ネード海【8】
朝日が昇る前、まだ少し暗い内から準備を始めて、明るくなると同時に出発した。
海面の警戒をしつつ航行する為、現場までは二時間程度かかると言う。
六瀬は甲板のライフラインに寄りかかって景色を眺めていた。
母星には、ポツポツと大きな水溜り程度の湖に塩水があるだけで、海という存在はなかった。海はずっと昔に人間が住んでいたという原点の星”地球”に存在しており、資料でしか見た事が無い。
だが、その海が今、目の前に広がっている。
かなり大きな島も点在していて、空船より少し上空に鳥達が獲物を狙って飛んでいる。
その鳥達が飛んでいる高さ……よりも上が、ガッバードの支配域となるのだろう。
『そんなに珍しいか?』
頭の中で問うと、
『見飽きる事なんて無いわ。いつ見ても良い所よ。海は』
と多々良の声が頭の中に返ってくる。
六瀬は一瞬だけ船首付近に目を向けた。
そこには多々良とアズリ、レティーアとミラナナが居た。
景色を見たいと言うアズリ達に付き合う形で多々良が居る。
美しい景色を見て、女特有のかん高い声で興奮している……事はなく、皆黙って潮風を浴びていた。
『なら、そいつらの気持ちも落ち着くだろう』
『そうね。少しは紛れるんじゃないかな』
ブリーフィング以降のアズリ達の雰囲気は、少し重苦しいものだった。
詳しい話を聞いて、ルマーナ達の置かれた状況が想像以上に厳しいものだと悟ったのだろう。
景色を見たいという要望は、不安を緩和させたい……の一点に尽きると思う。
『……無事だと思うか?』
『全員が……という訳じゃないけど、今は多分大丈夫』
『昨日も言っていたな。根拠は?』
昨日のブリーフィング中、多々良と少し話した。勿論、頭の中で。
その時も、多々良は同じ事を言っていた。
その根拠を聞きたかったが、少し考えさせてほしいとの事で、昨日の続きを今話している。
『まずは、空船が落ちた衝撃と、レインシャーク達の被害。これはかなり酷いかもしれないわ。死者が出てる可能性もある』
『空船は俺達の船……遺物船の外装を使ってるんだろ? 船が貫かれる程の威力は相当な物だぞ』
『知らないの? 遺物船の高強度資材を使うのは、殆どが軍装備や国防。後は工場機器や土木建築の重機によ。動力装置本体と重力制御装置本体のカバー部分には高強度資材を使うけど、空船の外装では多くても二割程度しか使ってないの。船首付近とか船底に少しとか。他は鉄とアルミとカーボン。だから普通の空船はそんなに硬く無いのよ。昔と変わって無ければね』
『……そうなのか』
言われてみれば確かにそうだ。
外扉は鉄だし、甲板なんて一部タイルの様な床材が敷いてある。
流石、二年以上も空船を使った輸送業をやっていただけの事はある。
八十年のブランクがあったとしても、目覚めてたった二、三か月の若造よりはこの世界の事を知っている。
『それに、資材や部品を加工して再利用する技術はまだまだ拙い。宝の持ち腐れ的な物資も沢山あるのが現状だと思うわ。そもそも、需要と遺物船回収量が釣り合って無いんだもの。消耗品だってあるし、空船にまわす程余裕があるとは思えない』
『成程な』
『それに空船は維持費だけで相当かかるから』
『それは知っている。で、話を戻そう。今は無事という根拠は何だ?』
『……怪魚達は襲ってこない。って分かってるから』
『攻撃的な奴らなんだろ? 何故そんな事が言える』
『見た目も怖いしね。そう思うのが普通。でも違う。彼らはそんなんじゃないわ。でも……』
『でも?』
『話に出て来た黒い奴。再度ソレに襲われていたら分からない。確実に全滅ね』
意見を聞きたかったのはそこだ。
昨日の話に出て来た”黒い鉄の塊”という人型の何か。
インナー装備、又はフル装備のレプリケーダーを見た事が無い者にとっては理解し難い存在だと言える。だが、六瀬と多々良は、その理解し難い存在そのものなのだ。
話を聞いた瞬間、二人だけはソレに反応した。
『やはり、俺達の同類だと思うか?』
『ほぼ間違いなく』
『空から飛んで来た……という事ならばキューブかスカイ。近くの島からブーストして来たなら全ての兵種が予測できるが』
キューブは六瀬の兵種。他の兵種が得意とする機能を劣化版ながら全て使用出来る兵種だ。
そしてスカイ。その名の通り飛ぶ事を得意とする兵種。上空からの射撃や、接近戦によるヒット&アウェイを行う兵種だ。
”飛んで来た”となると、まずこの二つの兵種に絞られる。
だが、”飛び移って来た”となると、その他の兵種が挙げられる。
ブーストを使った中距離又は近距離の跳躍が出来る為、近くの島から飛び移る事も可能なのだ。だが……
『飛び移るって事なら、ビルダーとトレーダーには難しいわ』
と多々良は断言する。
『……お前が言うならそうなんだろうな』
ビルダーは必要に応じて外装を追加できる兵種。最大三層まで追加する事が出来て、フル装備の場合は止める事が難しい突撃兵となる。ヘイトを稼ぎやすいタンク役ともいえる。
