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新星のアズリ  作者: 赤城イサミ
【エピソード3】 一章 新人船員
106/172

新人船員【2】

 小一時間もすれば夕日が全てを染め上げる頃合いに【ダニーの家】を訪れると、エイミューラが大量の洗濯物を取り込んでいた。

 五つの大きな篭が用意されていて、それでも足りないと思える程の洗濯量。年長組の女の子が二人、エイミューラと一緒になって洗濯物を篭に詰めている。


「あら。今日も来てくれたの?」

「うん。散歩がてらちょっと寄ろうかなって」

 壊れてしまい、いつも開けっ放しの門扉を通ると小さな庭がある。

 隣の住宅とロープで繋いで干す洗濯物がいっぱいの時、その庭も使う事になっていて、今日はシーツもタオルケットも全て洗う”全部洗っちゃおう日”だったのだと直ぐに分かった。


「ベルさんの方は良いの?」

 手慣れた手つきでタオルを取り込むエイミューラにそう問われ、アズリは「忙しくないから今日くらいゆっくりして来なさいって言われて、お昼にレティー達とお茶してた」と答えた。

「最近忙しかったみたいだしね。気分転換も必要よ」

「うん。だから今日はマツリも来てるの」

 言うと門扉の影から「えへへ。こんにちは」と言いながらひょこっとマツリが顔を出し、小さく手を振った。


 散歩がてら、というのはマツリとの散歩だった。

 レティーア達とのお茶会の後、一度ベルの花屋へ戻り、マツリと共にそれこそ気分転換お散歩をしたのだ。

 孤児院に新しく入った人と会ってみたいと言ったマツリの要望を叶える為に【ダニーの家】へ足を運び、久しぶりの訪問に驚かせたいという悪戯心を汲んで、門扉に隠れさせた。

 それは大成功を示し、「あらっ」と驚くエイミューラと共に「マツリちゃん!」と叫びながら、年長の女の子が二人一緒になって飛んで来た。

 キャーキャー騒いで話すマツリ達の姿を優しい笑顔で見つめたエイミューラは「今日も具合が良さそうで安心した」と言った。

「いつもありがとう。心配してくれて」

「元気にしてればそれでいいのよ」

 

 アズリが最近忙しくしていた……なんて事実は、常に様子を見に来ている者でないと分からない。

 声をかけないだけで、買い物がてら毎日ベルの花屋を覗いていたのだろう。今日も具合が良さそうだ、と言う時点でどれだけマツリを気にかけているかが分かる。

「うん。あ、それとコレ……ハルマ焼き」

 アズリは後ろ手に隠していた袋を見せた。するとエイミューラは案の定溜息をついた。

「昨日はちょっと様子見に来るだけしか出来なかったから、あの、今日は、お土産も……って思って」

「だから何度も言ってるでしょ。いらないって。お金大変なんだから大事にしないと。マツリの薬の方に使わないとダメっ。ストックしておいて、いつでも打てるようにしないと……」

「マツリが皆と一緒に食べたいって。だから、ねっ?」

 そう怒らないで受け取って欲しい、という表情で、尚且つマツリの名前を出してエイミューラのセリフを遮ると、彼女は「ぐっ」と息を飲む様にその早口を止めた。


「……もう。分かったわ。時間も時間だから夕ご飯の時に出すから」

「あ、そっか。もうそろそろ夕方だ」

「勿論、あなた達も夕ご飯一緒に食べていくでしょ?」

「え? お邪魔しちゃってもいいの?」

「邪魔なんて事ないでしょ。皆喜ぶわよ。それに住んでる所が違うだけで、あなた達は私達の家族よ? 遠慮する必要ないわ」

 実のところベルからは「マツリも連れて行くんだからゆっくりして来なさい。こっちの事は気にしなくて良いから、帰りだけは気を付けてね」と言われていた。

 恐らく、こういった状況になる事を予測していたのだろう。

「ありがとう。じゃあ、そうする。ね? マツリ。御馳走になろう」

 言うとマツリは笑顔でコクリと頷いた。

 ベルの気遣いにも、家族と言ってくれたエイミューラにも感謝したい。

 自分の周りにいる人達は皆良い人ばかり。自分は幸せ者だとアズリは思う。

 

