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新星のアズリ  作者: 赤城イサミ
幕間
102/172

半仮面のヌェミ

 餌として扱われた時に乗った輸送艇と違って、この船には窓があった。

 同じ輸送艇でも外を眺める窓があるのと無いのとでは、窮屈感が格段に違うとヌェミは思った。


 額から目元にかけて残る傷。そして殆ど見えなくなった右目。

 生き残りと引き換えに払った代償としては小さな物、されど大きな代償。

 手術してからまだ五日しか経っていない為、痛み止めを飲まなければまだまだ痛む。

 本当はもっと入院するべきなのだが、医者自体が闇医者であり、院内環境も良いとは言えず、安心安全に過ごすには移動するしかないと言われ、今こうして船の窓から流れる景色を眺めていた。


――なんでこんな人生なんだろう。


 普通よりも少しだけ可愛く生まれたヌェミは、近所の大人達から可愛がられた。子供の頃から運動神経も良く、男の子に負けじと遊び、そして勝負にも勝ってきた。

 裕福とは言えないが、中級街に住んでるだけでも幸せな方だし、その生活に不満も無かった。

 父親は居なかった。母と子二人だった。でも、それで満足。

 将来は喫茶店の店員にでもなって可愛い制服を着て、楽しく過ごしたい……そんな事を漠然と……子供が描くであろうごく普通の夢を見ていた。


 現実。


 それを知ったのは十三の時だった。

 母の少ない稼ぎだけで平和な日常を過ごせたのは幻想だった。

 ずっと小さい時に消息不明になった父が残した財産。

 何処から手に入れたのか分からないそのアクセサリー(財産)を少しづつ売って、母はギリギリの生活を維持していたらしく、それが尽きかけた時、知らない男性が家へ来た。


「ヌェミちゃんって言うんだ。可愛いね」

 男はそう言って気持ち悪い笑顔を向けた。

 その男は生活を維持する為に招き入れた母の恋人だった。

 少しだけ大人、でもまだまだ子供。そんな中途半端な年頃のヌェミでも、その男の存在価値は何となくだが理解していた。

 居なくなってしまえば、きっと下級街へ引っ越す事になる。

 どんなに気持ち悪い笑顔を向けて来ても、嫌らしい手つきで触れて来ても、耐えなけれならない。

 

 ヌェミは一切の抵抗をせず、黙って、その男に処女を捧げた。

 二度妊娠したが、全て中絶した。強制だった。


 十六の時、裏路地の小さな喫茶店で働ける事になり、綺麗な制服で毎日を過ごす幸せが、嫌な事を緩和させてくれた。

 生活を切り詰めれば十分に一人暮らしが出来る。中級街の何処か安い集合住宅に住もう。少しだけお金を貯めて、余裕が出来たらすぐにあの男から離れよう。

 そう思って、その気持ちをバネに、毎日を頑張って過ごした。母の目を盗んで、時折、強制的に重ねて来る男の唇も、肌も、もう少しの辛抱だと思って耐えた。どんな生活でも一つだけ叶った夢が、喫茶店で働くという夢が、ヌェミの心を支えてくれた。


 十七の時、四年間も犯し続けて来たその男は、いきなり消息不明になった。

「上の連中が欲しがる薬、その原料を捕りにいってくる。いい金になるらしい」

 それだけ言って、ふらっと家を出た。そしてそれっきりだった。

 正直、いや、心の底からヌェミは喜んだ。

 自分の稼ぎと、母の稼ぎがあれば、このまま二人の生活を維持できる。しかもほんの少し余裕を持って。

 しかし、運命は味方についてくれない。

 夢も儚い物で、たった一年で潰える事となった。

 男は知らない所で借金を作っていた。金を稼ぎに行ったのも、それを返す為だったと後から知った。

 返済の義務が、半ば無理やり降りかかって来た。

 それを返す為に、ヌェミは喫茶店を辞めた。そして母と二人、ロンライン一番通りで働く事となった。

 

