実験
今,奈加子は何と言ったのか?
俺が先ほど殺害した酒井から電話。しかも,俺を犯人だと告発する電話だって?
-ありえない。そんなことはホラー映画の世界ではありえても,現実世界では絶対にありえない。
「奈加子,ふざけるな。俺は酒井を殺してない。マリアンヌだって,ホプキンだって,断じて俺が殺したわけじゃない」
「そんなこと分かってるよ!」
奈加子が声を荒らげる。
温厚な奈加子が普段見せることのない鋭い目つきが俺に向けられる。
「仁君,結婚式は本当に中止にしないとね。今から電話しても参加者の人はもう飛行機の中かな? 結婚式の代わりに何か別のパーティーでも考えなきゃダメかな…」
「奈加子,さっきから何言ってるんだよ? 頼むから説明してくれよ! 俺,全然意味分からないよ…」
「ちょっと待ってて。そろそろみんな来るから」
奈加子の目線が,俺の顔から携帯電話の画面に移る。
ここまで奈加子の考えを察することができないのは,付き合って以来始めてである。
数分後,開いたドアから現れたのは,エドモンド,テレーゼ,そして,すでにこの世を去っているはずの人々だった。
「マリアンヌさん,ホプキンさん…」
開いた口が塞がらないとはまさにこのことである。
俺は目の前の現実を疑わざるを得なかった。何か幻想のようなものを見せられている気がしてならない。
さらに心臓が止まりそうになったのは,つい先ほど俺が殺したはずの酒井が,最後尾で部屋に入って来たときだった。
「先ほどはどうもお世話になりました」
酒井が俺に微笑みをかける。生きた心地がしない。
「皆さん,今日は私たちの『結婚式』にご協力いただきありがとうございました」
奈加子が,アイジャンガリ島に訪れたときと変わらないメンツに挨拶をする。
「残念ながら,私たちの『結婚式』は不成立となってしまいました。ただ,結果的にはそれで良かったのだと思います。私にとっても,仁君にとっても」
奈加子の顔が久方ぶりに俺の方を向く。
「仁君,今までこんな私に優しくしてくれてありがとう。こんな私と付き合ってくれてありがとう」
「…奈加子,一体どういうことなんだ?」
奈加子は俺の言葉には答えず,滔々とした語り口で続ける。
「仁君は優しくて,気が利いて,頭も良くて,私にとってあまりにも出来過ぎた彼氏だった。そんな仁君が私にプロポーズをしてくれたときには,私は,人生でこんなに嬉しいことがあるのか,と思うくらいに嬉しかったの」
俺が奈加子にプロポーズをしたのは,今から4ヶ月前のことである。フレンチレストランの個室で婚約指輪を見た奈加子は,感動して泣きじゃくってしまい,しばらく喋ることができなかった。
「だけど,仁君と結ばれたい,という強い気持ちの反面,それと矛盾する気持ちも,私の中で大きく育ってたの。本当に仁君と結婚していいのか,という気持ち。それは,仁君への不信感,と言っていいんだと思う」
「俺への不信感? 何だよそれ?」
またしても奈加子は俺の言葉を無視し,マイペースに話を継いだ。
「私は仁君が大好きだった。でも,日々募りゆく仁君への不信感が解消できない限り,私は仁君と結婚するわけにはいかなかったの。だから,私は,ある『実験』をすることにしたんだ」
「実験?」
「うん。仁君の心を暴くための実験。私は,仁君と結婚するかどうかを,この実験の結果に委ねることにしたの」
奈加子の話に少しも追いつけない俺は,奈加子がゆっくりと深呼吸をする様子を,ただ呆然と見ているしかなかった。
「実験によって私が知りたかったこと。それは,仁君が私と結婚したいのは,私への愛ゆえなのか,それとも,私のお金が目当てなのか,ということ」
「…奈加子,一体何言ってんだよ? お金目当てで奈加子と結婚だって? そんなわけないだろ?」
俺はいつも通りの柔和な口調で,奈加子を諭すように言う。
「誰だって言葉ではそう言うよ」
従順な社長令嬢が俺に口答えをするのは,決していつも通りのことではない。
「だけど,言葉では本心は分からない。だから,仁君の本心を試すために,言葉ではなく,行動を見る必要があったの」
「行動を見る?」
「うん。私が仁君に仕掛けた実験。それは,人を殺してもバレない状況下で,仁君が,私の『異母姉妹』と名乗る女性を殺すかどうか,よ」
頭を金槌で思いっきりぶたれたかの如き衝撃が走る。
それでも,俺はなるべく平静を装おう。
「…おいおい,奈加子,何言ってるんだ…?」
奈加子の体の向きはすでに俺から,結婚式のキャストの方へと向かっていた。
「皆さん,私のワガママを聞いて,私の実験に協力してくださり,本当にありがとうございました。皆さんの素晴らしい演技力のおかげで,その結果はともあれ,実験は無事成功しました」
奈加子がキャストに対して深くお辞儀をする。
「イエイエ,私タチハ来栖サンカラ十分ナ報酬ヲモラッテマスカラ」
すでに死んだはずのホプキンが,奈加子に頭を上げるよう促す。
「それに,私たちの仕事は,お客様の要望通りに結婚式を挙げさせることですからね。まあ,このような演技をリクエストされたのは,ウェディングプランナーの仕事をしていて初めての経験ですけど」
そう言って微笑んだのも,すでに死んでいるはずの酒井だった。
奈加子とキャストのやりとりによって,俺はようやく気付かされる。
アイジャンガリ島で起こった殺人事件が,全て,奈加子の仕組んだフィクションだった,ということを。