 という訳で、夕飯まで孤児院に居る事になったアズリはユンゾに挨拶をしてから洗濯物の取り込みを手伝った。他の女の子達も集まって来て、総出で洗濯物を畳んだ。

 その間の男の子達は、カナリエとダニル、そしてタタラと共に屋上で野菜達の世話をしていた。

 挨拶がまだだったし、マツリもタタラに会いたがっていた為、洗濯物を畳み終わったら二人で屋上へ向かおうとした。しかし、それより早く土仕事メンバーが戻って来た。

「あら、アズリ。来てたのね」

 そう言うカナリエの後ろにはタタラが居た。

 ぐずった男の子を背負っていて、共に歩く小さな子にシャツを掴まれていた。ずっと一緒にいたのだろう、シャツの裾はしわくちゃで、伸びてしまいそうなくらいに引っ張られていた。というか引っ張られ過ぎて襟が下がり、下着の紐が見えている。

「今日はマツリと一緒」

 そう答えた後、タタラの目を見て「タタラさんもお疲れ様です」と続けた。

 すると「転んじゃってね。ぐずっちゃった。もう泥だらけ」とタタラは答えた。

 挨拶そっちのけで子供の事を話すナチュラルな返し。

 少し驚いたが、同時にその馴染みっぷりに感動した。


「あ、タタラさん、この子私の妹でマツリっていいます。ベルの花屋にいるので見かけたら声かけてあげて下さい」

 洗濯物の隣にちょこんと座るマツリは、紹介されて「初めまして」と丁寧に挨拶をした。

 するとタタラは一瞬、耳や指先が黒ずみ、片足だけしか無いマツリを驚いた様子で見たが、直ぐに笑顔になって「初めまして。多々良よ。ここでお世話になってるの。よろしくね」と自己紹介した。

「お世話になってるのはこっちよ」

 カナリエが言うと「何言ってるの」とタタラはケラケラ笑った。


――あれ? 


 その笑い声を聞いた瞬間、何かを思い出しそうになった。

 そしてハッと思い出した。

 無歩の森で出会った機械で出来た女性。その人と笑い方がそっくりだった。考えてみれば声も似ている気がした。

 いやいやそんな筈は無い、と思いながらタタラをじっと見ていると、ぐずった男の子が「泥んこヤダー」と泣き始めた。

「あ、そうね。シャワー浴びよっか」

 と言いながらタタラは男の子を軽く背負い直した。

「着替え用意しておくから、早く浴びて来なさい。小さい子から順番にね。さ、早く」

 カナリエの言葉で我先に、と走り出した男の子達。

 懐かしい光景を見て、ありえない邪推をしている自分が恥ずかしくなった。

 無歩の森で会った女性は機械。タタラは人間。どこからどう見ても人間。

 何を考えているのか。

 アズリはかぶりを振って邪推を捨てた。





 久しぶりに見るうるさい夕食。

 船内で男達が酒の勢いを持って騒ぐのとは違い、子供達の騒ぎは一種の争いだった。

 慣れてはいるものの、自分が孤児院で世話になっている時より酷い気がした。

「アズリもマツリも居るから、テンション上がってるのよ」

 そう言うカナリエはエイミューラと共に「座って食べなさい」とか「静かに食べなさい」とか「こぼさないで!」等と怒鳴っている。

 その様子を見ながらケラケラ笑うタタラは主に年少組の傍について、唇についた食べ物を指ですくって舐めながら拭いてあげたり、嚙み切れない物を小さく切ってあげたりと、慣れた手つきで世話をしていた。

