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新星のアズリ  作者: 赤城イサミ
【エピソード3】 四章 指輪と秘密
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指輪と秘密【5】

 銃声が聞こえた。

 出所はパウリナ達だと分かった。タタっと二連発された小銃の音。小型艇の後部ハッチを閉めていても聞こえたのだから確実にこの島で鳴った音だ。

 息苦しさと不安に駆られてレジェプーは後部ハッチを開けた。


「痛みは大丈夫ですか? 痛み止め打つ?」

 後部ハッチを開ける際、ティニャを起こしてしまった。

 このセリフは二度目。自身のこぶと傷も痛むだろうに、他人ばかりを気遣う。

「いや、大丈夫だ。ありがとう」

 正直言って、かなり痛む。ざっくりと切ってしまった傷は想像以上に深く、大きい。だが、太股の側面だった為、又、運よく大きな血管を損傷していなかった故に生きている。内側だったら動脈を損傷し、出血多量で確実に死んでいた。

 そう考えると、命があっただけ儲けものだと思える。


「空気が気持ちいい」

 ティニャが小さく息を吸いながら言った。

「何があるか分からないからな。あまり長時間開けておけないが、今はいいだろう」

「うん。ありがとう」

 薄っすら笑顔を乗せて言った。

 ティニャの笑顔は久しぶりに見た気がした。

 ネードでは見る事のない美しい女性達。ネードでは感じる事のない華やかな空気。数日前、エメの店で開かれた宴会。そこにはティニャも居て、大人ですらドキッとする笑顔を振りまいていた。

 ティニャの顔色は徐々に悪くなっていく。

 少しぐったりしていて、少なくとも昨日は殆ど尿を出していない。

 早く水を、出来れば塩分も取らせてあげたいと気ばかりが焦る。


「もう少しの辛抱だ。ハヤヂ達が水を持って来る」

「……無事に帰って来てほしい」

「まぁ、そうだな。それが一番だが、水も必要だ」

「……うん」

 きっとこの子は将来、誰もが振り向く程の美しい女性に育つだろう。そして誰からも慕われる聖人になるだろう。女っ気の無い生活を四十年近くも送ってきた自分にすら分かる。だからこそ、この子の事は、この子だけは守らねばならないとレジェプーは思う。

 ふと、もし自分に子供が居たらこんな気持ちになるのか……と、考えた。同時にパウリナの顔が浮かぶ。隣にいる妻が笑顔を向ける光景。その役がパウリナだった。

 レジェプーはかぶりを振った。

 こんな時に何を考えているのか、と。


――そもそも、あの銃声は何だったんだ? まさか……。 


 二人がもし何かしらの問題に直面していたのなら、二発だけの銃声で済む筈がない。

 邪魔な動物を追い払う為とか、ちょっとした安全確保で撃ったのなら問題ないが、そもそもそんな動物はこの島にはいない筈。小型、中型の草食動物ばかりで、ウリオゲ以外は危険度の低い動物ばかりなのだ。

 一瞬で殺される様な事態に陥ったのではないか。怪魚にでも襲われたのか。もしくは黒い奴に……等と暗い妄想ばかりが頭を駆け巡る。

 レジェプーはもう一度かぶりを振った。


――だめだ。信じろ。……この子(ティニャ)が待ってる。あいつらは帰って来る。無事だと信じろ。


 小型艇の後部ハッチは大きく開かれている。そこから見える景色は、穏やかで落ち着く空気を心に運んでくる。ベーオと岩が作り出す閉塞感も、そこに差し込む陽光も、海ばかりを見て来たレジェプーにとっては新鮮だった。

 レジェプーは気持ちを落ち着かせる為に無心でその景色を眺めた。

 暫くそうしていると、この島で初めて聞く音が響いてきた。


 虫や動物の鳴き声、風の音、小動物が駆ける音、そういったものとは違う音だった。大きな力で無理矢理にベーオを軋ませる音だった。その音は段々と大きくなり、近づいて来た。

 何の音だ? と思っていたが、まさか……とレジェプーは気付き、急いでハッチを閉めようとした。痛む足は伸ばしたまま、船壁に押し付けた背中をぐっと上げて立ち上がった。そして、もはや手動でしか開閉出来ないハッチに手を伸ばす。