 元々母は、そういう事が好きだったのだろう。

 毎日沢山の男に抱かれても、文句を言う所か「初めからここで働いていれば良かった。天職かもしれないわ」なんていう始末だった。

 それとは逆で、ヌェミは毎日を地獄だと感じていた。

 何人の男に抱かれたのだろうか。何回妊娠しただろうか。相手を楽しませる事が出来ず、何度殴られただろうか。

 もう何も覚えていない、何も考えたくない、そう感じた時には既に、ヌェミは壊れていた。


 十九の時、壊れたヌェミは変な薬に手をだした。

 飲むと世界が明るくなって、全てが楽しく感じた。絶対に使用しなかった興奮剤にも手をつけて、自分も相手も満足させる毎日を過ごした。


 二十の時、母が死んだ。自殺だった。

 自宅に一枚のメモがあって、そこには「ごめんなさい。私のせい。全ては私のせい。ごめんなさい」とだけ書いてあった。

 天職などと言っていた言葉は嘘だったのかもしれない。もしかしたら、自分の恋人に娘が犯されている事実を知っていたのかもしれない。

 涙は出なかった。

 その分、薬に手が出た。

 飲む量が増えて、結局、その薬を買う為に仕事をする羽目になる。

 借金を返し終わっても、生活はギリギリで、何の為に生きているのか分からなくなった。

 数日間薬が切れていると、鬱になり、息が苦しくなり、汗が止まらず、立っていられなくなる。

 食べる金よりも薬代、という価値観が体を蝕み、魅力の欠片もないガリガリな体を作り上げる。


 もう、死にたい。

 死は昔から考えていた。だが、勇気がなかった。


 ある日自分を見た。

 勇気を出して鏡を見た。

 元気に遊んでいた子供の頃の顔が映った。笑顔だった。怖い物は何もなく、夢と希望に満ちた幸せそうな笑顔だった。

 でも何故だろうか。

 そこには痩せこけて肌の張りも無くなった女が見えた。

 映ったのは笑顔の子供。でも、見えたのは酷い顔をした生気のない女。

 

 死にたい。死なせて。お願い誰か私を殺して。

 心からそう思う様になった時、頭のおかしくなったヌェミでも知っている男が店に現れた。

 女を二人寄越せと言って来た。

 こんな世界から抜け出すチャンスなら、もし、もう一度人生をやり直すチャンスなら、自分が行きたいと思った。

 無くしたと思っていた希望が一つまみ程度でも残っていた事に、自分自身が驚いた。

 店長がシャルロを選んで、二人目を選ぼうとした時、ヌェミは懇願するように志願した。生きの良い女が条件だと店長に言われたが、絶対に引かない意思で食い下がった。


 結果、餌になるだけの存在となる。

 手を引いて逃げてくれたシャルロには申し訳ないが、逃げる最中、既に一つまみの希望は消え、むしろ、ここで死ねるなら幸せだと思い始めていた。

 もし、また会えたのなら、こんな自分を必死に助けようとしたシャルロにお礼が言いたいとヌェミは思う。


「苦しくはないか?」

 輸送艇の中、窓を眺めるヌェミに声がかかった。

「……いえ……大丈夫です」

「そうか……」

 操縦席に一人。そしてヌェミの隣に一人。この輸送艇には三人しか乗っていない。

 声をかけてきた人物は、ヌェミを餌にしようとした張本人。数日前に店にやってきて、女二人を求めた男、ヴィスだ。

 ルマーナに助けられ、闇病院で治療を受けた後、引き取りに現れたのはヴィスだった。

 一瞬逃げようと思ったが、折れた足では叶う筈も無く、質問も反抗もせずに黙って従った。

 安全に過ごせる場所へ行くという説明を聞く限り、悪いように扱う訳ではないのだと判断出来た。しかし、信じている訳ではない。きっと嘘だ。

 ヴィスは冷徹で、人を人とも思っていない悪人だとヌェミは知っている。これからどんな扱いを受けようとも、それが運命だと思って受け入れるしかない。


「汗は……大丈夫そうだな。傷は? 痛むか?」

「……いえ……今は大丈夫です」

「そうか……」

 表情も雰囲気も変える事無く、上っ面の様な優しさを投げてくる。

 様子を伺う言葉も、何の意味があるのか分からない。

 先日と同じ様に、人を餌として扱う様な死を与えるつもりならば、余計な優しさは酷という物。殺すのならばさっさとして欲しいとヌェミは思う。

 

 輸送艇に乗って二時間程度。

 着水した輸送艇は湖岸にある桟橋へ横付けした。

 サイドハッチから降りたヌェミは言葉を失う程に驚いた。

 ここは山奥。窓から眺めた景色を見る限り、誰も寄り付かない場所である事は確かだ。

 しかし、ここは湖。

 山の天辺に穴を開け、ドームの様にくり抜いた場所。そんな自然に出来た事が不思議でならない場所に湖があった。

 天井から差し込む光が、驚く程に透き通った湖面を神秘的に輝かせ、赤や白の羽を持つ鳥が警戒心すら持たずに飛んでいた。

 こんなにも美しい景色を見たのは生まれて初めてだった。既に自分は死んでいて、別の世界にいる気分だった。


「少し歩く」

 ヴィスはそう言って体を支えようと手を差し伸べて来た。

「触らないで……」

 言うと、ヴィスは素直に手を引いた。そして、

「そうか……。ゆっくりでいい。気を付けてな」

 と言った。


――しらじらしい。こんな所に連れて来て。今度はどんな生き物の餌にするつもり?


