし、刺さったと同時に一気に吸い上げる。残った体はどろどろに腐らせた後、幼体の食糧とする。
攻撃手段も捕食行動も恐ろしいが、トラドワームを危険生物とする理由は他にある。
「次はこっち。早くっ」
他の面々よりも先行していたアズリが叫んだ。
探索時、歩いたルートに沿って赤いスプレーを吹いて来た。帰りの道標に体を向け、手招きするアズリ。
「いいから早く行けって! 先行してる意味がねぇーだろ」
とリビが叫び、アズリは頷く。そして走る。
「アズリさん、結構足早いですね」
「リビって子も小さいのに運動神経良いでさ。オルホエイ氏の所はいい船員揃ってるでさ」
キエルドとレッチョは互いにうんうん頷いた。
「だから無駄口叩いてんじゃないよっ。あんたらも急ぎなっ」
「あ、わかってます? ここで一番鈍足なのはルマーナ様ですよ?」
「はぁ? 舐めてんじゃないよっ」
「そうですか……では、私達はお先に失礼します」
「でさ」
そう言って、キエルドとレッチョはルマーナを抜いた。
「あっ! ちょ! 待ちなっ」
最後尾になるルマーナ。
ルマーナは愛用の銃剣を握り直し、振り向いた。
「……あ~無理。これは無理」
トラドワームがうじゃうじゃと湧いて追って来ている。
トラドワームを危険生物とするもう一つの理由はその繁殖力にある。
雌の個体が一度に産む数は三百を超える。
動物も人間も卵を狙い、多くの卵を奪われても尚絶滅しないのはそこにある。
むしろ、その卵すら獲物をおびき寄せる道具とする。そして集団で襲い掛かる。
五十センチ程の白い芋虫に二本の足が生えているという形様。糞尿をまき散らすかのように体液を出しながら、びちゃびちゃと走る。
それが数十、数百という数で追って来ているのだ。
普通の女性ならば、いや、女性でなくとも嫌悪感以外に抱く筈も無い。
「気持ち悪っ!」
ルマーナは「ふんぬっ」と気合いを入れてスピードを上げた。
先行していたアズリは急カーブを描く糸廊を走り、前方に二つと右手に二つの四ルートに分かれる分岐点まで来た。
赤いスプレーで帰路は示されている為、迷う事無く一本を選ぶ。
仲間の姿が見えるまで無意味に待つ事はせず、安全確認の為に少しだけ先へ進む。
三十メートル程度進んだ所で違和感を覚えた。
すると直ぐにツンとした匂いが鼻腔を通り、少し足元を滑らせた。
「え? うそ……」
すかさず肩に掛けていた懐中電灯の光軸を絞り、更に奥を照らす。
うじゃうじゃとトラドワームが蠢いていて、その中央に何かの塊が落ちていた。
「そ、そんな……あの人って……」
塊の正体は人間だった。
数体のトラドワームが管を突き刺し、内臓を吸い上げる動作をしている。
邪魔な服を剥ぎ取ろうとする管もあり、ビリビリと破っていた。上半身の服は既に無く、胴体の内部で管が蠢き、それに合わせてボコボコと皮膚が動いていた。肉の腐敗を早める為に管の先から液体をかけている個体もいる。
アズリが立ち止まったのはほんの数秒。
数体のトラドワームがアズリの存在に気づくと同時に、アズリは踵を返して逃げた。
分岐点まで戻ると、タイミング良くリビと鉢合わせした。
「駄目っ。こっちは駄目っ」
「は? 何でだ」
「あいつらがいる。いっぱい。人も死んでる」
「マジかよ……。あと少しだってのに」
「獲物確保と同時に狩場変更ってとこかしらね」
「冷静に分析してんなよっ。くそっどうする。他のルートは安全かどうか分かんねぇーのに」
タタラの分析にツッコミを入れたリビは、追いつこうとするルマーナへ声をかける。
「ルマーナ!」
「ちょっと何立ち止まってんの!」
「戻れなくなった。別ルートで行くぞ!」
「はぁ? 迷うでしょ」
「しかたねぇだろ!」
そうこうしているうちにトラドワームが迫って来る。
アズリがタタタっと二、三匹倒すだけの無駄弾を撃った。そして直ぐにカチカチと弾が尽き、次いでリビが撃つ。それも同じく直ぐに尽きた。
「た、たぶん、こっち!」
アズリが正面左のルートを指さす。
「お前の勘に頼るしかねぇってか」
リビが舌打ちしながら言った後、少し遅れて「正解だ。こっちへ来い」と声がかかった。
いつの間にか男が立っていて、手招きしている。
リビとアズリは顔を見合わせ、ルマーナは訝しげな顔。
「早くしろ。死にたいのか」
迷っている時間は無論皆無。
全員で謎の男の元へ向かった。
男は鞄から布で出来た小さな袋を二つ取り出し、二方向へ投げた。ぼすぅと薄いピンク色の煙が出て来て、トラドワームの足が止まった。
「何それ」
と、ルマーナが質問して「少し足を止める効果しかないが、ここじゃ銃よりも必需品だ」と男が答えた。そして「外へ出てもあいつらは追ってくる。とにかくひたすら走れ。ついて来い」と続けた。
甘い香りが漂い、トラドワームがピクピクと痙攣を起こす。
走り出した男に必死でついて行き、皆、出口へと向かった。
出口の光が見えて来た頃にはトラドワームが見える距離まで近づいて来ていた。
「お前ら地図は持ってないのか」
無言で走り続けた男が不意に言葉を発した。
「無いよ」とルマーナ。「売って貰えなかったんだよ」とリビ。
「地図も無しでここに入るのは馬鹿だ」
「いや~しかしですね、予想以上の収穫でしたよ」
キエルドが懐からベリテ鉱石を出し、見せびらかすように掲げた。
子供の掌一つ分程もある大ぶりのベリテ鉱石。キエルドはそれを眺めてニコッと笑う。
「お前ら”残骸の寝床”まで行ったのかっ。どうやって……」
「こいつについて行っただけだ。帰りはこんななっちまったけどよ、行きは楽だったぞ」
リビがアズリを指さして言う。
「……普通は近づくのすら無理なんだがな。まぁいい。ここを抜けてもついて来いよ」
言うと直ぐに”迷いの糸廊”を抜けた。
目の前には浅い川が流れていた。男は迷わず川を渡った。
全員が渡り終えたと同時にトラドワームが糸廊から湧いて出て来た。
数十、数百と、うじゃうじゃ湧く様子は、死体の腹からぶわっと虫が這い出る様子と似ていた。
「あたいは生理的に無理っ」
ルマーナが叫び、リビが「俺もだよっ。普通だ普通」と同意する。
川岸を走り続けると、若干小ぶりの空船が見えて来た。
低ランクの狩猟商会や船掘商会、そして中堅の宝食商人が使用するサイズの船だ。
男は「一日、二日は立て籠もるぞ。覚悟しろよ」と言って、マイクのスイッチを押した。
「見えてるな? 客がいる。直ぐに開けろっ」
言うと直ぐにハッチが開いた。
全員を中に押し込み、男は外を確認しながら閉まるのを待つ。
ハッチの隙間を狙って、びゅっと管が伸びて来た。男はそれを避けた。
ハッチが完全に閉まると同時に、びたびたとトラドワームが外壁に貼り付く音が聞こえた。ハッチに挟まった管が鞭の様にしなっている。男はそれをナイフで切った。
「助けてやったんだ。高くつくぞ」
男はニヤリといやらしく顔を歪ませた。




