4 おぼろ荘の静子さんと椿ちゃん
夕方には荷ほどきを終えたわたしとかぐやお姉ちゃんは、おぼろ荘の大家さんが住んでいる一階の管理人部屋へごあいさつに行くことにしました。
「大家さんは、どんなかたなんですか?」
「日永静子さんというおばあちゃんでね、今年で七十二歳になるんだけれど、五十代ぐらいにしか見えない若々しくて元気な人よ。ちょっと性格が大ざっぱすぎるけど」
大ざっぱなのは、かぐやお姉ちゃんも同じ……げふん、げふん。いえ、何でもありません。
「静子さーん。二○一号室のかぐやです~。お邪魔しますよ~」
かぐやお姉ちゃんは静子さんの部屋の前で一言そう言うと、ドアを勝手に開けて、部屋の中に上がりこみました。
「お、お姉ちゃん。勝手に入っちゃって、大丈夫なんですか!?」
「カギはいつでも開けているから、用事がある時は好きに入って来ていいって。おぼろ荘で暮らし始めた時、静子さんにそう言われたから」
なるほど。たしかに、大ざっぱ……いいえ、おおらかな人なんですね。
「静子さ~ん。あれ……?」
わたしが、かぐやお姉ちゃんの後に続いて廊下を歩いて行くと、居間らしき和室から複数の話し声が聞こえてきました。
「母さん。こんなおんぼろ荘の大家なんてやめて、オレたちと一緒に暮らそうよ」
「嫌だね。おぼろ荘の住人がみんないなくなるまでは、じいさんとの思い出がつまったこのアパートを守っていきたいんだ」
わたしとかぐやお姉ちゃんがこっそりのぞきこむと、派手なアロハシャツにジーパンという若者のような服装をしたおばあちゃんが、あぐらをかいてコーラ(強炭酸)を飲んでいました。
たぶん、このおばあちゃんが静子さんなのでしょう。
そして、静子さんを説得している眼鏡をかけた大人しそうな男の人は、静子さんの息子さん。横にいる女性がそのお嫁さん。……だと思います。
静子さんの隣に座ってつまらなさそうにあくびをしている、わたしと同い年ぐらいの女の子は、静子さんの孫娘でしょうか?
「でもねぇ、お母さん。近所に六階建ての立派なアパートができてから、ここに住もうという人はめっきり減ってしまったじゃないですか」
「今日、新しい住人が入る予定だよ。中学生の女の子が」
「おんぼろ荘にオバケが出るというウワサが流れるようになってから、続々と住人が逃げ出しているじゃないか。大工の源さんも、おんぼろ荘を去ったんだろ?」
「おんぼろ、おんぼろ、言うなぁーーーっ!! このアパートの名前は、おぼろ荘じゃーーーっ!!」
激怒した静子さんがほえるように怒鳴ると、静子さんの口から何かが勢いよく飛び出し、
ゴツン!
