新人船員【6】
夕食時の【デニス&フィンジャン】は、午後の魚市場よりも活気に満ちている……と言っても過言ではなかった。
緩やかに回された大きなファンが、壁飾りの古い銛へ幾度も影を落とし、ワンポイントとして飾ってある祭礼旗を揺らめかせている。
そこそこ広い店内に並ぶテーブルと椅子はほぼ全て埋まり、厳つい男達が大きなビールジョッキを片手に持って楽し気に騒いでいた。
大皿に盛られた様々な料理が、店内を美味しい匂いで満たし、男達の汗臭さとアルコール臭を緩和している。
殆どの客は、空漁商会の者ばかりで、通う客も八割方常連客だ。
ハヤヂもまた同じ空漁商会の人間ではあるが、その空気感に飽き飽きしている為、店を利用する時はキッチン近くにある静かな場所で食べる。
店の奥の隅にあるそのテーブルと椅子は、スタッフが小休止する為の場所であり、そしてずっと昔からのハヤヂの特等席でもあった。
「今日はいつにも増してうるさいなぁ」
小さな丸テーブルの上には控え目に盛られた魚料理と、度数の高い蒸留酒が置いてある。
ハヤヂはフォークで魚の身をほぐしてから口へ運び「うめぇ」と言って酒を一口流し込んだ。
この料理だけはエメが作った料理で、やはり親父さんより腕が良いとしみじみと思った。
「はぁ~駄目。疲れた。ちょっと休憩」
二つしかない椅子。
向かい側の空いた椅子にストンと座り、大きく息を吐いた女はエメだった。
「大繁盛だな」
「私的にはもう少し小さなお店で良いと思ってる。もっと静かに仕事したいし」
「他の子達は頑張ってるのにお前だけ休んでいいのかよ」
「いいの。二人はさっき来たばかりだし。私は仕込みも手伝ってたんだから、ちょっとくらい大丈夫なの」
「仕込みもって……エメの店なんだから当然だろ」
「ここは父さんのお店よ」
【デニス&フィンジャン】は常連客の間で”エメの店”と呼ばれている。
小さい頃から手伝っていたエメは、客達に可愛がられ、その成長を見守られて来た。
料理もエメの方が上手だし、彼女の活気が客達を元気にさせる。
だからなのか、いつの間にか”エメの店”と呼ばれる様になり、皆、会話の中では【デニス&フィンジャン】と呼ばなくなってしまった。
店主であるエメの父はそんな事実を逆に喜んでいて「もうこの店はいつでも娘に譲れる」というのが口癖になっていた。
「今日は触られたのか?」
「もう既に二回。叩いてやった」
酒が入ると態度が大きくなる奴もいる。時折、仕事中の娘の尻を触る客が出て来る。
その都度エメはトレイで頭を叩き「会計に付けておくから」と言って軽く流す。
新参者はその態度に腹を立て、店内で怒鳴り散らす。だが、常連客が店の外へと引っ張って行き、袋叩きにする。
今日の混雑具合をみれば、そんな事件が起きてもおかしくないが、今の所は無かった。
「な? 分かるだろ? 皆、エメを肴に酒を飲んでるんだ」
「嬉しい言葉だけど、迷惑ね。ここは食事をする店よ」
「だが、もう慣れっこだろ」
「慣れるしかないでしょ。ハヤヂも触る? コブが出来るまで叩いてあげるから」
「ガキの頃から一緒で、裸も見飽きてるのに今更か?」
「子供の頃の話でしょ。今の私は全然違うんだから」
「じゃあ、今夜確かめさせてくれ」
「うわっ、キモっ。その台詞気持ち悪いから」
本当に気持ち悪がるエメ。
幼馴染のエメは昔から変わらない。
コロコロ変わる表情とストレートに表す態度はいつものエメだった。
ハヤヂが座るこの場所も、昔から二人で食事をした場所なのだ。
「それよりも、その料理どう? おいしい?」
エメは横向きに座っていた体をテーブルに向けて頬杖をついた。
