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新星のアズリ  作者: 赤城イサミ
【エピソード3】 プロローグ
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プロローグ

 ネード以外の国へ行った事が無くとも今の生活に不満は無かった。

 国内に幾つかある小さな街や村にさえも行った事が無く、ハヤヂにとって、全ての世界はネードの街と海とそこに広がる島々だけだった。

 主に石と土で作られた建造物は高台に向かってなだらかに並び、そこに住む人々は例外無く美しい海と島々を一望できる。

 街の端っこにある住宅街でも、海面より高ければ、それは同じ事。ハヤヂの住む集合住宅の一室でも勿論、それは変わらない。


 青と緑と白で彩られた美しい景色が茜色に染まり始め、近所から夕飯の香りが漂ってくる。

 それを肴に強い蒸留酒を、狭い部屋の窓枠へ腰掛けながら飲む、仕事終わりの一杯。

「っくぅ~……うめぇって」

 食道を焼きながら落ちていく酒は、今日一日の締めくくりだ。

 この一杯の為に今日と言う日を精一杯生きた、と言っても過言ではない。

 そう思いつつ、ハヤヂはほぅっと息を吐いた。


「一人で飲んでるのに?」

 ハヤヂの住む部屋は集合住宅の二階。

 ちらほらと見かける通行人の一人が、部屋の真下からそう声をかけてきた。

「一人だからだよ」

 答えると「嘘ばっかり。かっこつけちゃって」と返された。

 嘘ではなかった。だが、そんな自分に少しばかり酔っているのは事実だった。

「うるせぇよ」

 いつもの様に軽い調子で悪態をつくと「お店においでよ」と誘われた。


 眼下から誘って来る女は、背負った篭にこれでもかと言わんばかりに沢山の魚を詰め込んでいる。肩と腹部を出した服はハリのある小麦色の肌を健康的に見せ、薄っすらと茶色い黒髪はその肌に良く馴染んでいた。

 幼い頃から知っていて、既に見慣れている女……エメの容姿。

 沈み始めた陽光がそう見せているのか……今日は少し、綺麗に見えた。


「もうそろそろ忙しくなる時間だろ?」

「まぁね。足りなくなりそうだから、追加で買い出ししてるくらいだし」

「今日の魚は上手いぞ。脂がのってる」

「ホントに?」

「捕って来た本人が言うんだ。当たり前だろ」

「じゃあ、ハヤヂも食べてみないとね。ホントかどうか、自分の舌で確かめるのも必要じゃない? 今夜は私も厨房に立つから。来てよ」

「エメが作るのか?」

「文句ある?」

「無いさ。全く無い。親父さんより美味いんだ、文句なんて言う奴は店から叩き出せばいい。でもな、客はエメが注文取る姿を見に来るんだぜ? 味も一段落ちちまう。特に酒の味だけどな」

