第三話 オルクスの購入先は
その日は、朝早くから奴隷商の館全体が騒がしかった。
いつもは無口な見張り番達も珍しく興奮した様子で雑談に興じていた。拾った会話で判断すると、どうやら本日、奴隷商の館にかなり高貴な人物が訪れるようだ。「粗相のないように」という言葉がオルクスの耳に何度も聞こえてきた。
しばらくすると、オルクスを含む何人かの奴隷が館内の一室に集められた。その部屋は非常に豪華な造りをしていて、臭くて汚い奴隷小屋と同じ敷地内にあるとはとても思えなかった。
集められた奴隷は十人ほど。年はみな十代半ばぐらいで、その中には馬車でオルクスと会話した獣人の少女の姿もあった。
ほどなく、奴隷商の代表の男と騎士風の女性が入室してきた。
普段は横柄な代表がその女騎士にはペコペコと低姿勢で接している。どうやらこの女騎士が噂のVIP客のようだ。女騎士はまだ年若く二十代前半のように見えた。しかし、身に纏う装備は明らかに質が良くて、女騎士がやはりそれなりの身分の者であることが窺えた。
「ほう、人間の奴隷もいるのか」
一列に並べられた奴隷を物色していた女騎士が、オルクスに目を留めてそう言った。
「ええ、ちょっとした拾い物で」
代表が媚びるような笑顔を浮かべて答える。
本当に拾ってきたくせに、とオルクスは思ったが口に出さなかった。
「……ふむ、悪くなさそうだな。では、この者を頂こう」
女騎士はオルクスを購入すると決めたようだ。
「あと、そこの獣人と、その子と……」
女騎士は購入する奴隷を次々と指名していく。その中には例の獣人の少女も含まれていた。
「ありがとうございます。奴隷主の登録は……、セリア様で宜しいですか?」
「いや、私ではなく、アリエス様ご本人となる」
代表の伺いに女騎士が応じた。
この女騎士もそれなりに身分が高そうだが、どうやら誰かの使い走りに過ぎないようだ。
「畏まりました。では、登録士をお屋敷まで向かわせましょう」
「助かる」
「では、手続きがありますのでそちらの部屋へどうぞ。その間に、購入して頂いた奴隷には出発の準備をさせておきます」
「うむ」
代表の言葉に頷くと、女騎士――セリアは別室へと退出していった。
「先ほどセリア様に指名された者はこっちに来い」
部屋に残った代表が、オルクス達に声をかける。セリアが購入の意思を示した奴隷はオルクスも含めて五人で、オルクス以外はみな獣人だった。
「先ほどお前たちを購入されたセリア様は、このコンドラッド領を治めるクリスフィールド伯爵家に仕えるお方だ」
「え……」
「クリスフィールド伯爵家って、あの……?」
代表の言葉に何人かの奴隷が反応を示した。その表情はいずれも不安気だ。
「そうだ。呪われた家、クリスフィールド伯爵家―――。お前らはそこに仕えることになった」
青褪めていく奴隷達の顔とは対照的に、代表は意地の悪い笑みを浮かべていた。
「しかも、現当主のアリエス様は傲慢で短気なお方と有名だ。ご機嫌を損ねんようにせいぜい気を付けるんだな」
代表は"ご愁傷様"と続けたあと、オルクス達に館を出る準備をするように指示を出す。こうして、オルクスを含む五人の少年少女の奴隷は、クリスフィールド伯爵家に売られることになった。
―――
セリアとその従士に連れられ、オルクス達はクリスフィールド伯爵家の屋敷に到着した。
そすがはこの辺り一帯を治める領主の屋敷というだけあって、その外観は見事なものだった。奴隷の中には口をあんぐり開けて屋敷を見上げている者もいた。一方、かつてはこの国どころか世界でも有数の富豪まで上り詰めたオルクスはこの程度の屋敷は見慣れており、全くの無表情であった。
セリアは屋敷につくとオルクス達に待機を命じてどこかに行ってしまった。そして、一刻ほど経った頃に戻ってきた。
「奴隷主の登録があるので、今からアリエス様の元に伺うことになる。アリエス様はこのクリスフィールド伯爵家のご当主であらせられる。くれぐれも粗相のないように」
セリアの後に続き、オルクス達は屋敷の中に入って行く。
道中、オルクスを除く奴隷達は明らかに不安そうにしていた。代表の脅しも効いたようだが、先ほど、クリスフィールド家の名前を聞いただけで動揺していた奴隷もいた。この名家の名は悪い方でそれなりに有名ということだ。
オルクス達が指定された一室で待機していると、ほどなく一人の少女が入室してきた。セリアが畏まっている所をみると、彼女がアリエス・クリスフィールドなのだろう。
まだ若い。伯爵家のご当主と言う事は彼女自身が伯爵位にあるということ。
だが、入ってきた少女はオルクス達と同じ十代半ばに見える。"卿"よりも"嬢"という敬称が似合いそうな美しい少女であった。
獣人達はその若さと美しさに瞑目していたが、オルクスだけは、アリエスの姿に別の意味で驚愕していた。
オルクスはその少女の顔に見覚えがあった。過去には夢にまで見た少女だ。忘れるはずがない。
「……ローレシア……」
その少女は、オルクスがかつて恋した公爵令嬢ローレシアに瓜二つであった。
「ローレシア……?」
思わずオルクスが呟いた言葉を拾ったアリエスが怪訝な表情を見せる。
