第五話 蠢動
今回は説明回です。
オルクス達五人の奴隷がクリスフィールド伯爵家の奴隷兼使用人になって二週間が経過した。
「オルクス兄ちゃん! 水汲み終わったよ!」
元気いっぱいにオルクスを呼んだのは、狼獣人のカルだ。
「そうか、早かったな。次は南区画の草刈りだ」
「分かった!」
オルクスに褒められた事が嬉しかったのだろう、カルは嬉しそうに尻尾を振りながら駆けて行った。そんなカルを見ながらオルクスはポツリと呟く。
「……まさか、こんなに懐かれるとは」
オルクスは獣人達に懐かれるようになっていた。
別に嫌なわけではないのだが、あのような少年から目を輝かせて「兄ちゃん」と呼ばれるのは少し照れ臭いものがある。
きっかけは一週間前だ。オルクスがアジットからリリアを救った一件、それをリリアがカル達他の獣人に話したのだ。最初は半信半疑だったカル達だったが、実際にオルクスと話して認識を改めた。オルクスは多少言葉は尊大だが、獣人を見下したり差別するような事はしなかった。人族にもこんな人がいるのか、とカル達からの好感度が上がった所で、アジットの態度が決定打になった。あの一件以来、アジットはオルクスに苦手意思を持ったようで、オルクスが近くにいる時は獣人に暴力を振るわなくなった。
―――あの威張り散らしていたアジットを黙らせた!
もはやオルクスの好感度は鰻登りだった。特にカルは、今ではちょっとしたヒーローのようにオルクスを見ていた。
「……カルよ、チョロ過ぎるだろ。いや、本当にチョロいのはアジットの奴か。まさか、あの程度の脅しでここまで大人しくなるとは……」
「オルクスさーん!」
オルクスがブツブツ呟いていると、再び名前を呼ばれた。
「オルクスさんに教わった方法で凄く楽に馬小屋の掃除が出来ました!」
「助かった、ありがとう」
お礼を言いながらオルクスに近付いてきたのは狐獣人のミナと猫獣人のリリアだった。
「オルクスさんは本当に色んな事を知っていますね」
「それなりに経験しているからな」
ニコニコと笑顔で話し掛けてきたミナに、オルクスはそう答えた。
オルクスが懐かれている理由はもう一つあった。
実はオルクスは使用人として非常に優秀だった。どんな仕事でも直ぐに覚え、しかも作業が早い。そんなオルクスがリリア達には頼もしい存在に映った。本来の教育係が言葉の通じない人間なこともあり、使用人として日の浅いリリア達は、オルクスに仕事のコツなどを自然と教わるようになった。
オルクスが優秀なのは、実は彼の経験値に因るところが大きい。オルクスはこれまで宮廷魔術師や商人など様々な仕事を経験してきたが、その全てが叩き上げなのだ。下積み時代に雑用やら何やら一通りこなしてきており、今の仕事にも応用できる部分が多かった。更に、オルクスは貴族のマナーやルールなども心得ている。こういう貴族屋敷で働くに当たり、要領良く立ち振る舞うことが出来たのである。
「それにしても、相変わらずオルクスの喋り方は変」
「これが地なのだ、仕方あるまい」
リリアの指摘にオルクスはぶっきら棒に答える。
そういうリリアも愛想無い喋り方をするだろう、とオルクスは思った。出会った当初は、人族であるオルクス相手に愛想良くなんてしたくないのだろうと勝手に考えていたのだが、どうやら彼女もこれが地らしい。
「もう少し年相応の口調の方が良い。たぶん女受けも良くなる」
あの一件以来、リリアは度々女性ネタでからってくる様になったのだが、今回のリリアの言葉はオルクスの胸に突き刺さった。
「そ、そうなのか?」
「うん。ミナもそう思うでしょ?」
「えっ? ……えーと、し、親しみ易くなるかもしれませんね」
