チンパンジーくん達に失礼だったわな!!
◆◆◆◆◆◆◆◆
「次。そっから来るぞ」
「う、うん!」
大河––––––と名乗る少年の声に促されて、綾乃は交差点の角へと意識を向ける。
ここは環状六号線。
通称、山手通り。
東京の交通の大動脈のひとつ。
今では大量の瓦礫によって道は塞がれ、かつては止まることなく流れていたはずの車の影など一つも無い。
「陽子さんはちょっと前に出過ぎ。心配なのは分かるけれど、今は綾乃のレベルアップが目的なんだろ?」
「あ、あはは。いやついつい」
照れながら頬をかき、陽子はしずしずと後ろに退がる。
空いた右手にはキツく縛られた柳原を拘束している麻縄の先端。
本来は誰のアイテムスロットにも入りきらなかった荷物を縛るための物であり、この使用方法は誰にとっても不本意なのだが、そうも言っていられない。
仲間を裏切り、筆舌に尽くしがたい行為に加担しようとした人物を自由にさせておく訳にもいかない。
無罪放免とするのも感情が許さないし、それに柳原の信頼度はすでに地に落ちている。
最早、陽子と綾乃にとって柳原は敵でしか無いのだ。
重要なのは『荷造り人』のスキルである『効率的運搬』によって、彼のアイテムスロットに大量に詰め込まれた飲料水だ。
家に辿り着ければ仲間たちの審議ののちに、沙汰は追って知らされるだろう。
信頼感しか拠り所の無い今の東京で、仲間を裏切るとはそれほどの事なのだ。
「綾乃ほら、来るぞ。余所見すんな」
「は、はいっ」
キツく視線を尖らせて、大河はただ交差点の角を凝視する。
その威圧感に気圧された綾乃は、ただただ指示に従うだけだ。
儀式剣を両手で構え、切っ先を交差点へと向ける。
目白通りと交差する大きな交差点は、瓦礫が多いとはいえ視界は広い。
そのおかげで、『ソレ』を見つける事は容易かった。
綾乃達が見据える交差点の先。
緩やかな下り坂となった道の向こうから、大量の土煙が轟音を伴って流れ込んでくる。
「ファット・ワームだな」
「うう、気持ち悪い……」
綾乃が眉間に皺を寄せて苦悶の表情を浮かべる。
生理的嫌悪感、とも言うべきか。
人、とりわけ女の子は『ソレ』をとても嫌うのだ。
つまり、ミミズである。
「ほら、さっき言ったろ? 『魔術師』の強みは威力の高い遠距離攻撃に尽きる。有効射程距離をさっさと見極めてさっさと殺す殺す」
ぱんぱんと両手を叩いて、大河が綾乃にプレッシャーをかけた。
「敵に反撃する余地すら与えないほどの距離で、一方的な大虐殺。それが『魔術師』の理想形だ。逆を言えば近寄られた時点で終了。大人しくミミズどもに頭から飲み込まれてーの? あの口の中にはちっさいミミズがびっしり敷き詰められてるから、とっても不快に死ねるぜ?」
「い、嫌な言い方しないで」
距離にして50メートルほど先。
そこに長く、太く、ヌメヌメといやらしく光り輝く体を持った巨大すぎるほど巨大なミミズが二匹。
土煙を巻き上げながら、おぞましいスピードで地面をうねうねと這っている。
普通のミミズと違うのは、とにかく肥えている事。
顔––––––というべき部分に円形の穴をぽっかりと開け、その中には鋭いキバが放射状に配置されていた
そんな顔だけが、胴体の倍以上太い。
「ソロでの討伐推奨レベルは––––––まぁ7か8ぐらいかな? 『爆発』二発ぐらいで余裕だろ」
「わ、私まだレベル6なんだよ!? 『爆発』なんて一発しか!」
「だから俺が居るんじゃねぇか。ほら取り敢えずぶっ放せ」
なんで、こんなことに。
大河の自己紹介を受けて、死んでいった五人の仲間たちを簡単に埋葬し、家へと帰路に着いたはずだ。
その途中で陽子が『せっかくだから、綾乃ちゃんメインに戦って、レベル上げをして欲しい』と言い出した頃から嫌な予感はしてた。
