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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜明けのフラジール

作者: 夕子

こんばんは、お久しぶりです。

今年ついに社会人になりまして、仕事以外でパソコンに向かう機会が減ってしまったのでとても辛いです。

気付けば一年以上小説を更新していないことに気付き、生存報告的な意味も込めてなにかあげたいなぁと思った結果、大学の講義で書くことになった短編小説をあげようかなと思い立ちました。

楽しんで頂ければ、幸いです。

※privatterにも掲載しています。



山と一体になっているような、高い高い塔があった。

天を貫いているのではと錯覚してしまう程、巨大な白い塔である。雪とは違う、百合とも違う、不気味な白い色をしていた。まるで、人の骨のような、白。

周囲には雪が深々と降り積もり、夜の帳が全てを黒く覆っていた。世界は白と黒の、二色しか存在していないよう。

そんな山の麓の雪道を歩く少女の色は、とても鮮やかだ。彼女の足取りは軽やかに、金糸の髪に雪が積ろうと、青い瞳は一本道の先を見据えている。彼女は惑う事なく、塔に辿り着いた。

しかし、不意に彼女は足を止める。視界の先に、壁に寄りかかるように佇む、一つの影を見付けたからだ。少女よりも長身の、男の影だった。


「珍しいな」


低い声に、雪を踏む足音。朧な影が、形を成して。現れたのは、一人の男であった。闇を弾く鮮やかな色の髪、長身の体に纏うのは、闇に紛れる黒い服。手に持つ長い棒のような包みは、何だろうか。

だが、何よりも彼女の目を引いたのは、男の顔を覆う、異様な仮面であった。目元を覆うだけの、ドミノマスク。しかし、通常目の部位をくり抜く筈なのに、男の仮面には視界を保つ為の穴が見当たらなかった。見えているのかと首を傾げた所、ふっと、男が息を呑む。どうやら見えているらしい。

少女が男をまじまじと見つめていると、彼は束の間見せた驚きの色を消して口を開いた。


「君も、この塔に用があるのか」


問いかけのようでいて、確信に満ちた言葉だった。少女は頷いて、問い返す。


「貴方は、塔の関係者なの?」


「いいや」と男は否定して、「ただの、傍観者だ」と、付け加えた。


「君こそ、知っているのか。この先の塔が何なのか」

「願いを叶える塔でしょう」


少女は淡々と答えた。この塔は、願いを叶えると噂されている。塔には一人の魔女が住み、最上階へと辿り着いた者の願いを叶えてくれるのだ、と。誰もが喜び勇んで塔へ向かったという。しかし、塔へ訪れた者は、誰一人として戻ってこなかった。それが、この塔のお話。


「貴方が殺したの?」

「塔に入った人達に、俺は何も出来ないよ」


男は苦笑した。声の調子と口元の笑みで、彼女はそう判断する。目が見えない、というのは不便だ。仮面はこんなにも簡単に、心を隠してしまうのだから。


「しかし、それを知っているのに、君は塔へ向かうのか?」


少女は頷いた。叶えたい願いがあるから、此処に来た。彼女はこれ以外、願いを叶える術を、見つけられなかったから。

男は暫く少女を見つめていた、ようだった。仮面がこんな所でも男の利に働いているのが、少女には少し悔しい。


「それなら、俺も君と共に行こう」


負けじと男を見据えていた少女は、突然目前の男から言い放たれた言葉に目を見開いた。だが、すぐに眦を吊り上げて男を睨みつけると、彼女は鋭い声で問う。


「傍観者じゃなかったの?」

「嘘ではないよ」


「それなら」と、問いかけた唇は止まってしまった。男が、微笑んでいたからだ。

目元は見えない。三日月に歪む男の口元だけが、少女の視界から得られる情報の全て。しかし、怪しさ極まりないこの男が、優しく微笑んでいるとわかってしまった。


「ただ、俺は見届ける義務がある」


微笑む理由はわからない。ただ、彼の意志は確固たるもので、少女の言葉程度では到底動かないと理解する。力ずくで拒否しようとしても、大人と子供の差は歴然で、勝てはしまいとも判断した。


