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白狼、神を絶つ白刃

 暗雲立ち込める幽霊街、その静寂を破るは突然の剣閃。街の中央、ひと際背の高い時計塔が縦に両断され、崩落。その余波は周囲を飲み込み、街は土煙に包まれた。


「他愛もない。白狼神とはいえ、堕ちればこの程度か。」


 その白翼にて空を舞う屈強な男は、身の丈ほどの大剣を鞘へと収めて独り言つ。地上を見つめる双眸は、狩りを行う獣のような無慈悲さが宿っていた。だが、直ぐにその目が曇っていた事を思い知る。土煙を突き抜けて、男目掛けて飛んで来たるは無数の瓦礫。相手が生きていた事実を認識するや、男は即座に抜刀、流れるように大剣を振り抜く。放たれる剣圧が、向かい来る瓦礫を粉砕するがしかし、落ちぬ物、いや、者が一人。先端を変形させた鉄骨を小脇に抱えた美しき黒。長髪を風に靡かせながら、小さなその身体で軽々と鉄骨を持ち変えた。


「他愛ない、そっくりそのままお返しするよ。今の神様って、この程度なんだ。」


 可愛らしい顔に笑みを湛え、全身を使って投げ放つ。それは宛ら即席の神槍、白い軌跡を描きながら男へと肉薄。だが、男とて黙ってはいない。大剣を上段に振りかぶり、一気に振り下ろした。ぶつかり合う二つの神具、打ち勝ったのは……剣。砕け散る即席の神槍を前に、笑みを浮かべる男の口から零れる深紅。獣の牙は、二本あった。


「せめて、安らかに。」


 引き抜かれた牙、深紅に濡れたその手を男の顔に添え、力を籠める。空中にて、白い光が拡散し、一つの影が地に落ちる。小さなクレーターを作り、獣はその場で身を投げ出した。


「あーあ……疲れた。流石に連戦は辛いなぁ。」


 興味なさげに呟いて、深紅の双眸が自らの身を確かめる。頂き物の学生服は、すっかりボロボロになっていた。


「……これで、良かった。今更、戻れない。」


 言い聞かせるように呟くと、身体を丸めて瞼を下ろす。遠のく意識の中、かつての日々を思い出した獣は少しだけ泣いた……。







 誰かに呼ばれたような気がする。不知火龍之介しらぬいりゅうのすけは、ふと窓の外を見た。しかし、そこに映し出されたのはグラウンドの一端で、その延長線上には運動部の生徒と青い空しかない。実に平和なものであった。


「……寝よ。」

「寝るなぁあああ!」


 窓ガラスが割れるかと思えるほどの大声に、龍之介は身を跳ねさせる。その声の主に、大いに心当たりがあるからだ。恐る恐る視線を向けると、そこには金髪ツインテールを揺らす美少女、鳳凰院麗奈ほうおういんれいなが立っていた。ただでさえ気の強そうな目に、憤怒が揺れている。


「どうした、いや、どうされました?」

「はぁ!? 私が声をかけたの、自分から無視しといてそれ!?」


 龍之介の目に、視界を埋め尽くす怒りマークが見えた。機嫌を損ねると面倒なのは、長年の付き合いで分かっている。ここは素直に謝るのが得策である、と彼の脳が導き出した。


「ごめんなさい。」

「分かれば良いわ。」


 不機嫌そうに鼻を鳴らした麗奈は、何故か空いている前の席に後ろ向きで座り込む。途端、心配そうな表情を浮かべて龍之介の顔を覗き込んだ。少し間違えばキスしてしまいそうな距離だが、今更恥ずかしがるような関係でもない。頬杖を突く龍之介は、欠伸を噛み殺しながら見つめ返す。


「なんすか、麗奈さん。」

「……まだ引きずっているの?」


 その台詞に、龍之介は微かに視線を外した。その動作を見逃さなかった麗奈は、やっぱり、とため息を吐く。


「仲直り、したら?」

「仲直りも何も、別に喧嘩した訳じゃないし。その内、戻ってくるだろ。」


 ぶっきらぼうにそう答えた龍之介は、席を立った。習慣的に確認した時計が、既に終業時刻を過ぎていたからだ。これ以上長居する理由など、彼にはない。彼女の放つ憐憫の視線が、少々心地悪いが。


「龍之介、カバンを忘れているわ」

「あん? あぁ、通りで手が軽いと思っていた所だ」


 軽く感謝の言葉を述べると、龍之介はふらふらと教室を出る……手前で、扉にぶつかった。軽く頭を掻くと、仕切り直しと言わんばかりに扉を開けて教室から姿を消した。残された麗奈は、その様子に大きなため息を吐く。


「思ったより重症ね、これは」







「思ったより辛いね、これは」


 敵の気配に飛び起きた獣は、頭上より迫る危機を嘆いた。空が、落ちてくる。そう錯覚してしまうほど巨大な黒い塊が、雲を引き裂き獣へと迫る。空を覆うその攻撃範囲、獣の速度をもってしても脱出は困難。されど、受ければ致命の一撃だ。眼前に迫る敵の攻撃に、獣はあろうことか微笑んだ。


「キャハハハハッ! ミンチになりな、星落としだぁ!」


 甲高い声が辺りに響くとほぼ同時、小惑星が街を直撃。拡散する衝撃波と共に隕石が発光、爆発となって第二波を巻き起こす。街どころか、星を滅ぼしかねない致命の二撃。灰燼と化した一帯を見下ろすのは、両目を眼帯で覆う黒髪の少女。先の男と同様の白翼を持ち、その身体は身の丈に似合わず酷く女性的だ。生地の少ない衣服は、その肉体を惜しげもなく晒している。


「流石に死んだかなー? ギャハハハハッ!」


 身を捩り、汚く笑う少女。しかし、その笑いは直ぐに消えた。彼女の鼻と耳が、砂煙の向こう側に蠢く何かを捉えたからだ。舌打ちを漏らすと、すぐさま腕を振り上げる。彼女の腕の動きに合わせて空が裂けると、その暗黒の亀裂より小惑星が顔を出した。まるで出産の瞬間のように、亀裂を広げながら現世に飛び出そうと小惑星がゆっくりと動く。だが、再攻撃の隙を獣が逃すはずもない。砂煙より中空に飛び出した獣には、傷一つなかった。


