指輪と秘密【19】
土を塗りたくった壁と床。暗さを緩和する光苔。これが今までの通路。
しかし今度はどういう技術で作られたのか理解出来ない雰囲気だった。
鉄なのか土なのか分からない材質で出来た壁と床には、文字にも見える模様がびっしりと描かれている。血管のように枝分かれした窪みもあり、光を放っていた。その光と連動するように模様もチカチカと光っていた。
「ここは枯れた地下水脈を利用し、加工された遺跡です。我々はそこを住処としています」
「い、遺跡……?」
「はい。恐らく我々怪魚が存在するよりもずっと昔に作られたものだと思います。どれだけ時間が経っているのかさえ分かりません。この遺跡はクドパス海も含めた南海群島全域に広がっています」
言うとリーエは壁に手を当てて、妙な動きを見せた。
すると床が光り、少し体が浮いた。
「うわっ。体がっ」
「安心してください。じっと立っていれば目的地に着きます」
そして周囲が高速で動いた。
自分達は立ったままの状態。移動時の負荷や空気の流れすら感じず、本当にその場に立っているだけの感覚だった。しかし、移動している。景色だけが動いているようにしか見えない。
「こ、こんなのって……」
「この不思議な通路は私が知る限り、五本だけ。他は壊れてしまっているようですので土と石で塗り固めました。この複雑な模様を見てると目が回るという者達もいますので」
「リーエ……さんは平気なんですか?」
「はい。祭壇管理が担当ですし、わざわざ訪れてくれる友人達と会ったりしますので、高い頻度で利用しています。とても便利だと私は思い……」
「……ちょ、ちょっと待って。え、えっと……タルズップ半島の祭壇ってネード神の祭壇なんですけど、まさか」
赤い石と白い石はリーエが置いたと言った。成人の儀式の時、祭壇には丸い水晶玉が出現する。そして祭壇管理担当という言葉。
だとすれば……。
「ネードの皆様が信仰しているネード神は、恐らく我々怪魚の事だと思います。どういった経緯でそうなったのか、今となっては分かりませんがいつの間にか信仰対象になっていたようです」
正解だった。
ネード神の正体は……怪魚。
「ネード神が……怪魚……。まさか祭壇に置かれる水晶って……」
「信仰されているのであれば、我々もそれを受け入れる事としました。儀式の時には加工した水晶を、血のお礼として置きます」
「血の……?」
「我々にとってはとても貴重な情報源なのです」
情報源とは何の事だろうか。
「……この事を……怪魚がネード神の正体だって事知ってる人はいるんですか?」
「極わずかですがいます。そして皆、心の中だけに留めてくれています」
異常な程ネード神を信仰し、ちょくちょくタルズップ半島まで足を運ぶ者達はネード神の正体を知る者達も含まれるのだろう。
聞いたことがある。
行方不明になった者がタルズップ半島等で見つかった場合、皆、熱心な信者になるという。きっとそれは信者ではない。怪魚の……リーエの友人なのだ。
ただ単に、怪魚達に会いに来ているだけなのかもしれない。
「信仰を生きる力とする者もいる。信仰に救われる者もいる。我々怪魚がネード神である事、それは絶対に知られてはならない。ネード神はネード神でなくてはならない。彼らは皆、口を揃えてそう言います」
「……ですね、同意します」
その通りだと思った。
信仰対象の正体が怪魚だったと知れば、怪魚を毛嫌いする者達はどう思うだろうか。
信仰は秩序を産む。その秩序を乱してはならない。
「ですのでハヤヂ様、今日ここで体験した事全て、それとネード神の件は秘密にして頂けますでしょうか」
「はい……大丈夫です。俺にだって、その……理解出来ます。絶対に話しません」
「ありがとうございます。そのお礼と言っては何ですが、こちらを」
リーエは懐から指輪を出して渡して来た。
ハヤヂは渡された指輪をじっと見て、はっと思い出す。
「これって!」
「数年前、一人で儀式をしに来た女性が落としたものです。私が赤い宝石と白い宝石を譲った女性です。お知り合いですよね」
「も、勿論。俺の一番大切な人です」
「お返し致します。その一番大切な方へ届けて頂けますか?」
「はいっ。勿論。きっと、エメも喜びます」
指輪はエメの母親の形見だった。
無くしてしまったと嘆いていたが、まさかこんな所で戻って来るとは思ってもみなかった。
秘密にする事を条件に受け取った指輪。
赤い石や白い石よりもずっとずっと価値のある物だと思った。
リーエは笑顔を向けて小さく頷いた。そして「さ、着きましたよ」と言った。
目の前には岩壁があるだけだった。
リーエはまた通路の壁で妙な動きをみせた。すると岩壁がすっと消えてネード神の祭壇の裏手が見えた。
