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新星のアズリ  作者: 赤城イサミ
【エピソード3】 二章 ネード海
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ネード海【10】

 日が登り、視界が確保出来るようになったら、一度小型艇の外に出て周辺の状況を確認する。日に何度もそれを繰り返す。数日間毎日行って来た行動であり、その担当はハヤヂとパウリナだった。


 小型艇に装備してある唯一の武器を持ってハヤヂはパウリナの前を歩く。

 パウリナは銃。ハヤヂは片刃のナイフ。

 ナイフはロープカッターとして使ったり、魚をさばく時に使ったりする万能ナイフだが、ブレード部分が短くて如何せん心もとない。


「今日も大丈夫そうですね。この辺りは安全です」

 ハヤヂは木の幹にチェックマークを付けながら言った。

「一度戻って、ティニャのガーゼを交換したらこの先まで行きましょう」

 パウリナが答えた。

「そうですね。水辺に生息する小鳥が見えたから、恐らく何処かに小川か湖があるはずだ。ってレジェプーさん言ってましたし」

「なら良いけど。それよりもお腹壊したくないわ」

「浄水なんて出来ないですから、そのままです。飲めないよりはマシだと思います」

「分かってるわ。綺麗な水なら良いけど……」

 パウリナが遠くを見ながら言った。

 ハヤヂも同じ方向を見た。


 ”吊り島”には大きな岩が点在している。それらは比較的見通しの良いこの島で、妙な閉塞感を与えている。

 足元は短い草が生えている程度で、誰かが手入れしているかのよう。だがそれは違うとレジェプーは言う。全てはこの島特有の樹木が原因らしい。

 この島の樹木は一種類しかない。

 名前はベーオ。

 胴吹き枝が一切無い太い幹が目立つが、一目見てベーオと判断出来る特徴は枝にある。

 地面から見て十メートル程度の高さから枝が真横に伸び、全てが複雑に絡み合った交差枝として広がる。上空から見ると、円形の緑の器の様に見える。こういった種類の樹木が一緒くたにベーオと呼ばれる。しかし、ベーオはゴロホル神山群にも、タワーロックの一部にも、至る所に存在しており、確認されている種類だけでも数十種とあるらしい。


 そして”吊り島”特有とされるベーオもまた、数ある種の内の一つ。

 その特徴は下がり枝。

 いや、下がり枝というよりもぶら下がった枝……吊り枝と表現するのが正しい。

 広がる枝の至る所から、真下に向かってぶらんとぶら下がる吊り枝。重力に逆らわず、風に揺られるその枝の先は丸くなっていて、革水筒の様に膨れている。

 これが”吊り島”と言われる所以の一つでもある。

 その枝には大地から吸った栄養が蓄積されており、故に、他の植物があまり育たないのだという。

 大地の栄養を限界ギリギリまで絞り取り、我が物として独占するベーオ。

 それが”吊り島のベーオ”なのだ。


 だがしかし、それでも、否、それだからこその生態系が存在する。

 島に存在する動物達は、ベーオが独占している”栄養袋”を主食としている。突いて中身を吸ったり、切り落として巣に持ち帰ったりと様々だが、ベーオのおかげで、というよりベーオの存在を土台とした生態サイクルが出来上がっている。