 ヌェミはキッと睨んでヴィスから目を離さなかった。

 ヴィスも目を離さなかった。数秒間、二人の視線が重なり合って、その我慢比べに負けたのはヴィスだった。

「こっちだ。ついてきてくれ」

 ヴィスはその神秘的な場所に開いた横穴に向かって歩いた。杖をついたヌェミはゆっくりゆっくり、クズの権現であるヴィスの後を追った。

 明らかに人の手が入った少し長い横穴を通ると、また人の手が入ったであろう林道があった。綺麗に石畳で舗装された林道には、樹齢何百年かも分からない太い木々が整然と並んでいた。

 ここもまた、差し込む日差しが神秘的に輝き、歪んだヌェミの心を癒してくれた。


「ここの木は一定の間隔で並んでいるだろ? これ全て一本の親木……主木の根から生えた木なんだ。主木が枯れてもこいつらは枯れないが、これだけ整然と並んでたら、神すらも降臨する気持ちになるだろ?」

 ヴィスが歩調を合わせてゆっくりと歩きながら意味不明な会話を投げて来た。

 ヌェミは当然無視し、だが、確かに神秘的で何かが居る様な気配を感じながら歩いた。

「ここには変わった新興宗教があってな。彼らの場所の開拓と維持を引き換えに、俺達もひっそりと住まわせて貰ってる」

「……あなたも?」

「いや、すまん。俺はここに住んでいない。俺の屋敷は上級街にある。君も噂で聞いていると思うが……まぁ例の女屋敷だ」

「……知ってる」

「……そうか」

 だから何だと言うのだ。

 無駄な会話は無駄でしかない。

 そんな会話をするくらいなら、一人でこの場所を歩きたい。


 長い林道を歩いていると、木々の間に人影が見えた。

 かなり遠くに居て、はっきりと見て取れないが、大きく手を振る姿だけは認識できた。腰に篭の様な物があって、何かの作業をしている様子だった。

 今まで整然と並ぶ木々にばかり気を取られていたが、よく観察してみると、その木々の間に生える短い草木の中に、エシムの実があった。大きさによって高級果物に分類される果実。それが至る所に自生していた。

「……エシムの実がいっぱい」

「そう。ここはその実がふんだんに取れる。それを発酵させて酒にして、高級果実酒として売っているんだ。ここブルースタ村の特産だな。表向きは」

「……表向き?」

「そう。表向きだ」

 そうヴィスが答えた時、林道を抜けた。


 少し疎らに、しかし一定間隔で、林道にあった木々が残っており、その他は畑となっている場所があった。結構多めに木々が残っているのを見ると、農作業をする者達が日陰で休む為の配慮と、上空から目立たない為の隠蔽だろうと判断出来た。

 ずっと先には、大きな木の幹を囲う様に家が建てられていて、上級街にあるような立派な屋敷が二つ三つ他の太い木々に隠れる様に建っていた。

「こんな村……あったのね」

「知らないだろ? 狩猟商会でも、船掘商会でも立ち寄らない村だ。知ってる奴の方がずっと少ない」

 農場には思ったよりも沢山の人が居て、皆農作業をしていた。

 林道から続く一本道。その周囲に開拓された農場があり、ひっそりと静かに、その上で幸せそうに生活する人々の姿が、ヌェミの瞳に映った。


 道を歩いていると、全ての人々が手を振り、そして「ヴィスさんお疲れ様」とか「ヴィス~今日家に寄って行って~」等と、どう考えても好意としか取れない優しい声が飛び交った。

