新人船員【10】
国を管理している貴族達は毎日酒盛りに勤しんでいると思いきや、高価な酒で静かに過ごしている場合が多い。他の国と比較すれば、ネードはかなり穏やかな貴族ばかりで、小さな歓楽街へ遊びに行く事すらしない。だからなのか、ネードの民は自由で、自由が故に他者との繋がりも強く、明るくて思いやりのある者が多い。
だが、喧嘩や犯罪も一定数あり、稀にだが小規模の人身売買もある。
勿論、バルゲリーという軍隊一族も存在していて、犯罪に目を光らせつつ場合によっては不問とし、民の精神と国の安定を保っている。飲み屋での喧嘩も不問の一つで、大怪我、又は死者が出ない限りは見て見ぬふりされる場合が多い。酒と飯を提供する店が多い国である為、いちいち関わっていられないという理由もあるが、喧嘩をしても限度を超えない民度の高さが故に信頼されている、という側面もある。
酒で陽気になる民はネードの名物。
給料日からの数日間は毎日のように何処かで軽いいざこざがあり、それもある種の名物といえる。
”エメの店”も例に漏れず、時折いざこざが起き、名物の一端を担う。
今夜もまた、そういった名物が見られる盛り上がりを見せていた。
だが、今夜は少し……否、かなり違う雰囲気だった。
給料日前であり、本来はどの店も静かな期間なのだが、一部の店……”エメの店”だけが外まで聞こえる盛り上がりを見せた。いざこざが起きる事はなく、ただただ楽し気に、そして陽気に飲む男達が店内にひしめき合っていた。
隣の席の客と意気投合して騒ぐ……といういつもの飲み方と違い、店内全ての客が一つのグループを中心に総出で盛り上がるという異常事態。
窓から覗いていた者の一部も来店して来て、立ち飲みを始める始末。
全ての原因は、ルマーナ船掘商会という闖入者が居た為。
ネードでは見る事の出来ないドレス姿の女達が”エメの店”へと足を運んだ。
その道すがら、通行人全ての視線を引き連れて歩いたのは言うまでも無く、何事かと驚いた者達は後を追って窓から店内を覗き込む。そして居ても立っても居られないという風に来店する。
ある意味、ネードに住む男なら当然の行動。
ネードの歓楽街は小規模で、飲み屋の女は肌の露出が少ない。ドレスの袖もスカートも長く、下手をすれば頭にすら布を巻く。出来る限り日差しを避ける美意識の高い女性が多く、それ故に色気という武器をほぼ使わない。
だからこそ、胸元や肩や足を露出して色気をばら撒くルマーナドレス隊は、妖艶でいて品のあるドレスや、美しい肌や容姿で男の心を鷲掴みにした。しかも聞き上手で話上手という武器まで持ってる。
船掘業もやっているが、本職は飲み屋の女だと言うのだから、ネードの男にとっては強くて美しい女性という認識になり、余計にその魅力へと引き込む。
小さくなって飲んでいたハヤヂでさえ、彼女達の吸引力に負けてしまい、酒が入った事で、結局周囲と同調して陽気に飲んだ。
あまりに多い客への対応は当然、元居た店員数では足りる筈も無く、隣近所や知り合いをかき集めて”エメの店”は壮絶な忙しさと戦っていた。
そんな中でも、ティニャと仲良く話したり、パウリナやサラに抱きつかれて顔を赤くするハヤヂの背中には、悪寒と視線の針が刺さる。
誰の物か……なんて、考えただけで恐ろしくなり、ハヤヂは知らないふり、感じないふりを突き通した。
救いがあったとすればその酒盛りが朝まで続かなかった事。
明日の仕事を考慮して……というのが本当の理由だが、ティニャが眠くなったからという体で早い内にお開きになった。
「これ飲んで。幾らかマシになるから」
客達は夢の様な時間だったと喜んで帰った。
片付けに翻弄する店内に残った客はハヤヂだけ。
声をかけられ、ハヤヂは突っ伏して寝ていた顔を上げた。
「うぁ……。ああ、うん。ありがとう」
差し出された飲み物は、強烈な酸味を与える柑橘系の果物を絞ったジュースだった。酔い覚ましとして普段から飲まれるジュースで、二日酔いにも効く。
ハヤヂは息を止めて一気に流し込んだ。
顔面を思いっきり叩かれた様な刺激を感じて一気に目が覚める。
「ぐはっ」
「目、覚めた?」
ゴホゴホと咳き込んでから「……うん」と答え、声の主へ目をやった。
そこには今まで見た事の無い複雑な表情をするエメが立っていた。
「……ごめん。断れなくて」
素直に謝った。しかし、何故俺が謝らなくちゃならないのか? と疑問も沸く。
「お祭り騒ぎだったもの……どっちにしたって巻き込まれてたと思う。仕方ないわ」
素直に謝って正解だった。