 では、人間もそれを採って食材にすれば良いかといえばそうではない。

 栄養袋は火を通したとしても、熱に強い微生物が多くいて、人の体には合わないという。そもそもが恐ろしく不味いらしく、口に入れた瞬間、吐いてしまうらしい。


「良く見ないと見分けがつかないわね」

 パウリナがベーオの吊り枝を見て言う。

「必ず切れ目があるそうです」

 ”吊り島”の所以、その二。

 それは栄養袋の中に隠れ潜む奴がいる事。

 吊り枝と一緒に吊るされて、獲物が通りかかるのを待つ生物。

 この島が危険とされる唯一の存在。

 吊り枝の中に潜る際、一度栄養袋に絡みつく。その時の姿は、食肉店が整然と吊るす肉達に見えるらしく、忌避の感情を込めて”肉吊り島”と呼ぶ者も居ると聞く。


「それと、地面もほんの僅かに柔らかいみたいですので……注意して進むしかありません」

 言うと、パウリナは地面の硬さを確かめるように足元をぐりぐりさせて「そうね……」と答えた。そして「とりあえず一旦戻りましょう」と踵を返し、チラチラと吊り枝を見た。

 ハヤヂは「もう一度レジェプーさんの意見を聞いて、向かう方向を決めないとですね」と言い、今度はパウリナの後をついて行った。


 ナイフ一本でどれだけの事が出来るのか。

 足手まといにしかならない気がするが、女性一人守れない男なんて、男としての存在意義が無い。と感じる。


 ハヤヂは歩きながら、ナイフのブレードに指を当てて、刃こぼれが無いか確かめた。

 人が道具を使うんじゃない。道具達が人を使うんだ。人は道具達に生かされている。というのはオーカッドの教え。

 その教えに従い、定期的に研いでいるナイフは刃こぼれ一つなかった。

 オーカッドの教えに感謝しつつ、ハヤヂはゆっくりとホルダーにナイフを収め、ポンポンと優しく叩いた。






「昔からのよしみだろ? ……頼む」

 とある空漁商会の泊地で、頭を下げる父。

 自分の父親が深々と頭を下げる姿。

 そんな姿を見たいと思う娘はいない。

 でも、エメにとって、そんな父の姿は頼もしく見え、そしてかっこよく見えた。


「そうだがよぉ。こっちも出航しなきゃなんねぇんだ。もうとっくに他の商会は出てる。これ以上遅れる訳にゃいかねぇんだよ」

 父の願いを困った顔で断る男はエダーン空漁商会の船長、ノルエダーン。

 たった一代で商会を中堅まで大きくした人物で、父の昔からの親友。

 そして、市場に小さな売り場を持っていて、エメの店の仕入れ先にもなっている。


「今は遠泳の時期だろ? 危ないやつはレインシャークしかいない。小型艇が無くても安全に仕事は出来るはずだ」

 遠泳の時期とは、巨大な海洋生物達がずっと遠くの沖合まで出払う時期の事を言う。

「馬鹿ぁ言うな。海底からいきなり浮上してくる場合もあるんだぞ。小型艇の先導があるかねぇかで命の保証が変わんだ」

「小型艇持ってる知り合いは、もうお前しかいないんだ。貸してくれ。頼む」

「もう? 他は何処をあたった?」

「コスクんとこと、ナムートンのとこだ」

 

 ネード港市場にある売り場()は、基本的に個々人が持つ独立した売り場になっていて、利益の独占を防ぐ為に、空漁商会は売り場を持つ事が出来ない。

 だが、密かに売り場を出し、競りを逃れた魚を安値で売るという、ルール違反をする者も居る。コスク空漁商会やナムートン空漁商会、そしてエダーン空漁商会もルール違反組になる。だが、それらの違反店は、懇意にしている一部の飲食店にのみ、少し安値で売り、一般客には適正価格で売る。店の名義も赤の他人にしていて、一般客の中では知る者が少ない。

 飲食店側は出来るだけ安く仕入れたいが為、各店舗御用達の売り場に、日に一度は顔を出す。

 飲食店側と、違反店との関係性は昔からで、ある意味暗黙の関係にある。

 エメの店も勿論、馴染みの売り場を数件程持っている。

 コスクや、ナムートンもその内の一つなのだ。


「あいつらか……。で? 奴等は何てぇ言ってた」

「ここ数日はオーカッドの為に何度も漁を中断した。これ以上は商売あがったりだ……と、そう言っていた」

 空漁商会が食っていく為には、漁をしなければならない。

 密かに売り場を持っていたとしても、売る為の魚がなければ商売にならないのだ。

 いくら大御所の商会であるオーカッドの頼みだとしても、これ以上損失を出せば、船員達の生活も保障出来ない。

 エメにだってそのくらいは分かる。


「俺達も同じだと考えないのか?」

「そこを何とか。頼む」

 だが、父は食い下がった。

 もう、頼める相手はノルエダーンしかいないからだ。

「レジェプーの捜索だろ? 俺達だって助けてぇと思ってる。商会は持ちつ持たれつ……まぁ、家族みてぇなもんだからよ。だがな、俺達だって稼がなきゃ食うに困る。ここ数日、皆がオーカッドの依頼につきあってたんだ。さすがにもう厳しい。それに、狩猟と船掘の助けが来たんだろ? わざわざお前が行く必要もねぇと思うがな」