「なんでなんだよ!? なんで効かねぇんだよ!?」

「確かに、星規模で言えば致命的な一撃だけど……僕に言わせれば、ドッジボールみたいなものかな。その程度なら、暗くならない内に家に帰りなよ。体育の授業なら、もう終わりだ。」


 その顔に笑みはない。空を蹴って迫る獣は、叫ぶ少女に手刀を構えた。深紅に染まった慈悲なきその手は、少女を殺める牙へと変わる。瞬く間に肉薄した獣の牙は、射程距離に捉えた少女へと振るわれる。しかし、怯えた少女の顔が邪悪に歪んだ。


「「かかった……!」」


 その声が重なった。姿なき何かが、少女を貫くはずの牙を止めた。徐々に色付くその姿は、少女と瓜二つの姿をした黒翼の白髪少女。翼と髪に同じく、その格好も対照的。全身を隙無く覆う白銀の鎧、感情の見えない顔……牙を捉えたその手は、殺意に溢れた刺々しい手甲で覆われている。獣が見せた一瞬の硬直に、黒翼の少女は体格に似合わぬ力で獣を振り回す。


「キャハハハハッ! 時間稼ぎは任せたよ、次はもっと派手に落とすから!」

「はい、お姉様。」


 十分に遠心力をつけ、地表へと投げ返された獣。その身体は抵抗もなく、加速度をそのままに大地へと叩き付けられた。その衝撃に、流石に空気を吐き出した獣の眼前に映るは黒翼の少女。投げると同時に獣を追撃に来ていたのだ。当然、振りかぶった拳が獣へと叩き込まれた。何度も、何度も叩き込まれる拳に大地は揺れ、獣の体は大地にめり込んだ。


「準備完了! 害獣は、この世界ごと消し飛ばしてやる!」


 その間に、攻撃の準備を整えた白翼の少女。頭上には、無数の小惑星が待機している。それを確認した黒翼の少女が飛び立とうとした瞬間、彼女の足を何かが捉えた。


「貴様、まだ息があったか。」

「生憎、とても丈夫に出来ているんだ。」


 振り解こうと身を捩る彼女だが、獣の拘束は逃れられない。それを姉に伝えようと頭上を見上げると、既に小惑星群は猛スピードで地表へ迫っていた。


「あー、ごめんねぇ妹ちゃん。もたもたしているから落としちゃった!」

「お姉様……!」


 流石に黒翼の少女にも焦りが見える。そこで獣が彼女を引き倒し、めり込む身体を抜け出させた。呑気にも頭上を確認すると、獣は何を思ったのか、倒れた黒翼の少女を背中から抱き起したかと思うと、再び地面に倒れこんだ。


「貴様……!」

「一人で見るのも寂しいからさ、ちょっと付き合ってよ。世界の最後。」

「ふざけるな! 心中に付き合うつもりはない!」

「心中……別に、僕たち相思相愛じゃないよ?」


 冗談めかした言葉が終わると共に、小惑星群は地表に到達。クラスター爆撃も真っ青の宇宙的爆撃は、その世界を粉微塵に崩壊させた……。最早そこに音はなく、虚無なる黒が広がっている。そこに一つ、漂う純白は翼。白翼の少女は、虚無なる世界を見つめて高笑いを上げた。


「時間稼ぎありがとねぇ、妹ちゃん。正直、真面目過ぎてウザかったし、害獣のお陰で助……がはっ、はっ、なん、だよ、これ……?」


 白翼の少女は、力なく自らの腹部から生えた物を見下ろした。それは、見覚えのある白銀の手甲……裏切り、自ら葬ったはずの妹の武器だ。


「なん、で……死んだ、はずじゃ」

「自業自得だよ、お姉様。君の妹、雑味がなくてとても美味しかった。ああ、そうそう、妹さんから伝言ね」


 背後にて微笑む獣は、うなだれる彼女の耳元でそっと囁く。私も貴女が嫌いでした、と。言葉と共に牙を引き抜くと、少女の体は光となって消えた。


『礼は、言いませんよ』


 獣の中で声が響く。食らった餌の、黒翼の少女の声だ。彼女は、腹の中でまだ生きている。その台詞に思わず笑みを零した獣は、腹に手を当て語りかけた。


「そりゃあそうだ。別に、感謝される覚えは無いよ。」

『ですが……守られたのは、生まれて初めてでした。その点については、感謝します。』

「……獣の気まぐれだよ。他意はないさ。」


 そう、少女の言う通り、あの小惑星群が到達する直前、獣は自らの背で彼女を守ったのだ。そして、少なからず負傷した。そして、少女は自ら食われる事を望んだ。目の前の獣の傷を癒す為に。


『中に入ったお陰で、貴方の事が色々分かりました。姉を殺したら、私を吐き出すつもりだったのでしょう?』

「……意外と好奇心旺盛だね。このままじゃ、余計な物まで見られそうだ。」


 ばつが悪いといった顔をした獣は、直ぐに少女を吐き出そうとするが……彼女がそれを許さない。


『駄目です、傷が開きます。』

「……いいの? このままじゃ、本当に僕の栄養になっちゃうよ?」

『受けた恩は必ず返す主義なので。それに……。』

「それに?」

『何故でしょう。胸の奥が、とても温かいのです。不思議ですね、食われて死ぬというのに。』


 その言葉を最後に、少女が言葉を発することはなかった。銀の手甲は、光の粒となって消えていく。残された深紅の手が、痛む胸をそっと押さえる。瞳の奥を静かに燃やし、獣は空を蹴った。目指すは次なる獲物が待つ、上の世界だ。獣は、意識が遠くなるのを感じながら、自らの体を強引に押し上げた……。


「皆、元気かな……。いや、僕が気にする事じゃないか……あぁ、それにしても眠いな。」







「……眠い。」


 大欠伸を上げた龍之介は、重い足取りで男子寮の入り口を潜る。学園の敷地内にある男子寮から少し歩けば本校舎だが、今日はその道のりが酷く遠い。欠伸をため息に変えた彼の後ろから、音を立てて迫る一つの大きな影。飛び散る汗が光を反射し、その者の後ろに無数の地上の星を作った。