 その全ての声に日常の如く返答するヴィスは、驚くことに、全員の名前を憶えていた。名前付きで優しく返答するヴィスは、どう見ても、クズの権化とは違った。

「何で……こんなに女の人ばかり……それに……」

「見た顔があるのか?」

「……はい」

 ロンラインで働いていれば、そこに出勤する女達と、多少なりとも面識が出来る。話した事が無くても、顔だけは知っている。そんな人も沢山出来る。

 ここブルースタ村には、人と関わろうとしなかったヌェミでさえも知っている娘達がぽつぽつと居た。


「着いたぞ。ここだ」

 柵で覆われた庭に綺麗な花が並ぶ屋敷。鉄板とパイプと木材ばかりの中級街に住んでいれば、一生住む事が出来ない屋敷。

 三階建てのそんな屋敷が森の中に建っている。

 ヌェミは「ここって何の為の……」屋敷ですか? と問おうとした。

 しかし、玄関の扉を勢い良く開けて「ヌェミ!」と叫びつつ走って来る女にその問いは遮られた。

 凄い勢いで走って来て、凄い勢いで抱きついた女。

「ああ、ヌェミ! 良かった。会えて良かった」

 抱きついて来た女はシャルロだった。

「な……何でここに?」

「何でって……ヴィスさん! ちゃんと説明してなかったんですか?」

 ヌェミの質問は他所に、凄い剣幕でヴィスに食って掛かるシャルロ。

 ヴィスはロンライン一番通りの顔。自分達、身売りの女にとっては天より高い存在なのだが、彼女の態度はそれを意にも介していない感じだった。

「あ、いや。一応、説明はしたんだが……言葉が足りなかった……のかも。すまん。理解して貰えてないかもしれない」

「ヌェミの顔見ればわかります。すっごい警戒してますもん。ね? ヌェミ。怖かったよね。こんな怖いおじさんと一緒で」

「え? ……あ、うん」

「ほら! ちゃんと説明しないから!」

「すまん。しかし、シャルロ、君達も同じだったじゃないか」

「ヴィスさんは言葉足りないんですよ! 女の子に理解を求めるなら、一から十まで、納得するまで、懇々と言い聞かせなきゃならないんです! 相手が途中で感情的になっても、我慢して我慢して話を聞いて、全てを出し切ってスッキリするまで待たなきゃいけないんですよ! 男は」

「喧嘩の時の話じゃないか? それは」

「一緒です!」

「……そうか、すまん……ん? そうなのか?」


 何が一体……この二人はどういう関係なのだろうか。

 そもそも、ここはどういった所なのだろうか。何をさせたいのだろうか。

 安心安全に療養できる場所というのは嘘じゃなかったと思える。シャルロも元気にしているのだから新たな餌として送り込まれた環境では無いとわかる。

 ならばここは……。


「ヌェミ」

「え?」

 いつの間にか屈んで、目線の高さを合わせて来たヴィスが名前を呼んだ。

「ここはお前達を癒す為に作られた場所だ」

「癒す?」

「ああ。そうだ。心と体を癒す場所だ。もう、辛い思いをせずに自由に生きていい。元気になった後は、仕事も住む場所も俺達が責任を持って提供する」

「し、仕事って……」

「ロンラインに戻りたいならそう手配する。それが嫌なら、他の仕事を手配する。ここで農業をやってもいいし、俺の屋敷でメイドとして働いても良い。ヌェミ、君は喫茶店で働いていた経験があったな?」

「な、なんで知って……」

「申し訳ないが陰ながら調べていてな、一番通りに通う子達は殆ど知っている。どうにかして助け出したい子が沢山いるからだ。その中でもヌェミ、君は本当に辛い人生を送って来た。お母さんの事も本当に悲しかったろ。聞いた時は俺も辛かった。……で、どうだ? その怪我が治って元気になったら、喫茶店で働いてみないか?」

「……わ、私……」

「一つ良い店を知ってるんだ。【ニア】って店でな、オーナーは変人だし、口悪いロリ店員は居るしで少し癖のある店だが、雰囲気は良い。それにそこの店員は殆どここ出身だ。どうだ?」