「行方不明はレジェプーだけじゃない。ハヤヂもだ」

 ハヤヂの名前を聞いた瞬間、ノルエダーンの顔色が変わった。


「……何? ハヤヂが……か? 聞いてねぇぞ」

 小型艇は必ず二人一組で扱うと聞く。

 恐らく”レジェプーの乗った小型艇が行方不明になった”程度の話しか聞いていなかったのだろう。

「それに向かう先はハヤヂの捜索じゃない」

「何に使う」

 ノルエダーンが訝しげに問う。

「タルズップまで行く。ネードの祭壇にだ」

「何故そんな所に行く。燃料だって馬鹿にならないのに」

「奇跡にすがるしかないんだ」

「ネード神のか?」

「そうだ。……海での行方不明は死と同じ。だが、時折何処かで見つかる場合がある。そんな奇跡が起きる時、多くはネードの祭壇で……見つかる。分かってるだろ?」

「あんな所で見つかる理屈が分かんねぇ。……だが、ネードの神が救ってくれている。それだけは分かる」

「だから、それに賭ける。俺達には祈る事しか出来ないんだ」


 ノルエダーンは無言のまま父の目を見つめた。

 そしてエメにも目をやり、何かを思い出すかのように虚空を眺める。

 その間、誰も声を発しなかった。

 空船の甲板から様子を眺める船員達も、出航の準備を終えて空の荷箱に座っている船員達も、エメも、父も、ノルエダーンも。


「……ハヤヂの母親は美人だった」

 沈黙を破ったのはノルエダーンだった。

 この一言で、彼は何を言いたいのかエメには分かった。

 父も察したのだろう。「……ああ」とだけ答える。

「俺ぁ惚れていた。まさか俺の相棒と結婚するとは思わなかったがな」

「……ああ」

「ハヤヂの父親はウチの商会に居た。だからハヤヂの事ぁ、俺が責任を持って最高の漁師にするつもりだった。だが、オーカッドに取られた。それも予想外だった。いや、必然か」

「お前の気持ちは知っている」

 

 ノルエダーンの語りを聞いて、父は懐かしそうな表情を浮かべた。

 父も昔は漁師だった。

 若い頃、彼と共に夢を語り、お互い別々の商会へ身を置いて懸命に働いたと聞いている。

 父は結婚と同時に料理人として店を継ぐ事を決め、ノルエダーンはハヤヂの父と共に商会を立ち上げた。

 父が親友だと語る彼の事は昔から聞かされていて、エメもよく知っている。


「今更か……」

 ノルエダーンは少し遠い目をした後、わざわざ語る事も無かったか、と言わんばかりに照れくさそうにした。そして「……エメ!」と叫んだ。

「はい!」

 エメは勢いにつられて大きく返事をした。

「二つある大テーブルの内、もう一つを俺達にくれ」

「……それって」

「飯も酒も、そこらの店の中で”エメの店(お前んとこ)”が飛びぬけて旨い。だが、皆、遠慮してんだ。お前の店は昔からオーカッド御用達だからよ」

「……ごめん」

「だが、これからは”エメの店”を俺達の港にする。オーカッドと俺達が毎晩来るんだ。忙しくなるぞ。それでも良いか?」


 漁師の帰る港は三つある。

 漁港と、贔屓にする店と、愛する家族の住む家。


「よろこんで」

 普段から、忙し過ぎる、とハヤヂにちょくちょく愚痴を言ってしまうエメ。

 それが本心だが、愚痴を言う相手が居なくなる方がもっと辛い。

「オーカッドの連中はそっちで納得させろ。出来るか?」

「勿論」

 とはいえ、ノルエダーンが気を使わずに来店してくれるのは少し嬉しい。

 オーカッドは豪快で気のいいおじさん。ノルエダーンは気難しそうな顔をした義理人情に厚い優しいおじさんなのだ。


「よし。なら契約成立だ。持って行け。燃料代もいらねぇ。好きに使え」

「ありがとう!」

 大きな声で礼を言った。

 隣で父も「すまん。感謝する」と頭を下げた。

 ノルエダーンは優しく頷いてから、ばっと勢いよく振り向き「おめぇ達! 今日の漁は中止だ。いいな!」と叫んだ。

「「「了解!」」」

 船員達もノルエダーンの声に負けじと叫び返す。


 出遅れた出航に追い打ちをかける小型艇の貸し出し。

 エメは漁を中止にさせてしまった事に後ろめたさを感じた。

 だが、船員達は「うっしゃー。これでエメの店に毎晩通える」「エメちゃ~ん。これからよろしくぅ」と意にも返していない。むしろ喜んでいる。

 最初から分かっていたのだろう。

 自分達の船長が親友の頼みを断る訳はない、と。

 

 漁師は危険な商売。店で騒ぐばかりの厄介な人達。

 何だかんだと愚痴を言っても、結局、自分は漁師達が好きなのだ。

 漁師は気のいい人達ばかりだとエメは思う。

 エメはそんな気のいい人達と、父に向けて「ありがとう」と、もう一度心中密かに思いを告げた。

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