 だが、遅かった。ドスンと何かが落ちて来て、小さく船が揺れた。

 

 ハッチの前に降り立ったソレは大きすぎて体半分しか姿を見せていない。ハッチから見えるのは下半身だけ。しかし、その圧倒的過ぎる存在感に、レジェプーの時間は止まった。ハッチを閉めようとした体勢のまま硬直してしまい、心臓も不整脈を起こしかけて過呼吸気味になる。声すら出ない。

 太い足に四本の長い指。爪も鋭く、蹴られただけで人間なんて簡単にズタズタにされる。見た瞬間、無意識にそんな光景が浮かんだ。

 仕事の最中に悪戯してくる怪魚を幾度となく見て来た。それらは全て小型で、人間よりも一回り大きい程度。ルマーナの船で黒い何かと敵対していた怪魚も似た様な大きさだった。しかし、目の前の怪魚は違う。恐らく、三メートルを優に超えている。

 

 レジェプーは止まった時間を強制的に解除し、ハッチへ手をかけた……が、動かなかった。

 良く見るとハッチの端から指が生えていた。怪魚は既にハッチを掴んでいた。

 恐怖からくる冷や汗なのか、足の痛みからくる脂汗なのか、ともかく纏わりつくような冷たい汗がガチガチと歯を鳴らせる。

 武器も無く、船に立て籠もる事も出来ない怪我人と子供。

 この先の未来はレジェプーにだって分かる。

 自分は奴らの糞となり、ティニャはきっと攫われる。

 噂は噂でしかないが、火のない所に煙は立たないのだ。


 レジェプーは振り向いてティニャを見た。ティニャは目を大きく見開き、微動だにしない。彼女の時間も止まっていた。

 レジェプーは痛む足を無理やり動かし、ティニャを抱きしめた。この子だけは守らなければ、という咄嗟の行動だった。

 こうしていれば怪魚はまず、自分を襲うだろう。食われている隙にティニャを逃がせれば、という出来る事の無い無意味な判断をする。

 レジェプーはティニャを抱いたまま足を引きずって、船内の奥へと移動した。移動したといっても船内は狭く、殆ど同じ場所にいる。だが、少しでも奥へ行こうと体を寄せた。

 