「ここって……」
「はい。祭壇のある場所です。今現在、ここへ向かってる者がいると報告を受けています。ですので、ここで待っていれば問題ありません」
「そう……ですか」
「では、私はこれで」
リーエは小さく頭を下げた。
「はい。ありがとうございました」
「会いたくなったら、ここに来てください。ニャチやネロも連れてきますので」
「はい」
ハヤヂは通路から出た。
すると映像が切り替わるかのように岩壁が現れた。念の為触れてみた。まごうこと無く、ただの岩だった。
どういった原理で……等と考えすらしなかった。こういうものだと受け入れる事にした。
――色々ありすぎた……。
エメの指輪と怪魚との秘密。
吊り島に居たはずなのにタルズップ半島に来てしまった現象。
これらをどう誤魔化せばいいのか。
――だめだ、眠い。少し……休もう。
安心したら眠気が一気にきた。
ハヤヂは祭壇の正面まで来て、三段だけの階段に座った。
全て、ネード神の仕業としよう。
そう思い、ハヤヂは眠った。
大汗をかきながらエメは歩いた。
日は丁度真上にある。
細く狭い渓谷に陽光が差し込み、神秘的だった。
「あと少しだ」
「うん」
父は娘を守るように足元を確認しながら数歩前を歩いている。
エメはそんな父の背中を見ながら後を追った。
いつかハヤヂもこんな背中になるのだろうか。
私を守ってくれる存在になるのだろうか。
そんな事を考えながらエメは歩いた。
でもそれはハヤヂが生きている事が前提。状況的に、死を覚悟しなければならない。それを受け入れる事が出来ず、神頼みする自分は情けないと思う。
もし、ネード神が居るのならば、きっと救ってくれる筈。小型艇が落ちた場所は島なのか海なのか。どちらにしても、きっと救ってくれる筈。
そう信じ、ここまで来たのだ。
どんなに情けなくても、祈り、願うと心に決めている。
渓谷が少し登坂になった。ここを過ぎれば祭壇のある広場に着く。
「あと……少し」
そう呟きながらエメは歩いた。
渓谷の終わりが見えて来た。幾らか先を歩いていた父が最初に広場へ辿り着き、ピタリと足を止めた。
見上げるように父を見て、エメも足を止めた。
「どうしたの?」
そう問うと「……神様って居るんだな」と答えた。
「え?」
「……エメ、見てみろ」
そう言って、父は手招きをした。
エメは残り数メートルを急ぎ足で登り、広場を見た。
丁度真上から届く光は広場の中心にある祭壇を照らしていた。
ぞわっとするくらいの神聖感があり、こんな情景を見てしまえば誰しも神を信じたくなるだろう。
父はそんな情景を見て神は居ると言ったのか……否、そうではなかった。
「あ……あ……」
あまりの出来事に息が止まりそうになった。無理矢理息を吸おうとして過呼吸になった。
そんな状態でも構わずエメは足り出した。
光は祭壇を照らし、その光はとある人物を包んでいた。まるで神に守られているかの如く、ハヤヂが眠っていた。
エメは飛び込む勢いでハヤヂの元へ辿り着き、過呼吸のまま彼の頬へ手を添えた。
温もりがあった。胸元も上下していて、深く眠っているだけだった。
ボロボロボロボロと、止めどなく涙が溢れて来た。
「あああ……あああ……」
唸っているような、悲鳴のような、そんな喘ぎしか出せなかった。
エメはハヤヂを抱きしめて「うあぁぁぁぁぁぁぁ」と泣いた。
「……こんな事……神の御業としか思えないな」
言って、父も膝を折った。そして「ううう……うう」と静かに泣いた。
どんなに大声で泣いても、ハヤヂは起きなかった。
少し心配になったエメは顔を上げて、様子を伺った。
いつものハヤヂの寝顔だった。深く深く眠っているだけで顔色も良い。
ハヤヂの手元で何かが光った。大事に何かを握っていただろう手のひらは力を失って柔らかく開いていた。
エメは優しく指を広げて握られていた物を手に取った。
指輪だった。
無くした筈の母の指輪だった。
「母さん……」
これでもかと溢れる出る涙が、更に、溢れた。
「ああ……うぐぅ」
限界を超えると声すら出なくなると初めて知った。
エメは両手で指輪を握りしめ、祈るような恰好でハヤヂの胸で泣いた。
「ネードの神様が……母さんが……ハヤヂを……うう……」
救ってくれた。
成人の儀式の時、自分を救ってくれた母の指輪は、ハヤヂをも救ってくれた。
ネード神は母の指輪と共にハヤヂを自分の元へ返してくれた。
そうとしか思えなかった。
神はいるのだ。
そして、今までずっと、母は私達を見守っていたのだ。
エメは枯れる事無く泣いた。
「あ、エメ……。おはよう」
と、寝ぼけ顔で声をかけられるまでエメは泣いた。
 




