19 ヴァイオリンの行方
夜が明けました。
音楽コンクール開催まで、もう時間がありません。
「まさか、オレのヴァイオリンがさらわれるとはな……」
床下から救い出され、体についた生ゴミの臭いをシャワーで洗い流した光先輩が、完全に意気消沈した声で言いました。
「光くん、本当にごめんよぉ……。あたしが、あの時、調子に乗らなかったら……」
「静子のせいじゃありまセン。ワタシがおぼろ荘に来なかっタラ、こんなことニハ……」
「二人とも、やめてください。すべては、オレの不幸体質のせいですから。それに、エイミーさん。おぼろ荘に来なかったらなんて、寂しいことを言わないでくださいよ。エイミーさんとセバスチャンコさんがここに来て、おぼろ荘はすごくにぎやかになったんだから……」
大切なヴァイオリンを失い、他人の気持ちを気づかっている余裕なんてないはずなのに、青ざめた顔の光先輩は無理に笑顔をつくり、静子さんとエイミーさんをなぐさめました。
でも、光先輩……今にも泣き出しそうです。必死に、悲しみをおさえています。
光先輩は優しくて、強い人です。こんな理不尽な不幸におそわれても、苦しむのは自分だけでいい、他の人は悲しませまいと笑顔をつくって……。
「今回は出場できないけれど、このコンクールはまた来年にもあるから……。あきらめるしかないですよ。ははは……」
悲しい笑顔で、光先輩は声をわずかに震わせながら言いました。
……ダメですよ、先輩。そんなの……。
「あきらめたらダメですよ、先輩! あきらめないって、約束してくれたじゃないですか!」
光先輩の痛々しい笑顔を見ていて、わたしは胸が痛くなり、たまらずそうさけびました。
「絵里ちゃん……?」
光先輩だけでなく、おぼろ荘のみんなもおどろいてわたしを見ます。
「あきらめるなと言われても、オレにはヴァイオリンがないんだ。棄権するしかないだろ?」
「必ずヴァイオリンを取り戻して、コンクールの会場まで届けます! だから、光先輩は会場に向かってください!」
わたしは、自分の息が光先輩の鼻にかかるぐらいの距離まで詰め寄り、そう言いました。
先輩は、わたしの気迫にたじろぎ、ごくりとツバを飲みました。
「あの三人組はどこにいるのか分からないんだ。コンクールでオレの出番が始まるまでにヴァイオリンを取り戻すなんて、無理に決まっているじゃないか……」
「たしかに、非常に困難なことでしょう。無理かもしれません。でも、最後の瞬間まで、あきらめない。自分の夢を見捨てない。それが、わたしのポジティブ・シンキングなんです!」
「うっ……」
光先輩の顔がなぜか真っ赤です。何だろうと思ったら、わたしが顔を近づけさせすぎたため、わたしと光先輩はキスする寸前の距離にまで接近していたのです。
「あわわ! ご、ごめんなさい!」
わたしはあわてて、光先輩からガバッと離れました。
「これは、光くんの負けだね」
静子さんが、腰が痛いのを我慢しながら笑い、光先輩に言いました。
「絵里ちゃんの言う通りさ。人間が神様にあたえられた一生の時間なんて限られている。その限られた時間の一瞬、一瞬をあたしたちは一生懸命に生きなきゃいけないんだ」
「そうだよ、ひかるん先輩。あたしだって、自分がデザインしてつくった服がみんなに喜んでもらえるか不安でも、チャレンジしなきゃ何も始まらないと思って、つくっているんだ」
「うん。わたしも、小説を書いている時に、このストーリーで本当に新人賞なんてとれるのかなぁって悩むけれどさ、物語をちゃんと最後まで書ききらないと作家デビューの栄光はつかめないんだって自分に言い聞かせてがんばっているよ」
「光。みんなのアナタを想う和の心が、きっとアナタを助けてくれマス。ワタシも、アナタのためにヴァイオリンを必死になって探しマス。だから、アナタは会場にGOデス!」
静子さんに続き、椿ちゃん、かぐやお姉ちゃん、エイミーさんまでもが、力強い言葉で光先輩の背中を押してくれました。
「光先輩……」
わたしは、祈るような眼差しで、光先輩を見つめました。
「……まいったな。そんな顔をされたら、あきらめるなんて、もう二度と言えないよ」
わたしたちの気持ちが伝わり、うつろだった光先輩の目に光が戻りました。
「じゃあ、今から行って来るよ! 出場者は早めに会場入りしないといけないから!」
「はい! 光先輩! ……あっ、でも、朝ご飯がまだ……」
「一刻も早く出発したいから、コンビニでおにぎりでも買うよ。一歩外に出たら、鳥にフンをかけられ、車や自転車にはねられかけ、出前中のピザ屋が落としたピザが顔に飛んできて、オレのまわりだけ局地的豪雨になり……みたいな様々な不幸がオレを待ち受けているんだ」
「それは不幸というより、呪われて……」
思ったことをペロリと口にしてしまう椿ちゃんがうっかりそう言いかけましたが、今回は何とか自分で空気を読み、あとの言葉を呑みこみました。
