指輪と秘密【2】
びゅっと内臓を飛ばすウリオゲ。
ハヤヂは至る所から飛んでくるソレを避けながらパウリナの姿を目で追った。パウリナも同じくソレを避けながら全速力で走っていた。
今優先すべきはパウリナがティニャ達の元へ辿り着く事。そしてハヤヂも無事にこの場を脱して、パウリナに追いつく事だった。
しかし、ハヤヂに至っては難しい問題だった。
「あの子の言葉を信じていれば……」
そう独り言ちて、ナイフを振るうハヤヂ。
ウリオゲの体の一部が切り取られ、ドロっとした赤黒い体液が飛び出した。
すかさず今度は足を掴まれて、ハヤヂはまたナイフを振るう。
ウリオゲの体液は腐った肉の様な匂いがする。
パウリナが走り出してから数分が経った。
四方八方から襲い来るウリオゲの猛攻は止まず、避けるのはもう限界だった。
掴まれては切り取り、そしてまた掴まる。
このままだと完全に体を拘束されてバラバラに引きちぎられるだろう。
パウリナの姿はもう見えなかった。無事にこの場を脱したのだ。
それが分かっただけで安堵出来た。
情けない姿を見せないだけで安堵出来た。
男として格好つけた結果が、逃げる事も出来ずにひたすらその場でダンスを披露する情けない男を演じてしまっている。
飛んでくるウリオゲの攻撃をただただ切り落とすだけの作業。掴まれて引っ張られてを繰り返していれば、傍から見ると不格好なダンスだろうとハヤヂは思う。
「くそっ。このっ」
体力はあとどれくらい持つだろうか。
漁師は体力と気力が基本。普通の人より体力には自信がある。だが、既に息は上がっている。
この場から早く脱したいが、いつの間にかウリオゲの数は増え、逃げ道すらも無い。
うじゃうじゃと湧き出て周囲を囲むウリオゲを見て、ハヤヂは半ば諦めていた。
「エメ……ごめん。俺、お前の料理、もう食べれそうにない」
エメへの謝罪。
それと同時に心の中でティニャへも謝罪した。
ティニャの言葉を信じていれば、こうなる事はなかった……。
……今から一、二時間ほど前に出発した飲み水確保の探索。
向かったのは……島の中心だった。
「東に向かいなさい」
そう語るティニャを信じたのはパウリナだけだった。
ハヤヂとレジェプーはただの寝言だろうと判断して、多数決で島の中心へ向かう愚策を選択した。
ハヤヂとパウリナはベーオの吊り枝に巣食うウリオゲを確認しながらゆっくりと奥地へ進んだ。
この島へ不時着した初日、パウリナはまだウリオゲの恐ろしさを知らずに船の周囲を堂々と歩いていた。
でも今は違う。
ウリオゲの詳細を聞いたからには慎重にならざるを得ない。
ウリオゲはベーオの栄養袋の中に潜むが、それは捕獲部隊。それに指示を出す指令塔……というか獲物を探知する種が他に存在する。それは宿主であるベーオ自身。植物であるベーオとウリオゲは寄生という名の共存共栄の関係を持っていて、幹の内部にウリオゲの体の一部を菌糸状に張り巡らせている。上空に伸びる枝以外は全てウリオゲと一体化しており、特に根には多くの組織を張り巡らせていて、周囲の地中はベーオの細い根っこで密集している。土の表面まで伸びる根は獲物探知機となっていて、それを踏んだ瞬間、吊り枝の先の栄養袋から捕獲部隊が姿を現す。栄養袋を狙う動物や、通りすがりの動物の捕獲はこうして行う。捉えた獲物はズタズタに引き裂いた後土の中に埋め、自然分解された肉と骨はベーオの栄養となり、そしてウリオゲの栄養へと変化する。
このレジェプーの説明の最後には「引き裂かれて腐りたくなければ……分かってるだろ?」という脅しが付いて来た。
それを聞いたパウリナは「そういう事は、早く言ってよ!」と言ってレジェプーの肩をバンっと叩いていた。
そんなパウリナは今では立派なウリオゲ選別員。ハヤヂと共に「こっちは駄目ね。次の木まで寄生してる」と的確に選別してくれる。
二人は安全なベーオの幹に印をつけて帰り道のルートを確保して歩いた。ゆっくりペースだが、着実に奥地へと進んだ。
差し込む陽光は綺麗だが、妙な閉塞感がある吊り島。
危険なウリオゲに狙われないよう慎重に、そして確実に歩く。