「昨日と同じ料理だろ。味はまぁまぁだよ」
正直、かなり美味い。だが、それを言ったら調子に乗りそうだから適当に答えた。
「昨日のと比べたら?」
「だったら、今日の方が旨いかな」
「なら完璧ね。今度お店で出そう」
「まぁまぁと言ったろ」
「ハヤヂのまぁまぁは激旨だから。昨日の段階で個人的には結構美味しいかもって思ってたし、今日のはそれよりも上だし、じゃあもう完璧、お店に出せるって判断」
「なんだそれは」
「ハヤヂを使ったハヤヂでしか出来ない特別な選定法」
「嫌な特別感だな」
改めてこれが幼馴染というやつか、とハヤヂは思う。
たまに行われる新作料理の味見。いつの間にかメニューに並んでいたから気にしなかったが、今日初めてそんな判断基準があった事を知った。
”まぁまぁ”は”激旨”という事も知った。
今度は、不味いとでも言ってやろうと思った。
「じゃあ、今日は特別にツケにしておいてあげる」
「昨日みたいに奢ってくれよ」
「遺物船のお金、入るんでしょ? それで払って」
「直ぐには貰えないさ。船掘の奴らが素材売って、後日その二割が入って来るんだから」
「……給料までまだ日があるのに、ハヤヂのとこの皆が盛り上がってる。様子見てたら少し安心したけど、どうなの? 落ちた場所、安全な場所だった? 行くのも危険じゃないの?」
昨日のエメは少し様子がおかしかった。
落ちた遺物船が危ない場所かもしれないと言ってからは、普通通りにしているつもりでも、何となく気が落ち込んでいる様子だった。
食事をしながら何度も「大丈夫だから」と言ったが、その都度「ホントに?」と繰り返した。
エメは意外と心配性だとハヤヂは知っている。
二度も同じ料理を食べさせ、その上で店に出す判断をするくらいなのだ。結局、休憩と称して座って来たのも、この話がしたかったからなのだろう。
「皆、料理はいつもより高いやつを頼んだんだろ? 臨時収入が入る事を見越してだからさ。そう言う事なんだよ」
「聞いてるのそこじゃない。無事に帰れる……ううん、どんな場所だったかって話」
「人が手を出せない場所だったらあんなに盛り上がって無いよ。わかるだろ?」
「分かんない。ハヤヂははっきり言わないから分かんない。ちゃんと答えて」
「……分かったよ。……とりあえず、落ちた島は問題無かった。別の島に落ちてたら厳しかったから運が良かったよ。まぁそもそも、こっちは案内するだけだから関係ない」
「その場所までは?」
「海域は……少し危険だけど、探り探り行けば問題なかった。今日確認しに行って、こうしてここで飯食ってるだろ? 大丈夫って事さ」
「そう……ね。でも本来、滅多に行かない場所なんでしょ? オーカッド船長に聞いたよ」
ハヤヂは横目で店の中央を見た。
店で一番大きなテーブルを陣取る面子はオーカッド空漁商会の古株達だ。
そこには、禿げ頭に豪快な髭面を加えた人物がいた。背は然程大きく無く、ビールっ腹と大きなブレスレットが目立つ筋肉男。それがハヤヂの勤める空漁商会の長、オーカッドだった。
――余計な話しないでくれよ……船長。
恐らく「滅多に行かない場所だがよ、大丈夫だ。ばゎっはっは」等と適当に答えたのだろう。
だからこそ、エメは余計に不安になって詳しく聞いて来たのだ。
ハヤヂはエメへ視線を戻し、安心させるように笑顔を作った。
「船長はそう言ってるけど大丈夫だから。さっき探り探りって言っただろ? 海面の確認は念入りに行ってる。少しでも影が見えたらルート変えるし、時間がかかっても絶対に安全な道を選ぶ」
「怪魚は? 滅多に行かない場所って、怪魚も多く出るって……」
