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彼と別れて1ヶ月、季節は移り変わり日に日に寒さが増している。
この1ヶ月は就職先が決まり、バイトと卒論制作であっという間に過ぎていった。
初めは彼からと思われるメールや電話があったものの今では、もう無い。
1度、話して自分の気持ちを知ってもらいたいと思う反面、今さらあの場面を思い出してまで彼と向き合いたくないとも思う。
美里さんのおかげで自分と向き合うことができた。
私は彼に何も伝えてこなかった。
私にも悪いところはあった。
それでも、彼の唯一に慣れなかったことは私を打ちのめす。
私は彼だけだったのに。
もう終わったことにしなくちゃいけないんだ。
彼と出会って知らなかった自分の一面を知ることができた。
それだけでも良かったじゃないか。
それは、私にも他人を愛する心があったこと。
いつも1人で何でもしてきた。
自分のペースで生活できる楽さは、集団生活で得る安心感を優に上回っていたから、1人でも全然平気だった。
恋人はいない。
結婚もしない。
子供も作らない。
そういうふうに生きて、1人で死ぬんだと思ってた。
そんな生き方に彼と出会うことで色がついた。
笑ったり、怒ったり、喜んだり、泣いたり。
でも別れた今でも、あの時の事を思い出すと悲しくて、悔しくて仕方がない。
私はこんなに苦しい。
いっそ、この世から消えて無くなってしまえば良いのにって何度も思った。
一生会わずにいれば、きっと忘れられる。
忘れてみせる、そう思ってた。
でも望まない再会は、前触れもなくやって来た。
「何してるの?」
「座ってる。」
「そうじゃなくてっ、私の部屋の前で何で座ってるの?」
「待ってた。
話がしたい。」
「今さらっ。
話なんて無い。
帰って。」
彼を押しどけて鍵を差し込んだところで、腕を捕まれた。
途端に彼の匂いが鼻につく。
仕事帰りなのだろう、汗に混じった彼の匂いが漂ってくる。
この匂いが好きだった。
彼に抱きついた時の安心できた幸せな記憶が甦ってくる。
嫌だ、思い出したくない。
「少しだけ話がしたいだけなんだ。
頼む。」
驚いた。
頭を下げる彼を見たことがなかった。
私の左腕を両手で掴む彼からは、今まで見たことがない必死さが伝わってくる。
久しぶりに見た彼は、ずいぶん痩せて顔色も悪い。
「大丈夫?」
思わず心配になってしまい、自然と手が彼のクマを擦ってしまう。
「許してくれ。」
私の手に手を重ねて、囁くように彼は言う。
「お願い、帰って。」
手を振り払って彼を押しどけようとするけど、捕まれた左腕の自由がきかない。
「放して。」
「頼む。
話を聞いてくれ。
これで終わりにするから。」
「そんなの・・・。」
チン。
近くのエレベーターのドアが開く音がした。
誰かがくる。
こんなところを見られたくない。
絶対に。
思わず彼を玄関に引きずり込んだ。
こうなっては、どうしようもない。
「・・・話したら、帰って。」
リヴィングにある小さなテーブルの座布団に座った彼は、痩せてしまってせいか、ひどく小さく見える。
「話って何?」
いつ、できるか分からないけど、まだ心の準備が出来てないと改めて実感する。
私はまだ彼を諦めきれていない。
その証拠に、さっきから心臓がうるさい。
「別れたくない、絶対に。
どうか、許してほしい。」
土下座だ。
座布団から降りた彼は、顔を床につけんとばかりに土下座をしている。
初めて、見た土下座にちょっと感動してしまった自分が悔しい。
「やめて。
そんなことをされても許せない。
私、最初に言ったよね。
何、私とできないなら、他の女とすればいい?
Hさせないんだから、仕方がないとでも言うの?
それとも、ばれなきゃいいって?
ふざけんな。」
「俺が欲しいのは、お前だけだ。
だから、ずっと我慢してきたし、これからだってできると思った。
一生、舞といたいから。
あの日の事は、弁解のしようもない。
朝まで会社の奴等と飲んで、どうやって家に帰ったのかも覚えてないんだ。
舞の声が聞こえた気がしたと思ったら、舞が俺の部屋に立っていて。」
「他の女を抱いたよね。」
「それは・・・」
「抱いたよね。」
「・・・」
「・・・」
「あぁ。」
「話は終わりです。
出ていって。」
「信じてくれないかもしれないけど、俺にとって大事なのは舞だけなんだ。
欲しいのは舞だけだ。
別れるなんて絶対に無理だ。」
「勝手だよ。
私は誠だけだったよ。
一緒にいたいのも、キスしたいのも、それ以上だって全部、初めての相手は誠しか考えられなかったよ。」
「俺だって。」
「違う。
私と同じじゃない。
だって他の女を抱けたじゃない。
汚いよ。
触って欲しくない。
今は、こうして一緒にいるのも嫌だ。」
思わず出た言葉に自分で驚いた。
『今は』私は、どこかで許したいと思ってるのかな。
彼をソッと窺うと、私の動揺には気づいていないようで、何と言うか固まっている。
それに無表情で心なしか顔色の悪さが、さっきより際立って見える。
身体も両拳を握りしめて、少し左右に揺れているような。
「大丈・・」
いきなり無言で立ち上がった彼は、おどろく私をよそに一言だけつぶやいて帰っていった。
「ごめん。」
と。