だが、アリエスがその意味を問い掛けるより先に、横に控えていたセリアが大きな声で叱責を浴びせた。
「無礼者!」
「―――ぐっ!」
セリアはそう叫ぶと、オルクスを剣の鞘で殴りつける。
許可も得ていない奴隷が伯爵に口を開くなど言語道断である。オルクスも自分の迂闊さに気付き、痛みを堪えつつも「申し訳ありません!」と叫び、謝罪の姿勢でアリエスの前に跪いた。
「―――待ちなさい!」
「アリエス様、しかし……」
「良いのです。……そこの者、ローレシアとは?」
アリエスから問い掛けがあったので、オルクスは躊躇いがちに口を開く。
「……ご無礼を致しました。アリエスのご尊顔が遠い知り合いに似ていたもので、つい……」
「アリエス様に似ているなど不敬であろう!」
「セリア、やめなさい」
再び咎めようとするセリアをアリエスは手をあげて制する。
「アリエス様……!」
「悪意は無いようですし、反省もしているようです。今回は不問にしましょう」
「……はっ」
アリエスの言葉にセリアは渋々ながら応じた。オルクスも一層深く頭を下げることで、アリエスに再度の謝罪の意を示した。
アリエスはコホンと一つ咳払いをした後、並ぶ奴隷達に視線を向けた。
「皆さんはじめまして。私の名前はアリエス・クリスフィールド。クリスフィールド伯爵家の当主です」
アリエスは丁寧に、にこやかに挨拶をした。
「皆さんは今日よりこの屋敷の使用人として働いてもらいます。詳しくはここにいるセリアや家令などから説明がありますので、その者達の指示に善く従い、仕事に励むようにしてください」
アリエスの声は柔らかい。
そんなアリエスの姿に、獣人奴隷達は一層驚いた表情を見せる。
普通人族が、それも貴族ともあろう者が、使用人として購入した獣人奴隷に挨拶をする事など有り得ない。人族にとって獣人は人間ではなく使い潰して当たり前のモノに過ぎないのだから。だから主人となった人族は大抵、獣人を無視したり汚い者を見るように接する。
だが、アリエスは獣人奴隷に挨拶をした。しかも丁寧にだ。それは、"傲慢"や"短気"と言われているアリエス・クリスフィールドの人間像とは大きくかけ離れていた。
獣人奴隷達はかなり戸惑っていたようだが、ぎこちなく「宜しくお願いします」と何とかお辞儀を返した。
一方、少し冷静さを取り戻したオルクスは、ローレシアそっくりの少女アリエスの事を冷静に分析していた。
ローレシアが生きていたのは七〇〇年前。当然、目の前の少女がローレシア本人の筈はない。オルクスのように若返りの秘術という禁術にも匹敵する裏ワザが使えない限り、ローレシアが今まで生き続けている事など不可能なのだ。では、このローレシアに瓜二つのアリエス・クリスフィールドという少女は誰なのか? 普通に考えれば他人のそら似という結論に達しそうなものだが、オルクスは頭の中で別の可能性についても考えを巡らせていた。
即ち、アリエスはローレシアの生まれ変わりである、と―――。
この世界において「生まれ変わり」という概念は決して異質な発想ではない。数百年前の人間の生まれ変わりであるとか、前世の記憶を持っているなんて話は古い書物に度々登場する。そしてオルクス自身、若返りの秘術の研究を進めている時に、同時進行で「生まれ変わり」について調べていた時期があった。
オルクスが若返りの秘術を行おうと思ったのは失った力を取り戻す為だ。その力が再び手に入るのであれば、この身体を若返らせるのであろうと、別の若い肉体を手に入れるのであろうと、得られる結果は同じなのではないか?
そんな考えの下、オルクスは「生まれ変わり」の実現可能性も研究していた。結局、若返りの秘術の方が先に実現の目処が立ったため、「生まれ変わり」の研究は半ばで終了したのだが、オルクスには「生まれ変わり」についてもそれなりに知識を持っていた。オルクスが調べた「生まれ変わり」の例の中には、前世と容姿が酷似しているというケースも存在した。
(解析などのスキルで魔力の波長を調べる事が出来ればかなりの事が分かるのだが、現状では、ローレシアと同じ容姿の少女という位しか分からんな……)
オルクスは内心で嘆息する。
(まぁ、それもこれも俺が力を取り戻せば済む話。詰まる所、主人――この少女に俺の力を認めさせるという行動予定に変わりはないな)
アリエスが何者なの。本当にローレシアの生まれ変わりなのか。生まれ変わりだとした、何故このタイミングでオルクスの前に現れたのか。様々な事が気になったが、それもこれもオルクスが封じられた力を取り戻せば分かる事。そして、もともとオルクスは主人に力を示し、隷属の首輪の解除を願い出るつもりだった。目的が二つになっただけで取るべき行動に変更はないという結論に達したオルクスは、一先ずこの問題を棚上げすることにした。
その後、奴隷商から派遣されてきた登録士によって奴隷主の登録を終えたオルクスら五人の奴隷は、クリスフィールド家の正式な使用人として働くことになった。
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