「確かに怪魚の心配はあるけど大丈夫。姿を見せたとしても悪戯しかして来ない。二度しか会った事無いけど、いつも網に引っ付いて魚をちょろまかす程度なんだ。何度も言ったろ? 人を食うなんて昔話なんだよ。怪魚はそう怖い者じゃない」
「私達陸の女はその話を信じてる。たまに出る行方不明者も怪魚の仕業だって、皆そう言ってる」
「それは海に落ちてるだけって話だろ」
「それは船での話でしょ。陸の女だって行方不明になるのよ? 忽然と姿を消すの。身投げしたとしても一切遺体は上がって来ない。きっと怪魚が連れ去ってるんだって……皆そう思ってる」
昔、一人の漁師が海に落ち、行方不明になった。捜索虚しく、仲間達は皆、その男の死を覚悟した。だが、行方知らずになって三日後、ひょっこりと姿を現した。殆ど気を失っていて、どうやって戻ったのか覚えてないと言うが、地獄を見た事だけは覚えていると言った。それは人骨の山。何処かの島で、人の頭蓋骨をまるで見せびらかす様に積まれている光景を見たという。そしてそこには怪魚が居て、一人の女を取り囲んでいた。男は一目散に逃げだした。襲われそうな女を置いて逃げる自分を卑下しながら逃げた。その途中、体力の限界を感じ、再び気を失った。だが気が付くとネードの祭壇に居た。きっとネード神が救ってくれたに違いない。男はそう思うようにした。
ずっと昔から、海に落ちた者はそう易々と見つかる事無く、港で行方知れずになる者も多かった。その男が経験した出来事が、犯人像を怪魚と結び付け、噂が国中に広まった。数十年経った今でもその話は語り継がれ、エメの様に信じている者も未だ多く居る。
「……そうだったとしても……もし俺に何かあっても、ネードの神が救ってくれるかもしれない」
「何かあってからじゃ遅い。それにネードの神って気まぐれでしょ?」
「気まぐれでも良いじゃないか。普段は海を見守ってくれているんだ。船乗りにはそれだけで十分」
普通は海に落ちれば生きていない。海はあまりに危険で、運が悪ければ人なんてあっという間に食い殺されるからだ。だが極稀に、生きて見つかる事がある。海流に乗って運ばれたとは思えない島で見つかったり、ネード神が祀ってあるタルズップ半島で見つかったりする。その現象も噂を流した男以降に多くなり、それは怪魚に襲われるネードの民を不憫に思ったネード神が時折、それこそ気まぐれで救っているのだ、とされていた。
「それに……」
「それに?」
ハヤヂは革紐で出来たネックレスをシャツの中から引っ張り出した。そのネックレスの先には、色とりどりの組紐で包まれた小さな石が付いていた。
「これが守ってくれるさ。今までも、これからも……な」
それを見たエメは、複雑な表情になった。
嬉しい様な、安心した様な、恥ずかしい様な、そんな表情だった。
エメもまた自身の首に下がった革紐を引っ張った。胸の谷間から、ハヤヂの物と少し違うネックレスが現れる。
違いは石の色。ハヤヂは赤。エメは白。それ以外は全て一緒の物だった。
「成人の儀式。私だけ遅れて向かったから見つけられた」
「不思議だよな。皆石なんて置いて無かったって言ってたのに、エメが行った時には何故か祭壇に置いてあったんだからな」
「ネード様が持って行けって言ってるみたいで持ってきちゃった。最初は悪い事したなって思ってたけど、今ではこれが私達を……ううん。ハヤヂを守ってる気がして……感謝してる」
「なんだかんだで信心深いじゃないか」
「気まぐれねって言っただけで、信仰してない訳じゃないのよ?」
あまり人に見せた事の無いお揃いのネックレス。
作ったのはエメで、一年遅れで成人したハヤヂへのお祝いとして貰った物。