「……なぁんか、筋肉臭いな。」

「……不知火ぃいいい!!」


 地を揺るがす叫びと共に、龍之介は宙を舞う。筋肉戦車に、跳ね飛ばされたからだ。宙を舞う龍之介の体はジャイロ回転をしながら飛距離を伸ばし、学園の本校舎前に頭から突き刺さった。間髪置かずに現れ、その足を掴んで容易く引き抜く筋肉の塊。逆立てられた黒髪を揺らし、豪快に笑うその巨漢は彼の友人だ。


「おう、寝ぼけるのか! 今日は学校休みだぞ!」

「だったら普通に声かけろよ、ボケェエエエ!!」


 龍之介は怒りの鉄拳を引き絞り、巨漢こと金剛地賢こんごうじまさるに全力で叩き込んだ。しかし、鋼鉄をも上回る筋肉の鎧は、龍之介の拳を容易く防ぐ。その上、衝撃がそのまま龍之介の腕に跳ね返り、その骨に深刻な衝撃を与えた。周囲に、声にならない悲鳴が響く。それに対してまたしても笑う賢は、掴んだ龍之介の足を離した。


「どうした不知火、筋トレしたくなったか?」

「クソ筋肉……いつか殺す……!」

「賢さん速いよー、もうちょっとペースを……って龍君だ! 一緒に走る?」


 鬼の形相の龍之介の前に現れたのは、真っ白な肌と髪、赤い目を持つ優男。彼もまた龍之介の友人、霧咲白夜きりさきびゃくや。路面に横たわる龍之介の傍に屈み、状況に似合わぬ爽やかな笑顔を浮かべている。


「あははは、凄いよ、龍君! 腕がグニャグニャになっている!」

「てめぇも見てないで助けやがれ、クソが。」


 はいはい、と二つ返事で肩を貸す白夜。何とか直立することが出来た龍之介は、あまりにも酷い自らの腕を見下ろしてため息を吐いた。体質上、自己再生能力は人並み以上にあるが、完治となると時間がかかる。一番早い方法は、治癒に特化したお人よしの彼女に頼むことだが……。


「ヒーラーの美里ちゃんなら、勉強会で留守だよ。」

「考えを読むんじゃねぇ、ハゲ。」

「龍君の事なら大体わかるからね! 因みに、先生たちも軒並み出掛けているよ! その腕どうしようね、龍君! 何なら、僕がぶった切ろうか? 龍君ならきっと直ぐ生えるよ!」

「てめぇと一緒にするんじゃねぇよ! あー、面倒臭い」


 爽やかに絶望を突き付ける白夜に毒づきながら、更に考えを巡らせた。ともすれば、現状で一番早く治せる者は一人しかいない……。


「……高く付きそうだけど、ゲンさん頼るか。あの人なら常勤だし、居るだろ」

「おう、呼んだか?」


その声に大きく身を跳ねさせた龍之介は、即座に声の主を捜して周囲を見回すが……誰もいない。だが、何となくだが気配はする。それに、消しきれないほど濃い煙草の香り。龍之介は、誰もいないはずの学園入り口に目を向けた。


「また新しい発明か何か?」

「おう、やっぱりばれちまったか……まだまだ改良が必要だな。」


 そう言ったかと思うと、顔が隠れるほどに長くぼさぼさな黒髪を持つ頭を掻きむしる人が姿を現した。電動車椅子に乗り、銜え煙草の中年の男性。ヤニで黄ばんだ白衣を纏ったその男こそ、龍之介が口にしたゲンさんこと、澁谷源次しぶやげんじである。学園の常勤保険医であり、マッドサイエンティスト。学園は実験室だと公言しており、その発言と風体から学園生徒の殆どが彼を恐れ、保健室には近づかない。生徒からの苦情に耐え兼ね、第二保健室が作られたほどだ。しかし、戦線を共にした龍之介たちは親交があり、何かと彼を頼ることが多い……何かしらの実験台になる事が前提ではあるが。


「なぁ、ゲンさん。ちょっとばかし頼みが……。」

「うむ、やはり別次元に存在を飛ばしながらこちらの次元に干渉するのは相当なエネルギーが必要のようだな……もう少し改良と実験が必要だな……。」

「人の話聞けよ!」

「あ? あぁ、その腕か? 可哀想に。じゃあ、俺は実験があるから……」

「ちょっと待てぃ!! 実験協力するから腕治せ!!」


 龍之介の言葉に、長い髪の間から邪悪な笑みが覗く。その瞬間、龍之介は自分が嵌められた事に気が付いた。


「言ったな? 言ったな? 言質取ったぞ? 録音したぞ?」

「しまったぁあああ!!」


 頭を抱えようと思ったが、片腕が駄目になっているのに気が付いて舌打ちを二回。再び鬼の形相を浮かべた龍之介は、目の前で腕立て伏せならぬ指立て伏せをする筋肉の塊に視線を移して閃いた。


「こいつが喜んでモルモットになります!!」

「ふっ、ふっ、筋肉、筋肉! なんだ、不知火! ふっ、ふっ、お前も、筋トレ、するか?」

「……ふむ、まぁ良いだろう。こいつなら良い結果を出せそうだ。」

「何の話だ!」

「賢さんの筋肉について調べたいそうだ。協力してやってくれ。」

「何! 本当か、不知火! よぉし、直ぐ調べろ、ゲンさん!」

「賢さんなら大丈夫! 僕、信じているから!」

「余計な事言うな、白夜。」


 四人が学園に入っていくと同時に、背景が歪み始める。電波が受信できないテレビのように、世界が維持出来なくなっていく。そうして最後は、白と黒の砂嵐が世界を覆いつくしてしまった……。







 獣は、視界を覆う赤色を拭う。獣にとってそれは、酷く懐かしく感じられるものだ。自らが壊れることなど、そうはないからだ。その赤も、周りに横たわる数千の敵の残滓である。いずれも獣の足元にも及ばぬ有象無象の神格、そのため息と共に塵へと消えた。無限にも思える戦いの時間に、獣は正直うんざりしていた。


