女王【3】
ラブリー☆ルマーナ号の船体サイズは中型クラスに分類されている。高ランクの商会で中型の空船を使っているのはルマーナ船掘商会だけだが、船員の数も二十名程度なのだから丁度いい。しかし中型であるが故に、通路もシャワー室も船員室もサリーナル号と比べて僅かに狭く、回収品を積み込む貨物室も無論、広いとは言えない。
そんな貨物室の左右に小さな倉庫があった。
右側の倉庫は墜落時の衝撃で扉がひしゃげてしまって開ける事が出来ず、無事だったのは左側の倉庫。
散らばった備品を部屋の外へ追いやり、すっきりした倉庫の真ん中にポツンと大きな袋が置いてあった。袋の横にはサラが座っていて、疲れ切った顔を向けて来た。
アズリは「サラさん……」と囁き、寄り添うようにサラの隣にしゃがみ込んた。
一緒に来たレティーアは部屋の入り口で棒立ちになったまま「そんな……」と小さく呟く。
「外は暑いしね。ここ、空調が生きてるから一番だと思って」
袋に視線を戻してサラは言った。
空調が生きているとはいえ、室温は僅かに肌寒い程度で冷蔵室のように冷やせていない。だが、それでも外よりはマシ。暑い場所で保管していたらあっという間に腐ってしまう。
アズリはサラの視線を追った。
目の前にある袋は遺体袋。緩やかに膨らんでいて、悲しい事にその中身はちゃんとある。
サリーナル号が無事に着陸すると、仲間達は皆、直ぐにラブリー☆ルマーナ号へ向かった。
オルホエイとアマネルが被害を含めた現在の状況を確認する中で、重傷者と死亡者、そして行方不明者がいる事を知る。
ぞろぞろと皆が集まる輪の外で聞いていたアズリ。
ローサとキャロルが重傷という事もショックだったが、パウリナとティニャが行方不明という事にも大きなショックを受けた。そして、メルティが死亡した事実には目眩を覚えた。
ティニャの名前を聞いて、リビはぽかんと口を開けて思考を止めていた。
パウリナ、そしてメルティと特に仲が良かったレティーア。彼女の顔色は驚くくらいに真っ青だった。
墜落した割には少ない被害で済んだと思える。だが、大きな被害者は全て、仲の良かった人達ばかり。きっと大丈夫、みんな無事でいる……等と自身に言い聞かせていたが、やはり現実は甘くなかった。
アズリが来てからは死亡者を出していないと聞くオルホエイ船掘商会。レティーアの大怪我でさえショックだったのに、それ以上の被害が目の前にある。
本来、これが普通なのだと改めて気づかされた。
人の住める領域から離れれば、この星の自然に、環境に、生物に、あっけなく命を奪われる。狩猟も船掘も漁師もそういったリスクと共にあるのだ。
「アズ……一緒に行こう」
そう言って袖を掴んでくるレティーア。
オルホエイ達の話が終わり、整備班以外は周囲を警戒しつつ待機と指示があったが、それを無視しようとする。
まずは何処に行きたいのか。言わなくてもアズリには分かった。
そして今、変わり果てたメルティの元で、言葉を押し出すように語るサラに寄り添っている。
「私達が生きてるのはこの子のおかげ」
「聞きました。メルティさんが不時着させたって」
サラは静かに頷いた。
「私、席を外していたの。パウリナはティニャと一緒だったからメルティだけだった。静かな海でね、安心してた」
「メルティさんは……どうして?」
いつの間にか部屋に入って来たレティーアが、遺体袋の横にペタンと座って言った。サラの目をじっとみつめている。
「船底から飛んで来た針がね、彼女の太股を貫通したの。酷い出血でね……だけど彼女は舵から手を離さなかったみたい」
空船をいとも簡単に突き破るレインシャークの針。人の体なんて柔らか過ぎて、それこそ空気程度の抵抗力しかないだろう。
そんな針が座席の真下から飛んで来たら痛みとショックで普通は気を失ってもおかしくない。
「……すごい」
レティーアが呟く。
アズリも小さく頷いて同意した。
「ええ。本当に。不時着してから直ぐブリッジに向かうとね、既にルマーナがメルティを抱きしめてたわ。血だらけになって……泣いてた。ルマーナの泣いた顔、久しぶりに見たわ。泣き虫なくせにいつも強がるからね。あの子」
想像出来なかった。
上から目線で堂々とした立ち振る舞いをするルマーナ。彼女の強さには憧れすら感じている。
「私が舵を取って……直ぐに止血させれば助けられたかもしれない。ううん、私じゃ無理だったわね。メルティの咄嗟の判断がなかったら無理だった。本当に……尊敬するわ」
席を外していなければ、メルティと共に舵を取っていれば……彼女を救えたかもしれない。
そう思うサラの気持ちが痛いほど伝わってきた。
