「戦 〜黄巾賊 張角直属軍 弐〜」
「孫権様、やはりここは危険でございます。引き換えした方がよろしいのでは……」
孫権は馬に乗り、馬の手綱を供の者が握り、ゆっくりと進んでいた。
「大丈夫。それに……」
(木葉がこの近くにいる。もしかしたら会えるかもしれないのに、こんな姿じゃ……)
そして、暫く、緑のアーチの下を歩いて行くと綺麗な小川に出た。孫権は馬を降り、水浴びをするため衣服に手を掛けた。すると、遠くから馬のヒヅメの音が段々と近付いて来た。
「なぁ、本当に良いのかよ?」
「ば~か! 俺達はあいつらみたいに、天下太平なんか関係ねぇだろ!?好き勝手出来るからこんな黄色い布を巻いたんだぜ」
男達は皆、黄色い布を巻いている事から、黄巾賊の兵だとわかった。理由はわからないがどうやら陣から逃げて来たらしい。
孫権とその供達は近くの茂みに身を隠し、男達が通り過ぎるのを待っていた。しかし、一緒に身を潜めさせていた馬が、急に鳴き始めてしまった。
「ん? なんか、馬の嘶きが聞こえなかったか?」
「馬!? まさか、俺達を追いかけて!?」
「よく聞け! 馬の嘶きは一つだ。つまり、相手は一人か二人ってことだ」
相手の人数が自分達と同じかそれ以下だと思った二人の男達は、孫権達が隠れている茂みに近付いて行った。
そして男達は、茂みの中に隠れている孫権達を見つけると、お互いの顔を見合わせて不気味に笑った。
「おい! こいつぁ上玉じゃねぇか!!」
「は、離せ!!」
片方の男が迷いなく孫権の腕を掴み、茂みの中から引っ張り出した。
「俺達は運が良いなぁ。こんな上玉めったにお目にかかるないぜ」
「や、止めなさい!!」
供の一人が孫権を助けようと男に飛び掛かろうとした。しかし、もう一人の男がその動きに気付くと刀を首に突き立てた。
「動くなよ! お~い、早くしろよ!! 後が控えてんだからよ!!」
「うるせえよ! ちょっと待ってろ!」
男はおもむろに孫権の衣服に手を伸ばした。
「や、止めろ!! 離せ、この下郎が!!」
孫権は必死に抵抗するが、男は孫権の身体の上に乗り、両腕を足で押さえ付けていたのでどんなに暴れても逃げられなかった。
「……や、止めてくれ。頼む……」
どんなに暴れても逃げられないと悟ったのか、孫権は急に弱々しい声で男に許しをこうた。
「おい、おい。さっきまでの勢いはどうしたんだ? それに、俺がそんなことで止めるとでも思ったのか?」
そんな孫権の行動は男の欲望に油を注いだ様だった。
男は緩んだ顔で気持ち悪く笑うと、ビリビリと孫権の衣服を破いて行った。
「止めろ! 止めろー!!」
男が最後の一枚に手を掛けた瞬間、後頭部に鋭い衝撃が走った。
男は孫権に覆い被さる様に気絶してしまった。
「え?」
状況を理解出来ていない孫権は、その場で硬直してしまった。
そして、孫権の供の者に刀を突き立てていた男がその状況に混乱し、今にも刃を振り下ろそうとしていた。
「関羽! 殺しちゃだめだ!!」
「承知しました! はぁぁぁぁぁ!!」
いきなり鋭い衝撃を受けた男は、ビクビクと身体を痙攣させ気絶した。
「よっと! ほら、大丈夫か!?」
孫権の上で気絶している男をどかして、倒れている孫権に手を差し伸べた。その手を見た後、孫権はゆっくりと顔を上げた。
「……木葉?」
「それ以外、誰に見えるんだ?」
俺のことを確認した孫権は、安心をしたのかポロポロと涙を流した。
「ど、どうした? まさか、どこか怪我でもしたの?」
孫権は俺の手を借りずに立ち上がると、手をグーに握って俺の胸を叩いた。
「何でもっと早く来てくれなかったのよ! 私は、怖くて、怖くて……」
いや、俺達は孫堅軍の手助けに来て、たまたま此所を通る時に悲鳴が聞こえて……って、まぁ孫権が無事でよかった。
「それにしても、戦中に孫権は何故こんな所にきたんだ?」
「そ、それは……」
孫権はごにょごにょと口ごもってしまった。
(答えられる理由なら、父上や兄上に秘密で来てないんだから)
「……それより木葉。今、私のこと孫権って呼んだ?」
うん。それは、孫権の聞きまちがいじゃないぞ。確かに俺は仲謀のことを孫権って呼んだぞ。だって字で呼ぶと、物凄く近くにいる方の機嫌が果てしなく悪くなるからな。
俺はちらりと関羽の方を見た。
「この前は仲謀って呼んでた」
「いや、それはな……」
今度は孫権が怖い顔をしている。
そうか! これは、どっちを選んでもダメだって事だな。……じゃあ、俺はどうすればいいんだ?