「……お腹、減ったな」


 満たされぬ心が、言葉となって吐き出される。その場に座り込んだ獣は、既に砂嵐の向こう側となってしまったかつての世界に思いを馳せた。あまりにもかけ離れてしまったせいか、上手くは思い出せないが……楽しかったのだけは覚えている。


「皆がいて、美味しい食事もあって、良い世界だった……そんなものを、僕のせいで壊させる訳にはいかないんだ。聞いているだろ? この世界の最高神。」

「あぁ、聞いているよ。よもや私自らが相手をしなければいけないとはね……正直見くびっていたよ、白狼の旧神よ。」


 突如、目と鼻の先に現れたそれは美しい人間だった。いや、正確には人間の姿を取ったものか。深紅の長髪を靡かせる、中性的な顔をもつ麗人。無限に広がる戦場に咲く一輪の花のように、絶対的な美しさと強さがそこにあった。一目でその力量を見極めた獣は、自然と身震いする。


「どうした白狼神、まさか話し合いで解決しようなどとは言うまいな。」

「そんな、まさか……獣は、話し合いなんかしないよ。」

「で、あろうなぁ。エンドレスホワイトの白狼神。地上の者たちは知っているのか? 謎のウイルスの原因が、お前にあることを。」


 その言葉が終わるのを待たずして、獣が動いた。その動きに一片の迷いはなく、最短距離を一直線。力強い踏み込みにより生み出された強烈な速度に乗って、深紅髪の麗人へと肉薄。その速度を乗せ、引き絞った拳による一撃をその腹へと叩き込んだ。その衝撃に、空間そのものが揺れ動く。しかし、何かがおかしい。


「焦ったか、白狼神。貴様だけが硬いなどと思わぬことだ。」

「やっぱり、通じないか。最高神は伊達じゃないね。」


 にっこりと笑む裏で、獣は考えた。確かに捉えたと思った相手が、微動だにしない。これは明らかな異常だ。何かしらのからくりがあるはずだ、と。しかし、相手とて長考の時間を与えるほど愚かではない。すぐさまその足が、獣を襲う。強烈な蹴り上げが腹部を捉え、小柄な獣の体は宙へと舞い上がった。


「私の世界の事は、私が決める! ロートルにはご退場願おうか!」


 それを追って宙へと躍り出た最高神は、瞬く間に獣へと肉薄。すると、空中にて上下反転、足を天に向けたかと思うと、未だ体勢の整わぬ獣へと向けて、蹴り、蹴り、蹴り。猛烈な連続蹴りを受け、獣は更に高度を上げる。みるみる高度を上げ、宇宙的高度まで蹴り上げられた。


「こい! コメット!」

「アイアイサー!」


 最高神が一声上げると、死んだはずの白翼の少女が虚空から出現。すると、やはりといったところか、宇宙空間に次々に裂け目が生まれていく。獣は、嫌な光景を思い出す。


「死にさらせぇ、害獣がぁ!!」


 獣を取り囲む裂け目より、小型隕石が次々と高速射出。それは宛ら、全方位マシンガン。無防備に撃たれ続ける獣は、空中にて無様なダンスを舞い踊る。遂には力なく漂うだけとなった獣に、安全圏より観察していた最高神が迫る。


「これで少しは理解したか? 貴様は、たった一人で世界を相手にしたことを。」


 見せつけるように振り上げられる足は、軸足より百六十度ほどの角度を付け、そこから一気に振り下ろされた。その踵が獣の胴体を真芯に捉え、その身体を地上へと急降下させる。あまりの加速度に炎すら纏った獣は、尚も考えていた。


『何か、見えた気がする』


 無論、獣は抵抗できなかった訳では無かった。敢えて攻撃を受けることで、敵の能力を掴もうとしていたのだ。


「しかし、痛いし熱い……もうちょっと加減してくれるとありがたい。」

「手加減などするかと思ったか? 来い、ソードフィッシュ!」


 最高神の呼び出しに続いて応じたのは、大剣を持った屈強な男。ひと際大きな雄叫びを上げると、何を思ったか手にした大剣を獣目掛けて放り投げた。すると、剣が一つ、また一つと増えていき、大剣の豪雨となって獣に迫る。


「成る程ね……あの時は、手を抜いていた訳だ。」

「こいつは慢心しやすいのが欠点でね。しかし、私が傍にいればそうはならん。」


 得意顔でそう口にする最高神に苦笑を浮かべた獣は、今回も攻撃を受けることにした。当初の計画通り、敵は大いに油断をしている。襤褸を出すのも、時間の問題であろう。そう思っていた獣の体に、無数の剣が突き刺さった。


「なっ……!?」


 獣は驚いた。一つ、自らの硬度を貫いた無数の剣の存在。何故なら、その剣からは自らを貫くほどの神格を感じなかったからだ。二つ、遥か視線の先、居るはずのない者の存在を捉えたからだ。三つ、遅れてやってきた痛みが、余りに大きかったからだ。獣は堪らず吠えた。


「良い悲鳴だ……それが聞きたかった。やはり君は役に立つな、ガントレット。」

「……勿体無いお言葉です。」


 邪な笑みを浮かべる最高神の横に控えるは、獣の腹にて溶かされたはずの黒翼の少女が在った。獣はそのまま地面へと磔にされ、喀血も気にせず天を睨む。


「あー、そうか。通りでおかしいと思った……内側から、僕の世界を壊した訳だ。全く、恐れ入ったよ。こんなに腹が立ったのは久しぶりだ。」

「良く吠える犬ほどなんとやら、いやはや、良い眺めだ。そう思うだろう、ガントレット。」


 地表に降りてくる最高神は、さも楽しそうに横の少女へと問う。しかし、少女は俯き目を伏せたままだ。磔の獣が、震え始めた。


「あぁ、腹が立つなぁ。本当に腹が立つ。」

「どうした、敗北がそんなに悔しいか?」

「いいやぁ、そんなくだらない事じゃない。」


 少女が、顔を上げた。その眼には、白き炎が映る。それは宛ら生命の炎、無限に燃え続ける輪廻の炎。満身創痍のはずの獣が、白き光を放ちながら磔の体を強引に動かす。当然、その身体は引き裂かれる、が、その傍から白い光が身体を作っていく。四肢の自由を確保した獣は、最後に自らの腹部に刺さった剣を引き抜き、立ち上がった。