サラに責任は無い。だが自責の念は彼女を捉えている。
「……顔を見てもいい?」
少しの沈黙が続き、レティーアがそれを破った。
アズリもレティーアの願いに賛同し、請うようにサラへ顔を向けた。
だが、サラは小さくかぶりを振って「やめてあげて」と言った。
「え?」
と、レティーア。そして直ぐに理解を示し、申し訳なさそうに押し黙った。
四日も経てば腐敗し始めてもいい頃合い。室内だって殆ど常温と変わりないのだ。
アズリもまた理解して、肩をすくめた。
だが、サラが言う拒否は意味が違った。
「貫通した針はね、正確には股関節の手前を通ったの。真っすぐに飛んだソレは、胸と顔をかすっていったわ。だから、彼女の顔半分には……皮膚が無いの」
「そんな……」
「ひどい……」
男性とは思えないくらいに可愛い顔をしていて、いつも明るく、笑顔だった人。
ノーメイクだったから最近まで気づかなかったが、何度もベルの花屋に来てくれた人。
そんな人の、あまりに残酷だった事実を知り、これ以上の言葉が出なかった。
「だから……見ないであげて。この子の為にも、ね」
レティーアが無言で涙を流した。
同時にアズリの頬にも涙が伝う。
「泣いてくれるのね。ありがとう」
泣き虫な自分。
最近強くなった気がしていたが、根本は変わっていない。
ルマーナはオルホエイと共にラブリー☆ルマーナ号の破損個所を確認しながら歩いていた。
サクサクと静かな音を立てる地面は、砂利を多く含んでいるがサラリとした砂で出来ている。硬くて石だらけの場所でなくて本当に良かったと思う。
ルマーナ達は船の外周をぐるっと一周して、船首付近で足を止めた。
そして船首を見上げ、深い溜息をついた。
その下部は大きくひしゃげていて、船内が覗けるくらいの穴も開いている。
「酷い有様だが、この程度で済んで良かったな」
オルホエイもまた船首を見上げながら言う。
「ええ。でも、あたいの可愛い船が……。こんな姿になるなんて」
「命があっただけ儲けもんだろう。いや、犠牲者が居たな。すまん」
「功労者だよ。あたい達の命を救ってくれたんだから」
船をじっと見つめながら言うと、オルホエイは腕を組んだまま視線を向けて来て「そうだな」と優しく肯定した。
「で? どうやって運ぶの? 吊って行く感じ?」
オルホエイは「ん~」と酒焼けした低い声を漏らして顎へ手を当てる。そして広場を囲っている岩を見渡して「落ちた場所が厄介だな」と答えた。
「ここだから助かったと思ってるけどね」
「そうだな。それは間違いない。だが、この岩を越えるにはスレスレで飛ばなきゃならん。吊って行くのは不可能だ」
オルホエイは空を見上げた。
ルマーナも追って見上げる。
上空にはガッバードが数体、一つの場所を中心にしてぐるぐると飛んでいた。
日が経つにつれて数は減ったが、数日間ずっと同じ行動を繰り返していて、見るからにこちらを監視している。いや、監視というよりも威圧に見えた。縄張りに侵入した大きな物体……ラブリー☆ルマーナ号への威圧だ。
次また我々の領域を脅かすのならば……全力で潰す。という雰囲気をビシビシ感じる。
「じゃあ、どうするんだい?」
「……飛べるようにするしかないだろう。せめて重力制御だけでも使えれば牽引できる」
重力制御が壊れた船を吊る場合も、コンテナに積んだ遺物船を吊る場合も、吊るという行為には上昇するエネルギーと進行方向への推進エネルギーを必要とする。
自身の船だけならば重力制御が効いている為、推進エネルギーだけで済むが、物を運ぶとなると、それを持ち上げ続けるエネルギーが必要となる。
飛び立つ瞬間や飛行中の急上昇で使う噴射機構を航行中ずっと使用し続ける事になり、吊ってる物と噴射機構との距離が近ければ近い程、噴射熱により、吊っている商品が傷んでしまう。
吊るという行為は船と一定の間隔を開けて行うものであり、岩の天辺スレスレで航行する事が出来ない。
よって、吊る側は岩よりももっと上空を飛ばざる負えない、という状況になる。
「そうだね。……で、使える時間は?」
「ついさっき、この島から二十キロ程度引き離したとカテガレートから連絡が来た。念の為あと十キロ程引き離し、その後は周辺海域をうろちょろするだけだと言っていた。が、お互い帰りの時間を考えればのんびりもしていられない。使える時間は……あと八時間といった所だろうな」
今から八時間となると、空が茜色になる直前までという事。
ここからネードまでは二時間程度だろうから、暗くなるまでの帰還を考えると八時間が本当にギリギリのライン。
「少ないね……それまでにどうにかしないと」