「タタラが来てから似た様なもんだよ。毎日」

 ユンゾが薄いお酒を飲みながら言うと「むぅ」とダニルもまた唸る様に同意した。

「何のんきにしてんのよ。ユンゾも面倒見てよ」

 エイミューラが言うと「見てるじゃん。な?」とユンゾは両隣に座る女の子達に声をかけた。

 静かにユンゾの周囲で食べる子達はユンゾ大好きユンゾ派の女の子達。

 ダニルの周囲も静かに食べていて、ダニル大好きダニル派の男の子達だ。

 下手に怒るから相手もムキになって言う事聞かなくなる……と、未だに理解していないカナリエとエイミューラ。

 相変わらずで、微笑ましい。


「楽しいね」

 そんな光景を見て、マツリが言った。

「……たまにはこういう日もいいかもしれないね」

 本当に懐かしかった。

 孤児院を出てから二年以上。

 久しぶりの”裸追いかけっこ”もあって、昔を思い出した。

 裸追いかけっこは時折行われる、否、ほぼ毎日行われる恒例の儀式みたいなもの。

 泥んこになった子供達にシャワーを浴びせたタタラは、驚くことに生まれたままの姿で走っていた。

 濡れたまま、着替えを用意しているカナリエの元へ走る男の子を、タタラもまた裸で追いかける。

 たった五日でここまで馴染むのか、と感動を通り越して驚愕した事は言うまでもなく、それをまったく気にしないタタラと、まったく気にしないユンゾとダニル。

 ダニルに関してはそういう人だと理解しているが、ユンゾはまだ若い。

 アズリでさえ感嘆してしまう程の綺麗な体を持ったタタラを見ても、動じる事無く濡れた床を拭くユンゾは、噂の通りエイミューラ一筋なのかもしれない。

 それよりもタタラの方に不安が行った。

 【ダニーの家】は男女関係ないといった雰囲気で過ごす孤児院だが、外から来た女性が、その状況を当たり前の様に受け入れるには早すぎると思う。

 見られる事に慣れているのだろうか。そういう職業に就いていたのだろうか。

 そう思ったがしかし、そんなタタラだからこそ、否、タタラでなくてはならないとも思った。

 彼女は、この孤児院に来る運命だったのかもしれない……と感じたからだ。


 と、そんな楽しいひと時を過ごし、お腹いっぱいになった年少組が部屋へ戻った頃、残念ながら帰る時間となった。

「また来るね」と子供達と挨拶を交わして帰ろうとした時「送るわ」とタタラが言った。

 聞くと、元々タタラは夜に所用があり、少し出かける予定だった、との事だった。

 歩く速度の遅いマツリと歩調を合わせてくれるタタラは本当に良い人で、そして、独特の雰囲気を持つ美しい人だと思った。

 街灯の下を通る度に、その優しい灯が綺麗な肌と整った顔立ちを一層美しく見せる。

 そばかすの多い地味な自分とほんの少しだけ比較してしまい、ほんの少しだけ卑屈になり、ほんの少しだけ落ち込んだ。

 そう、ほんの少しだけ。比較にすらならないと分かっているので、ほんの少しだけだ。


「顔に何かついてる?」

 マツリと手を繋ぎ、チラチラとタタラを見ていたら、笑顔で質問された。

「あ、いえ……」

 咄嗟に視線を外した。

 歩くのに集中していたマツリは、どうしたの? といった感じで交互に視線を送る。

「……お店で会った時も思いましたけど、綺麗な人だなって……」

「……ありがとう。意外と美人な方だったでしょ?」

 言って彼女はケラケラ笑った。


――意外と? だった?


 謙虚なのか、笑いの取れない自虐なのか。

 意味が分からず「意外とって……意外も何もないですよ。誰が見ても美人だって言います」と答えると「冗談冗談。お世辞でも嬉しいわ。ありがとう」と言いながらまたケラケラ笑った。そして「アズリもマツリも孤児院出身だったのね。親、居ないの?」と続けた。

