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新星のアズリ  作者: 赤城イサミ
【エピソード3】 二章 ネード海
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ネード海【5】

 涙なんて出し切ったと思っていた。でも、枯れる事無くまだまだ出て来る。

「レジェプーと……ハヤヂが行方不明になった。……すまん」

 数日前、オーカッドが言った。

 彼からの言葉はそれだけだった。いや、それ以外は聞こえなかった。

 ショックが大きすぎて、仕事中のエメはその場で固まってしまった。

 ネード海での行方不明はほぼ死亡宣言。奇跡が起きない限りは見つかる事は無い。


 その日の仕事は手につかず、部屋に籠って泣き崩れた。

 数日間ずっとずっと泣き続けた。その間、父は気を使って店を閉めていた。常に賑わう店が静けさに包まれる。こんな店は母が亡くなった時以来だった。

 泣いている時、ハヤヂとの日々を沢山思い出した。


 父と母を結び付けた人。母の親友で、その後父の親友ともなった女性。その息子がハヤヂだった。   

 物心ついた頃からハヤヂとは一緒に遊んで一緒に食事をした。

 ある日、ハヤヂの父親が仕事中に行方不明になった。

 体を滑らせて海に落ちたのだという。ハヤヂの父親は漁師だった。

 勿論体の一部すら帰る事なく、愛する夫を失ったハヤヂの母は精神的に弱ってしまった。心配した母は常に親友を気にかけて、毎日様子を見に行っていた。ハヤヂはこれまでよりも多く……いや、毎日のようにエメの店で食事をするようになり、時折泊まっていくようになった。

 ハヤヂの母は殆ど食事を取らなかった為、結局衰弱し、病にかかり、亡くなってしまった。

 死の間際「ハヤヂを……息子をお願い」と母に言い残し、そして息を引き取るまでハヤヂに謝罪を続けていたらしい。

 その時の年齢はエメが十二歳、ハヤヂが十一歳だった。


 父も母も悩む事無くハヤヂを引き取り、エメと二人、姉弟の如く育っていった。

 エメがハヤヂを男として意識し始めたのは成人の儀式の時だった。

 成人の儀式はタルズップ半島の端にあるネード神の祭壇まで行き、拝礼皿に血を数滴垂らし、何故か祭壇に出現する小さな水晶玉を持ち帰るというもの。その儀式に何の意味があるのか誰も知らないし、当然エメも知らないが、古い時代からの決まり事で長い間続けられて来た行事だった。


 ずっと昔、水晶玉を誰が置いているのか気になって、祭壇近くで張り込んだ者が居た。しかし、いつまで経っても人影は現れず、諦めて帰ってしまう。その年の儀式はそれ以降一切水晶玉が置かれる事無く、殆どの者が持ち帰れなかったという。そして漁も上手く行かず、例年よりもずっと少ない漁獲量になってしまい、生活に影響を与えた。よって、覗く行為は神の逆鱗に触れるのだ、と噂され、今では触れてはならない禁忌となっていた。

 ともかく、祭壇まで行く行為が儀式として成り立っているのは、そこまで行って戻って来る事にある、と皆は言う。祭壇までの距離は歩いて七日弱。往復だと半月もかかる。道中険しい山道もあり、数年に一度は死亡者も出る。


 エメが成人の年。

 儀式の数日前に母が亡くなった。病死だった。

 ハヤヂもエメも、そして夫である父も悲しみに暮れた。遺品である指輪。それを握りしめてエメはずっと泣いていた。

 その悲しみが少し落ち着いた頃、エメは漸く成人の儀式へ向かった。

 普通は儀式期間中に順を追って一人ずつ出発する。誰かが怪我をした場合、後から来る者が助けるだろう、という配慮からだ。しかし、期間を過ぎてから儀式を行う場合は完全に一人となる。どんな理由があろうとも、それは個人の都合であり、周囲はそれに配慮しない。


 エメは一人で行く事を決め、父の反対を押し切って出発した。

 長い道中は不安がいっぱいで、野宿の夜は本当に怖かった。しかし、成人の儀式は母の死を乗り越えさせてくれた。儀式に向かう時、本当の所はまだまだ母の死を受け入れられず、悲しくて仕方なかったのだ。無心で歩き続ける行為と、ネードの外の景色が、悲しみを緩和してくれたに違いないと思った。


 祭壇に着くと、水晶玉が置いてあった。本当に小さくて、一センチ程度しか無かった。エメは無事に着いた事にホッとして、水晶玉を手に取った。その後、ナイフで親指を少し切って、拝礼皿に血を垂らした。