 怪魚が上半身を曲げて船内を覗いてきた。一般的な魚と鳥を混ぜた様な顔だった。ハッチを掴んでいた腕は平たくて長く、エラのようなものが付いている。

「失礼。ティニャという子がいるはずだが、その子で間違いないだろうか」

 何処から発せられた言葉なのかレジェプーには分からなかった。否、状況に頭が追いつかず、理解すらしなかった。

「ああ……驚かせてしまい申し訳ない。私の名はペペという。君たちへの客人と水を運んで来たんだ。怖がらないで貰えると助かる」

 レジェプーはティニャの顔を見た。ティニャはぽかんと口を開けていた。

 ここに鏡があったら、自分も同じ顔だろうと思った。

 レジェプーは何も答えなかった。まだ声が出なかった。


「アズリ様。いらっしゃいました。まだ元気そうです」

 ペペと名乗った怪魚が何者かに報告する。

 良く見ると人の足が見えた。怪魚の存在に注意を持って行かれた事により、今まで気が付かなかった。

「そう。なら降ろして貰えるかしら?」

 ぺぺは自身の平たい腕に抱えていた人間を丁寧に地面に降ろした。

 降り立った人間は女だった。十五、六歳で少し地味な女の子だった。

 まだ、状況を飲み込めず、レジェプーは無言を突き通す。


「アズリ……さん?」

 ティニャがレジェプーよりも先に口を開いた。

「ええ。水を持って来たわ」

 と、アズリは言って、腰に括り付けた革水筒の紐を緩めた。

「少し塩を溶かしてあります」

 と、ぺぺ。

「そう。気遣いありがとう」

「いえいえ」

 アズリが水筒を持って、狭い船内へと入ろうとする。


「ちょ、ちょっと待て! お、お前は誰だ⁈」

 漸く声が出たレジェプーは止まれと言わんばかり叫んだ。

「アズリよ」

「いや、そうじゃなくて。な、何者なんだ⁈」

「どう答えればいいのかしら?」

「怪魚と一緒なんて……。に、人間なのか?」

「それ以外の何にみえるの?」

「あ、いや……それは……。じゃ、じゃあ、どうしてここへ?」

「水を持って来たと言ったわ」

「そ、そうか。それはありがたい。だが、どうやってここまで来た」

「この子に連れて来て貰ったのよ」

 アズリは軽く振り向いて言った。

 この子とはぺぺの事だろう。怪魚をこの子呼ばわりする女の子。怪魚とアズリはどういう関係なのだ? と疑問が沸く。


「私達は君たち人間の敵じゃない。信じてくれ」

 ぺぺが顔を覗かせて言った。

 レジェプーは何も答えなかった。否、答えられなかった。


「ティニャ。し、知り合いなのか?」

 最初からティニャに問えば良かったと、今になって気が付いた。

「……うん。マツリちゃんのお姉さん……です」

「マ、マツリ?」

「いつも行く花屋の女の子がマツリちゃんです。……アズリさんは花屋とオルホエイ船掘商会って所でも働いてます……。あと、ルマーナ様の友達です」

 少し疲れた感じでティニャは話した。

 怪魚を見てびっくりしたからだろう。更に顔色が悪くなったように見えた。

「ルマーナ船長の……」

「あなた達の捜索も始まったわ。見つけるまで少し時間がかかりそうだけど大丈夫。安心して。とにかく今は水を飲みなさい。わざわざ持って来た意味が無いわ」

 言うとアズリは革水筒の飲み口を開け、一口飲んだ。そして口を拭った。

「毒なんて入っていないわよ」


 アズリは船内に入ってきて、レジェプーの目の前で屈んだ。

 ふわりと髪から柑橘系の香りがした。女の子らしい香りだった。

 アズリは革水筒をティニャへ差し出して「さぁ。どうぞ」と言った。

 躊躇なくティニャは水筒を受け取り、くいっと一口飲んだ。相当美味しかったのだろう。ティニャはそのままグイグイと勢い良く流し込み、ごほごほと咽た。

「ゆっくり飲みなさい」

 そう言ってティニャの口元を指で拭うアズリ。

 髪から香る匂いと優し気な表情。

 状況が状況なだけに疑ってしまったが、この子は紛れもなく人間だと思い直した。

 失礼な事を言ってしまったな、とレジェプーは胸中で反省した。


 ティニャが飲んだ後、レジェプーも飲んだ。

 数日ぶりの水。ほんのりと塩気があり、恐ろしく美味かった。

「すまん。助かった」

 レジェプーは素直に礼を言った。アズリは「どういたしまして」と淡泊に答えた。

「しかし、どうして君一人で来たんだ? それに俺達が落ちたこの場所は……そこの……怪魚が知っていたのか?」

「ええ、そうよ。私一人で来たのは呼ばれたから。それだけ」

「は? 呼ばれた? 誰にだ?」

「ティニャによ」

 レジェプーはティニャの顔を覗いた。

 ティニャは首を横に振り、何も知らないとジェスチャーで示した。


 とその時、もう一発の銃声が鳴った。

 これは小さすぎてはっきりと聞き取れなかったが、銃声だとするならば恐らく他の島からだと思えた。そしてその銃声は断続的に聞こえた。

 アズリもその音に気が付いたようで、耳をすませる仕草をしていた。不意に立ち上がり、ペペの元へ行く。

「な、なんだ? 何かあったのか?」

 レジェプーは問う。だが、アズリは何も答えなかった。

「こっちに来るわね」

「はい。やはり二手に分かれましたね」

「間に合わないわ」

「私が時間を稼ぎます」

「無理はしないで」

 アズリとペペだけの会話。

 何の事を話しているのか分からなかったが、良くない状況という事だけは感じ取れた。

 

