20 前のめりになってでも!(最終回)
「それーっ! 進めーーーっ!」
セバスチャンコさんが二頭の馬を走らせ、わたしたちを乗せた馬車は猛スピードで道路を駆けぬけます。
自動車たちは、突然現れた馬車にビックリしてみんな停止し、道を譲ってくれました。
それにしても、ガタガタ揺れて、舌を噛みそうです!
「ば……ばあちゃんを連れて来なくて、本当によかったよ……」
わたしの体にしがみついている椿ちゃんが、そうつぶやきました。
腰が痛くて動けないため、静子さんはお留守番することになったのです。
「みんな! 光くんのヴァイオリンのこと、頼んだよ!」
静子さんはそう言ってわたしたちを見送ってくれましたが、たしかに、こんなに揺れていたら、腰の弱い静子さんにはこの馬車は無理ですね……。
「お酒を飲んでもいないのに、二日酔いみたい。ぎもぢわるい……。うえぇぇぇ……」
「わー! かぐやお姉ちゃん! こんなところでリバースしないでくださいね!?」
「みんな! 着きましたヨ! あそこが例の廃工場デス!」
エイミーさんがおぼろ荘に負けないくらいボロボロの工場を指差すと、セバスチャンコさんは馬車をとめ、わたしたちは馬車から飛び降りました。
「工場の扉が内側からカギがかかっていて、入れません!」
「絵里さん、どいていてください!」
セバスチャンコさんは扉の前に立つと、右足を勢いよく旋回させて回し蹴り!
ドカーーーン!
ものすごい衝撃を起こして、扉の内側のカギを破壊したのです!
「さすがデス! セバスチャンコ!」
「おほめいただき、感激です! さあ、誘拐犯どもを捕まえましょう!」
誘拐犯たち三人は、わたしたちがいきなり自分たちの隠れ家に現れておどろいたようで、
「な、なななな何だ!? どうして、オレたちの居場所が分かった?」
と、大パニック! 丸顔の男なんか、腰をぬかしてしまっています。
「光先輩のヴァイオリンを返してください!」
「い、嫌だね! このヴァイオリンは高く売れそうなんだ。だれが返すか!」
スキンヘッドの男がそう言ってわたしたちをにらみました。
「貴様たち、まだそんな愚かなことを言うのか! いいだろう、わたしが懲らしめてやる!」
激怒したセバスチャンコさんは、足元に転がっていた鉄パイプをひろうと、何と両手で軽々と折り曲げ、三人組の足元に投げ捨てたのです。
「ひ、ひぃぃぃ! なんて怪力だ!」
「セバスチャンコ、ストップデス。アナタたち、お願いですカラ、ヴァイオリンを返してクダサイ。それは、光が夢を叶えるために必要な大切な物なのデス」
「わ、分かった。ヴァイオリンは返すから、い、命だけは助けてくれ~!」
すっかりおびえてしまったあごヒゲの男がわたしにヴァイオリンケースを渡し、三人組はほうほうのていで工場から逃げ去りました。
「よ、よかった! お姉ちゃん、今、何時ですか?」
「午前九時よ。あと一時間で、光くんの演奏の時間だわ。急ぎましょう!」
わたしたちは馬車に再び乗り、隣町のコンクールの会場に向かいました。
しかし、思わぬアクシデントが起きてしまったのです。
☆ ☆ ☆
「そこの馬車! とまりなさーい! そこの馬車! とまりなさーい!」
パトカーのサイレン音。
隣町に入り、コンクール会場まであとちょっとというところで、わたしたちが乗った馬車が警察に呼び止められてしまったのです。
「ダメじゃないですか、スピード違反なんてしたらぁ。馬車も制限速度は守ってくださいよぉ」
どうやら、馬車はオーケーだったけれど、スピード違反で捕まってしまったようです。
困ったことに、セバスチャンコさんは警察の人たちにガミガミと叱られていて、馬車を動かすことができません。
「すぐ近くまで来ているのに……。このままだと、間に合わないわ……」
かぐやお姉ちゃんが、腕時計をにらみながら、そう言いました。
「そんなの……絶対にダメです」
ここまで来て、あきらめられません。光先輩にヴァイオリンを届けると約束したのに!