 今まで沢山の人達が血を垂らしているであろう拝礼皿は綺麗で、血の痕跡なんて無かった。

 不思議だなと思いながら祭壇を後にすると、コロンと何かが転がる音がした。最初は気にしていなかったが、やはり気になり、祭壇へ戻った。すると、水晶玉が置いてあった場所に、赤い石と白い石が一つずつ転がっていた。両方共三センチ程度の大きさだった。

 これも持って行って良い物なのだろうか? と悩んだ。

 昇ったばかりの陽光を反射してキラキラと光るその石はあまりに綺麗で、母の死に直面した自分への労いに思えた。

 石は誰かの手が加えられたみたいにカッティングされている。それを見ているとネードの神が「持って行きなさい」と囁いたように思えた。


 エメはそれを手に取った。水晶玉を入れる小さな袋にその石も入れて、帰路につく。一人寂しく、でも頑張って祭壇まで来た甲斐があった。自分は特別なのかもしれない。等と考えながら歩く。

 そんな道中、険しい山道の中腹で足を滑らせた。急斜面を転がり、左足に激痛を覚えた。もう少し進もうとして夜の闇が近づくギリギリまで粘ったのが悪かった。


 左足は折れていた。少しおかしな方向に曲がる足を見て血の気が引いた。

 距離はあったが、這いながらでも何とかギリギリ登れそうな斜面だった為、せめて人が通る可能性のある場所まで辿り着けばもしかしたら……と思い、必死に這った。

 儀式と関係無く、祭壇へ祈りに来る者もいる。滅多に無い事だが、それに一縷の望みをかけた。しかし、這い上る途中で雨が降り出した。一気に大粒へと変わり、斜面が緩くなる。這っても這っても落ちていくばかりで、気が付くと元居た場所へ戻っていた。


 雨は熱を吸収し、体温を徐々に下げる。

 あと二、三日歩けばネードへ帰れる距離だったのにどうして……。あの石を持って来た罰……? 返したくても、この足じゃもう……。

 エメは意識を失った。寒さと痛みと絶望に負けた。

 だが、誰かが寄り添ってくれていた。夢の中、温かい存在だけは分かった。


「エメ! エメ!」と自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 少し眩しさも感じて瞼を開けると、ハヤヂの顔が目に入った。

 昇ったばかりの陽光がハヤヂの顔に影を作る。

 まだまだ幼い顔をしているのに男らしくみえた。これからどんどん堀の深い顔つきになるだろう未来にドキッとした。


 もうそろそろ戻る頃合いだというのに、心配で仕方なかったハヤヂはどうしても我慢が出来ず、父に許可を貰ってエメを追ったという。

 山道の途中に荷物だけが落ちていて、周囲を探すとキラキラ光る何かが見えた。するとそこに足を折ったエメが寝ていた、との事だった。


 不思議だった。


 荷物ごと落ちたのに……確かに荷物は背負っていた筈なのに、どうして山道にあるのか。

 そして祭壇から持ち帰った二つの石。

 袋に入れて懐へ仕舞った筈なのに、いつの間にか袋から取り出されていた。しかも丁寧に並べられて胸元に置いてあった。

 そして雨の中、温かかったのも覚えている。


 ……ネードの神が救ってくれた。

 ……こうなる事を知っていて、ハヤヂが見つけやすい様にこの石を授けてくれた。

 エメはそう思った。


 ハヤヂは足の応急処置をした後、三日以上もエメを背負って歩いた。

 ハヤヂの背中は大きくなっていた。

 たった三日間の温もりだったが、これからもずっと……永遠に感じていたい、と心から思った。

 きっと、この感情に目覚める事もネードの神は知っていたのだろう。

 そうなるように仕向けたのだろう。

 全く信心深くなかったエメだったが、この時からネードの神は存在すると思う様になった。時折、行方不明者を助けるというネード神。気まぐれな神だが、その気まぐれが奇跡的に自分へと向いたのだ。


 無事に店に着くと、怪我をした上に泥で汚れた娘の姿を見た父が泣きそうな顔で飛んで来た。

 直ぐに医者に診てもらい、きちんとした治療をして貰った。

 その時初めて、ある物を無くした事に気が付いた。

 それは母の形見の指輪。

 指のサイズが合わなかった為、革紐でネックレスとして身に着けていたのだが、それが無い。

 恐らく儀式の道中、いや、転げ落ちた時に落としたのだ、と思った。

 戻ってでも探したかったが、怪我が治ってから探したのではもう見つからないだろうと諦めた。むしろ、命と引き換えにネード神へ捧げた供物に思えた。それは母が残してくれた物であって、故に母が守ってくれたのだ。

