デーモン
魔王の幹部。そう呼ばれる魔物の数は多くはない。しかしその力は人々にとってはあまりにも大きい。
かつての魔王、話に残っている魔王は初代と前置詞が今は付く。何故ならそれと同等の、いやそれ以上とされる二代目魔王が今再び世に現れたから。
伝説、お伽噺、英雄譚。国によってその名こそ変える魔王と勇者の昔話を、人々はどこか信じていなかった。
山河を砕き、海を割る。そのような比喩で例えられた魔王の力を、どうして今に生きる人々が信じられようものか。所詮昔話、今は子供に聞かせる程度のその話を、大人達は当初信じていなかった。
けれどもただ放置することも人には出来ず、当時の王は千を越す軍団を派遣した。一騎当千の騎士団と、昔は言われていたそれとは劣るにしろ誰もが力を誇示する兵達だ。
魔王など直ぐに倒した酒でも飲もうや。もし、魔王を倒したら俺が次の勇者か。等と不安も怯えも見せない雑談をしながら鬱蒼と木々が繁る山を行軍している一向に、その魔物は現れた。
ーーその魔物は誰も見たことがなかった。腕に自信があるその者達は、魔物の討伐の仕事もよくこなしていた。そんな彼等が始めて見る魔物にして、始めて恐怖した魔物。
『魔王様の幹部、ジョージ。名は覚える必要はないぞ虫共』
異形だった。創造の中ですら考え付かないおぞましい姿だった。一目見ただけで恐怖という感情を与える存在だった。
不気味に光る紅い瞳。天を貫かんと伸びる禍々しく生える二本の角。全てを食い千切らんとする鋭い牙。二Mを越す巨躯、そしてその体から生える黒き翼。
恐怖で震える彼等の前で、ジョージと名乗ったその魔物は一文字に手を、荒々しい爪が生えたそれを振るう。
たったそれだけの動作で木々が、人の命が刈り取られる。舞い飛ぶそれに更に恐怖が刻まれる軍団に、魔物は一つの溜め息を吐く。
『くだらん…。ざわめくことすら出来ぬ虫とわ、この儂がわざわざ出向いたといのに。これではただのゴミではないか』
その嘲りを前に、誰しもが侮辱されたと理解しても、何も言葉を発っせない。抗う気力も、挑む勇気も彼等にはもうないのだから。
『ふん、もうよい。儂が今回出向いたのは恐怖と絶望を伝えに来ただけだしな』
バサリと、黒翼が羽ばたきその巨躯を宙へと運ぶ。見逃すつもりなのか、紅き瞳には興味の失せた感情が見えた。そのこの時彼等の胸中にあったのは命が助かった安堵ではなく、その魔物が魔王ではなく魔王の幹部であるという事実への驚愕だ。
『あぁ、見せしめは派手にやれとの事だったな。人使いの荒い魔王様だ』
莫大な魔力、甚大な魔力と呼ばれるモノを彼等は知っていた。だがこの瞬間、それが思い違いということを知った。
『さぁ、伝えるがいいゴミ共。貴様らが絶望に沈む世界がこれより開けた、その事を!』
その言葉を果たして何人が覚えていたのだろう。本当の意味の莫大な魔力が魔物の周囲を取り巻く中、悲鳴を上げて大粒の涙を流しながら彼等は逃げたしたのだから。
『フレイム・エンド』
火の魔法の最上級。三階ある火の魔法の最高位。数少ない魔法使いのみ使えるその魔法が放たれる。
数十と呼ばれる魔物を焼き尽くす事が出来るその魔法。ーーその真の力を逃げ惑う彼等はその最中で見た。
隣にあった山が燃えた。否、その業火によって包まれた。灼熱よりも燃え上がるその焔は、恐ろしくもあり美しかった。けれどもそれに感動など出来ない。出来るはずがない。
それはこの世のモノとは思えない光景。彼等の知る常識の埒外の出来事。そして今自分達が立つ山も同じ事が出来たという事実への死への恐怖。
『悪魔…』
『如何にも。儂は悪魔の中の悪魔、その頂点に立つデーモンなのだからな』
恐怖に怯える一人のその言葉を、恐怖の主は肯定した。
ーー伝説は、お伽噺は、英雄譚は幻想の話ではない。確かにあった史実なのだから。
その事を彼等は知り、そして国に戻り伝えた。
悲劇を伝えられた国は混沌となった。けれどもこの事実だけは伝えなくてはならなくて、広めなくてはならない。何故ならこの悲劇はまだ始まったばかりで、この出来事さえ序章にすらならないのだから。
ーーーーーー
「泣くなよ、ジジィ…。俺まで泣きたくなるだろ…」
「うぅ…。儂の至高の一品がぁ…」
昼食を食べ終え、ウルとジョージの二人は村の南西にあるとある一部屋において椅子と机があると言うのに、床で膝を抱えていた。
二人が泣きそうな顔をしている理由は、情けなくて口にすらできなくて、言葉にしてしまえば二人にしか、いやこの村の者にしか分からない辛さが襲うだろう。
あの悲劇は彼等の間だけにすることにした。悲しみをわざわざ広める必要などないのだから。救う術はないのだから。
「おーい、ウルいるかい?」