急に話を振られたミナも、控え目にリリアに同意した。
「そ、そうか。……善処する」
このように、オルクスと獣人達の距離はこの一週間で急速に縮まった。オルクスはせっかくなので、この機会に今まで滞っていたこの時代の情報収集を行うことにした。
まず、現在のラトリア王国について。
現在のラトリア王国はこの大陸で中規模の面積と国力を持つ国らしい。それは七〇〇年前と同じなのだが、ラトリア王国が辿ってきた歴史を聞いてオルクスは驚いた。なんと、ラトリア王国は一度この大陸を統一していたのだ。
ラトリア王国はオルクスが長期睡眠に入る少し前から近隣諸国を圧倒し始め、オルクスが眠った数十年後には大陸制覇を成し遂げた。その後、再びラトリア王国は分裂してしまうことになる為、歴史学者はこの大陸統一国家を"大ラトリア王国"と呼んでいるそうだ。
大ラトリア王国のお陰で大陸に数百年間の平穏な時代が訪れたのだが、その平穏は中央権力の肥大と腐敗を招いてしまった。大ラトリア王国の末期には苛政による反乱が各地で頻発、最終的に巨大な内乱に発展した。その混乱の過程で王家は分裂し、ラトリアの名を冠する国家が複数乱立することになった。それが今から約三〇〇年前の話だ。その後、大小様々な戦乱があり、いくつかの国の勃興を経て、現在の世界地図が作られたそうだ。
現在オルクスがいる国の正式名称は東ラトリア王国。この大陸には大ラトリア王国の継承国家を自認する国が四つあるが、そのうちの一つだ。
(七〇〇年前もこの近隣では国力が高い方だとは思っていたが、まさか大陸を統一していたとはな……。年代的に成し遂げたのはアイツの孫か)
オルクスがアイツと呼ぶのは、オルクスと同世代だったラトリア王国の国王だ。魔術師としての名声が高まるにつれ、オルクスは権力者と接する機会が多くなった。中でもラトリア王国の国王はオルクスのことを甚く気に入り、会食に招待されることが度々あったのだ。
(色々と感慨深い……。それにしても、大陸を統一したのがラトリアだったことは僥倖だったな)
現在の大陸は、四つのラトリア継承国家をはじめとする大小数十の国が乱立する群雄割拠の状態だが、その大半の国における常識や採用されている法律は、もともと大陸全土を支配していた大ラトリア王国のものが基になっている。言語もラトリア語が第一公用語であるし、貨幣や尺度も大陸で共通の物が使われている。
オルクスは、七〇〇年の長期睡眠後に世界の常識や言語が大きく変わっている可能性も考慮していた。その場合、また一から覚え直すつもりでいたのだが、面倒な作業がなくなるのならそれに越したことはなかった。
次にオルクスが聞いたのがリリア達獣人の事だ。七〇〇年前もあった人族至上主義は変わらず存続しているようで、獣人など人族以外の種族はやはりひどい差別を受けているらしい。だが、非人族らもこの七〇〇年間ただ差別を受け続けているだけではなかった。大ラトリア王国解体後の混乱に乗じて非人族はそれぞれ国家や政治共同体を作って人族からの独立を成し遂げた。残念ながら、そのいくつかは既に人族に滅ぼされてしまったが、獣人の種族同盟やエルフの国家は現在も存続しているらしい。
しかし、その獣人種族同盟も劣勢にあるようだ。過激な人族至上主義を戴く国家や獣人狩りを目的とした連中から度々進攻を受け、種族同盟の領土は常に戦火が絶えない状態だ。その為、東ラトリアなど人族至上主義の緩い国へと度々難民が発生している。
リリア達もそんな種族同盟からの難民だった。しかし、東ラトリアに到着する前に獣人狩りの襲撃に遭い、奴隷に落とされてしまった。