「今、ウチの整備班も状況を確認している」
「部品も足りないし、動ける整備士はパームだけだったし……本当に助かる」
「修理出来るかどうかはまだ分からないがな。っと、丁度来たな」
言いながらオルホエイはルマーナから視線を外す。
「いた~。探しましたよ~船長~」
気の抜けたような話し方をする女がのんびりと歩いて来た。オイル染みが目立つ作業服を着て、髪を後頭部付近で丸く纏めている。整備士然とした格好だが、むっちりとしていて何処か品のある色気を感じた。
「おう。フィリッパ。どうだった? 何とかなりそうか?」
フィリッパは「ん~」と悩む仕草をしながらオルホエイの元まで歩いて来る。
「一応、持って来た部品で足りるので~修理は出来ます」
そして立ち止まる。
オルホエイとの距離は三十センチと離れておらず、まるで恋人同士が行う密接距離間。一瞬、そういう関係なのか? と邪推したが、そうではないと直ぐに気づいた。
フィリッパは恐らく、他者のパーソナルスペースを把握出来ない子なのだろう。
良く言えば人懐っこい。悪く言えば空気の読めないマイペース娘だ。
「どのくらいかかりそうだ?」
「整備長曰く、夜通しやって明日の朝までかかるそうです~」
「かかりすぎだな」
「動力も重力制御も本体は無傷です。でも~供給ケーブルがズタズタなんですよ。特に船体に伸ばしてる重力制御ケーブルが酷くて~、パネルは使えてもケーブルがあれじゃ殆ど引き直しになります~」
パームと同じ見解だった。
動力と重力制御は遺物船から得た硬い素材で守られている。しかし、そこから伸びるケーブルは保護チューブに纏めてあるだけで無防備状態。切れれば勿論、使い物にならない。
そして今回一番重要な重力制御。
そこから伸びるケーブルは船体の至る所に張り巡らされており、制御パネルと繋がっている。
パーム曰く、レインシャークに開けられた穴は勿論だが、ガッバードによる船体側面の被害が一番の原因らしい。
メルティはきっと、最初のレインシャークの一撃で一瞬意識を失ったのだろう。そして船の高度を上げてしまった。だがこれはメルティの責任ではない。
ともかく、ケーブルはズタズタに引き裂かれたのだ。殆どのケーブルを引き直しするとなると、丸一日かかってもおかしくない。
「使える限界は八時間程度だ。明日までとなると、カテガレート達は一度ネードへ戻り、明日にもう一度来る事になる。囮になる為にな。だが、出来る事ならそれは避けたい。状況が変わるかも分からんからな」
とオルホエイはフィリッパに向けて言うが、
「レインシャークが増えるかも、って事?」
と、ルマーナは横から質問した。
現在の状況はオルホエイから聞いている。
ティニャ達はまだ見つかって無い事。カテガレート達がレインシャークを引き付けている事。レインシャークにはつがいが居る事。近海に一体だけしか居ないのは、ただ運が良いだけ……という事。
「ああ、そうだ。出来る事なら今日中に事を済ませたい」
「無理ですよ~。そもそも人手不足です~」
フィリッパが他人事のように言う。
するとオルホエイは少し悩んで「アレは本当に襲って来ないのか?」と岩影に居る怪魚へ目をやった。
ここから見えるのは恐ろしい形相をしたタイプと太い尾びれを持っているタイプ。
遠くからじっとこっちを見ているだけで身動きすらしない。
「分からない。でも彼らは多少なりとも知恵を持ってるみたいだね。こっちが下手に手を出さない限りは何もしてこない。そんな雰囲気は感じるね」
「そうか……なら、それを信じよう。フィリッパ」
「はい? 何ですか?」
「警戒任務の男共をそっちに回す。総出でやれば何とかなるか?」
「まぁ~ケーブルって結構重いから。皆でやれば何とかなるかもですね~」
「なら、それでどうにかしてくれ」
「了解で~す」
言うとフィリッパは踵を返して歩いて行った。
何とも頼りない子だな、と思ったが、今のルマーナには彼女達に頼る術しかない。
ルマーナはフィリッパの姿を見送ってそのまま顔を上げた。
甲板にロクセがいた。
銃を片手に警戒任務についている。
まだ一度もロクセと話をしていない。ちょっと話をするだけでもいい。声を聞けたら弱った心に勇気を貰えそうな気がする。
と、不意にロクセがこちらを向いた。
目が合った。が、ルマーナは咄嗟に視線を背けた。
話をすれば……?
否、これだけで十分だった。
胸がキュンキュンする。
勇気を貰えた。
抜歯しました。熱が出ました。寝込みました。痛みが酷く、誰?! レベルで腫れが凄い。
マスクに救われてます。開発した人に感謝です。
投稿遅くてすみません。