トレーダーは各兵種の弾薬補充、又は装備の換装をする兵種。戦況に合わせた提案で弾薬変更したり換装したりする為、仲間により良い結果をもたらすサポート役という立ち位置だ。
勿論、大量の物資を運ぶ事が主な仕事となる為、戦闘能力は低い。
ビルダーとトレーダー。この二つに共通する弱点は重量級と言う点。
重量級に詳しい多々良が言うのだから間違いないと思える。
『私の勘だとキューブかスカイ』
『同意見だ。俺もその二つだろうと考える』
『……私を襲った奴かも』
『それは分からない。一体だけとは限らないからな』
『仲間がいるって事?』
『俺達だって一緒に居る。相手側も同じ事だろ?』
『……そっか』
『他国ならまだしも、俺達連合のレプリケーダーだったら索敵は難しいぞ』
六瀬、多々良が所属していた国は七ヵ国連合の内の一つ。他国ではあるがヴィスも七ヵ国連合に所属していた。
連合のレプリケーダーは連合以外の国のレプリケーダーよりも、様々な面で、頭一つ分抜けて性能が高い。
リアクター感知を妨害する為、高性能ステルスモジュールが標準装備となっている事も、他国との差をつけている。
故に、同じ連合国のレプリケーダーが”敵”だった場合は、索敵が難しくなる。
『……かつての仲間同士では争いたくない……』
『そうと決まった訳じゃない。だが、新しい土地で目覚めて自由になったんだ。昔とは違う。考え方は人それぞれだからな』
アズリを無歩の森で助けた時、連合のレプリケーダーならば無暗に殺傷しないと考えた。
だが、今は違う。
仕える主を無くし、自由になった”人間”はどう行動するだろうか。
レプリケーダーのAIは人と変わらないのだ。それぞれに、それぞれの考えがあってもおかしくない。
『……何にしたって、善良な人を襲う時点で敵。悪よ。悪っ』
多々良はそう言い放つ。
六瀬は心の中で同意した。
『ルマーナ達の船で暴れた目的は何か知らんが、まぁ、まともな行動ではないな』
『……とにかく、また襲ってきたら断固として戦うわ!』
『そうだな。さて、俺は索敵に集中する。お前は出来るだけ広範囲で目視警戒していてくれ』
『分かった』
言って六瀬はライフラインに背を預けたまま座った。
潮風に当たりながら仮眠を取っている風を装って、今出来る限界まで索敵範囲を広げる。
異常な熱量の感知やリアクターの存在。
何の装備もしていない為、精度は欠けるが、何らかの反応が見つかれば今後の対応も変わって来る。
敵か味方か。それはまだ分からない。
ルマーナの店でヴィスの存在を知った時の様に……なんて、すんなりと平和に行く筈がない。分かるのはそれだけ。
六瀬は少し目を開けてアズリ達を見た。
自分に出来る事なんてたかが知れているのだ。
今やるべき事は、こいつ等を……この船を……守る事だけだ。
と思い、六瀬はまた目をつむった。
小型艇と違い、小型空船は金持ちや要人を快適に他国まで運ぶ為の物だ。
個人で持っている者もいれば、その手の商会へ依頼する者もいる。
仕事や旅行で一般市民を運ぶ商会もあるが、船内で数日間の共同生活を強いられる為、金持ちほど個人で持つ場合が多い。
とはいえ、船体価格も維持費も相当にかかるので、個人で持つ者は一部に限られる。
そんな小型空船が一隻、クドパス港を出発してネード海へ向かっていた。
既に出発してから二十時間以上経過していて、明るくなったと同時に漸くネード海方面へ舵を切る。
沿岸ルートで夜も航行し、明るくなってから海を渡る。通常は沿岸、又は内陸ルートで両国間を行き来し、基本的に海へは出ない。クドパスでもネードでも、海に出るのは殆どが漁師、と決まっている。
だが、明らかに漁船と思えない小型空船が一隻、南海群島方面……否、海へと突っ込んで行く。
「目視出来るのは輸送業の船が二隻。あいつら今頃びっくりしてるぜ。景色見たさに海へ突っ込んで行く馬鹿は何処のどいつだってな」
「ドナヴナ、あんたの事よ」
小型空船の船室に備え付けてある少し豪華なソファー。
そこにふんぞり返って座るドナヴナが、窓の外を見ながら言う。
それに答えたのは寝起きの果実酒を楽しむ女。
呆れ顔でドナヴナを見ている。
「おっとそうだった。悪いな、フォン。そんな馬鹿に付き合って貰って」
「ホントに迷惑。飛べないなら泳いで来なさいよ」
ドナヴナの対面にゆっくりと座るフォン。そして果実酒を一口飲む。
「無理言うなって。溺れちまう」
「作戦上仕方ないけど、本来は私一人で十分な仕事なの。飛んでくれば良いだけの話だし、わざわざ空船出して無駄な経費使う事ないし」
「お前が失敗したからこうなったんだろが。違うか?」
「……邪魔が入ったからよ。ホント、いつもいつも……イライラする」
「いつもって程仕事してないだろ」
「はぁ? 喧嘩売ってるの? 運んでやらないわよ? それとも途中で落としてやろうか?」
「やめてくれ。フル装備でも高さによっちゃ死んじまう」
「脆い奴だこと」
「言ってろ」
ドナヴナはもう一度窓の外を見た。
フォンも真似て、窓の外を見た。
南海群島が視界いっぱいに広がっている。
ネード海海域に着くまで、あと三時間もかからない。




