8 おぼろ荘改造計画!
「う~……。さすがにちょっとさけびすぎました。のどが痛いです……」
あの後、わたしは教室に置いたままだった通学カバンを取りに校舎内に戻っていました。
「……そういえば、青葉先輩……まだヴァイオリンの練習をしているのでしょうか?」
自分の机に置いてあったカバンを手に取り、西日がさしはじめた教室の窓を見つめながら、わたしはそうポツリとつぶやきました。
たしか、視聴覚室で練習していると言っていましたよね。ちょっと見てこようかな……。
そう思った時には、わたしの足は視聴覚室へと向かっていました。
フフ……。実は、視聴覚室がどこにあるのか、あらかじめチェックしていたのですよね。
「青葉先輩、今日もエドワード・エルガーの『愛の挨拶』を弾いているのでしょうか?」
視聴覚室の前に着き、ドアノブをためしに回してみました。カギは開いているようです。
わたしは、なるべく音を立てないように、ドアをほんの少しだけ開け、のぞきこみました。
すると、わたしが大好きな『愛の挨拶』のメロディーが、聞こえてきたのです。
「…………あれ?」
でも、何だか……。
わたしが知っているメロディーとは少しちがうような……?
青葉先輩の『愛の挨拶』は、先輩の内面の優しさがあふれ出てくる、とても心癒されるメロディーなのです。
しかし、今の『愛の挨拶』には、心の迷いというか、いらだちというか……。音楽に関してはまったくの素人であるわたしが聞いても分かるような、演奏者の不安が感じられます。
ヴァイオリンを弾いている青葉先輩の表情を見ると、なぜかとても苦しげでした。
「くそっ! こんな演奏では、ぜんぜんダメだ!」
突然、演奏を中断した先輩は、荒々しい声でそう言い、机をダン! とたたきました。
おどろいたわたしは、目を見張りました。いつもの温厚な先輩とは別人みたい……。
「もうすぐコンクールがあるっていうのに……。酒井先生の指導を受けられず、こんなところで、一人で練習していても腕なんて上がらないんだ。コンクールに出場する他のやつらは、万全な練習をしているんだろうな……。こんなことで、オレ、ヴァイオリニストになんて本当になれるんだろうか……」
青葉先輩は辛そうに顔をゆがめながらそう言い、大きなため息をつきました。
「昔からそうだ。どれだけ努力しても、オレの不幸体質が邪魔をして、ぜんぜん報われない。オレみたいな人間は、しょせん、夢を叶えられずに終わる負け犬なのかもしれない」
そんなこと、ない!
先輩の夢は、先輩があきらめないかぎり、必ず叶います!
わたしは、今すぐそうさけんで青葉先輩のもとにかけよりたい衝動にかられました。
でも、わたしは、ぎりぎりで踏みとどまり、視聴覚室のドアを静かに閉めました。
「あんなに取り乱しているところにわたしがいきなり入って来たら、青葉先輩に恥をかかせてしまいますよね……」
だれだって、自分の夢や将来に不安を感じた時は、みっともないぐらいに取り乱してしまいます。一人で泣きたい時があります。
わたしも、「陸上などの激しい運動は今後できなくなる可能性がある」とお医者さんに言われた時は、夜中に一人で朝が訪れるまで泣き続けました。
でも、そんな取り乱した姿をだれかに見られたら、わたしだって「ああ。恥ずかしい……。自分はなんてみっともないところを人に見られたのだろう……」と思ってしまうでしょう。
わたしは、青葉先輩が視聴覚室から出て来るまで、待つことにしました。
☆ ☆ ☆
それから三十分ぐらい後に、青葉先輩はヴァイオリンケースを肩にかついで、視聴覚室から出て来ました。
「あっ。青葉先輩も今帰りですか? 練習、おつかれさまです!」
わたしは、たまたま視聴覚室の前を通りかかったかのようによそおい、先輩に元気よく声をかけました。
「ああ。前野さんは、こんな時間まで何をしていたの?」
青葉先輩は、さっきまで取り乱していたのがウソみたいに落ち着いていて、通常通りの優しい先輩の顔になっていました。ただ、よく見ると、顔色が少し悪いみたいです。
「陸上部のところに行っていました!」
わたしは、ちょっとわざとらしいくらい元気いっぱいに、陸上部でのできごとをおおげさな身振り手振りをまじえながら青葉先輩に話しました。
「へえ~。男子陸上部の部長って、そんなに恐い先輩なんだ」
「はい! もう、こーんな目がつりあがっていて、とーっても人相が悪いんですよ!」
わたしが左右の人差し指で両目のはしをくいっとつりあげ、そう言うと、青葉先輩は「そいつは大変だったな」と言い、クスリと笑いました。