「僕の世界から、その子を奪った事だ!」


 剣は、獣の怒りの咆哮と共に飛び出す。周囲に拡散した白の光に乗って、その刃が最高神へと迫る。まるでそれが分かっていたかのように、最高神は笑む。横に控えた少女の手甲が、彼の眼前に立ってその剣を止めた。


「奪った? 違うな、この子は元から私の物だ。私が私から生み出した、私だけの物だ。」

「えぇ、そうです。私は最高神から生み出された最高神の子、私は、私は……!」

「ガントレット、どうしたのだ。早く奴を……」

「私は、誰のものでもない!」


 少女は、掴んだ刃の柄を持ち、身を翻す。決意に燃えた少女の眼は最高神を捉え、掴んだ剣をそのままに突撃。驚愕の表情を浮かべる最高神に、その刃を突き刺した。一拍の間を置き、最高神の叫び声が上がる。


「貴様、ガントレット、貴様ぁ!?」

「裏切ったな、と言いたいのですか? 子供の反抗期と思って許してください、お父様。」


 そのまま、突き刺した刃を上段に切り上げた少女は、獣へと振り返った。その表情は、酷く穏やかで、美しい笑顔だった。


「借りは、返しましたよ、白狼神……出来れば、もっと別な形で、お会いしたかったです。」


 照れくさそうに笑う少女は、塵となってその場から消えた。最高神との因果が切れて、存在を維持することが出来なかったのだろう。獣は、拳を強く握る。何としても、目の前の悪を食らい尽さねばならないと。


「くそっ、とんだ裏切りだった。だが、代わりなど幾らでも作れる。私は、神だ!」


 見え透いた作り笑いで動揺を隠す最高神、その身体には傷一つ付いていない。しかし、獣は確実に捉えていた。奴の弱点を。少女が残した、反逆の爪痕が。


『奴は、貝だ。自らの世界に閉じこもる、貝。故に、外部からの攻撃が直前で止まる。だが、貝には必ず口がある……!』


 うっすらとだが、亀裂の入った貝の口。少女の攻撃で僅かにこじ開けられたが、まだ狭い。自らの牙では、到底入りそうにない。そこで、獣の脳裏に一振りの刀が浮かぶ。神をも切り裂く白刃の大太刀。しかし、それを扱えるのは自分ではない。自分が良く知るあの人物。


『大分遠くまで来てしまった……届くかどうかは、分からない。けど、やるしかない。』


 獣は、目を閉じて祈る。この声が、どうか彼の元に届くようにと。


「助けて、不知火君……!」







「おっしゃー! クリアしてやったぜ、ソウルダークネス3!」


 学園寮、自室。龍之介は、長い事プレイしていたゲームのエンディングを前に、コントローラーを放り投げて万歳をした。授業で眠り、休憩時間に飯を食い、全てを放課後のゲームに捧げた日々もようやく終わりを告げたのだ。始めたきっかけは何だったか、思い出そうとすると頭痛が始まった。


「あー、ゲームやりすぎたかな。」


 傍に置いていたスマートフォンを手に取り、時間を確認する。時刻は午前三時を迎えようとしていた。その時である、スマートフォンの画面が乱れ始めたのは。


「おん? なんぞ?」


 白と黒の砂嵐が画面一杯に広がったかと思うと、電源が落ちた。真っ暗な画面に、ただ一言だけ白い文字が一瞬浮かんだ。助けて、と。


「……ゲロさん!」


 龍之介は直ぐ様立ち上がり、自室の窓を割って飛び出した。夜間外出禁止だが、そんなことはどうでもいい。今は一刻も早く、友の叫びに応えねば。寝不足で、しかも全身に窓ガラスが突き刺さった龍之介が向かったのは本校舎、未だ怪しげな明かりの付いている第一保健室だ。


「助けろ、ゲンさん!」

「なんだぁ、藪から棒に。今、検証中だ、後にしろ。ガラス刺さったくらいでぎゃあぎゃあ騒ぐんじゃねぇよ、唾でもつけとけ。」

「うるせぇ! ゲロさんがピンチなんだよ!」


 その言葉に、澁谷のキーボードを打つ手が止まった。


「あのワンコがどうした。」


 ようやく話を聞く気になった澁谷に、龍之介はこれまでの経緯を、全身のガラス片を抜きながら説明する。それを聞いた澁谷は、ふむ、と顎に手を当て唸った。


「興味深い現象だが、ワンコからのSOSだと何故分かる。」

「ダチだからに決まっているだろ。」

「実に非科学的だな……ま、お前もワンコも科学じゃ説明のつかねぇ事だらけだからな……そういう事にしておいてやる。」


 仮に、と前置きし、澁谷は語る。もし、ゲロさんからの救援要請だとすると、発信元がこの世界ではない可能性が高い。そして、そんな断片的なメッセージしか送れないほど離れた世界なら、行くには恐ろしいリスクが伴うと。


「それでも、行くのか?」

「行くよ、ゲロさんが助けを求めているなら。それに、さっきゲームもクリアしたし。」


 物怖じもせずに即答する龍之介に、やれやれ、と零した澁谷は、困った顔で頭を掻く。


「そもそも、なんで俺の所に来た?」

「いや、ゲンさんなら何とかしてくれそうな気がして。」

「お前は本当に、勘が良いというか何というか……話聞いてない割に、物事を見極めやがる。困ったやつだ……。」

「それじゃあ、何とか出来るんだな!」


 ため息混じりに首を縦に振る澁谷に、龍之介は本日二度目の万歳をした。そんな龍之介の前で、再びキーボードを叩く澁谷。すると、保健室の床が動き始めた。ベッドがあった場所が地下に降下し、謎の筒状の装置と、それに繋がれた睡眠中の賢が現れた。