ハヤヂは石の部分を持って軽く掲げた。するとエメもまた同じく掲げ、ハヤヂの石へ触れさせた。それはまるで互いの分身がキスでもするかの様で、二人はほんのりと頬を染めた。
「とにかく、これがあるから大丈夫さ。心配するなって」
ハヤヂはネックレスをシャツの中に入れた。次いでエメも恥ずかしそうに胸元へ仕舞った。
「……うん。分かった」
ハヤヂはしおらしくなったエメを見ながら料理を食べた。
「やっぱり、まぁまぁだな」
「ありがと。褒めてくれて」
「褒めてないよ。まぁまぁなんだから」
エメはクスッと笑った。ハヤヂも片眉を上げて悪戯っぽく笑った。
「あ~ハヤヂ、取り込み中ごめんなさいね。……エメ、イチャイチャする時間長いよ? そろそろ戻って来て」
いつの間にかエメの後ろに手伝いの子が立っていた。
「あ、ご、ごめん。すぐ戻るね」
「早くしてね。今日は混んでるんだから」
言いながらその子は立ち去った。
「ほら、怒られた」
「だね」
「もう行けって。仕事だろ?」
「うん」
そう言ってエメは立ち上がった。だが仕事へ戻ろうとせず「最後に聞きたいんだけど、回収の案内っていつ?」と聞いて来た。
「二、三日後かな。今日早い内に依頼したみたいだから」
「何処の商会?」
「ルマーナ船掘商会ってとこ。船長がたまに世話になってるとかなんとかでさ、その繋がりっぽい。何の世話になったか分からないけど」
「船長の事だし、お酒関係でしょ? 呑み友達とか」
「さぁね。興味ない。ただ男ばっかりの商会らしいから、俺達の商会みたいにむさくるしい奴が来るだろうね」
「喧嘩しないでね。ハヤヂのとこって結構喧嘩っ早い人多いから」
「皆、金にがめついタイプじゃないから大丈夫だろ。ケチケチしないしさ。むしろあっちが支払い渋ったら喧嘩になるかもだけど」
「店で喧嘩しないでね」
「するわけないさ。する時は外でする。っていうか、皆、仲間想いだし、基本的に人が良いから仲良くすると思う」
「確かにそうね。じゃあ……そろそろ行くね。ごゆっくり」
「ああ。仕事がんばれよ」
エメは胸元で小さく手を振って仕事に戻った。
そして戻った直後から客に呼び止められ、注文を受けていた。
彼女のそんな姿を見て、ハヤヂは後ろめたさを感じた。
諭す様に伝えた中に、一つだけ言って無い事があった。
それは懸念すべき噂話。
ここ二、三年の間、遺物船の回収に向かうと時折何故か、船のハッチが開いているという。
自然に開いている時もあれば、力まかせに無理矢理こじ開けられた開き方をしている時もある。
動力室と、何故か棺桶の周辺だけが物色された……ような形跡があるらしい。
物色した物は何か分からない。ネオイットも残っているし、もし盗まれているのだとしたらベリテ鉱石だろうと皆が言う。
最初は空漁商会が確認時に盗んだとされ、船掘商会側から疑われていたが、人影のような物が何度も目撃され、その疑惑は無くなった。
しかし、怪魚の仕業じゃないのか? いや、奴らに遺物船をこじ開ける技術なんてない。しかし奴らは怪力だ。可能性はある、等と噂され始めた頃、一人の男が殺された。恐ろしい力で殴られた様で、脳も眼球も飛び出ていた。
そして遺体の近くに怪魚が居た。
これにより、回収案内の際は怪魚に気をつけねばならないという噂……というか暗黙の了解が伝わり、今現在でもそれは空漁商会内での決まり事となっている。
エメに話すと、きっと不安でそわそわし始めるだろう。精神的にも良くない。
彼女には余計な不安を与えたくないのだ。
ハヤヂはくいっと酒を飲んだ。
なんだか美味しく無いな、と思った。