「何だよ、今悲しみに暮れて忙しいから後にしてくれ…」
ノックなど彼等の間では必要ない。扉を開ける前に誰が中にいるのか分かるのだから。というよりそんな気遣いなどする気がないだけなのだが。勿論アイリへはノックも声かけもするが。
「何してるんだい…。陛下ともあろう方が」
「言っただろ、悲壮感の悲壮さに悲しんでるんだよ」
新たに部屋に入室した人物は、椅子にも座らず膝を抱えるその姿に溜め息を溢し、自分達の上に立つ者の情けない姿に呆れてしまう。
ウルへの敬称は人により変わる。元々が人の言語を解し話せる彼等だが、それは彼等の誕生が少しばかり特殊だっただけ。元来魔物が人の言語を話すなどまずありえない。
そんな彼等もこの村に住まう前の敬称は魔王様一択だったが、アイリと共に学を学ぶ過程で、気に入った言葉を知り、それに変えたのだ。
だがその使い時はアイリの居ない時のみ、そう頻繁には使えない。せっかく学んで気に入ったのに。
「まぁ、もういいや。気にしない事にするよ、どうせ陛下の悲しみなんて興味ないし。それよりアイリちゃんのことだよ、あの件の相手そろそろ決めないと不味いでしょ?」
「あぁ…。決めようと思ってたんだが今日は気分が優れない。明日にしよう」
「それ、昨日も一昨日も聞いたよ」
ウルは膝を抱える態勢から、床へ寝転がり後ろ手を振ってさっさと出てけとジョスチャーする。今日はあまりにも悲しいことがありすぎたやる気の気すら出てこない。
けれどもその言い訳は残念ながら使いすぎた。相手には一切の効果が無く、逆にその背を軽く蹴られる有り様だ。
そして今までこの部屋で膝を抱えていたもう一人、ジョージはと言うと、絶望に打ち拉がれ闇の狭間へとその意識を沈めていた。今日の彼はもう役に立つことはないだろう。
「立って話をして決めるよ。これは先伸ばししてもどうしようもなんないよ、あれだったら僕がやろうか?」
「……分かってるよ。仕方ねぇな、というよりお前は駄目だアル」
立候補したその人物を、アルと呼んだその人物にウルは向き直る。やる気は未だ起きはしないが、確かに先伸ばしていい案件ではないのだ。そしてこの案件にアルと呼ばれた彼では不向きで、何よりアイリにこれの相手はまだ早い。
アルと呼ばれたその男は、最早言うまでもないが人間ではない。そしてその見た目は彼と言うにはあんまりにも整い過ぎていた。
まず身長が低い事が彼を男とは思わせないだろう、何故なら160のアイリより下なのだから。そしてその髪、淡く伸びる青い長髪。長さは髪を纏める紐を解けば腰まで届く長さ。後ろ側に一括りしている髪は絹のように滑らかに揺れていた。
彼の事を詳しく知らない者が一目見れば女だと断じる程、彼の顔は穏やかで愛らしい。起伏の乏しい体もそれに一役を買っている。着ている服は薄手の膝下まで伸びる簡素で白で染まった服と呼ぶにはお粗末なモノだが、逆にその服により男ではなく女ではないかと思わせる。…度しがたい事に、この服かつてアイリが幼少の頃に着ていたモノだ。けれどもアイリが似合ってると言ったことから今も着ることを許されている。当初はどう剥いてやろうと躍起になったものだが、こうまで長年着続けているともうどうでもよくなる。嘘だ、今も奪ってしまいたい。
何よりこいつ、それに味を染めてアイリの服を掠め取ろうとするジョージに次ぐ大罪人なのだ。
「どうしてだい…。と、問うのは卑怯だね。あぁ、アイリちゃんの初めてになれるという大役なのに、残念だ」
「また随分なめた物言いだな…。まぁ、いい。今回の件は任せる奴は既に決まっている。てゆーかあいつ以外無理だしな」
「そうなのかい? なら何で今日までかかったんだい?」
「お前ら全員の声を聞いた結果だよ。お前で最後なんだよ、アル」
目をパチクリと瞬く。その返答は意外だったからに他ならない。ウルをよく知るアルにとって、いや、他の者も同意見だろうその答えを聞いて。
「……そうだったのかい。にしても、意外だよ陛下が僕達の意見を聞こうなんて思うようになったなんて」
「……今回の悲願は俺の者だが、それでも着いてきてくれたお前らの意見を聞かないなんてそれはズルいだろう」
そもウルにとって彼等ーー魔王の幹部達の意見を聞く必要なんて無い。ウルがヤれと言われた事は彼等はしなくてはならないのだから。命じるだけでいい。けれどもウルはもうそれをすることは無いだろう。
「それは誤解だよ陛下。これは僕達全員の悲願だ、そこは違えないで欲しい」
「分かってるよ。ほら、とっとと出てけよ。俺はこれから悲しみに暮れなきゃいけないんだから」
魔王様は多忙なのだ。幹部であるアルにこれ以上構ってやれる暇はない。寝転がりながら膝を抱えるその姿に、アルはそれ以上何も言わず外へと出ていった。