 アズリが戻って来て、立ったままティニャをじっと見つめた。

「ティニャ。目を覚ましなさい」

 ティニャに向かって言う。ティニャは当然きょとんとする。

 彼女は起きている。今さっき水を飲んだばかり。

 何を言っているのか理解出来なかった。

「やっぱりいつものアズリさんと違う……」

 とティニャ。

「君は何を言っているんだ?」

 とレジェプー。

 しかし、アズリは無言でティニャを凝視している。

 すると「貧弱過ぎるのよ。人は」とティニャが髪をかき上げながら言った。

 一瞬で雰囲気が変わった気がした。

 隣にいるティニャは数日間ずっと見て来た姿そのまま。何も変わっていない。だが、別人だと感じた。

 寝言のように「東に向かいなさい」と言って来たあの時の違和感。それと同じ物だと思った。


「この男を動けるようにして守って貰えばいい」

「疲れるの」

「わざわざ来たのよ。来た意味を無駄にしないで」

「はぁ……。分かったわ。……あなた、足の包帯を取りなさい。邪魔だから」

 ティニャが睨みながら言ってきた。

 目下の者に命令する雰囲気だった。

「ティニャ、どうした? さっきから何を言っている?」

「いいから言う通りにしなさい」

「いや、だが……」

「早く!」

 勢いに圧倒されてしまった。

 拙い手つきで応急処置をし、優しい手つきで包帯を変えてくれたティニャでは無かった。面倒だと言わんばかりに命令し、自分で包帯を外せという。

 本当にどうしてしまったのだ? と思いつつ、レジェプーは言われた通りに包帯を外した。

 雑な縫い目の目立つ裂傷。徐々にだが、傷は塞がってきてるように見える。だが良く見ると少し化膿している感じがある。化膿止めを飲んでも、消毒しても、やはりこんな場所でシャワーも浴びず栄養も取らずでは限界があるのだろう。


「ただでさえ弱ってるのに……。特別よ。だからここで見た事は他言しないでちょうだい。あと、絶対に動かないで」

 そう言ってティニャは傷口に手の平を当てた。

 レジェプーは驚いて動きそうになった。動くなと言われなければ絶対に動く。否、驚いて逃げる。

 そう思える不思議な現象が目の前で起きた。

 ティニャの手がゆっくりと沈んでいく。まるで水の中に入るように自然と沈む。

 一センチ程度沈むと、今度は周囲に血管のような筋が現れた。ティニャの手と自分の太股が同化している。そう表現するしかない現象だった。

「な、なんだ? 何が……起きて……」

 傷口周辺の皮膚が沸騰するみたいにボコボコと膨れた。その気泡の様な膨らみが二、三破けて、ドロッとした膿を吐き出した。

 その後は意志を持つ生き物みたいに皮膚が蠢いた。

 見ているだけなら気持ち悪い光景。だが、痛みは無く、むしろ暖かくて気持ちが良かった。

 裂傷が見る間に消えていく。消えた場所から皮膚の動きが止まる。

 徐々にティニャの手が浮いて来て、最終的に同化が終了した。


「終わったわよ。これで動けるはず」

 そう言ってティニャは傷の治りを確認するように太股をさすり、ぐったりと体を預けてきた。

「……疲れた」

 レジェプーはティニャの顔と自分の足を交互に見て、アズリへ視線を移した。

「治ったようね」

 無表情のアズリが隣に座って来た。

「後の事はよろしく」

 そう言って、ティニャと同じく体を預けてきた。二人共目をつぶっている。

 ”両手に花”状態。両肩に若い女の子の頭がある。


 治った足を軽く動かしてみた。痛みは一切無く、当然傷も無かった。

 怪魚と共にやって来たアズリという女の子。雰囲気がガラッと変わるティニャ。不可思議な現象で完治する傷。

 他言するなと言われたが、話した所で誰も信じやしないだろう。

 ティニャも、アズリも、一体何者なのだろうか。


「あれ?」

 アズリが起きた。

「ここ何処?」

 きょとんとするアズリ。そして枕代わりにしていた男の顔を見る。

 目と目が合った。

「うわっ! 誰⁈」

 アズリは勢いよく飛び退いた。

 それはこっちのセリフだ‼ とレジェプーは思った。

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