「わたしは……いつだってポジティブ・シンキング! 馬車が動かないのなら、わたしが走ってヴァイオリンを届けます!」
「ええ!? 絵里、本気なの?」
「無理しちゃいけないよ、絵里ちゃん。せっかく足が治ったばかりなのに」
「かわりにワタシが……。でも、ワタシ、足が遅いカラ……」
かぐやお姉ちゃん、椿ちゃん、エイミーさんがそう言いましたが、
「ここからコンクール会場はそう遠くありません。ケガする前と同じスピードは出せないでしょうが、走ったら、十時までには間に合うはずです」
「絵里ちゃん……。そこまでして、ひかるん先輩の力になりたいんだね」
わたしの先輩に対する気持ちを分かってくれている椿ちゃんがそう言うと、わたしはこくりとうなずきました。
「そっか。だったら、あたしは止めないよ。……行って来い、前のめりちゃん!」
椿ちゃんは、ポンとわたしの背中を押してくれました。
「え、絵里……」
「ここで止めたら野暮だよ、かぐやさん。かぐやさんだって、愛のためにがんばる女の子の一人や二人、小説で書いたことあるでしょ? 今の絵里ちゃんは、まさにそれなんだよ」
「へ!? 絵里がだれのことを愛しているっていうのよ?」
「えぇぇぇ……。姉のくせして、気づいてなかったんだ。鈍感だなぁ」
「ワタシも知ってマシタヨ、絵里の気持ち!」
「わ、わ、わたしだって、知っているわよ! 分かったわ、絵里、気をつけてね! お姉ちゃん、絵里のことを応援するって決めたもん! わたしが妹の一番の理解者だもん!」
半泣きのかぐやお姉ちゃんはそう言い、わたしの手をにぎりました。
「ありがとうございます、お姉ちゃん。……光先輩のこと、戻ったらちゃんと話しますね」
「え!? 絵里が好きな子って、光くんだったの?」
あはは……。やっぱり、分かっていなかったんですね。
わたしは、肯定の意味でお姉ちゃんにウィンクをすると、ヴァイオリンケースを背負って走り始めました。
☆ ☆ ☆
走り出してわたしがまず思ったことは、
「ヴァイオリン、重たっ!」
でした。こんな重たい物を背負いながら走るのは、き、きつい……!
相変わらず、右足は生まれたての小鹿みたいにプルプル震えるし、スポーツをバリバリやっていたころに比べて体力がなく、心臓がバクバク言っています。
で、でも、こんなところでへこたれていてはいけません!
わたしは、頬をつたう汗をぐいっとぬぐい、速度をゆるめず走り続けます。
光先輩の演奏時間まで、あと十五分。ここで立ち止まったら、間に合いません!
「はぁ……はぁ……。め、めまいが……。くっ……! まだまだぁーっ!」
大きな病院の前を通りかかった時、一瞬、わたしの視界がぐらりとゆがみましたが、何とか踏ん張り、倒れませんでした。
光先輩は、わたしのことを信じて待ってくれている。その信頼にこたえたい。先輩のヴァイオリンにかける夢を守りたい。だから……。
「わたしは、立ち止まりません!」
そうさけび、わたしは気合を入れて、スピードを上げようとしました。
ですが、その時、
「お、おい! 危ないぞ!」
聞き覚えのある声がしたと思った次の瞬間、
「きゃあ!」
わたしは、病院の門の前で立っていただれかと衝突し、転倒してしまったのです。目がかすんでいたせいで、前方に人がいることに気がつかなかったのでした。
「ま、前野絵里。おまえ、なんでこんなところに……。しかも、そんな本調子じゃない足で、ヴァイオリンなんて背負って、なぜ死に物狂いで走っているんだ」
桂先輩が、とてもおどろいた表情でわたしを見下ろしていました。
わたしがぶつかったのは、桂先輩だったみたいです。
「桂先輩、すみません。わたし……痛っ!」
右ひざに痛みを感じ、わたしはドキッとしました。もしかして、右ひざの腱がまた……。
「おまえ、右ひざから血が出ているぞ」
「出血……。よ、よかった……。すりむいただけだった……」
「よくないだろ。早く手当てをしないと」
「ごめんなさい! あとでちゃんとします! 今は、それどころじゃないんです!」
わたしはよろよろと立ち上がり、おぼつかない足取りでまた走り始めました。
「ちょっと待てよ! いったい何をやっているのか知らないが……。おまえは、何でいつもそんなに一生懸命なんだ。なぜ、そこまでボロボロになっても前を向いて立ち上がれるんだ」
「そうしないと、夢が遠ざかっていくからですよ! 夢をめざしてがんばっても、挫折してしまうことはあります。でも、前を向いてがんばらなくちゃ、何も成し遂げることはできません! 転んでしまうことを恐れていたら、ハッピーな未来はつかめないんです!」
わたしは走りながら振り返り、桂先輩に言いました。
「は、ハッピーな未来だと?」
「はい! 桂先輩のお姉さんだって、ハッピーな未来をつかむため、ポジティブにがんばっているんです。先輩も、お姉さんの幸せを願っているのなら、お姉さんを応援してあげてください!」
「……ま、前野絵里……!」
最後の力をふりしぼって全力ダッシュ! 桂先輩の声は次第に遠ざかっていきます。
そうです! わたしは、いつだってポジティブ・シンキング!