俺が悩んでいると、馬の蹄の音が近付いて来た。
「新手か!?」
「権!! どこにいる!!」
「あれは父上だ! 父上~!!」
孫権は大きく手を振った。
そして、手を振る孫権に孫堅が気付くと馬を走らせ、一直線に走って来た。その途中、孫堅は刀を抜いた。
「刀を抜いた?」
おかしいな? 此所には、敵なんていないはずだけど。
俺が辺りを見回しても敵の姿は確認出来なかった。
その間にも孫堅は、孫権の方に……
あれ? なんか微妙に方向が違うような……
「この賊が!! 私の娘に何をした~!!」
そう、遠くからこの状況を見た孫堅は、自分の娘が襲われていると思ったのだ。
ちなみに襲っているのは俺だと思ってる様だ。確かに、孫権の服はボロボロになってるし、端から見れば俺が襲っている様に見えなくも……
孫堅は馬の勢いを早め、俺に向かって刀を振るった。
「うわぁ!!」
俺は間一髪で刀を避けたが、切られた髪の毛がパラパラと頭から落ちて来た。当然のごとく孫堅は方向転換をして、再び向かって来た。しかし次の攻撃までの間に、俺と孫堅の間に関羽が割って入っていた。関羽に剣を受け止められた孫堅は、見覚えのある大薙刀に冷静さを取り出した。
「ん? これは、関羽の偃月刀か? では、私が剣を振るったのは……」
孫堅は確認するように、じっと俺の顔を見た。
「なんだ。木葉ではないか? こんな所で何をしているのだ?」
「俺は」
「父上~!!」
孫権が孫堅に向かって駆け出した。孫堅は馬を降りて孫権が来るのを待っていた。
そして、孫権を抱き留めた後、乱れた衣服を見て改めて俺に言った。
「本当に何もしていないのだな?」
「父上。木葉は私が襲われているところを助けてくれたの」
孫権の一言でようやく信用したのか、孫堅の表情に笑顔がこぼれた。
俺って信用ないのか?
「ところで、孫堅が黄巾賊相手に苦戦をしているって聞いて、少しでも力になればと思ってきたんだけど、戦況はどうなの?」
「援軍かたじけない。敵黄巾賊の兵士は、まるで官軍の精鋭の様な統率力がある。戦況は我等が劣勢だったが、お主が来てくれた。一気に戦況をひっくり返して見せる!」
孫堅の頼もしい言葉を聞いた直後、俺は諸葛亮に服を引っ張られて耳打ちをされた。
「木葉様。今の孫堅さんは、思わぬ劣勢をしいられた事から、功を焦っておられます。今のまま戦っては危険です」
確かに、言われてみれば功を焦っているようにも見える。
「孫堅、急ぎすぎじゃないか? 孫堅の兵士達も疲れていると思うから、少し休んでからでも」
「何を言うか! 私の軍に、軟弱な兵はいないゆえ心配は無用だ」
だめだ。今の孫堅には何を言っても聞いてくれない。それなら何か良い策を練るしかないか。
俺はちらりと諸葛亮を見た。
諸葛亮はぴくりと反応したが、それは俺に対してではなく孫堅の後方からくる兵に向けてだった。
「孫堅様、一大事にございます!! 孫堅様のいない我等の陣に、黄巾賊が奇襲をかけてまいりました! 兵達は皆応戦しておりますが、我等……が……不利にございます。すぐに……お戻り……下さい」
その兵の背中には、矢が刺さっていた。
きっと、自分の役目を遂げるためだけに……
「お主のその心、この孫堅しかと受け取ったぞ」
孫堅の兵士を寝かせると、悲しみを堪えながら馬に乗り、風のごとく走り出した。
「関羽、張飛、諸葛亮! 俺達も行くぞ!!」