 ならば、ネードの神から授けられた石をネックレスとして身に着けよう。お守りとして身に着けよう。来年儀式を行うハヤヂへ贈ろう。きっとネードの神が守ってくれる。成人したら漁師になりたいと語るハヤヂを守ってくれる……そう考えた。


 オーカッドの一族とは、エメの父も祖父も曾祖父も懇意にしていて、ずっとずっと昔からの長い付き合いがあった。勿論その頃からの店の常連でもあった。

 馴染み客であるオーカッドの姿を小さい頃から見ていたハヤヂは、当たり前の様にオーカッド空漁商会へ足を運んだ。

 そして直ぐにハヤヂは一人暮らしを始めた。それから数年、なんの事件も事故も無く、いつも通りの平和な日常が続く。

 

 ハヤヂの住む二階の窓を毎日覗き、姿が見えた日はちょっぴり幸せ。

 店に顔を出してくれた日はいつにも増して仕事に気合いが入り、デキる女を演出する。でも、やっぱりハヤヂと話がしたくて少しさぼってしまう。そんな日は結構幸せ。

 母が言っていた「男は胃袋から」という言葉を実践してハヤヂに渾身の料理を振る舞う。「まあまあだ」と、ちょっとひねくれた意見が聞けたら、その日は超幸せ。

 

 そんな日が毎日続いて、あと数か月もすればハヤヂは二十歳になる。

 他の国は知らないが、ネードで二十歳といえば、子供を持ってもおかしくない歳。

 貞操を守るガードの硬い女だと思わせつつも、本当はグイグイ来て欲しいと思う身勝手な女の感情。男の甲斐性を、男臭さを見せつけて欲しいと思う身勝手な欲望。

 姉弟の様に育ったから難しい……なんて事は分かっている。ちょっとお姉さん気質に振る舞ってしまうのも分かっている。でも、そんな事気にせずに早く口説いて欲しい。

 ……が、言えない。

 だったらもう自分からグイグイ行くしかない。

 二十歳になってもこのままだったら……ハヤヂが口説いて来ないなら、自分からグイグイ行くしかない。恥ずかしいけど既成事実を作ってしまってもいい。


 あと少し、あと少しだった。

 ハヤヂが二十歳になるまでうだうだしていた自分が馬鹿だった。

 ハヤヂの事はネードの神が守ってくれている。そう信じていた。

 

 沢山の人が店に来て話し合いをしていた。ルマーナ達を救出する計画を練り、ハヤヂとレジェプーの事も探してくれるという。だが、行方不明になってからもう四日。空漁商会は銃の所持を禁止されている。何処かの島に居たとしても危険な島ばかりだというのだ。生存は絶望的だろう。


 皆が話す救出計画も何もかも、途切れ途切れにしか耳に入って来なかった。

 現実を直視したくなかった。聞いてる途中からボロボロと涙が溢れて来てしまいずっと俯いていた。

 皆が帰る時、そんな自分に声をかけてくれた人が居た。


「きっと大丈夫です」

 と、そばかすが薄っすら乗った女の子。

「あなたの恋人でしょ? それとも家族? 期待させたくないから絶対とは言わないけど、出来るだけの事はするわ」

 と、美人で良い匂いのする女の子。

「泣いてんじゃねー。とにかく祈って待ってろ。飯くらい食え」

 と、毛量が多くてふわっとした髪型の小さい女の子。

 名前の知らない女の子達が近寄って来て、そう声をかけてきた。

 エメは何も答えなかった。何も言えなかった。

 だが、彼女達が退店して暫くしてから、わざわざ声をかけてくれた優しさに気が付いた。

 そしてまた涙が出た。

 

 エメは胸の谷間に隠れるネックレスを出した。

 握りしめて何度も無事を祈ったネックレス。

 それをもう一度ギュッと握った。

 祈るしか出来ない。そう、祈るしか出来ないのだ。

 しかし、こんな所で祈っていても願いは届かない気がする。

 ネードの神が気まぐれを起こしてくれるように祈らなければならない。

 自分を助けて貰った時の様にハヤヂの事もお願いしなければならない。


「父さんっ!」 

 叫ぶように父を呼んだ。

 一瞬驚いた父は、しかし、無言で歩み寄る。

 このまま……何もせずにはいられない。ただ泣くだけの女ではいられない。

 エメは父の手を握り、目を見て言った。

「父さん……お願いがあるの」

 静か過ぎる店内。

 ファンの回る音がとても大きく聞こえた。

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