しかし、島の奥へ入れば入る程、不安と緊張感が強くなった。そんな中、
「無事にネードに戻ったら、一度私のお店に遊びに来てね」
とパウリナが語った。
不安を和らげる為に気を使ってくれたのだと分かった。
こんな時でも仲間に気をかける余裕があるのは船掘という仕事をしているからだろう。
漁師は海、船掘は大地、狩猟はその両方を仕事場にしている。
船掘は未開の土地や危険な土地を歩いて遺物船を、又はその残骸を探すのだ。
パウリナは船の操縦がメインである為あまり外に出ないと言うが、それでもハヤヂよりはずっと慣れていて、勇気がある。
彼女が男だったのなら、きっと既に憧れている。
「超高級店って聞きました……。俺には無理です」
「気にしないで。支払いは私がするもの」
「そ、そんな。御馳走になるのは悪いです」
「大丈夫。ウチの娘達って個人的にお世話になった人達を頻繁に招待するの。ルマーナ様も普通に奢るし。だから意外と売上少ない店だったりするのよ。本店って」
「そう……なんですか? 凄い綺麗な人達ばかりだし、服もアクセサリーも高級そうだし、お金持ちだなって思いますけど」
「そういうのにはお金かけるわよ。女だもの。でも店の稼ぎだとギリギリ。だから船掘もやってるの。ロンラインで稼ぐのは姉妹店とかばかり。でもまぁ、可愛い子多いからね、あっちは。可愛い系なら三号店か姉妹店。美人系が良いなら本店か二号店って感じかな。ハヤヂはどっちが好み?」
そんな事を聞かれたためしが無いのでドキッとした。
改めて冷静に考えてみる。可愛らしい子、美しい子……と誰かの顔を思い出そうとしても、何故か頭に浮かぶのはおっさんばかり。年がら年中むさくるしい男漁師とばかり過ごすのだ。脳内は酒に飲まれた陽気なおっさんの顔で埋め尽くされる。
そんな中に咲く一輪の花。その顔はエメ。
「いや……俺は、その……」
エメは可愛いと美人を足した感じ。どちらでもない。
好みは? と聞かれればやはり”エメ”としか答えられない。
「あ~ごめんね。変な事聞いて。好きな子がいるんでしょ?」
「は? え? 何で……」
「ネードのお店で飲んだ時の店員さん。名前なんだったか……あ、そうそうエメって子。あの子の事好きなんでしょ?」
「な、何で……ど、どうして……」
分かるのだろうか。
女の勘というやつなのだろうか。それにしては鋭過ぎやしないだろうか。
「どちらかというと可愛い感じだけど、化粧で真逆に化ける感じの子だったわ。飲んでる時、あなたに対してだけ無言の圧力かけてたわ。あなたも気を使ってたしね。そういうのって分かるのよ。女だらけのロンラインで生きていればね」
凄すぎる。
女の世界で生き、男を相手に商売をし、男の様に危険な仕事をしていれば、こういった勘も身に着くのだろうか。
「……でも、俺、どうしていいか分からなくて」
誤魔化しても仕方ないと腹をくくって肯定した。
「……恰好つけたいんでしょ?」
図星だった。これも誤魔化した所で仕方がない。
「……そうです。どうして分かるんですか?」
「男の気持ちも分かるから……ってそんな事はどうでもいいわ。ハヤヂ、あなたはもう既にいい男よ。これ以上はおまけみたいなもの。努力しなくても自然とついて来る」
「……そんな。まだまだですよ」
「エメって子の事ずっと好きなのよね?」
「はい。最初は姉って感じでしたけど、成人の儀式の時、怪我をしたエメを見たら、その……女の子なんだなって思って、守らなきゃって思って、それがいつの間にか好きになってて……」
「それだけで男なの。一人の女を一途に愛して、その子の為に努力する。それがどれだけかっこいい事か。もうね、あなたは既にいい男なのよ」
「でもエメは思ってないかもしれない。たまに恋人みたいな雰囲気を出すけど、基本、いつも姉みたいな態度だし、姉弟って思われてるかなって……」
「う~ん、そうね……」
「って何話してるんですかね。俺」
いつの間にか恋愛相談になっていた。
「すみません。こんな卑屈な話してる時点で駄目ですね」
数日前に会ったばかりの、それも女性に卑屈な恋愛相談をしている。
