6 新生活、スタート!
「なるほど……。こいつが、オバケの正体だったのか」
翌朝、食堂に顔を出した青葉先輩は、卵焼きを焼いているわたしの足元にまとわりついていたウサギの首根っこをつかんで持ち上げ、自分の顔に引き寄せてギロリとにらみました。
「昨晩は、おまえのおかげで、オレは床の下に落ちて蜘蛛の巣まみれになったんだぞ」
このウサギちゃん(女の子)は、あのジャングルみたいな庭を住みかにして、夜中にお腹が空くと、おぼろ荘の食堂にある野菜を盗み食いしていたのです。
そして、あの「カリカリ……。カリカリ……」という音は、ウサギちゃんがおぼろ荘のあちこちの壁をかじっていた音でした。歯がどんどんのびるウサギは、何かをかじって歯をけずる習性があるのだと、ネットで調べて分かったのです。
「まあまあ、青葉先輩。オバケだと思っていたのが、こんなにも可愛らしいウサギちゃんだったと分かったのですから、よかったじゃないですか。ポジティブ・シンキングですよ♪」
わたしが、愛らしいウサギちゃんをデレデレとした顔で見つめながら言うと、
「無責任な前の飼い主が、面倒を見られなくなって、うちの庭に捨てていったのかもねぇ。かわいそうに。この子は、おぼろ荘のみんなで飼おうと思うんだが、どうだい?」
「あたしは賛成! 名前はオボロちゃんでいいんじゃない? きっと、おぼろ荘のマスコットキャラになってくれるよ!」
「ウサギを主人公にした、ちょっとファンタジックな物語とか書いてみたら面白いかも~」
静子さん、椿ちゃん、そして、かぐやお姉ちゃんも、すでにウサギ――椿ちゃん命名、「オボロちゃん」――を受け入れる気満々だったのでした。
「やれやれ……。女の人は、可愛い生き物に弱いからなぁ」
青葉先輩はあきれたようにため息をつきましたが、ウサギをおぼろ荘の一員に加えることに反対はしませんでした。
先輩は優しい人ですから、オボロちゃんをこのまま保健所に届けてしまうのはかわいそうだと考えているのでしょう。
「ところで、前野さんは何をやっているの?」
青葉先輩は、オボロちゃんを自分の手から解放してあげると、そう言いました。
「え? わたしですか? わたしは、みなさんの朝ご飯を作っているんです」
わたしがそう答えると、静子さんが、
「昨日は、ちょ~っと暴れすぎたものだから、腰が痛くってねぇ……。絵里ちゃんが、料理が得意だと言うから、かわりに食事を作ってくれるようにお願いしたんだよ」
と、面目なさそうな顔をして言いました。
「そんなに気にしないでください、静子さん。わたし、料理は好きですから」
足のケガで陸上の練習がまったくできなくなってから、リハビリ以外に何もすることがなくて元気がなかったわたしに、お母さんがたくさんの料理を教えてくれたのです。
「料理というのはね、『食べてくれる人が笑顔になってくれますように』と願いをこめて作る、愛の魔法なのよ」
お母さんが言った通り、料理は魔法でした。
お父さんとお母さんが、わたしの作った料理を幸せそうに笑って食べてくれるのを見て、わたしまで幸せな気持ちになり、
「だれかの笑顔のおかげで、自分まで笑顔になれるんだ。幸せというのは、笑顔を分かち合うことなのかも……」
と、思いました。
これまで、陸上競技で自分が一番になることだけしか頭になかったわたしは、料理をきっかけに、自分だけでなく人を幸せにできる人間になりたいと願うようになりました。
それが、きっと、わたしの幸せにもつながるのです。
「どれどれ……」
知らない内に、青葉先輩がわたしの耳に息がかかるぐらいすぐ近くにいて、わたしはドキッとしました。
先輩は、わたしのそんな気も知らず、できたての卵焼きをつまみ食いをしたのです。
「あ! 先輩ったら、ダメですよ」
大人っぽい青葉先輩にも、つまみ食いなんかをする子どもっぽいところがあるんだなぁ、可愛い! などと内心思いつつ、わたしはいちおう注意しました。すると、
「うまい! へえ、前野さん、本当に料理が上手なんだな」
先輩が、満面の笑顔でわたしをほめてくれたのです。
「そ、そうですか? え、えへへ。えへへ……」
先輩にほめられたうれしさのあまり、すっかり舞い上がってしまったわたしは、顔がにやけてしまうのを止められませんでした。
☆ ☆ ☆
みんなで朝食を食べた後、わたしと椿ちゃんは真新しい制服に身をつつみ、青葉先輩と一緒におぼろ荘を出ました。
今日は、わたしと椿ちゃんがこれから通う、夢ノ貝学園の入学式なのです!
二年生の青葉先輩は、明日から学校なのですが、
「ヴァイオリン教室がずっと休みだから、最近は学校の視聴覚室を借りて、そこでヴァイオリンの練習をしているんだ。今日も練習をするから、一緒に行ってやるよ」
と、初めて学園に行く一年生のわたしたちの道案内をしてくれたのです。
青葉先輩の話によると、中高一貫校である夢ノ貝学園は、小高い丘の上に建っていて、この街の海や自然、街並みを校舎から見渡すことができる素敵な学校だとか!
素敵な学園で、素敵な友だちや思い出をたくさん作れそうな、そんな予感がします!