この大河と言う少年、かなり人に優しくない。
いや。
ああも簡単に人を切り殺せる人間なのだから、優しいとか優しくないとかそう言うレベルの話ではないのだが、つまるところ加減と言う物が頭の中でお留守のようだ。
ここに至るまでの三時間弱。
新月の曜日、その昼間に現れた化物は普段より遥かに強くて、綾乃一人では絶対に討ち倒すことなど不可能な存在であった。
それが、本当にギリギリのところで生を拾わされている。
死ぬ前。
生を置き去りにしそうになる瞬間。
走馬灯の開始冒頭のシーンが頭をよぎる、その刹那。
あわやと思われる場面々々で、綾乃にはわけのわからない攻撃で化物どもがなぎ倒されていく。
三時間弱。
たったの三時間弱で、綾乃のレベルが4から6に上がったその速度が、連戦の過酷さを物語っていた。
綾乃はその切れ長な目に涙を浮かべて儀式剣に魔力を込める。
魔力と呼称しているが、要は体力だ。
『剣』にグッと力を込め、魔法を使うイメージを頭に思い浮かべると、自分の体から流動的な何かが『剣』に流れていく感覚を覚える。
それは使用すればするほど倦怠感と虚脱感に襲われ、やがて身動き一つ取る事が出来なくなってしまう。
綾乃の使用できる魔法は全部で六つ。
強めのジッポーのような火を灯す『着火』。
手を当てた部分の痛みを取る『手当』。
手をかざすとスタンガンのような電気が走り、相手を痺れさせる『電撃』。
バケツ一杯程度の大きさの氷塊を作り、相手の頭上に落とす『氷岩』
自分の周囲に高温の炎熱を発生させて、結界を構築する『炎の壁』。
そして半径5メートルに及ぶ爆発を起こす『爆発』。
あとは『冒険の書』を開く『開示』と、『剣』を起動させる『抜刀』があるが、これは魔法と言うより仕様なので除外している。
上の四つは正直、殆ど役に立った事が無い。
『電撃』はまだ使い道があり、実際主な攻撃手段としてよく用いているが、いかんせん攻撃力と言う点で不満がある。
なかでも『素人』職が標準で覚えている『着火』など、良くて軽い火傷程度の威力しかない。
この初期魔法の使いづらさが、『魔術師』職をレア職業足らしめる要因である。
『剣』で直接攻撃した方が、容易にダメージを与えられるのだ。
「い、行くよ」
「はよ行け」
「もう! 煩い!」
せっかく決めた覚悟を軽く流されて、綾乃は憤慨しながら魔法を発動した。
「『爆発』!!」
魔法名を発さなければ発動しないという、謎仕様。
つくづくこの変化した世界は、普通の感性を持つ人間に優しくない。
「ブッブブゥウウウウウウウウウウウッ!!」
ファット・ワームが奇怪な声を上げた。
ソレは声と言うよりも、ゴムチューブを絞って出てきた空気の様な音。
生物的に明らかにおかしいその体のせいか、無理やり声と言うものを作ったのかも知れない。
綾乃達から離れて10メートルの位置。
ファット・ワームの進行上手前のアスファルトが赤く発光し、そして弾けた。
耳をつんざくような破砕音と破裂音。
火薬のような匂いを撒き散らして、綾乃の現時点での最強魔法がその威力を遺憾なく発揮した。
「……ばーか」
「え!? なに聞こえない!!」
爆風で前髪をたなびかせる大河が、ぼそりと呟いた。
自らの発動させた魔法で発した耳鳴りのせいで、綾乃にはその声は聞こえるはずが無い。
「着弾点、てきとーにぶっ放したろ! ほらみろ! 一匹残ってんじゃねーか! ばーか!!!」
「酷くない!? 撃てっていったのそっちじゃん!!」
「お前は自分で考える知能すら無いのか!? 上野動物園のチンパンジーですらもうすこし賢いぜ!? おらチンパン娘下がってろ! 後は俺がやる!」
「チ、チンパンっ!?」
「ああ悪い悪い!! チンパンジーくん達に失礼だったわな!!」