東ラトリアに逃れる途中に東ラトリアの獣人狩りに遭ったと聞くと本末転倒な気もするが、実情はそんなものらしい。いくら東ラトリアとはいえ、奴隷に落ちた獣人を積極的に救済するほど獣人に優しい訳ではない。それでも難民たちが東ラトリアに流れてくるのは、ほかの土地に行く方がもっと酷いからに他ならない。
種族同盟はいつ人族が攻め込んでくるか分からないし、東ラトリア以外の国の差別は筆舌し難いものがある。一方、東ラトリアでは獣人でも一応戸籍登録が可能だし、高い地位に昇る事は難しいものの、職にも就くことも出来る。ただし、国民には人族至上の意識は根強く、アジットの様な輩が一定数存在するのもまた事実ではあるが……。
そんな獣人達の辛い話を聞いてしまうと、オルクスを「兄ちゃん」と呼んで慕ってくるカルの気持ちも理解できなくはなかった。恥ずかしがっていないでもう少し愛想良くしてやるか、などとガラでもないことを考えてしまうオルクスであった。
次に、このクリスフィールド家のことを聞いた。
オルクスは度々、クリスフィールド家が"呪われた家"と呼ばれるのを耳にしてきた。あまりにも不吉な二つ名なのだが、オルクスは理由を聞いて納得した。クリスフィールド家では最近、家の者が次々に不可解な死を遂げているそうなのだ。
一年前に前当主であったアリエスの父と母が事故で他界し、その一ヶ月後には新たな伯爵への叙任を控えていたアリエスの兄が病死した。当主と次期当主を立て続けに失ったクリスフィールド家は、止む無く婚儀を間近に控えていたアリエスを新当主に据えたのだった。
本来継ぐ筈のなかったアリエスが伯爵家を継いだことで、一時、アリエスによる陰謀説も囁かれたようだが、当のアリエスに陰謀を働くメリットが少ないという事ですぐに立ち消えた。伯爵叙任で解消されたが、アリエスが嫁ぐ予定だった侯爵家はクリスフィールド家より遥かに身代が大きいのだ。一方で、クリスフィールド伯爵家は家格がそれほど高くない上、代々治めるコングラッド領も面積はそれなりだがそれ以外に大した魅力がない片田舎の領地だ。親兄弟を殺してまで拘るような土地ではなかったのである。
陰謀論は消え去ったが、一年に満たない期間で三人もの死者を出した事実は残り、"呪われた家"というレッテルが貼られることになった。
最後に、ローレシアもといアリエスの話だ。
最初の挨拶では淑やかな令嬢の様子を見せたアリエスだったが、領主としても顔はまた違うようだ。領主になったアリエスは、関所を増設し領民に新たな税を課した。そんな事をすれば領民の不満が高まるのは当たり前なのだが、アリエスは私兵を増やして領内の取り締まりを強化する事で対抗しているそうだ。伯爵叙任から一年も経っていないのに圧政を敷いているアリエスの話は、中央の役人にまで届いているという。
(そんな事をする娘には見えなかったが……。だが、このまま不満が高まり続けるとマズイな)
もしも領民の反乱が起きようものならそれはアリエスの失点に繋がる。頼りにすべき親族も他界しており、中央への印象如何ではアリエスの失脚も有り得る。オルクスはご主人の点数を稼いで恩赦を貰うつもりだったが、下手をすると、そのご主人様が先にいなくなりそうだ。
「……さて、情報は大方揃ったな」
オルクスが欲していた最低限の情報は手に入れた。そして、この一週間で奴隷を脱する算段も練った。
果たして、魔法やスキルが封じられた現状で算段通りに事が運べるかは分からない。今は動かずに機会を待つ場面なのかもしれない。だけど、オルクスは待つという行為が苦手だった。オルクスは人事を尽くして天命を待つタイプではない。オルクスはこれまで、人事を尽くして天命を捻じ曲げてきたのだ。
「―――いくか」
オルクスは、いよいよ奴隷を脱する為に動き出すのだった。