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死者からの電話

 薄い毛布に包まれながら,ダブルベッドの上の奈加子がスヤスヤと寝息を立てている。

 普段に比べて寝付くのにはだいぶ時間が掛かっていたが,疲れはだいぶ溜まっているはずだ。一度眠りに落ちたらなかなか目を覚ますことはないだろう。


 俺は奈加子を起こさないように,そっとベッドから降りると,黒い手提げ鞄を拾い上げ,部屋を出た。

 


 0時を回っていたものの,酒井は未だに就寝する気はなかったようで,俺のノックにすぐに反応した。

 俺を出迎えた酒井は,寝巻きにも着替えず,スーツ姿のままだった。



「夜分遅くに申し訳ありません」


「いいえ。大丈夫です。なかなか眠れなかったので」


 酒井は俺に対して鏡台の前の椅子を勧め,自分はベッドの上に腰掛けた。



「犯人が怖いんですか?」


「ええ。恥ずかしながら」


 見るからに酒井は若い。まだ20代半ばくらいだろう。同じ島に殺人犯が潜んでいる状況で,恐怖のあまり一睡もできないということは何もおかしなことではない。


 それに,と酒井は続ける。



「奈加子さんと違って,私には藪坂さんみたいに守ってくれる人がいませんから」


 俺は苦笑いをする。今,俺は眠っている奈加子を一人部屋に置いてこの場に来ている。



「藪坂さん,どうされたんですか? いきなり私の部屋を訪ねて来るだなんて」


「もちろん,酒井さんを心配して様子を見に来たんです」


「冗談ですよね?」


「半分は本当です。ただ,半分は冗談です。僕も不安で眠れなかったんです。だから他愛のない話をする相手が欲しかったんです。奈加子は早速眠ってしまったので」


「他愛のない話ですか」


「はい」


 「他愛のない話」というていで,俺には酒井からどうしても聞き出さなければならない事実があった。



「今回,よく仕事を休めましたね。移動を含めて,4日間くらい休みをとる必要があったんじゃないですか?」


「休むのは平気でした。今まで一度も有給を消化したことがなかったので」


「お仕事は忙しいんですか?」


「それほどでもないです。ただ,自分から休みたい,って言いにくくて」 


 酒井の顔のパーツはどれも小さく,小さな顔にバランス良く配置されている。陸夫に消費された愛人は,よほど美人だったのだろうと想像がつく。



「ご家族は大丈夫なんですか?」


「え?」


「酒井さんが突然海外に行く,となったら,色々と大変なんじゃないですか?」


「ああ,そういうことならば問題ありません。私,独り身なので」


「へえ,それは意外ですね。酒井さんは綺麗なので,とっくに誰かのものになってるかと思いました」


「お世辞は辞めてください。同年代はみんな結婚してるのに。このまま売れ残ってしまうんじゃないかと心配です」


「きっと理想が高いんですね」


 俺は心の中で快哉を叫んだ。神はまだ俺を見捨てていなかった。

 今しかない。今こそが好機である。



 俺は足元に置いた手提げ鞄に手を突っ込む。自分の部屋から持ってきたものである。

 まず,俺が取り出したものは手袋だった。一年中気温が高いインドネシアと違い,日本は現在冬である。この手袋は,空港に行くまでの道中に身に付けていたものである。



「藪坂さん,この部屋,少し寒いですか?」


 おもむろに手袋を装着し始めた俺に対して,酒井が問う。

 俺は酒井と目を合わせることなく,淡々と準備を進める。


 俺が次に鞄から取り出したのは,例の植物だった。裏庭から山へと向かう途中の獣道で採取してきたものである。



「藪坂さん,それって…」

 

 マリアンヌ,ホプキンの死体のそばに落ちていたものと同じ殺人草を目に入れた酒井が,目の色を変える。


 酒井が慌ててベッドに手をつき立ち上がろうとしたところを,左手で押し倒す。


 起き上がろうとしてジタバタと足掻く酒井を,体重をかけて押さえつけながら,俺は右手に持ったギイヌクサを酒井の首筋に押し当てた。



「きゃっ!」


 短い悲鳴とともに,左手にかかっていた反作用がふっと消えた。


 その後も,しばらくの間,俺はギイヌクサを酒井の首筋に当て続けた。

 不思議と患部は変色はしなかったが,酒井は一切動かなくなっていたため,俺は酒井が絶命したものと判断し,ベッドから離れる。



 俺は,ベッドの上にギイヌクサを放り投げると,手提げ鞄を手に持ち,酒井の部屋を辞去した。






 俺と奈加子のために用意された部屋のドアを静かに開けると,思いがけず黄色い明かりが漏れた。



「あれ,奈加子,起きてたのか?」

 

 奈加子は,寝巻き姿のまま,俺に背を向けて立っていた。



「…あれ?」


 俺は大きな違和感に気が付く。奈加子が,奈加子が決して持っているはずのない物を持っていたのである。



「おい! 奈加子,それどうしたんだ!? 犯人に盗まれたはずじゃ…」


 奈加子が耳に当てていたのは,携帯電話だった。ピンク色のラバーケースには見覚えがある。それは間違いなく奈加子がこの島に持ってきた携帯電話だ。



「うん。分かった。うん…」


「おい! 奈加子,誰と話してるんだよ!? ちゃんと説明しろよ」


「うん。もう切るね。またね」


「おい! 奈加子!」


 通話を切った奈加子が,時が止まったように,ゆっくりと振り返る。表情はない。



「…奈加子,誰と話してたんだ?」


 奈加子が無表情のままで答える。



「酒井さんだよ。さっき,仁君に殺されたんだって」


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