いい男? 否、相談してる時点で小さな男だとハヤヂは思う。
自分の事は自分が一番分かるのだから。
「ハヤヂ、あなたはそのままでいいわ」
「え?」
「あなたの方からグイっと行ってもいいけど、それでもたぶん尻に敷かれるタイプ。煮え切らない感じがするから、きっとエメの方から誘ってくるわ」
パウリナは何処まで見透かしているのだろうか。
自分の事は自分が一番分かる……だからこそ、パウリナの言葉はそのまま丸っと正解だと思った。
尻に敷かれる……それはいつも思っていた。
煮え切らない……それはいつも感じていた。
「それってかっこ悪すぎじゃ……」
こんな男のどこが良いというのか。
「向こうはそう思ってないと思う。むしろあなたにはこれくらいが丁度いいって感じでグイグイ来るわ。今二十歳くらいでしょ? 恋人の一人や二人いてもおかしくない歳だし」
心が痛かった。
ネードではもう結婚してても不思議じゃない歳なのだ。
「……ですね」
「……女ってね、意外と待てない生き物なの。今後どうするの⁈ って問い詰めるタイプと、呆れて無言で去るタイプ。だいたいこの二つに分かれるわ。ううん、違った三つね。何も言わずに若い時間を無駄にする子もいるから。でもね、稀に人が変わったみたいに攻めに転じる子もいるのよ。私が見た所、エメはそのタイプ。あなたがそのままで居たとしても、なし崩し的に既成事実作られて、いつの間にかお父さんになってると思う」
「いや、流石にそれは……」
「嫌なら自分から行くべきね。個人的にはそのままで良いと思うけど」
「そのままでって……」
「何度も言うけど、あなたはそもままで十分かっこいいから。それと……」
「それと?」
「女の子は強いから」
それはいったいどういう意味なのだろうか。何に対してだろうか。
男に? 自身に? 世の中に?
等と考えるが、男のハヤヂには分からなかった。
「あ、これティニャの受け売りね。あの子は将来凄い子に育つわ。あと五年もすれば男達は放っておかない」
パウリナはふふふと笑った。
母性を感じる声だった。
「その時は絶対に遊びに来てね。子供連れて」
「や、やめてくださいよ。まだ、そういう感じじゃ……」
「待って!」
パウリナが静かに、そして強い口調で言葉を遮った。
手をバッと掲げて、これ以上喋らないようにとジェスチャーで示す。
今までの明るい雰囲気が一気に反転した。
「何か……来る」
遠くを見ながらパウリナが言った。
ハヤヂもその視線を追って、静かに様子を伺った。
小さく虫の声が聞こえる。その奥で何か大きいものが飛び跳ねる音が聞こえた。
ザッザッと葉と葉がぶつかる音。ギシギシと枝がきしむ音。
その音はベーオが鳴らしていた。
枝を揺らし、地面へ枯葉の元を撒き散らす。
奥から順に、たまに一つ跨ぎで揺れていた。
吊り島は点在する大岩と密集する楕円形の緑の器が、密度の高い斑模様を作っている。遠くから、又は上空から見るとまるで緑の大地。
その大地を踏みしめて、何かが移動していた。要するに、ベーオの上を移動していると言う事。
揺らぐベーオが徐々にパウリナとハヤヂの元へ近づいて来る。
パウリナは銃を構えていつでも撃てる体勢を取った。ハヤヂもナイフを握りしめ、少し腰を落とした。
しかし、その揺らぎは二人から少し離れた場所を素通りするルートを取った。
ハヤヂとパウリナは傘のように広がるベーオに隠れている。
危険がなければ良い、こっちに気づいてないのなら尚良い。
銃で追いつつパウリナが人差し指を唇に当て、声を出さないようにと指示を出す。
少し先に大岩があった。その周囲にはベーオが自生しておらず、その為少し開けていて、青空を覗かせていた。
移動する何かはその大岩を通り道としたようで、強い跳躍と共にその大岩へと着地した。
その時にやっと、正体がわかった。
怪魚だった。
何かを運ぶ怪魚の後にもう一体が追随しているといった動きだった。
「ア、アズリ?」
即、反応したのはパウリナだった。
ハヤヂは理解に苦しみ、言葉が出なかった。
両腕が長い怪魚。
その怪魚は人間を抱えていた。