「あれ、賢さん、何してんの?」

「こいつは、まぁ、なんだ。エネルギー源だ。」

「ちょ、おま!」

「そんなことはどうでもいい。兎に角、この装置があれば、理論上は他次元に存在を飛ばすことが出来る。」


 理論上は。その言葉が、エネルギー源より気になった龍之介。あまり頭が良くない彼でも、察しはついていた。この装置が一方通行であり、成功する保証などない事に。


「因みに、だ。お前のスマートフォンに送られてきた謎の波動を計測して、大よその位置は見当がついたが、確実じゃあない。しかも、これは人類史上類を見ない実験だ。下手したら、送る段階で消滅するかもしれないし、別の場所に転送されるかもしれん。」


 それでもお前の決意は揺るがないか、と問おうとした澁谷の目に、既に装置の中に入っている龍之介の姿が映る。澁谷は思った、こいつはどうしようもない馬鹿だと。


「早くやれよ、ゲンさん。俺はあんたと、この筋肉を信じる。」


 ため息と共に笑みを零した澁谷は、肩と首を入念に回し、高速タイプを開始した。徐々に機械の駆動音が大きくなり、遂にはエネルギー源、賢の目が開かれた。その目は、青白く発行している!


「行ってこい、不知火! 筋肉パワー、全開!」

「キンニクキンニクゥウウウウウウ!!」


 賢から溢れ出る筋肉パワーが筒状の装置に流れ込み、龍之介の身体は光の粒となってその場から消え失せた……。後に残る澁谷は、青白い光に包まれながら高らかに笑った。


「第一段階、成功だぁああああああ!」


 ひと際青白い光が強くなったかと思うと、第一保健室を中心に、本校舎の一部が吹き飛んだ。その事を、次元を渡ろうとする龍之介は知るよしもなかった……。







「お祈りは済んだか、白狼神。」

「……あぁ、済んだよ。彼女の来世の幸福をね。」


 目を開いた獣が目にしたのは、自分を包囲する少女たち。そのどれもが、先程自らの為に命を散らした少女と瓜二つだ。それに加え、中空にはソードフィッシュとコメットが待機している。


「残念だな。そんな彼女の大群を、自ら殺めなきゃいけないなんてね。」

「うわぁ、妹ちゃんが一杯! 今回のは使えそうだね、ご主人様!」

「白狼神、今度こそ、斬る。」


 口々に漏れる自らへの殺意、それを空気と共に目いっぱい吸い込んで、吐いた。凶暴な光をその目に宿し、獣は笑う。


「来いよ、口だけの雑魚ども。残らず食ってやる。」


 その言葉と共に、大群が一斉に動いた。鋭利なる銀の手甲が狙うは、獣の首。しかし、獣は動かない。腰を落とし、あるはずの無い武器を構えて目を閉じていた。今までの獣の動きには無かった行動に、最初に反応したのはソードフィッシュだ。


「あの構え、まさか!」


 しかし、時既に遅し。獣の腰元に顕現したのは朱塗りの鞘を持つ大太刀。構えたその手に引き抜かれ、居合一閃。飛び出した白刃が、周囲の兵士を瞬く間に両断していく。その様は、飢えた白狼そのものであった。


「しかし、まだまだ甘い!」


 兵士を両断し続ける獣目掛け、ソードフィッシュが大剣を構え迫る。居合の終わり、刃を収めるタイミングを目掛けての突撃だ。これは獣も対応するしかない。収めかけた刀を再び戻して迎え撃つ。大剣による豪快な剣撃が、細身の刃と激突する。しかし、状況が状況、鍔迫り合いは不利と踏んだ獣が、ソードフィッシュの剣撃を受け流し、ムーンサルトで距離を取る。その隙に白刃を鞘へと戻し、居合の体勢を整えた。その間も迫る兵士の大群を切り裂きながら、着地点を確保。しかし、ソードフィッシュとて黙ってはいない。直ぐ様獣へと距離を詰め、その大剣の一撃を放つ。着地をして直ぐにそれを迎え撃った獣だったが、準備が足りなかったか、抜いた大太刀を天高く跳ね飛ばされてしまった。これには獣も両手を上げた。


「あーあ、やっぱり慣れないものを使うものじゃないね。見様見真似じゃ流石に無理。」

「いいや、見事な太刀捌きだった。敵ながら、見事。言い残す事はあるか。」


 切っ先を突き付け、勝ち誇るソードフィッシュ。天を見上げた獣は、暗い空にて輝く白刃に笑みを浮かべる。


「届いた」

「……何?」

「やっぱり、刀は使える人が使わないとね。」


 ソードフィッシュは、その微笑みに首を傾げた。刹那、天より降り立った者の一撃により、ソードフィッシュは両断され消滅。地に立ったその者は、呑気にも刀の峰で肩を叩きながら振り返る。そう、獣はその者を知っていた。


「よぉ、ゲロさん。待たせたな。」

「不知火君!」


 状況も弁えず、獣は龍之介に抱き着いた。久し振りに感じた友の存在に、力が溢れてくるのを感じる。困ったように辺りを見回す龍之介は、堪らず声を上げた。


「あー、ゲロさん。感動の再会は後にした方が……。」

「うん、わかった!」


 ぱっ、と離れた獣は、満面の笑顔で迫る兵士群を拳の一振りで消滅させる。そのパワーを目の当たりにして、龍之介は更に顔を歪める。


「これ、俺、必要か?」

「うん! 不知火君じゃなきゃダメだから、手伝って!」


 まるで遊びに来たようにはしゃぐ獣に、龍之介は少しだけ笑った。そして目を閉じ、息を整え、神経を研ぎ澄ます。我は刀、刀は我。初めて握る刀だが、不思議と馴染む。今ならば、どんなものでも斬れる気がする。


「誰だか知らないけど、隙だらけだよ! 潰れちまえぇえええ!」


 そんな龍之介目掛け、コメットが隕石を射出。だが、龍之介は動じない。寧ろ、先程より落ち着いている。そんな折に、嬉々として彼を守る獣が、朱塗りの鞘を放り投げた。その鞘はまるで吸い込まれるように龍之介の手へと収まり、白刃は素早く元鞘へと戻る。大地を踏みしめ根を下ろすが如く、どっしりと腰を落とした。その様を笑うはコメット。