「わ……私……か、体が……」

「薬の事だろ? この数日間よく耐えた。そろそろ禁断症状が出ても良い頃合いなんだがな。本当に大丈夫なのか?」

 とここで、シャルロと同じく屋敷の扉を勢い良く開けて女が走ってきた。しかし一人では無い。数人いっぺんにだ。


「「「ヌェミ~!」」」

 走ってきた子達は皆、同じ店で働いていた仲間達だった。

「良かった~無事だった~って無事じゃないね! 酷い怪我!」

「ちょ、大丈夫? ヴィスに何かされた?」

「ある意味されたんじゃない?」

「そっか。クズ! ヴィスほんとクズ!」

「言うなよ……」

「あんたがもっとしっかりしないからこうなるのよ」

「すまん、陰ながら努力はしていたんだが……」

「ああ、可哀想なヌェミ。でも無事で良かった」 

 等と仲間達はヴィスをいじった後、数人がかりで抱きしめて来た。

「み、皆……」

 そう呟くと「あの店潰れたから。クソ店長は行方知れず。私達はここに引き取ってもらって新しい人生を始めるの。ヌェミあなたと一緒にね」と店の古株で、姉の様に良くしてくれた女性が言った。


「まぁそういう事だ。この場所の維持にはルマーナとあのバルゲリー家も関わっている。安心していい。これからは相応の権力者がお前を守る」

 ヴィスの声色は嘘をついている感じではなかった。

 ヌェミは次第に、はっはっと過呼吸気味になった。

 薬の禁断症状ではなかった。だが「苦しいか? さぁこれを飲め」と言ってヴィスが小さなケースから白い錠剤を取り出し、半ば無理矢理口へ押し付けて来た。

 水が無い為に飲み難かったが「早く飲んで」等と周りから応援されて、頑張って飲んだ。

「暫くすると楽になるから大丈夫だよ」

 とシャルロが言う。

 しかし、ヌェミは知っていた。飲んだところでこの過呼吸は止まらないと。


「ここで作っている作物はな、殆どが今飲んだ薬の材料になる物なんだ。中毒性の高い麻薬の禁断症状を緩和する薬や、依存症を克服するための治療薬を作っている。勿論、無償で提供している。まだまだ数は足りないがな」

「そ。ここってあなたみたいな人を助ける為の場所でもあるの。でも、あのヴィスがこんな事してるなんて知らなかったわ。それに意外と話せる奴だったし」

「ロンラインでは立場って物がある」

「普段からそうしてれば周りから怖がられないと思うけど」

「……これからは大丈夫だ。少しずつでも信頼されるよう努める」

 周囲はまた「そうよ。皆怖がってるんだから」「ここに来るまであなたを慈悲すらないクソ野郎だと思ってたわ」「死んで良いと思う。今でも思ってる」等とヴィスを責め立てる。

 しかし「許してくれ……とは言わない。だが今は信じてくれ」と真摯に答える彼とのやり取りには、皆の信頼が乗っている気がした。


 皆知ったのだ。

 彼は、ずっと、影で女達を救っていたのだと。

 そしてヌェミも知った。

 辛かった自分の人生。

 ここに来てやっと、救われたのだと。


「わ、私……うっ……い、生きて……うっぅっ……いいの?」

 過呼吸が止まらない。否、これは嗚咽だ。

「うん。もう大丈夫だからね。ヌェミ。一緒に生きて行こう」

「シャルロ……あの日、手を引いてくれた……うっうっ……あなたに、うっうぅ……お礼が……ううぅ……ありがとう。嬉し、かった」

「いいの。結局私だけ先に保護されちゃったから。お礼は最後まで諦めなかったラモナさんと、ティニャちゃんに言って」

「ティニャ……ちゃ……」

「ラモナさんから聞いた。ティニャちゃん、小さいのに強い子なのね。女の子は強いって、誰にも負けないって……ホントそうだなぁって思った。感動しちゃった」


 あの日、あの小さな手で、死にたいと願う女を必死に救おうとした少女。

 何気ない言葉を強制的に突き刺してくる、言葉に出来ない超自然的な雰囲気を見せた少女。

 思い出した。 

 そうだ。そうなのだ。

 彼女が居たからこそ、自分は今こうして、シャルロや店の仲間と顔を合わせている。

「うっうっ……」

 声が出なかった。

 ヌェミの嗚咽はもう、咽び泣きに変わっていた。

 立っている事が出来ず、膝をついて、地面に涙を預けた。

 優しく抱きしめてくるシャルロと、覆いかぶさる様に包んで来る仲間達の腕。

 ヌェミの人生は、これから始まる。


 近い将来。

 とある女は国中の男を虜にし、絶大なる支援と支持を得る。

 その女の周りには、魅姫(みき)の守人と呼ばれる幾人もの付き人がいる。

 その中に、男に対しては徹底的に冷徹無慈悲……と、知られる有名人がいた。

 通称”半仮面のヌェミ”

 

 彼女の歩む人生。


 それはまた、別の物語だ。

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