指輪と秘密【9】
アズリは夢を見ていた。
カナリエに引き取られてから、極稀に見る夢。最近はその頻度が高い。
白い世界に迷い込んだ自分はただ感覚的に周囲を見ているだけ。
一つ一つの物体が絡まった糸の様にそれぞれの姿を形成していて、その全てに生命の流れを感じる。
異形の者と言葉を交わし、運ばれ、また異形の者と言葉を交わした。
夢が終わればきっとまた、いつものように殆ど忘れてしまうだろう。妙に居心地の良い夢だった……という感覚だけが残る。
しかし、今回は違った。
目を覚ましたら知らない男の肩で寝ていた。傷だらけの狭い小型艇の中に居て、疲れ果てた様子のティニャもいた。
そして外には両腕が平たくて長い異形の生物が遠くを見つめながら佇んでいた。
これがオーカッド達が言っていた怪魚だろうと思った。
そんな怪魚を見ても、アズリは驚かなかった。
見た瞬間、夢の一部を思い出したからだった。名前はペペ。そんな気がした。
ティニャの状態をレジェプーに確認したアズリは船の外へ出てペペの腕へ触れた。後ろから不安そうに声をかけるレジェプーを無視して「……ペペ?」と問うと「そうです」と答えてくれた。
「……やっぱり」
「覚えていてくれて嬉しい限りです。アズリ様」
「ゆ、夢の中であなたに会った気がした」
「夢ではないですよ。現にここに居ます」
「こういう事が最近よく起きる。意識が何処かへ飛んで、気が付くと別の場所に居るの。寝ちゃってるだけかと思ってたけど……」
「……私は生まれてませんでしたから当時の状況を把握してません。ですが、おそらく昔のハヴィ様と同じ状態だと思われます」
「ハヴィ……」
名を聞いても初耳という感じがしなかった。これも、夢の中で出会った者の名だろうと思った。
「ハヴィ様は私達怪魚の母。大丈夫ですアズリ様。いつかきっと分かる日が来ます。それよりも……」
ペペがまた遠くを見つめた。
「何か来るんだな。例の……黒い奴か?」
小型艇から出てきたレジェプーが問う。
ティニャは小さな鞄を枕にして寝ている。
「ええ。船を襲った奴です。私達の敵です。沢山の仲間が殺されました」
「あれは何なんだ?」
「分かりません。ですが、敵である事は間違いありません」
「銃も効かない奴なんだ。どう対処する?」
「助っ人が来る予定になっています。ハヴィ様はその方に任せよと言っています。どれだけ耐えられるか分かりませんが、私が時間を稼ぎます。あなた方は船の中に居てください」
そう言われたレジェプーは船内へ目をやり、ティニャを見る。
「……闇雲に逃げるよりは安全か」
「ええ。この島は危険です。下手に動くよりも船の中の方がマシでしょう」
逃げるよりもこの場に留まる方が安全だと二人は言う。
たった二年程度だとしても懸命に船掘業をしてきたアズリには察しがついた。
見知らぬ土地で、見知らぬ島で、自由に生きられる程この世界の自然は優しくない。人間は非力なのだ。弱肉強食という点からすれば、捕食される側に位置する。
この島も言わずもがな、捕食する側が優位に存在する場所なのだろう。
「ティニャちゃんの事は私がみてます」
「頼む」
「さぁ、時間がありません。早く中へ」
レジェプーは頷き、船へと促す。
既に何かが近寄ってくる音が聞こえた。小型艇の飛行音に似た音だった。
アズリはティニャの半身を静かに起こしてから股の間へ滑り込ませ、包む様に抱えた。
レジェプーは後部ハッチを閉めて、ハッチの窓から様子を伺った。
アズリも小窓から外を覗く。
この場所で目覚めてから確認したのは脱水状態だったティニャが水を飲んで落ち着いた事と、男の名前はレジェプーという事だけ。後はペペとの会話のみ。
他の人達は何処に居るのか。ミラナナ達はまだ来ていないのか等々、聞きたい事は他に沢山ある。だが、そんな雰囲気ではないと直ぐに察していた。
実際、船の中へ逃げたのは結構ギリギリのタイミングだった。
アズリが小窓を覗くと直ぐにズンと地揺れが起こり、人型の何かが降り立った。
これがルマーナ達を襲った敵なのだと、見た瞬間に理解した。
ふと、二つの事を思い出した。
一つは無歩の森で自分を助けてくれた黒い謎の存在。
外見はまったく似ていないし、雰囲気も違う。だが、同類だろう。
そして二つ目は船掘業を始めた頃に一度だけ見た巨獣。