「はっ、馬鹿なの!? そんな刀でぶった切れるとでも? 切る前に潰れちゃうよぉ?」


 確かに、刻一刻と迫る隕石までは距離がある。普通の斬撃では、届くはずがない。そう、普通の斬撃であれば、だ。


「白狼の太刀が一閃……、白狼之咆哮!」


 大太刀、白狼と一体となった龍之介が繰り出した居合の一閃、それは白い輝きを放ち、白狼の牙の如き鋭さを持って飛ぶ斬撃となって隕石を捉えた。隕石を、まるでバターのように容易く両断して尚勢いの止まらぬ斬撃は、引き攣った笑いを浮かべるその主すら貫いた。


「な、にっ、馬鹿、な……せっかく、生き、返ったのに……!」


 断末魔の叫びを上げ、隕石と共に空中爆発を遂げたコメット。静かに白刃を鞘へと収めた龍之介は、静かに鼻を鳴らす。


「お前の敗因はただ一つ、テメーは俺を……。」

「危ない、不知火君!」

「なんだ、ゲロさんわぶふぁ!?」


 超上空からの急降下蹴りの標的になっていた龍之介を、獣が寸での所で抱え込んだ。龍之介が後ろを振り向くと、先まで彼がいた付近がまとめて消滅している。呑気な龍之介も、流石に肝を冷やした。


「あっぶね。」

「もー、油断しちゃダメだよ、不知火君。あれでも一応、君の所の神様なんだから。」

「マジで!? ちょっと文句言うわ、下ろして!」

「え? うん。」


 安全圏まで運んで貰った龍之介は、地に足を付けると最高神に向かい叫んだ。


「俺の人生に、もっと都合の良いハーレムルート用意してください!」


 その発言を受け、獣は龍之介を抱えてその場から退避。案の定、その場に小型隕石群が降り注いだ。


「なんだよ、アイツ、アンチハーレム?」

「うーん、その割に側近の女の子率高い気が……って、そんなことは良いよ! というか、さっきの発言は本気なの?」

「……冗談だ。」

「本当に?」

「……ゲロさんが助けを求めた理由、何となく分かったわ。」

「本当に?」


 ジト目の獣に抱えられた龍之介は、咳払いをして続ける。


「良く分からないけど、アイツ、正面からぶった切らないとダメなんだろ?」

「おぉ、流石。話が早いね。僕の牙じゃ、ちょっと通りそうになくて……。」

「牙? ん、まぁいいや。とりあえず、俺が近づいて、さっき貰った刀でぶった切る……どうやって近付くかは考えてないけど。」

「それなら心配いらないよ、硬い盾がここにあるから!」


 それもそうか、と頷く龍之介は、空中に指で数式を書く。勿論、全部出鱈目だ。しかし、それらしいプランは考え付いた。後は実行に移すだけ。二人の間に言葉は要らない……アイコンタクトを済ませ、頷き合った。いよいよ地上に足を付けた龍之介は、抜刀の構えを見せる。


「準備は良いか、ゲロさん。」

「オッケー! で、何すればいいの?」


 龍之介は、派手に転んだ。不思議そうに小首を傾げる獣に対して向き直り、掴みかかった。


「ゲロさん、しっかり! 今までのシリアスキャラどこ行った!」

「え? シリアル? シリアルなら無いよ、不知火君。」

「アホキャラに戻っていらっしゃる!? しっかりしろ、頑張れゲロさん! 俺が来たからって腑抜けなくて良いから!」


 首が揺れるほど獣を揺さぶる龍之介。目を回す獣。その光景にため息を吐いた最高神は、憐憫の目で龍之介を見る。


「お友達の為に、わざわざ次元を超えて死にに来るとは……ご苦労な事だ。茶番は見飽きた、だからもう死んでもらうよ。」


 最高神が、再び兵士を召喚しようとしたその瞬間、龍之介が動いた。振り返り様、流れるような抜刀からの飛ぶ斬撃。地面を抉り進むその一撃は、最高神の眼前で動きを止めた。僅かに汗を流す最高神、兵士の出現は……無い。


「はっ、やはりか。お前、息継ぎに口開けなきゃいけないんだろ?」


 音を立てて刃を収める龍之介は、辺りを指さして笑う。


「ビンゴ! 当たりだな。詰まる所、お前はもう援軍は呼べないし、息も出来ない。だよな、ゲロさん。」

「まぁ、多分ね。それでも一応最高神、口を閉じていてもしばらくは持つと思うよ?」

「暫くって、どれくらい?」

「うーん……多分、不知火君が寿命で三回くらい死ぬまでかな。」

「かーっ! そんな悠長に待ってられねぇわ! ぶった切る!」


 頭を抱えた龍之介は、瞬時に飛ぶ斬撃を放つ。最高神は防御に徹するしか他ない。そこに獣が追い打ちを掛ける。斬撃と共に肉薄した獣の牙が、執拗に世界の傷口を攻める。だが、そこは最高神も黙っていない。接近戦の獣に対応し、得意の蹴り技で応戦する。


「正面がお留守だぜ!」


 その蹴りを獣が捌き、避けたと思ったのも束の間、その後方から龍之介の斬撃が飛ぶ。最高神は、世界の殻で防御するも、そこにまた獣の牙が迫る。一糸乱れぬコンビネーションに業を煮やした最高神は、攻撃対象を絞る事にした。


「驕るなよ、人間!」


 迫る獣を遥か遠くへ蹴り飛ばし、飛ぶ斬撃を弾きながら龍之介へと肉薄。その質量を持って、体当たりを仕掛ける。しかし、龍之介は焦る素振りも見せずに刀を構えた。居合の構えだ。しかし、奴の口は身体の正面。このままでは斬るどころか、龍之介は圧倒的質量によって消し飛ばされてしまう。


「これでぇ、終わりだぁ!」

「いいや、終わるのは……お前だ!」


 龍之介は、白刃を抜き放った。世界が、ゆっくりと動き始める。最高神の体当たり、そして、抜き放たれた白刃が、正にぶつかろうとしたその時、割って入るのは巨大な拳。抜刀から一拍置いて放たれた、龍之介の異能。ウイルスで構成された巨大な腕が、最高神を捉えて打ち上げた。一度目の居合は、囮であった!