「前野さん。そっちは高等部の正門だよ。オレたち中等部は、あっち」
わたしが楽しい学園生活を妄想して「うふふ、うふふ……」と一人で笑いながらぼんやり歩いていると、青葉先輩にそう声をかけられました。
あっ、しまった。知らない内に、高等部の制服を着た人たちの中にまぎれこんでしまっていました。高等部も、今日は中等部と同じく一年生の入学式なのです。
わたしは、あわてて青葉先輩と椿ちゃんのもとに戻ろうとして、高等部の女子生徒さんと肩をぶつけ合ってしまいました。
「す、すみません! ケガとかしていませんか?」
「へーき、へーきデス。こっちこそ、ごめんナサイ」
おや? 何だか、日本語のイントネーションが微妙におかしいような……?
そう思い、ぶつかった女子生徒さんの顔を見てみたら、なんと、キラキラと輝く金髪と青い瞳をした外国人の美少女だったのです!
「ほ、ほへぇ~……」
わたしが金髪碧眼の少女の美貌に見とれてボーッと立ち尽くしていると、彼女はダイヤモンドの輝きすらかすんでしまうようなまぶしいほほ笑みでわたしにウィンクし、
「またネ、大和撫子サン」
と言って、高等部の正門をくぐっていったのでした。
大和撫子というのは、清楚で美しい日本の女性を撫子の花にたとえてほめる時に使う言葉ですが、わたしが秋の野にささやかに咲く撫子なら、さっきの金髪美少女は夏に大輪の花を咲かせる、華やかなヒマワリといったところでしょう。
「留学中の外国人さんでしょうか。とてもキレイな人! でも、どこかで見たような……?」
わたしがそうつぶやくと、いつの間にかわたしの横にいた椿ちゃんが、
「一度でいいから、外国の美少女のコーディネートをしてみたかったのよね……。金髪の女の子が和服とか着たら、どんな感じになるのかしら? フ……フフフ……フフフ」
と、何やら邪悪な笑みを浮かべていました。
さっきの金髪の女の子が椿ちゃんに捕まらないことを祈っておきましょう……。
☆ ☆ ☆
体育館で盛大な入学式が行なわれた後、一年生のクラス分けの発表がありました。
「絵里ちゃん! 同じ一年三組だね! よかったぁ!」
「はい! わたしもうれしいです! これから、おぼろ荘でだけでなく、学校でもよろしくお願いします!」
わたしと椿ちゃんは幸運にも同じクラスになり、手を取り合って喜びました。
「あれ? 椿、その子、だれ?」
教室での初めてのホームルームが終わり、本日は解散となった後、まだ教室に残っておしゃべりをしていたわたしと椿ちゃんのところに、四人の女の子たちがやって来ました。
椿ちゃんとお知り合いのようです。たぶん、小学校の同級生だった子たちなのでしょう。
「わたしは、椿ちゃんのおばあちゃんが管理人をしているおぼろ荘の住人で、前野絵里といいます。どうか、よろしくお願いいたします」
わたしが丁寧な所作でお辞儀をすると、クラスメイトの子たちも、
「はあ、こ、これはどうも、ご丁寧に……」
と、ちょっとうろたえながら(どうしたのでしょうか?)、お辞儀をしてくれました。
「前野さん、あのおんぼろ荘に住んでいるんだ……。オバケが出るっていうウワサだから、気をつけてね?」
「おんぼろ荘とは失敬な! お・ぼ・ろ・そ・う、だよ! それに、オバケなんていないんだから!」
プンスカと怒った椿ちゃんが、昨夜のおぼろ荘での冒険とオバケの正体がウサギだったことをみんなに説明しました。
「へえ、そうだったんだ。そのオボロちゃんっていうウサギ、可愛いの?」
「うん! ちょ~可愛いよ! みんな、見に来る?」
「見せて! 見せて! オバケが出る心配がないのなら、おぼろ荘に遊びに行くよ!」
「それじゃあ、決まりね。絵里ちゃん、みんなで帰ろうか?」
「あっ……。わたしは……」
学校の友だちとワイワイおしゃべりしながら帰るのは、とっても楽しいです。
でも、わたしは、今日、どうしても学園でやっておきたいことがあったのです。
「ごめんなさい。わたし、陸上部に入部届を出しに行きたいんです」
「え? 絵里ちゃん、入学した初日にもう部活決めちゃうんだ!」
「はい。わたしの夢は、陸上選手になることですから。まだドクターストップ中なので練習には参加できませんが、部員のみなさんの練習を見学することでも、競技の技術などを学ぶことはできますし」
わたしは、教室の窓からグラウンドを見下ろしながら言いました。
グラウンドでは、陸上部と思われる生徒たちが、練習を始めるため、ハードルを出したり、トンボ(グラウンドを整備するT字型の道具です)で地面をならしたりしています。
わたしも、早く練習に参加したい……。でも、今は、復帰できる時が来るまで辛抱です。
それまでに、右足を使うことに対する恐怖心を克服しておかないと……。
「そっかぁ……。絵里ちゃんも、あたしがスタイリストになりたいと思っているように、素敵な夢を持っていたんだ。分かった! 絵里ちゃん、がんばって! 応援しているよ!」
椿ちゃんがそう言い、わたしの肩を元気よくたたきました。他のクラスメイトたちも、
「陸上選手かぁ、すごいなぁ。もしもオリンピック選手になったらサインちょうだい!」
と、わたしを励ましてくれました。
「みんな、ありがとうございます! わたし、がんばります!」
椿ちゃんたちに背中を押され、勇気づけられたわたしは、陸上部が練習をしているグラウンドに向かいました。
よーし! 前向きに……いいえ、前のめっていきましょう!