サイズの違いはあれど、それによく似ていると思った。
ゴロホル神山群の中にはZ指定されている場所が沢山ある。命が惜しくば絶対に行ってはいけない区域だが、ある日仕事の現場へ向かう為、とあるZ指定の近くを通る事になった。勿論、安全を確保した距離で。
そこは大きな木々が無い開けた土地で、とても静かな場所に思えた。だが、そこには沢山の空船が落ちていた。完全に破壊されて、そこら中に転がっていた。
全ては二体の巨獣によるものだと聞いた。
双眼鏡で覗いてみると、苔にまみれた巨大な物体が微動だにせず立っていた。
少し角ばっているが流線的に見える機械といった雰囲気。
この星には鉄くずや機械みたいな生き物も存在すると聞いているが、皆の意見はバラバラだった。古代人が残した遺物と言う者もいれば、近づけば意志を持って動くのだから絶対に生き物だと断言する者もいた。
アズリの見解は前者だった。
ならば、今目の前にいる敵も、古代人が残した遺物ではなかろうか。高度な科学で作り上げた機械なのではないだろうか。
「水の刃か?」
レジェプーが言った。
ペペは先手を取って、敵に攻撃を仕掛けた。
腕のエラのような部分から透明な飛沫を出している。
「体内にある水を高圧で噴射しているのか? ……すごいな」
腕の側面から水の刃を出して振るうペペ。敵も両腕でいなしつつ防いでいる。
戦い始めて数分。
敵の体に細かい傷が目立ち始めた。しかし、決定的な一撃は与えられていない。むしろ、ペペの体内の水が枯渇してしまう気がした。
案の定、左腕のエラから水が出なくなった。ペペの体も一回り細くなっている。
攻撃手段は残る右腕一本。息つく暇もない連撃もここで終了という事。今度は敵側が攻撃を仕掛ける番になる。
敵は右腕側面に付いた刃を振るった。ペペは咄嗟に回避するがしかし、重なり合う爪の様な指で腕を掴まれてしまう。そしてそのまま振り回されて、木の幹へ激突した。
敵の大きさは二メートル程度。しかしそれよりも大きなペペを投げるのだから、恐ろしい程の怪力だ。
「嘘だろ……」
一部始終を見ていたレジェプーがアズリの気持ちを代弁した。
「ペペ……」
ペペを見るとぐったりしている。
「ま、まずい。こっちへ来る」
角度的にアズリが見ている小窓から見えなくなった敵は、足音だけを鳴らせて近づいてきた。
レジェプーは船の奥へと戻り、女の子二人を守る様に中腰で立ちふさがった。
後部ハッチの窓が割れて、二本の太い爪が現れた。その上からも三本の爪が現れる。
「く、くそ。どうすりゃいい」
バキッバキバキと音をたてて船が少し浮いた。ハッチが破り取られると船が地面へ戻る。ドンという衝撃でティニャが目を覚ました。
「あ、あれ? アズリさ……」
と、ティニャはここで言葉を詰まらせた。
船の後部から、敵が顔を覗かせている。
自分達を襲った敵が目の前にいるのだ。無理も無い。
「な、何なんだ! お前は!」
レジェプーが叫ぶ。
だが敵はじっと船内を見ているだけで何も答えなかった。敵は何かを、否、誰かを探しているようだった。
するとタタっと銃声が響いた。敵の体に弾があたりキンキンと跳弾する。
アズリは小窓を覗いた。そこにはパウリナがいた。
「そこから離れなさい!」
そう叫びながら引き金を引くパウリナ。
「パ、パウリナか⁈」
レジェプーも叫んだ。
「そこに居るのねっ? 今こいつを引き離す。その隙に逃げてっ」
タタっと小刻みに撃つパウリナ。
節約して撃っているように思えた。
恐らく予備の弾は持っていない。現在装填されている弾倉が空になれば終わりだ。
敵は迷っている様子だった。パウリナを先に始末するか、船の中身を始末するか、と。
結果、ちょっかいをかけてくる目障りなパウリナを選んだ。のっそりと船から離れ、パウリナの元へ向かう。
「い、今だ。行くぞ」
十分に船から離れたタイミングでレジェプーが声をかけてきた。
「ティニャちゃん、走れる?」
ティニャはコクリと頷いて手をぎゅっと握ってきた。
引っ張る様に立たせて、急いでレジェプーの後を追った。
船から出て、敵から離れるように走る。しかし、走ったのは三十メートル程度。後ろから「きゃっ」と悲鳴が聞こえ、足を止めてしまった。