「……分かりました。光先輩、(死なないように)気をつけて行って来てください! 必ずヴァイオリンをコンクール会場に届けますから!」
「ああ。オレがヴァイオリンを演奏する順番は、けっこう前のほうで午前十時ごろになると思うから、その時までによろしく頼む!」
そう言うと、光先輩は服を着替えて、おぼろ荘を出ていきました。
☆ ☆ ☆
「さて、どうやってあの誘拐犯三人組を見つけ出すかだね……」
光先輩がいなくなった後、食堂のイスに腰掛けた静子さんが、おぼろ荘のみんなを見回してそう言いました。
「町中を歩き回って捜索するしかないんじゃない?」
「かぐやさ~ん。そんなの、日が暮れても見つからないってばぁ。小説家なんだから、もっといいアイデアを出してよぉ」
椿ちゃんが文句を言うと、かぐやお姉ちゃんはすねて、ぶつぶつとぼやきました。
「そんなことを言われても、思いつかないもん。どうせ、わたしは三流小説家ですよーだ……」
お、お姉ちゃん。今はいじけている場合じゃないですってば。
「……わたしの同志の力を借りたら、見つけ出すことができるかもしれません」
今まで黙りこんで何やら悩んでいる様子だったセバスチャンコさんが、突然、そう言い出し、おどろいたわたしは「同志って、何のことですか?」と聞きました。すると、
「これまで姫様に隠してきましたが……。わたしは、ある巨大な組織の副会長なのです」
セバスチャンコさんが、エイミーさんにひざまずき、そう告白したのです。
「ある巨大な組織……!? ご、ごくり……。それは……何の組織なのデスカ?」
自分に忠実な執事であるセバスチャンコさんが、何か恐ろしい悪の組織の一員だったのではと思い、ショックを受けた様子のエイミーさんがそうたずねました。
「それは…………」
セバスチャンコさんは、ひどく言いにくいことらしく、言葉を濁していましたが、やがて、意を決し、エイミーさんに真実を話しました。
「世界各国に存在する会員の数は約九千万人……。フィリア王国公認のエイミー王女様ファンクラブです……っ!」
「は、ハイ!? 何デスカ、ソレハ! ワタシ、そんなファンクラブ、知りませんヨ⁉」
「フィリア王国の男性約二千万人は全員加入しています。ちなみに、会長は国王様です」
「父上、何やってマスカーーーっ!? うわぁぁぁん!」
色々とショックだったのでしょう。エイミーさんは、頭を両手で抱えながら、ガクリと床にひざをつきました。
……たしかに、自分の知らないところでファンクラブがつくられていて、しかも、その会長が自分の父親、副会長が自分の一番身近な人間だったりしたら、「うわぁぁぁん!」って、だれでもなっちゃいますよねぇ……。
「そのファンクラブの人たちが、ヴァイオリン泥棒たちを見つけてくれるの?」
ショックのせいで放心状態のエイミーさんのかわりに、椿ちゃんが聞きました。
「はい。ファンクラブの会員は、日本にも数百万人いて、この街にもかなりの人数がいます。彼らに、『姫様の誘拐を企んで失敗した三人組がヴァイオリンを持って逃走中。情報求む』と、ネットで呼びかけたら、短時間で居場所をつかめるはずです。しかし……」
そこまで言うと、セバスチャンコさんは不安そうにエイミーさんを見つめました。
……あっ、そうか。今までセバスチャンコさんがファンクラブの存在を隠していたのはなぜなのか分かりましたよ。エイミーさんに怒られて、ファンクラブを解散させなさいと命令されるおそれがあったからなんですね。
でも、エイミーさんを守るためにがんばってくれた結果、ヴァイオリンを盗まれてしまった光先輩に対して恩を返すには、ファンクラブの力を借りて誘拐犯たちを捜索するしかない。セバスチャンコさんはそう考えて、ファンクラブの存在を正直に告白してくれたんだ……。
「エイミーさん。勝手にファンクラブをつくられてショックな気持ち、分かります。でも、セバスチャンコさんとファンクラブのみなさんを許してあげてください。お願いします」
「え? 絵里……。なぜデスカ?」
「みんな、エイミーさんのことが大好きなんです。エイミーさんに一途にお仕えしているセバスチャンコさんを見ていたら分かります。そういう大好きという気持ちがたくさん集まって、ファンクラブという仲間ができたのだと思うんです」
「大好きがたくさん集まっテ、仲間がデキタ……。そっか……。『好き』という想いハ、世界平和を実現するためニハ大切な気持ちデス。それをワタシが否定することはできマセン」
エイミーさんが納得してうなずくと、セバスチャンコさんは、感激のあまり、ぶわっ! と、涙を両目からあふれさせました(鼻から鼻水まで出しています)。
「ひ……姫様……っ! で、では、ファンクラブの存続は……!」
「いいでショウ。許しマス。ただし、条件が二つありマス」