挫折して倒れてしまう時だって、前のめり! 後ろは向きません!
「どれだけ努力しても、失敗したらぜんぶムダになる」
昔はそう思っていました。でも、そんなことはない。
その努力は、もう一度立ち上がるための力になる。今までがんばってきたのだから、これからもやれるという勇気になるのです。
ポジティブに生きる。
前のめりに倒れても、立ち上がって、夢に向かって再チャレンジする。
それが、わたしのモットー!
「光先輩! わたし、走ります! 何たって、わたしは『前のめりちゃん』なんだから!」
★ ★ ★
「何だって? 君、ヴァイオリンを持っていないのか?」
出場者たちが控えている待合室で、次の演奏者である光を呼びに来た係員が、おどろいてそう言った。
光は「はい……」と答え、うつむく。
「ですが、もうすぐ、オレの仲間が持って来てくれるはずなんです。だから、あともう少しだけ待ってもらえませんか? オレの番まで、あと五分ありますから……」
「ダメだ。あきらめろ。君は、今すぐ棄権しなさい」
「お、お願いします! あきらめたくないんです! あきらめないって約束したんです!」
光は必死になって懇願したが、係員は厳しく、首を横にふった。
「ヴァイオリンがなかったら演奏なんてできないじゃないか。君は失格だ、失格!」
「ヴァイオリンなら……ここにありますっ!!」
係員の怒鳴り声の五倍以上はある女の子の大声が、騒々しい足音とともに聞こえてきて、待合室にいた全員が、おどろきのあまりビクッと飛び上がった。
「絵里ちゃん! よかった……。必ず来てくれると信じていたよ」
「光先輩! お、遅れてごめんなさい!」
待合室に飛びこんで来た絵里は、ヴァイオリンケースを光に渡すと、光の目の前でがくりとひざをおった。すっかり、疲労困ぱいしているようだ。
「絵里ちゃん、右ひざをケガしているじゃないか!」
「先輩。お願いだから、わたしの心配はあとにしてください。じゃないと、演奏の時間が間に合わなくなって、わたし……」
そうだった。絵里が負傷までしてヴァイオリンを運んで来てくれたのだ。ここでもたもたしていて失格になったら、それこそ絵里やおぼろ荘のみんなに申しわけない。
「……分かった。ありがとう、絵里ちゃん。係員さん、この子の手当て、お願いします!」
「え? あ、ああ……」
光はヴァイオリンを手にし、おおぜいの聴衆が待つ大舞台へと向かった。
「夢ノ貝学園中等部二年生、青葉光くんです。演奏する曲は、『愛の挨拶』。それでは、どうぞ――」
司会者からそう紹介されると、光は一度深呼吸をして、演奏を始めた。
(この曲にオレの真心をこめるんだ。おぼろ荘のみんなへの感謝の気持ち……。そして、いつもそばにいてオレの心をポジティブにしてくれる彼女への温かな気持ちを……)
メロディーは、愛をのせて、つむぎだされていく。
その音色にこめられた優しい気持ちは、客席の人々の心へと伝わり……真っ暗なコンクール会場の客席を別世界へと変えていった。
会場の人々は、陽だまりの下、春の優しいそよ風にふかれて、草原で愛する人と手をつないで眠っているような、そんな夢想を抱き、彼の演奏に心動かされたのである。
(エドワード・エルガーが、妻のアリスに『愛の挨拶』を贈った気持ちが、今なら分かる。だれよりも自分を理解して、愛してくれる人がそばにいる、この上ない幸せ……。その幸せをエルガーはアリスに伝えて、ありがとうって言いたかったんだ)
光は、絵里の笑顔を思い浮かべながら、魂をこめてヴァイオリンを演奏し続け、最後まで美しく愛に満ちた『愛の挨拶』のメロディーを奏でるのであった。
演奏が終わると、会場の人々は一斉に割れんばかりの盛大な拍手をし、若きヴァイオリニストをたたえた。
「光せんぱーーーい! すごい! すごいです! 素敵です!」
観客にお辞儀をした光は、自分が今一番聞きたかった少女の声を耳にして、ほほ笑んだ。
こんなにも拍手の音がうるさいというのに、かき消されることなく、ハッキリと聞こえる。
(絵里ちゃんの声は本当にでかいなぁ)
やりきって晴ればれとした気持ちの中、光はそう感心するのであった。
★ ★ ★
光先輩のコンクールの結果は、三位でした。
一位、二位、三位になった出場者たちの演奏は優劣がつかないくらい素晴らしく、審査員の人たちはとても悩んでいたようでしたが、結局、光先輩は三位になってしまったのです。