……よかった。青葉先輩、笑ってくれた……。
「そういえば、ヴァイオリンの練習の休憩中に窓を開けて涼んでいたら、グラウンドの方角から女の子のものすごい大声が聞こえてきたけれど、あれは前野さんだったんだな」
「わ、わたしの声、校舎の奥の視聴覚室にまで届いていたんですか? は、恥ずかしい~!」
「そんなに恥ずかしがることはないさ。前野さんは立派だよ。恐い先輩に啖呵を切って、夢をあきらめないと宣言したんだろ? オレなんかより、ずっとしっかりしている」
さっきの練習のことを思い出したらしく、青葉先輩の顔がくもりかけたため、わたしはあわてて話題を変えました。
「え、ええと、あの、あの……。じ……実は、わたし、部活以外にもがんばりたいことがあるんです!」
「部活以外にがんばりたいこと? 何をがんばるんだ?」
「おぼろ荘改造計画です!」
「お、おぼろ荘改造計画!? な、何それ?」
わたしは、昨日、大家の静子さんのおぼろ荘に対する想いを聞いてからずっと考えていた計画を青葉先輩に語りました。
おぼろ荘は、住人がだんだんと減っていって、家賃による収入が少ないため、アパートがどんどんぼろくなってしまい、おんぼろ荘と呼ばれるまでになったそうです。
床が傷んでも修理できないし、庭がジャングルみたいに草木ぼうぼうになっても庭師さんを呼ぶことができません。
大家の静子さんがいくら元気なおばあちゃんといっても、腰痛持ちですから、あまり無理はできず、おぼろ荘がぼろくなっていくのをただ見ているしかなかったのです。
「だから、わたしがおぼろ荘をピカピカにしたいと思うんです! 手始めに、あのジャングルみたいな庭をキレイなお花がたくさん咲くビューティフルな庭に生まれ変わらせようかと!」
大家さんがアパートをピカピカにできないのなら、アパートの住人であるわたしがかわりにすればいい!
これもまた、ポジティブ・シンキングです!
「おぼろ荘がピカピカになったら、入居希望者も少しは増えるはずです! わたし、おぼろ荘を守ろうとしている静子さんのことを応援したいんです!」
おじいさんとのたくさんの思い出がつまった、静子さんの大切な居場所。
わたしたち住人の笑顔と夢を見守ってくれている、素敵なアパート。
そんなおぼろ荘が、住人がいないせいでなくなってしまったら、悲しいじゃないですか!
「ピッカピカにして、もうおんぼろ荘だなんてだれにも言われないようにしてみせます!」
わたしが鼻息荒く宣言すると、青葉先輩はたじろいで若干身を引きながら、言いました。
「オレもたまにおんぼろ荘って言っていたな……。すまない、これからは気をつけるよ。……でも、庭のガーデニングとか、前野さんはできるのか?」
「根性で何とかしてみせます!」
「こ、根性って……。いや、実はさ、オレ、いちおう園芸部員なんだけれど……」
「え!? ヴァイオリニストをめざしている先輩が、なにゆえ園芸部に?」
「うちの学園、生徒は必ずどこかの部に所属しないといけないんだよ。でも、オレはヴァイオリンの練習に専念したくて悩んでいたんだ。そんな時、園芸部の部長が『ヴァイオリンの練習優先でもいいから入ってくれないか。うちの部、部員が少なくて困っているんだ』って誘われて、園芸部員になったというわけさ」
そういえば、生徒は全員どこかの部に所属するのが決まりだと、桂先輩も言っていました。
「じゃあ、青葉先輩は、お花の育てかたとか、くわしいんですね?」
わたしが目をキラキラ輝かせながら、青葉先輩に期待の視線を向けると、先輩は笑顔で、
「いや、ぜんぜん。オレ、ほとんど幽霊部員だし」
と答え、わたしはガックリと肩を落としました。
「でも、園芸部の部長とは友だちだから、花の育てかたや庭の手入れのしかたについて書かれた本を借りてきてあげるよ」
「え! ほ、本当ですか!? ありがとうございます! うれしいです!」
「ただ本を借りてくるだけなのに、そんなに目をうるませて喜ばれても……」
青葉先輩は苦笑しながらそう言いましたが、好きな殿方に優しくされてよろこばぬ乙女などおらぬのです!
「よーし、がんばるぞ! わたし、自分の夢を叶えることも、自分の大好きな人たちの夢を応援することも、全力の前のめりでがんばります!」
青葉先輩。わたしは、静子さんの夢だけでなく、かぐやお姉ちゃん、椿ちゃん、そして、先輩の夢を応援していますよ。だから、夢をあきらめないでください。
わたしは、そう強く願いをこめながら、青葉先輩にニコリとほほ笑みました。