「……はい」

「そう。私ももう居ないんだ。一緒ね」

「そうなんですか……。ずっとネードに居て、どうしてこの国に?」

 そう質問すると、タタラは「う~ん」と少し悩んだ。

「成り行きかな。色々と助けてくれた人がいてね、都合が良いし、そのままここに住もうかなって思って。それに、傍に居たいと思う人もいるから」

「その助けてくれた方ですか? 恋人とか?」

「ううん。違う。まったく違う人。だって傍に居たい人って女の子だもの」

「女の子? 孤児院の?」

「ん~……内緒」

 言って人差し指を唇に当てた。

 軽く首をかしげて肩を上げる、茶目っ気を含んだ仕草だった。

 そんなタタラを見て、アズリはドキッとした。

「内緒」と言われたらそれ以上聞く事は出来ない。

 その仕草にはそれだけの魅力があった。そして、どんな男でも一撃で落ちるだろうと思った。


「とにかく、これからはその子の近くに居れそうだし、守ってあげれたらなぁって」

 続けてそう言うと、じっと見つめて来て視線を外さなかった。

 アズリは妙に恥ずかしくなり、足元へ視線を移した。

「……だ、誰かは分かりませんけど、孤児院に居てくれて嬉しいです。カナ姐も喜んでるし、子供達も懐いてるし、タタラさんが居てくれたら安心できます」

「任せて。子供達に悪い事する奴がいたら、ひょいひょいって投げ飛ばしてあげる。意外と力あるんだから、私」

 腕をまくる仕草をして、力こぶを作る。

 その仕草もまた茶目っ気があった。

「あはは、じゃあ、その時はお願いします」

「あ、でも船掘業が無い時だけね。そっちの方もがんばりたいから」

「……本当にやるんですか? その仕事」

「迷惑……かな?」

「いえ、そんな、ただ、危ない仕事なので。私も何度も危険な目にあってるし、大怪我する人もいるし、運悪いと死んじゃうし……」


「お姉ちゃん……」

 とここでマツリが会話に入って来た。

 悲しみと不安が混ざった表情で、覗くように顔を向けた。

「あ、ごめんねマツリ。大丈夫。オルホエイ船掘商会は被害の少ない商会だから。危ない事は……基本しないし、皆が助けてくれるの。だから大丈夫。私も危ない事しないし、行かないし」

 咄嗟に嘘をついてしまった。

 他の商会に比べたらかなり被害の少ない商会であることまでは本当。だが、必要とあればある程度危ない場所にも行くし、自身も危ない場所へと赴く。むしろ自ら危険な行為をしてしまうのだ。いつも周囲に迷惑をかけ、いつも誰かに心配される。

 それを言えば、マツリは自分を責めるだろう。

「……ごめんね。いつも……」

 本当の事を言わなくとも、マツリは自分を責めていた。

 言えない……言えるわけがない。

「だから大丈夫だって。ね?」

 今度はアズリが覗くようにマツリの顔を見た。

 するとタタラが「マツリ、安心して。お姉ちゃんの事は私がみててあげる」と言ってマツリの背中に手を添えた。


「タタラ……さんが?」

「ええ。実は医療の知識も持ってるから、何かあってもちゃちゃっと手当してあげれる。安心して」

「ほんと?」

「嘘言ってどうするの? 本当よ。結構腕も良い方なんだから」

 そう言ってタタラは自分の腕をパンパンと叩いた。

 マツリはそんな彼女を見て「お姉ちゃんの事お願いします。タタラさんも怪我しないで……」と言った。

 一応、船掘ではアズリの方が先輩になる。

 まだ船員になってもいないタタラが、まるで古株の先輩の様だ。

 だが、そんな事はどうでも良い。驚くべきはそこではなかった。


「医学学んでたんですか? だったら重宝されると思う」

「医者って程じゃないけどね。その手伝い程度なら出来るわ」

「それでも凄いです。今ウチの商会には船医が一人と助手が一人だけですから」

「そうなの? でも、仕事奪ったら悪いし、私は衛生兵……じゃなくて、そうね”船外でちょっとした手当てならできる船掘要員”としてやっていけたらって思ってる」

 孤児院で既に必要とされている彼女は、恐らく、オルホエイ船掘商会でも必要とされるだろう。

 何かしらの特技を持っている者、何かしらの事情を持ち、働く意思が強い者、そして、生きて仕事を続けられそうな者。

 そういった人物は船員になれる。

 船長が受け入れるのはそういう人なのだ。


「じゃあね。今度は商会の方で会いましょう。おやすみなさい」

 その後の会話は弾み、数日間の孤児院勤めの感想や、昔の孤児院の話をしていたら、ベルの花屋に着いた。

「はい。送ってくれてありがとうございました。おやすみなさい」

 アズリに続いてマツリも挨拶をし、タタラと別れた。

 きっと、彼女は人気者になる。商会に顔を出す日が楽しみだ。

 そう思いながらアズリは、タタラの背を見つめていた。

 曲がった先にロクセの住居がある曲がり角。

 その角に消えるまでアズリは彼女を見つめていた。

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