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彼と別れてから、さらに1ヶ月が過ぎた。
去り際に言った彼の言葉を今でも思い出す。
その度に疼く胸の痛みが何なのか。
言葉にしないで自分を誤魔化す日々が続いている。
「いつまで我を張ってる気?」
講義が終わった教室で、そのまま昼食をとっていたところにやって来た美里さんが、ため息混じりに言った。
「何の事ですかね、美里さん。」
「桐生誠の事よ。」
「1ヶ月ほど前に別れました。
もう縁もゆかりも無い赤の他人です。」
「あんた、鏡、見なさいよ。
目の下のクマは酷いし、痩せたし、顔色も悪いし、どう見たってふっ切れてないでしょ。」
「・・・終わったんです。」
「そう?
じゃあ、会わせたい人がいるんだけど。」
「丁重にお断りさせていただきます。」
「勘違いしないで、色恋の話じゃないから。
ちょっと、顔貸して。」
美里さんのあまりの勢いに押されて断れなかった。
でも、やっぱり誰にも会いたくなくて逃げようと裏門を出たところで美里さんに待ち伏せされてました。
結局、強制連行されたのん兵衛のボックス席で気まずく向かい合っていると、その雰囲気を壊す大声で、スーツの男が乱入してきた。
「お待たせして、すいません。」
「大丈夫、座って。
紹介するわ。
この人は夏木太一さん。
で、彼女が高坂舞。
桐生誠の元カノ。」
「は?
美里さん、何言ってるの?
この人、誰?」
「桐生誠の会社の後輩で友人。
1週間くらい前に、大学の前でうろうろしてて、声をかけたら、あんたを探してるって言うから話を聞いて今回の場を作ったってわけ。」
「わけって、勝手な。」
「事情を話したら、あんた来なかったでしょ。
話さなくても逃げるくらいだしぃ。
太一はね、桐生の事で、あんたに話があるんだって。」
「随分と親しそうで。」
「1週間もあればねぇ。」
そう言って、隣に座っている夏木さんの腕にもたれ掛かる美里さん。
夏木さん、美味しく喰われましたね。
残念な私の視線と今にも襲いかかりそうな美里さんの熱い視線に挟まれた夏木さんは、暗がりでも分かるくらい赤くなって、ラグビー選手かっていうほど大きな身体を縮こませている。
あの人と友人・・・ちょっと、いや、かなり想像しがたい。
何か、こう、私の中にあるかないか分かんないような母性本能が刺激されるような、されないような優しい気持ちになってくる。
「話って何?」
美里さん、見えてますよ。
夏木さんの横で見えないように、小さくガッツポーズしている姿が。
「あの、夏木太一と言います。
桐生さんは、会社の先輩なんですけど、俺、高卒で入社してから結構、ヘマしてて、でも助けてくれたり、かばってくれたり、すごくお世話になってるんです。
それだけじゃなくて、桐生さん、入社してまだ3年目なのに企画を作ったり、任されたり、仕事もできて、俺の目標なんです。
でも、ここ1ヶ月おかしくて、仕事は相変わらずすごいんですけど、どんどん痩せていくし、顔色も悪くて、その前から携帯をちょくちょく見て、ため息ついたり、イライラしてて、どうしたんだろうって思ってたんですけど、そう言えば、毎日のように聞いてた彼女の舞さんの話をしなくなったって気づいて、いっそ舞さんに相談してみようかと思って大学に行ったんです。
舞さん、美里さんから別れたって聞きました。
でも、お願いします。
桐生さんに会ってくれませんか。
このままだと桐生さん、過労死してしまいます。」
げっ、こんなところで頭を下げないでよ。
あなた、声が大きいんですよ。
周りに丸聞こえで、さっきから視線が痛いんですよ。
「分かりましたから、頭上げてください。」
「ありがとうございます。
桐生さん、今日から三連休なんです。
きっと家にいると思うんで、よろしくお願いします。」
「はい、はい、分かったから頭、上げて。
まぁ、私が行ったところで、何にもならないと思うけどね。」
「そんな事ありません。
何で別れちゃったのか分かりませんが、きっと誤解とかもあるって思うんです。
桐生さん、本当に舞さん一筋で、今でも愛してると思います。
余計な事を言ってすいません。
でも、俺、俺・・・」
「わぁ、あぁ、分かった、分かりましたから、泣いてないよね?」
「な、泣いてません。」
若干、泣いてんじゃん。
助けを求めて美里さんを見ると、何、そのドヤ顔。
そうですね。
美里さんの思った通りに話が進んだみたいですね。
今夜は美里さんが奢ってくれるそうなので、とことん飲んでやる。
「あんた、見かけによらず強情な女ね。」
「そうですかね。」
あれから1時間、まだ宵の口だというのに夏木さんは、美里さんの横で突っ伏している。
「さっきも言ったけど、鏡を見なさい。
桐生と別れて眠れません、食べれません、、ついでに笑えませんって顔してるわよ。」
「そんなんじゃ無いですよ。」
「浮気は許せないか。
あんたに話した同棲してた男ってのが、しょっちゅう浮気して、その度に怒って、泣いて、結局、許してさ、挙げ句に夜逃げみたいにいなくなって、あの時は笑うしかなかった。
でも、あいつがいなくなってなかったら、きっと今でも一緒にいたと思う。」
「何で・・・」
「愛してたから。
好きで好きで好きで、一緒にいるだけで幸せだったから。
私って、惚れっぽいけど好きになったら一途なの。
惚れた男が側からいなくなったら寂しくて、不安で仕方がないんだ。
あんた、その時の私と同じ顔してる。」
「大丈夫。」
「じゃない。
許すことは、負ける事でも妥協する事でもないよ。
大事なのはあんたにとって桐生誠が、どれくらい大切かって言うことじゃないの。
少なくとも今のあんたは忘れてないどころか、ふっ切れてもいない。
そんなんじゃ、次の恋愛にいけないわよ。」
「・・・もう、恋なんてしない。」
「じゃあ、桐生誠は、少なくとも今のあんたにとって最初で最後の恋だったんじゃないの。
そんな恋を諦めてんじゃないわよ。
もっと、足掻きなさいよ。」
「今さら、遅いよ。」
「遅くたっていいじゃん。
今の気持ちと向き合って、あいつにぶつけてきなよ。
全然、諦めてないでしょ。
全然、愛してんでしょ。」
「んなっ。」
「ふはっ、あんた、そんな顔しといて大丈夫なんて説得力ないし。」
美里さん、不意討ちなんて卑怯だよ。
言われなくても分かる。
顔が、どんどん熱くなっていく。
感情表現が素直な2人に影響されたみたい。
我を張ってる自分が幼い子供みたいに感じられる。
認めるしかない。
そう、私は全然ふっ切れても、忘れてもいない。
誠がいないと寂しい。
寂しくて、悲しくて、不安で。
私はまだ誠を愛しちゃってる。