「絶対に優勝だと思ったのになぁ。わたし、光先輩の演奏が素晴らしすぎて泣いたんですよ」
「絵里ちゃんにそう言ってもらえたら優勝と同じぐらいうれしいよ。それに、今まで一度も入賞できなかったオレが三位になれたのは大きな前進だ。そして、次は必ず優勝してみせる」
そう言う声は力強く、今の光先輩、とってもポジティブでカッコイイです。
「……あの、光先輩。わたし、重たくありませんか?」
実は、わたし、コンクール会場から近くの駅までの道のりを光先輩におんぶしてもらっているのです。
わたしは恥ずかしいと言ったのですが、ケガをしているのに無理したらダメだと光先輩が言うので、お言葉に甘えてしまいまして……。
「平気だよ。軽いくらいだ。ていうか、ヴァイオリンをまた背負わせちゃってごめん」
「気にしないでください。だって、わたしをおんぶしているから、光先輩がヴァイオリンを背負えないじゃないですか」
わたしたちがそんな会話をしていると、思いがけない人が声をかけてきました。
「おい、前野絵里。ケガは大丈夫なのか」
「え? か、桂先輩!? あ、は、はい……。お、おかげさまで……」
光先輩におんぶしてもらっている時に、学校の知り合いと遭遇してしまい、わたしは恥ずかしさのあまり、しどろもどろになってしまいました。
桂先輩は、相変わらず鋭い目つきでわたしをにらんでいましたが、やがて、ハァ~とため息をつくと、おどろくべきことを言ったのです。
「入部届、明日の放課後、提出しに来い」
「……え!? き、急にどうしたんですか? さっきぶつかった時、頭でも打ちましたか!?」
「ち・が・う! ……今日、姉さんが、医者に『もう病院に来なくてもいい』と言われたんだ。つまり、完治したっていうことだ。そんなことがあったから、今日は機嫌がいいだけだ」
桂先輩は、お姉さんのつきそいで病院に来ていたんですね。だから、病院の前にいたんだ。
「……それに、おまえの超ポジティブ精神に、オレが根負けしたというのもあるがな。まったく……。姉さんといい、おまえといい、オレはなんで、あきらめが悪くて危なっかしい女を守ってやりたくなるんだ……」
桂先輩が小声で何かつぶやきましたが、わたしには聞こえず、「え?」と聞き返しました。
「何でもない! 明日、入部届を持って来るのを忘れるなよ! オレの機嫌がいいうちに持って来るんだぞ!」
そう怒鳴ると、桂先輩は走って行ってしまいました。
「や……やったーーーっ! ありがとうございます、桂先輩!」
わたしは喜びのあまり光先輩の背中の上でバンザイをして、桂先輩にお礼を言いました。でも、桂先輩の姿はもうかなり遠くにあり、先輩は振り返りませんでした。
「よかったな、絵里ちゃん。陸上選手の夢への道のりが、ようやく再スタートできるな」
「はい! 光先輩! このことを早く帰って、おぼろ荘のみんなにも報告しないといけませんね!」
「いや、今すぐ伝えられそうだよ。ほら」
光先輩が指差した信号の向こう側には、かぐやお姉ちゃん、椿ちゃん、エイミーさん、セバスチャンコさんが、満面の笑顔でわたしたちに手を振っていました。
「絵里ぃ~! 今夜のご飯は、静子が久しぶりに料理をしたいからハンバーグをつくってくれるって、電話がありマシタ!」
エイミーさんがそう言うと、光先輩は「生焼けハンバーグ……」とつぶやいて青ざめました。わたしは、ウフフと笑い、光先輩に言います。
「帰りましょう! わたしたちのおぼろ荘へ!」
――おしまい――
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
この世界では、毎日、色んな人たちが色んな挫折や苦しみを味わっていると思います。
それでも、「自分という人間の可能性」を諦めず、前のめりになってでも前進していこうというポジティブな心を忘れなかったら、いつかきっと幸福や栄光をその手につかめるはずだと私は信じています。
私は、みなさんにも、自分の夢や可能性を自ら見捨ててしまうという悲しいことをせず、未来に希望を持ってがんばっていって欲しいと願います。
そんな願いから生まれたのが、この『おんぼろ荘の前のめりちゃん!』という作品でした。
みなさんも、悲しいことがあってもネガティブ思考にならず、ポジティブに……前のめっていきましょう!