「は、はい! その条件とは何でしょうか?」
「一つ目、必ず光のヴァイオリンを盗んだ三人を見つけ出すコト」
「それは、ファンクラブの総力をあげて、必ずやりとげます!」
「二つ目、父上は会長をクビ! かわりに、絵里をファンクラブの会長にシマス!」
「分かりました! ……って、ええ!? 国王様をクビ⁉」
この条件には、セバスチャンコさんだけでなく、わたしまでおどろきました。
「あ、あの……。どうしてわたしが……?」
「父上がファンクラブの会長ナンテ、ワタシのプライベートな情報が、ネットを通じて全世界にだだもれになるに決まってイマス。ワタシの小さい頃の写真や学校で書いた作文、ポエムなど、娘のことなら何デモ見せびらかシテ自慢したがる人ですカラ」
それは、ちょっと困ったお父さんですね……。娘思いなのでしょうけれど……。
「で、でも、新しい会長なら、セバスチャンコさんのほうが……」
「ワタシ、ひと目見た時カラ、アナタと親友になりたいと思っていまシタ。絵里の瞳は、アナタの心の清らかさや美しさを表すように、とってもキレイデス。大和撫子とは、アナタみたいな人だと思いマシタ。だから、ワタシの親友になってクダサイ」
「し、親友になることと、ファンクラブの会長になることは、また別なのでは……?」
「ファンクラブは、ワタシを好きな人の集まりだって、絵里が言ったんデスヨ。……も、もしかして、絵里はワタシのこと、き、嫌いなのデスカ!? がーーーん……」
エイミーさんの青い瞳から、ボロボロと涙がこぼれ、わたしはビックリしました。
「わ、分かりました! なります! 会長になりますから、泣かないでください!」
こうして、わたしはファンクラブの会長の任を引き受けてしまうのでした。
……わたし、今日から九千万人もの会員がいるファンクラブの親分になるんですよね?
な、何だか、大変なことになってしまいました……。
☆ ☆ ☆
「これが、姫様のファンクラブの公式サイトです」
セバスチャンコさんのノートパソコンの画面に映し出されたホームページには、愛らしく笑っている、サンタの服を着たエイミーさんの顔写真がでかでかとのっていました。
「これは、去年のクリスマスパーティーで、父上が撮ったワタシのプライベート写真デスネ。セバスチャンコ、あとでこの写真を削除しておきナサイ」
「えっ、でも……」
「つべこべ言ワズ、やることをヤル!」
不機嫌なエイミーさんに叱られ、セバスチャンコさんはあわててパソコンを操作します。
セバスチャンコさんはホームページを更新して、公式サイトのトップページに、
「王女様の誘拐を企んだ不届き者出現! ヴァイオリンを持って逃走中! 情報求む!」
と、目立つ赤文字で大きくのせ、美術が得意な椿ちゃんが描いた男三人組の似顔絵も一緒に公開しました。
「あたしはネットとかよく分からないけれど、本当にこんなので、情報が集まるのかい?」
静子さんが疑わしそうに言いましたが、その効果は思った以上に早く出るのでした。
「さすがは、わが同志たち! 会員たちから、早速、メールが来ました!」
「え? もうですか!?」
届いたメールの数は五百二十五件。たった二、三分でこんなに……。
「でも、『誘拐なんて許せない!』『捕まるように祈っています』とか、応援のメッセージばかりで、有益な情報があんまりないねぇ」
椿ちゃんがパソコンの画面をのぞきこみ、そう言いました。たしかに、メールの数が多い分、役に立つ情報を探し出すのが大変そうです。
「任せてください。伊達に七年間、ファンクラブ公式サイトの管理をやってはいません!」
「そんな前からあったんデスカ……」
セバスチャンコさんは、十本の指を超高速で動かし、両目を血走らせ、何百ものメールを次々と確認していきました。
す、すごい……。もはや、人間業ではありません。
「…………ありました! やつらをおぼろ荘から北東の位置にある廃工場の近くで見かけたとのことです! あっ、他にも似たような情報が三件あります!」
「きっと、そこが誘拐犯たちの隠れ家なんですよ! みんな、行きましょう!」
「でも、絵里。おぼろ荘からこの廃工場まで、けっこう距離あるよ? ヴァイオリンを取り戻した後、十時までに隣町のコンクール会場へ行かないといけないし、どうする?」
「ご心配なく、かぐやさん。わたしが車を手配いたしますので」
セバスチャンコさんはそう言うと、エイミーさんがこの間まで住んでいた豪邸に電話をして、「姫様専用の車をおぼろ荘まで手配するように」と指示を出しました。
「プリンセス専用の車って、どんなのかなぁ!」
椿ちゃんが目を輝かせ、ワクワクしながら車の到着を待っていましたが、しばらくしてやって来たのは……。
「ヒヒーン!」
と、いななく二頭の馬に引かれた馬車だったのでした。
……ええと、これで道路を走るんですか?