エメは深く溜息をついた後、いつもの顔に戻った。
「……こんな夜になるなんて思って無かった。ルマーナ船掘商会って女性だらけの商会だったんだな。男ばかりだって……何処でそんな話になったんだろう」
オーカッドの”目の保養”という言葉。
ハヤヂには刺激が強かったが、他の男達にとってはそれこそ”目の保養”になっただろうと思う。
エメは一拍分の間を置いて「そうね……」と言い「……他の国にはあんなに綺麗な人がいるのね。手伝いに来てくれた皆も、私も……見とれちゃった」と続けた。
「まぁ、ここいらでは見ない雰囲気だった……よな」
「ルマーナさん良い人だったし、ティニャちゃんも可愛かった。でも……」
そしてまた一拍分の間を置いた。
「ん? でも?」
「私の勘だけど、多分そのルマーナさんとティニャちゃん以外は男の人だったと思う」
何を言い出すのか。
嫉妬から出て来る言葉としては、かなり失礼だ。
「いや、それはないだろ。あんな綺麗な男がいる訳ない」
即座に否定すると、エメは数秒「う~ん」と首をかしげながら悩み「……そう……だよね。勘違いかな」と言った。
「ちょっとエメ! 話してないで手動かして。いつまで経っても終わらないよ?」
手伝いの子が不機嫌に声をかけた。
「ご、ごめんっ」
エメは肩をすくめて謝った。
改めて辺りを見ると、これは酷い……と思える状況だった。
料理や酒の提供で手一杯だった店内は洗い物の山と化している。
ルマーナ達が座っていた場所だけが小奇麗なのは、彼女達の職業柄というか性格からくるものなのだろう。
「俺も手伝おうか?」
「ううん。大丈夫。明日早くから仕事でしょ。無理しなくていいよ」
「……わかった。ありがとう」
言うとエメは薄く笑顔を浮かべた。
小さな気遣いでも嬉しかったのだろう。
「残した料理は冷たくなったし、今度また作ってあげる」
「あ、そうか。エメの料理……。ちゃんと味わえなかった……」
「いいの。美味いって言って貰えたから満足。次は素直に美味しいって言わせるから。覚悟しておいてね」
「期待してる」
「だから……明日の仕事、気を付けてね」
「案内だけなんだ。そんなに心配する事ないって」
「そう……だね」
不安そうに苦笑いするエメ。
案内だけの仕事にそこまで不安になる気持ちが分からない。
だが、案じてくれる気持ちは嬉しく思う。
エメは軽く深呼吸をして「よしっ。ちゃちゃと終わらせよう」と言いながら皿を片付け始めた。
そんな彼女の姿を見ながらハヤヂは立ち上がり「ごちそうさま」と言って店を出た。
漁をするのならば、まだ暗い内に行うべきだ。
魚達も夜間であれば警戒心を無くして餌へと食いつく。撒き餌の効果は抜群で、昼間の漁に比べ、圧倒的な成果を得られる。だが、それは理想であって現実的ではない。海面の警戒を怠ると、即、死へ直結するからだ。
男は壊れた漁船を見た。
拳大の穴やそれ以上に大きな穴が幾つも空いていて、陸まで戻ってこれた事が不思議な程だった。
「馬鹿が……」
男は眉をしかめた。
年に一度はこんな馬鹿が現れる。それは大漁を狙って夜間に仕事をする馬鹿だ。
運が悪ければ一度目の漁で全てを失う。今までの最高記録で十二回。
聞いた話、この商会は七度目の漁でこうなったらしく、殆どの船員を失った。
クドパスの漁師は皆、ライバル意識が高く、金にがめつい。
領海侵犯を犯し、ネード海に手を出す者も居て、面倒事を起こすのだ。
だが気持ちは分からなくもない。
潮の流れはネード方面から寒流、クドパス方面から暖流が流れ、それらがぶつかり合う場所がネード海なのだ。クドパスは暖流を好む魚しか捕れず、ネードは寒流の魚と暖流の魚その両方を捕る事が出来る。必然的にネードの方が量も質も良い魚を得やすく、しかも時折遺物船が落ち、それもまた良い臨時収入になるのだ。更に海底に沈んだ船が少しでも破損していれば、その船が良い住処となり、魚達が増えると聞く。
地理的にどうあがいてもネードに勝つことが出来ない為、結果、国の豊かさに差が生まれ、嫉妬という名の領海侵犯や、差別が起こる。
が、しかし、クドパスの国民が裕福とは言えない生活をしている根本的原因は他にある。
それは国を牛耳る輩の搾取によるものだ。
他の国では皮肉を込めて貴族等と色々言われる上級の民。クドパスでは腐民と言われるその輩の更に一部が私腹を肥やしているのだ。
重税や暴利の商売は国民を病ませる。奴隷を扱い、女子供もひたすら働く。妙な薬も密かに横行し、じわじわと全てを蝕む。治安も良いとは言えず、夜の酒場は重傷者が出るレベルの喧嘩ばかり。詐欺、盗み、人身売買、殺し、あらゆる犯罪がバランスよく、そして目立たない所で横行しているのだ。