「お世辞言っても安くしないよ?」

「バレたか」

 少しおどけながら言うと、エメは「バレバレよ」と笑顔で返した。


 ハヤヂの職業は漁師だ。

 商会で雇われている従業員にすぎないが、漁師という職業に誇りを持っている。

 半数以上の国が内陸にある為、魚は貿易品として良い値がつく。

 漁は危険な仕事だが、人々の生活を豊かにしてくれるし、国も街も潤してくれるのだ。

 隣国クドパスとの小競り合いは絶えないが、のんびりとした人々とそれを支える平和。それがネードという国。

 エメの笑顔がその証明。

 この街に生まれて良かったとハヤヂは思う。


「それで、食べに来るの?」

「行ってやってもいい」

「何? その言い方」

「給料前だからさ。色々と節約しないとな」

「もう。ツケにしてって事でしょ?」

「分かってるじゃないか」

「最初から言ってよ。その、察しろ~って言い方嫌い」

「エメにだけな」

「嫌な特別感」

 いつものやり取りは二人をクスッと笑わせた。

 エメは「じゃあ、早く来て。一緒に行こう」と言って、重い篭を地面に置いた。

 一緒に行こう、それはすなわち荷物持ちを意味する。

 見かけによらず、したたかなエメ。

 これもいつもの事だった。

 ツケの利子分と思えば安い、と思いつつハヤヂはグイっと残りの酒を飲み干した。


 そして「今行く。待ってろ」と言って窓枠から降りた。

 と、その時、視界に一粒の光が見えた。

 ハヤヂは即、海へと顔を向けた。

 水平線に向かって落ちる流れ星が見えた。

「エメ!」

 ハヤヂは咄嗟にその流れ星を指差した。

 エメも流れ星を見つけて「あ、落ちる」と言った。

 星が水平線へと消えて無くなり、暫くすると、小さな衝撃音と地揺れが起こった。

「落ちたね」

「ああ、落ちたな」

「海じゃないね」

「どっかの島だな」


 落ちた星は星ではなく……船。

 衝撃音と地揺れが起きたということは、大小様々な島が浮かぶネード海、その何処かの島に落ちたという事。

 時折落ちる船はあるが、殆どは海面へ突っ込み、そのまま海の藻屑となる。島に落ちたのは半年ぶりの事だった。

「案内って、今回はどこの商会?」

「多分俺の所だったはず……」

「じゃあ、臨時収入? ツケも直ぐに払えるじゃない」

「……そう……だな」

 ハヤヂは船が落ちた方向をじっと見ながら、重く返答した。


「どうしたの? ラッキー……でしょ?」

 ハヤヂの思案顔を見て、エメは不安気に聞いて来た。

「いや……あの方向、あの辺りの島……」

「行けない場所?」

「多分、現地までは行ける。でも、落ちた場所は良くないかもしれない」

 言うと、エメはハヤヂの視線を追ってもう一度海を見た。

 船が落ちた瞬間、遠くから聞こえる人々の喧騒が消えた。だが、もう既に、その喧騒は元に戻っていた。

 いつもの日常の中、ハヤヂとエメの間にいつもと違う沈黙が生まれた。


「まさか……怪魚(イボーブ)の住処だったり……するの?」

 エメはハッと思いついたように振り向き、少し狼狽えた声で言った。

「……さあ、それは分からない。あいつら神出鬼没だしな。そもそもあの辺りは危険な島ばかりだし、海域もな……。そっちの方が問題さ」

「案内、断れないの?」

「無理……かな。でも、危険な場所と決まった訳じゃないし。とにかく明日確認しに行かなきゃならない」

「今夜は私が奢るから、行かないでよ」

「それは魅力的。でも、行かなきゃな」

「……そう」

 エメは俯いて、篭のふちをギュッと握った。


「心配するなよ。大丈夫だから。俺達はただの案内役なんだからさ。回収は他でするし、危険は無いよ」

 ハヤヂの言葉に嘘はなかった。

 心配するな、必ず帰って来る、大丈夫だ……いつも、言葉の通り行動してきた。

「なら良いけど……」

 エメもそれを信じている。

 それにエメに貰ったお守りもある。

 効果があるのか無いのか……どちらにしろ、ハヤヂもそれ(お守り)を信じている。


「とにかく、今夜は美味い飯食わせてくれよ」

 そう言うと、エメは大きく深呼吸をし、かぶりを振って笑顔を作った。

「分かった。最近考えた料理があるから、特別にそれ作ってあげる」

 腰に手を当てて、胸を張りながら言った。

 仕方ないな、と言わんばかりのお姉さん気取り。

「美味いのか?」

「さぁ? 食べてみないと分からないよ?」

「まさか俺は毒見役か?」

「バレた?」

「バレバレだ」

「作るのはハヤヂにだけ」

「嫌な特別感だな」

 二人は笑った。

 

 茜色に染まる世界に、人々の喧騒がまるで音楽の様に流れている。

 

 そんな脇役達は、二人の笑い声を二人だけの世界へ変えてくれた。

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