「ぐはぁ!? ば、馬鹿な!?」

「よし、間に合ったぁ!」


 その先で待ち受けるは、遥か彼方に蹴り飛ばされたはずの獣。その速度を持って戦線に復帰、最高神の後ろにつき、打ち上げを確認して飛び上がっていた。そんな獣が今までの恨みを全て籠め、拳を握る。


「こいつはぁ、お返しだ!!」


 全身全霊を籠めて振り下ろされた拳は、最高神の背中を直撃。彼は、無様に仰け反る形で龍之介へと押し戻された。当の龍之介は、既に白刃を鞘に収めている!


「驕るなって言ったよな? そっくりそのまま、返してやるよ!!」


 急降下する手負いの最高神を射程圏に捉え、抜刀。不知火流居合術、崩月、ここに一閃。地に落ちた最高神の亡骸が消えゆくのを見届け、龍之介は刃を収めた。


「あーあ、眠い。ゲロさん、帰るぞー?」

「はーい!」


 気だるげに声をかけると、嬉しそうに手を振る獣。小走りで横につく獣と肩を並べ、背後で崩壊する世界を他所に、呑気に会話に花を咲かせて帰路を歩む。


「いやぁ、つい流れで神様殺しちまったけど、大丈夫だったの?」

「今更!? まぁ、そんな問題はないよ。神不在の世界だってあるし。」

「そんなもんか……。あ、ゲロさん、ソウルダークネス3クリアしたぞ。」

「うそぉ!? 結局そっち買ったの!? 僕、ポックリミュージシャンが良かったのに!」

「ゲロさん、急に居なくなるから悪い。それに俺、音ゲー苦手だし。」

「え!? 覚えてないの!? あれだけ派手に喧嘩してから出て行ったのに!?」

「あー、うるさい、都合の悪いことは忘れる主義だ。ほれ、ジャムパン。」

「やったー! お腹減って死にそうだった……って、賞味期限切れだよ!?」

「急に居なくなるから悪い。その、なんだ、もう何処にも行くなよ。」

「……うん。」


 二人が消えると、それを追うように世界も消えた。まるで何もなかったように、白黒の砂嵐が世界を包んでいった……。







「ふーん、面白い夢ね。」

「いや、夢じゃないって。」


 明くる登校日、学生寮より並んで歩く麗奈と龍之介。事の顛末を話した龍之介を、疑いの眼差しで見る麗奈。


「だって、気が付いたら寮のベッドだったのでしょう? それに、ゲロちゃんも帰ってきていないみたいだし……やっぱり夢じゃ。」

「いや、違うって! 絶対帰って来てるって!」

「おーい! 二人とも―!」


 龍之介が困り果てたのを見計らったかのように、ゲロちゃんこと双月護ふたつきまもりが現れた。ジャムパンを口にくわえた、典型的な登校スタイルだ。


「あら、帰っていたのね。」

「おっ、ゲロさん。ちょうど良い所に……昨日の話なんだけど。」

「大変だ―! 本校舎が大破しているぞ!?」


 そんな誰かの叫びが、会話を中断させた。三人は顔を見合わせ、本校舎まで走る。すると、その言葉通り、本校舎の一部が大破している。被害場所は、第一保健室を中心としていた。


「……誰がこんな事を。」

「……何でも、金剛地賢がまたやらかしたらしいぜ。」

「……寝ぼけて筋肉ビームを発射したとか。」

「……とんでもねぇな。」


 その噂話を横目に、三人は教員の誘導に従い本校舎内へ。


「本当にとんでもない奴だな、賢さんは。」

「龍之介、汗、凄いわよ?」

「いやー、今日は暑いなー。」

「実は不知火君だったりして。」

「バッカ! そんな訳ないだろ、ゲロさん! いやー、賢さん、学校を壊すなんて悪い奴だな!」


 校舎に入って暫く、龍之介の冷や汗は止まらなかった。尚、澁谷は自宅謹慎になったというのは、ここだけの話。


「いやー、やっぱり教室っていいね!」

「ゲロさん、久し振りだからテンション高いな。」

「エ、ナンノコト? ボク、カイキンショウダヨ?」


 護の目が渦を巻いているのを見て、龍之介は苦笑した。また要らぬ所で力を使っているようだ。しかし、久し振りの友人との授業、今日くらいは真面目に起きていてもいいかもしれない。そう思った矢先、担任と一緒に見知らぬ……いや、妙に記憶に新しい少女が入ってきた。


「あー、割とある事だから驚かないと思うが、また急な転入生だ。依然通っていた学校が廃校になったそうで、こちらに通う事となった。皆、仲良くしろよ。はい、自己紹介。」

「し、白銀天使しろがねてんしと申します。地方から出てきて、知らない事ばかりですがよろしくお願いします……!」


 自己紹介を終えた天使は、護の方をジッと見た。そして、少しばかりはにかんで、小走りに席の前まで来たかと思うと、護の手を握った。


「お陰様で、生まれ変わりました! 是非、ご指導お願いします、白狼神様!」

「は?」


 教室中の人間が、口を揃えて吐き出した一文字。視線が、一斉に手を握り合う二人に集中する。護は堪らず立ち上がり、その手を振り解いた。


「ナンノコトデスカ? ボク、シラナイナァ?」

「またまた、ご冗談を! 私、嫁入り覚悟で来たのですよ?」


 その言葉に顔を真っ青にした護は、目にも止まらぬ速度で教室から飛び出した。それを追うように、黒翼を展開した天使が教室を飛び出す。


「あっ、待ってください! 神様は、一夫多妻でも許されますよー!?」


 そんな台詞を残し、転校生が消えた教室内。また変なのが、と嘆く一同の中、龍之介が窓の外を眺めながら独り言つ。


「……うーん、都合の良いハーレムルートが用意されたのは、ゲロさんだったか……いやはや、羨ましい。いや、あれはあんまり羨ましくないかな。」


 窓の外、天使の腕に大事そうに抱えられて戻ってくる護の姿を写真に収め、護の友人各位に送ろうか迷って、結局消した。無駄な揉め事はごめんだ。漸く、平和な日常が戻ったのだから、と。


(完)


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