口が、壊滅的に悪い。
なぜこうもいちいち人の神経を逆なでし続けるのか。
綾乃には理解不能だった。
だがしかし、今口答えしても帰ってくるのはどうせさらなる罵詈雑言。
疲労困憊な綾乃の精神では太刀打ちできないのは明白であった。
「ぐうっ」
奥歯を噛み締めて、綾乃は言われた通りに一歩引き退る。
悔しい。
散々ボロクソに言われて本当に悔しいが、大河の恐ろしいまでの強さはこの道中で嫌と言うほど見た。
いったいどれだけの高レベルなのか、推し量ることすらできないほどの圧倒的な強さ。
今も目の前で繰り広げられているのは、綾乃の全魔力を込めた最強の魔法ですら撃ち漏らした化物の殺戮劇である。
ついさっき立っていた場所から急に消え、消えたと思ったら遥か彼方。
そこに居たのかと理解した瞬間、哀れファット・ワームは真っ二つ。
真っ二つで気が済まなかったのか四つ、八つ、十六分割まて数えられて、あとはもういくつ肉片が飛びがっているのかすらわからない。
「おら、次行くぞ」
「ま、待って」
そして目の前に急に現れる。
綾乃に小さな小瓶を投げてよこし、大河は赤い大剣を肩に担いで歩き出す。
本当にいい加減にして欲しい。
再び綾乃は胸中で泣き言を漏らす。
胸に投げ入れられたのは、魔力回復薬(小)。
親指程度のガラス小瓶の中には、壮絶に苦い薬が入っている。
渋々ガラス小瓶の蓋を開け、口をつけてから覚悟を決めて一気に煽った。
「うえぇえぇ」
涙目で呻く綾乃を見て、陽子は苦笑を浮かべた。
魔力回復薬(小)で回復できるのは、決まった量の魔力。
本来なら複数回飲まなければ完全回復とまではいかないが、低レベルの綾乃には小瓶一本で事足りた。
「いいの? あれあんなに大盤振舞いしちゃって」
澄ました顔で歩く上半身裸の大河に、陽子が問うた。
「あ? ああ、いいよ別に。あれドロップ品で、俺のスロットの中にそれこそ数えるのが億劫なぐらい入ってんだから。俺別に魔法職じゃないから使う当てもないし。もし使うにしても(小)じゃなくてもっと上の品質の奴たくさん持ってるから」
「ドロップ品って、いったいどこで……」
「ダンジョンの中層。たしか薬師カエルとかいう化物だったかな?」
タウンフィールド。
今陽子達が歩くこのフィールドエリアのモンスターの中に
魔力回復薬の類を落とすような化物はいない。
(どこのダンジョンを潜ってたのかしら)
いったい誰と、なんの目的で?
陽子は苦笑いを浮かべながら思案する。
三年。
長かったようで短かったこの期間で、本気でレベル上げをした人間は数少ないだろう。
初期の頃の混乱はそれは筆舌に尽し難く、人々は突然自らに備わった力に只々困惑するだけだった。
(それをこの子は、ここまで)
疑問が次から次へと湧き上がる。
それほどまでに、大河の力が圧倒的なのだ。
「んで、もうじき池袋に着くけど」
先を歩く大河が上半身だけを回して目線を陽子に向けた。
「え、ええ。私達の家は椎名町の駅近くよ。学校があるんだけど。小学校」
安全地帯は東京の至る所に点在し、避難した人々はそこで生活をするようにしていた。
いわゆる、コミュニティである。
かつて安寧の場所だった自宅やマンションの一室ですら、突然化物が湧いて出てくるからだ。
どこのコミュニティも力無い人々が寄り添い、上手く協力できるようになるまでにかなりの時間を要したが、最近は比較的上手くまとまりつつあるのでは無いだろうか。
「そっか。んじゃあと四.五回は戦えるな。おらチンパン娘! シャキシャキ歩けよ!」
「う、うるさい! チンパンっていうな!」
陽子の後方をよろよろ歩いていた綾乃が激昂する。
儀式剣を杖代わりに歩くその姿に、陽子は思わず肩を貸しそうになった。