アズリもレジェプーもティニャも、全員が振り向いてパウリナの方を見る。
一定の距離を保って攻撃していた筈のパウリナが、いつの間にか敵に拘束されていた。敵の位置は然程変わっていない。パウリナが自ら近寄ったのか、もしくは引き寄せられたのか……そうとしか思えない状況だった。
左手の爪がパウリナの腹部を包み、ギリギリと締め上げている。
「パウリナっ」
レジェプーが駆けだした。走りながら落ちた銃を拾って狙いをつけ、引き金を引く。がしかし、弾が出ない。既に弾は尽きていた。
「くそっ」
銃を捨て、転がる石を拾い、投げた。
コンっと頭に当たったが、毛ほどのダメージも与えていない。
「離せ。この野郎っ」
今度は爪を剥そうとしがみ付き、必死に引っ張る。……が、当然、ビクともしない。
敵はレジェプーを無視して、ゆっくりといたぶる様にパウリナを握る。
「に、逃げて……」
「そんな訳にいくかっ」
このままだと二人共殺される。
抵抗する道具も武器も無い生身の人間がどうにか出来る状況ではなかった。仮に二人を犠牲にした上でこの場から逃げたとしても、恐らく無駄。体力が落ちたティニャと、島の危険性を知らない自分では逃げ切る事は出来ない。
アズリはここでハッと気づき、装備していたグローブを見た。
――これなら……。
武器ならあった。
どこまで信用出来る物なのか、どこまで上手く扱えるか分からない。が、使ってみるしかない。
「ティニャちゃん、私から離れないでね」
コクリと頷くティニャ。そしてアズリも頷く。
アズリは手首の半球体に触れ、素早く二回、瞬きをした。その瞬間、目の前に半透明のパネルが浮かんだ。
良く読めない文字とグラフが浮かぶ。左側に機能のカテゴリーがあり、三つに分類されている。
アズリは第一形態にポインターを移動させ、それを選んだ。
攻撃するという意味ではこれが一番良いという判断だった。
実際に使用した事は無いが、ロクセに一度だけ説明を受けている。彼は、素人でも命中すると言っていた。これはスピースリーという装備らしいが名の由来は分からない。
スピースリーは形状を変えた。ニュルニュルと気持ち悪く動き、手首までを固定する銃らしき形へと変わった。トリガーは一つで、動かせる指も人差し指だけ。
隣で見ていたティニャは目を丸くさせて銃とアズリの顔を交互に見ていた。
そんなティニャに構う時間は無い。アズリはパネル中央の円……否、照準を敵の腕へ向ける。正確にはパウリナを掴む爪の少し奥。手首辺りだ。
狙う箇所を決めたアズリは再度、瞬きを二回した。すると照準が光り、ピンっと音が鳴る。音は脳内で鳴っているようだった。少し気持ち悪い。
「レジェプーさん! 離れてっ」
アズリは叫んだ。
レジェプーは銃を持ったアズリに驚いていた。いつの間にそんな物を? と言いたそうな顔だったが、ばっと離れて後ろへ下がった。
安全な距離まで離れたと判断してからアズリはトリガーを引いた。
当然この状況を敵も理解している。トリガーを引いたタイミングで避けるように移動し、射線上から離れた。だが、無駄だった。
出て来た弾は長さ数センチ程のレーザー弾だった。スピードは反射神経の良い人であればギリギリ目で追えるくらいに遅い。だが、一直線に飛ぶ普通の銃弾ではなかった。どういう原理で曲がるのか知らないが、レーザー弾は跳弾するかのように屈折した。二度、三度それを繰り返し、目標を的確に撃ち抜いた。
腕を貫通した弾は地面で止まり、薄く煙を上げた。
傷口はレーザー弾と同じサイズ。大きな損傷では無いが、貫通力が凄まじい。
――何これ……凄い。
出力と設定によって威力とスピードが変わるとロクセは言っていた。今の弾は出力最小、設定は低速。最大まで上げるとどれ程なのか……。
爪が緩み、パウリナが落ちた。
涙を滲ませながら下腹部を押さえ、口と鼻から血を流して「うう……」と唸っている。
「パウリナっ」
即座にレジェプーが駆け寄った。子供を抱く様にお尻に腕を回して背中を引き寄せる。パウリナはレジェプーの肩に顔を押し当て、痛みに耐える様子でしがみ付いた。
一部始終を敵は黙って見ていた。いや、見ていたのは自身の腕とアズリだった。
「二人共、早くこっちへ」
パウリナを抱いたレジェプーが走って向かって来る。
アズリはもう一度照準を合わせた。