男は壊れた漁船から視線を外して歩き始めた。そして「ははっ」と笑った。
港を離れ、飲み屋が並ぶ通りの途中で路地へと入る。
徐々に暗くなる路地には酔った男を客とする女がポツポツと立っていた。だが、誰も声をかけて来ない。むしろ男の服装を見て、皆畏縮する。
そんな女達を無視して更に奥へ進むと、今度は住む家すらない者達が姿を現した。
路上に座って死んだ魚の様な目をしている者や、痩せ細ってただ寝るだけの人生を送る者ばかり。何か恵んで貰えないかと期待する視線全てを無視し、男は黙々と歩いた。
とある三階建ての建物に到着すると入口付近に座る男へコインを投げた。コインを拾って軽く頭を下げると「既にいらっしゃってます」と、その男は言った。
聞くよりも早く扉を開けて奥へ進み、古い階段を上る。
目的の場所に到着すると、扉の前に女が立っていた。
「ご苦労様です。いつも大変ですね。……仕事は楽しいですか?」
男が声をかけると「はい。ですがもっと楽しみたいです。先生」と答えた。
女の体を見た。
袖口に少し、赤い染みがあった。
「ははっ。ここに来るまでに十分楽しんでるようですが?」
「そうでもありません。最近は少ないので少々暇です」
「平和が一番。主人に何かあってからでは遅いですから」
「それはあり得ません。私が居ますので。それに平和は敵です」
男はまた、ははっと笑った。そして扉を開けた。
「遅いぞ」
部屋に入った瞬間に声をかけられ、男は「少々野暮用がありましてね」と答えた。
部屋の中は建物の外見と異なり、豪奢な作りになっている。それに見合うだけのソファーやテーブル、そして酒棚に整然と並ぶ名酒達。上の人間がくつろげる空間を演出しているその部屋には、四人の男女が居た。
最初に声をかけてきた男が一人用のソファーに座り、他は様々な体勢でくつろいでいる。
「一人か? 珍しいな」
ソファーの男が言う。
「ええ。彼は仕事中ですから」
「今回はどうだった?」
「手ぶらの私をみれば分かるかと」
「ちっ。……また起きる事は無いのか。眠り姫……。ガラクタが……」
「そう言わないで下さい。起きてたら起きてたで面倒でしょう?」
「小言は無視していれば良いんだ」
「確かに」
そう言って男は笑った。
すると、窓際に尻を預けていた女が、
「笑ってられないわ。先生」
と言った。
「そうだぜ。眠ってから既に三年だ。目覚めても十日と起きちゃいねぇ。流石にこのままって訳にはいかないだろう」
今度は手前のソファーの背もたれに両腕を預け、旨そうに煙草を吹かしている男が言った。
「そうですねぇ。金ばかりかかる困ったちゃんです」
「今は人材育成が急務だ。国の命運がかかってるんだぞ」
とソファーの男。
「失礼失礼。ですが、たった二枚のメモリーシートでは穴だらけですよ」
「……分かっている」
「という訳で、ここに一枚。更に追加です」
男は胸ポケットからメモリーシートを取り出して顔の前に掲げた。
「おお! 何処で手に入れた? ネードに落ちた船か⁈ 本物か? どうやって調べた?」
ソファーの男が身を乗り出しながら言う。
「先日の船ではありません。入手先はカルミアです。手に入れるのには苦労しましたが、やはり馬鹿ですねぇ。この価値がどれ程か分かっていませんから」
「これでまた一歩前進って訳ね」
窓際の女が言った。
「馬鹿か。眠ったままじゃ使えねーんだ。宝の持ち腐れだろうがよ」
煙草を吹かす男が女に向かって喧嘩腰で言った。
だが女は意に介さず、鼻でフッと笑う。
「そうでもありませんよ。先日の遺物船では何も得られませんでしたが、面白い物を発見しました」
「なんだ?」
と、ソファーの男。
「まぁまぁ、そう急かさないで下さい」
落ち着いてくれとジェスチャーしつつ、男は「いつもの」と言う。
すると、酒棚付近に立っていて終始無言だった男が「はい」と答えた。
その答えを聞いて、男は空いたソファーにゆっくりと座った。
「……酒でも飲みながら話しましょう」
「先生はいつもマイペースね」
「焦るのは俺達だがな」
男はははっと笑って「……いつも感謝してますよ」と言った。
そして、テーブルに置かれた酒を間髪を入れずに手に取って一口飲んだ。
旨そうな顔をしつつ「う~ん。飲み慣れてるとはいえ、いつ飲んでも良い酒ですね」と言い、水の方がまだマシだな……と、いつもの感想を胸中密かに述べた。




