ウェディングプランナーの告白
奈加子の衝撃の告白は,トントンという優しいノックの音によって一旦幕切れとなった。
「ごめんなさい。入ってもいいですか?」
ドアの向こうから聞こえたのは,高くも低くもない,どこか浮遊感のある声。
崎戸の声だ。
「どうぞ」
俺の許可を得た崎戸が,男性キャスト控え室のドアをゆっくりと開ける。
「何か忘れ物ですか?」
「いいえ。違います」
崎戸のスーツはおそらくクリーニングに出したばかりのものだと思うが,今日一日に起きた様々な不幸を吸ってか,幾分かくたびれて見えた。無論,崎戸自体の表情もまた疲れていた。
「ごめんなさい。私,聞いてしまったんです」
「…聞いてしまった,って何をですか?」
「今のあなたたち2人の会話を」
しまった,と俺は口に手を当てる。
当たり前であるが,控え室は教会のように防音設備が付いているわけではない。
俺と奈加子は今回の事件の犯人ではないとはいえ,事件とは無関係ではない。周りから疑念を抱かれかねない話は,控え室ではなく,自らの部屋に戻ってすべきであった。
「崎戸さん,できれば今の話は誰にも言わないでください。余計な混乱を招きたくないので」
俺は崎戸に対して手を合わせる。
崎戸は俺のお願いに対する態度を示す代わりに,話を切り出した。
「藪坂さん,来栖さん,実は私,2人に大事なことを隠しているんです」
「え!?」
俺と奈加子の表情を確認することもなく,崎戸はパイプ椅子を奈加子の隣に持ってくると,おもむろにそれに腰掛けた。
正方形になるように並べられた長机の同一の辺上に3人が並んで座る形となる。
「私,実はウェディングプランナーじゃないんです」
「え!? …崎戸さん,何言ってるんですか?」
奈加子の反応は当然である。
崎戸はウェディングプランナーとしてアイジャンガリ島まで帯同し,この島に到着後は実際にウェディングプランナーとしての雑務をこなしていたのだ。
「私,元々ウェディングプランナーの仕事をしていた経験があるんです。もう5年以上も前になるんですけど。今は辞めて病院の電話交換業務をやってます」
「だとすると,どうして,俺たちの結婚式にウェディングプランナーとして帯同しているのですか?」
崎戸は回答する代わりに,ジャケットのポケットから丁寧に折りたたまれた紙片を取り出した。
俺の悪寒は的中し,崎戸が広げたそれには,例の明朝体の文字が書き込まれていた。
奈加子が,書かれている文章をそっくりそのまま読み上げる。
「…お前は,ウェディングプランナー崎戸未彩として,結婚式に帯同しろ」
「そうです。この文章と,2人の結婚式の詳細,それから,インドネシアまでの航空券が入った手紙が,私の家のポストに投函されていたんです。送り主は書かれていませんでした」
俺は声を上げる。
「ちょっと待ってください! じゃあ,崎戸さんはウェディングプランナーでもなければ,『崎戸未彩』でもないということですか!?」
「そうです。…本名は,酒井千鶴といいます」
「…どうしてですか!? どうして,こんな怪しい手紙の指示に従ったんですか!?」
酒井は,正体不明の者から,いきなり,他人になりすまし,見知らぬ者の結婚式に参加しろ,と命じられたのである。なぜ単なる悪戯として無視をしなかったのか。いくら航空券が同封されていたからといって,わざわざ日程を確保してインドネシアに向かったのはなぜか。
「私,この手紙を送った犯人のことが怖かったんです。誰かは分かりませんが,犯人は私のことをあまりにも深く知り過ぎているので」
「…どういうことですか?」
「手紙が届いたということは,犯人は,私の住所氏名を知っているということです。さらに,私が過去にウェディングプランナーの職に就いていたことを知っているからこそ,ウェディングプランナーになりすますことを提案したのでしょう。そして何より…」
酒井の次の言葉に対して,俺の心の準備はできていなかった。
「犯人は,私が奈加子さんと異母姉妹であることを知っているんです」
口をパクパクさせている奈加子のリアクションからして,酒井と自分が異母姉妹であるという事実は奈加子も知らなかったようだ。
もちろん,俺も一切知らなかった。俺はシャツの袖で冷や汗を拭いた。
「…つ,つまり,酒井さんは,来栖陸夫と,その…あの…」
「はい。来栖陸夫と愛人の子供です。私の母親は陸夫と大学の同級生だったそうで,ふとしたきっかけで再会し,イケない関係になってしまったということでした」
「そんな…」
俺は開いた口が塞がらなかった。陸夫が遊び人だということは知っていた。しかし,陸夫に隠し子がいるという話は聞いたことがなかった。
「ちなみに,認知は…?」
「してもらっています」
つまり,戸籍上も酒井は陸夫の子供であるということだ。
「あと,養育費を支払わない代わりに,陸夫から破格の手切れ金をもらった,と私の母親は話していました」
「そうですか…」
俺は,陸夫の腹心の部下として,陸夫本人から,プライベートも含め,他の人が知らないようことを色々と聞いているつもりだった。
にもかかわらず,たった小一時間あまりで,伽倻子,酒井という,今まで知ることのできなかった2人の子供の存在を知ってしまったのである。
しかも,その2人のうち一方が目の前に,もう一方も俺と奈加子と同じ無人島の中にいるかもしれないというのだ。
あまりにも唐突な展開に頭が追いつかない。
「酒井さん,もしご存知だったら教えて欲しいのですが,陸夫には他に隠し子はいるのでしょうか?」
「…分かりません。私が知る限りでは私以外にいませんが…」
俺は陸夫本人に根掘り葉掘りを問い質したいという衝動に駆られる。
しかし,それは現実には不可能である。
なぜなら,陸夫は今,植物状態で,病院のベッドの上で生かされているだけの存在だからだ。
今までピンピンとしていた男性が,女房に先立たれた途端に急に体調を崩すというのはよくある話であり,陸夫も例外ではなかった。しかも,房子の自殺は,陸夫が直接原因となっているものであるから,陸夫の心労は想像を絶する。
房子の死からわずか半年後,陸夫は脳梗塞で倒れ,なんとか一命は取り留めたものの,脳に回復し難い障害を負い,意識を取り戻すことがなかったのである。
「私も,私の母親も,私が来栖陸夫の娘であることはひた隠しにして生きてきました。ですので,私は送られてきた手紙を読んで唖然としたのです。私が行くように命じられた結婚式は,私の異母姉妹である奈加子さんの結婚式だったのですから。犯人は私のすべてを知っています。私が命令に背いた場合に私をどうにかすることなど,犯人にとって実に容易いはずです」
「なるほど…」
「先ほど私が盗み聞きしてしまった話によれば,犯人は,奈加子さんのお姉さんの伽倻子さんという話なんですよね。犯人が一体何を考えているのか私には分かりませんが,犯人が私を呼んだのは,私が伽倻子さんの異母姉妹である,ということと無関係だとは思えません。そこで,お二人とどうしても情報共有をしておきたかったんです。突然,こんな話をしてしまって申し訳ありません」
酒井は俺と奈加子に対して,深々と頭を下げた。
父親の最大の不義理について知ってしまった奈加子は,ショックのあまり固まっていて,瞬きすらほとんどできていない。
陸夫に裏切られた,という感覚は俺も変わらない。
「私,絶対に殺されたくありません! どうすればいいんでしょうか!?」
これまで淡々と告白してきた酒井だったが,ついに感情が決壊し,泣き叫ぶ。
俺は,必死に頭を回転させ,この後何をすることが最善なのかを考えた。