と、息子さんの顔に命中しました。
「出たぁぁぁ! ばあちゃんの入れ歯飛ばしぃぃぃーーー!!」
静子さんの孫娘が、スポーツ実況のアナウンサーのように、そうさけびます。
「いふらしぇっとくひても、あたひはでてひかないよっ! (いくら説得しても、あたしは出ていかないよっ!)」
静子さんは入れ歯のなくなった口で怒鳴り続け、息子さんとお嫁さんを部屋から追い出してしまいました。
わたしとお姉ちゃんは、たたき出される二人の背中をぼうぜんと見つめていました……。
☆ ☆ ☆
「おや? かぐやちゃん。いたのかい」
畳に転がっていた入れ歯をひろい、つけ直した静子さんが、ようやくわたしたちの存在に気づき、わたしたち姉妹にほほ笑みかけました。
あれ? さっきまではものすごい迫力だったのに、こうして笑っていると、とても優しそうなおばあちゃんに見えます。
「ビックリさせてごめんね。うちのばあちゃん、ふだんは優しいんだけれど、おぼろ荘の悪口を言われると、超ハイテンションで激怒しちゃうんだ」
そう説明してくれたのは、静子さんの孫娘でした。
「あたし、日永椿。おぼろ荘の大家である静子ばあちゃんの孫よ。明日から中学生なの」
「わたしは、今日からこのアパートでお世話になる前野絵里です。よろしくお願いします。わたしも、夢ノ貝学園の中等部の一年生になります」
「え!? じゃあ、明日から同じ学校に通うんだ! おお~、これはスゴイ偶然ですなぁ~」
椿ちゃんはとてもフレンドリーな女の子らしく、初対面のわたしの手をにぎり、うれしそうにピョンピョンと飛び跳ねました。
わたしも、引っ越し先のこの街に慣れることができるか少し不安だったので、同年代の女の子とこうして知り合うことができたのは、とてもうれしいです。
「大家さん。これから、姉のかぐやともども、どうかよろしくお願いいたします」
わたしが静子さんに丁寧にあいさつをして、ぺこりとお辞儀をすると、静子さんはニコニコと笑い、「こちらこそ、よろしく」と言ってくれました。
「あたしのことは、静子さんと呼んでおくれ。ふむふむ。かぐやちゃんの妹にしては、礼儀正しくてよくできた娘さんだねぇ」
「し、静子さん。その言いかただと、わたしがまるでダメな大人みたいに聞こえるじゃない……」
「え? 朝、一人で起きられず、大家のあたしに毎日起こしてもらっている人間が、ダメな大人じゃないのかい?」
「ぐ、ぐぬぬぬ……」
かぐやお姉ちゃんは、半べそになりながら悔しそうにうなりました。
「すみません、静子さん……。これからは、わたしがお姉ちゃんのお世話をしますので……」
人さまにご迷惑をかけるなんて……。ううう、妹として恥ずかしいです……。
「ねえねえ、絵里ちゃん。あたしの部屋にちょっと来て!」
あまり落ち着きがない椿ちゃんは、なぜか目をキラキラ輝かせて、わたしの腕を引っ張り、別の部屋にわたしを連れこみました。
「ここが椿ちゃんの部屋なんですか? ご両親とは一緒に住んでいないんですか?」
可愛らしい服がいっぱいある部屋を見回し、わたしはそう聞きました。
「パパやママと暮らしているよ。でも、おぼろ荘に一人でいるばあちゃんのことが心配だから、週の半分はここで寝泊まりしているの」
「へえ~。それはおばあちゃん孝行な……。って、いきなり、な、な、何をするんですかーっ!」
椿ちゃんは、突然、わたしにおそいかかり、わたしの服を脱がそうとしてきたのです!
「なーんにも恐いことはしないから、大人しくしててね。ぐへへぇ~」
「ぐへへって、めちゃくちゃ恐いんですけれど!?」
「問答無用ーーーっ! そりゃぁーーーっ!」
「あ~れ~っ!」
神業のごとき素早さで、わたしは服を着替えさせられ、気がついた時にはお姫様みたいなフリルがいっぱいのドレスを着ていました。
「な、何ですか、これ~!?」
「すっごく可愛いよ、絵里ちゃん! ひと目見た時から、お姫様みたいなかっこうが似合うと思っていたのよねぇ~!」
興奮しながらそう言いつつ、椿ちゃんはスマホでバシャバシャとわたしの写真を撮り続けています! や、やめて~! 恥ずかしい~!
「わたしね、将来の夢はスタイリストなの。キレイなモデルさんや芸能人、アイドルとか、いろんな人のコーディネートをする人になりたいんだ! 服も自作しているんだよ!」
「な、なるほど。それはとてもステキな夢……。き、きゃーーー! また着替えるんですかー!?」
「絵里ちゃん、アイドル並みに可愛いんだもん! もっといろんな服を試させて!」
「ふにゃぁぁぁ~! お姉ちゃん、助けて~!」
この後、わたしは一時間ほど、椿ちゃんの着せ替え人形になるのでした……。