「勝手にすれば!」


渋々と同意する少女に、「ありがとう」と男は笑った。こんな所でも大人と子供の差、というものを痛感して悔しくなる。男の声に滲むのはどこか柔らかな色で、それも彼女に理解出来ないのが腹立たしい。


「君の名前は?」

「人に名前を尋ねる前に、自分が名乗りなさいよ」


思わず、刺々しい言葉を返してしまう。


「俺はジュラメント。ジュラと、呼んでくれ」


変な名前。少女は内心そう思うが、口には出さなかった。

彼女が男の横を通り過ぎて、塔の壁に触れる。ひんやりと冷たい壁が、少女の掌の熱に溶けるようにトロリと崩れて、やがて人が通り抜けられるような穴へと変ずる。

怪物の口へ飛び込むかのような緊張感に、少女は知らず唾を呑みこんだ。足を踏み出すという行為が、酷く恐ろしい事のように思える。


「君の名前は?」


不意に、男が問う。少女の鼓膜にするりと入りこんだ彼の声の穏やかさは、意図せず少女の硬直を弛ませた。


「私の名前は、エスターテ」


彼女は振り返って、自らの名を口にする。


「よろしく。どうせ、短い付き合いだろうけど」


そうして。二人は、塔へと足を踏み入れた。




***




塔の中は、果てが見えない空間と、白い砂に満ちていた。夜闇の暗さに慣れていたから、ほのかな灯りでも眩く感じてしまう。二人は無言で歩き出した。細かくさらさらとした砂は、歩くには少々不便だった。しかも、何故か向かいから吹いてくる強風に、砂埃が立ち昇る。


「塔の中なのに、風が吹くのか」


ジュラは感心した風に呟いた。砂埃の中でも平然としているのは、仮面が彼の目を砂から守っているかららしい。

エスターテは目を細めた。空に届きそうな程高い塔だから、内部が広いことも予想出来ていた。が、これは異常だ。

そこまで考えて、彼女は頭を振ってジュラの言葉に応じた。


「魔女の創った塔だもの。このくらい、おかしくない」


魔女。不可思議な術を使う為に、人々に恐れられる女達の蔑称。

だが、その術は確かに奇跡へ通じる物だ。自然を操る事も出来る、人の傷を癒す事も出来る。塔の外と内とで違う世界を創る事も、出来ないわけでは無いだろう。


「エスターテ、考え事の最中にすまないが」


どこか緊張感を帯びたジュラの声に、振り返った彼女は瞠目した。

彼は手に持つ長い棒のような物を構えて、僅かに腰を落とした体勢で佇んでいる。


「気を付けろ。近付いてくるぞ」


続いた彼の言葉と、エスターテの爪先が感知した細やかで断続的に続く震動が、異常事態だと本能が警告する。その本能に従って、彼女は腰に差した護身の短剣を引き抜いた。やがて、震動が大きなものへと変じていく。特定のリズムで続くその震動が足音だと気付くのと、向かいから現れた巨体を認めるのと、どちらが早かったか。


「何、あれ」


動物ではない。人間のように二足歩行で動く生き物だった。肌は灰色、腕も足も丸太のように太く、大きく、それを支える体躯も巨大。成人の男であるジュラの長身を二つ合わせても、おそらくは足りない。丸太のような腕が持つのは、巨大な鉄の棍棒である。

いや、それだけならば、まだいい。問題は、男の体中から生えているモノだった。白く、丸い球状の、何か。


「人の頭だな」


淡々と、ジュラは答えた。その声から穏やかさは消えず、それがかえって空恐ろしい。

彼の言葉通り、生き物の肩から腹にかけて、幾つもの髑髏が生えていた。白い砂に落ちる影は、歪な怪物の姿をしている。怪物の姿を上から下まで眺めて、ジュラは嘆息した。


「いきなり何よ」

「……いや、ただの感傷だ」


ジュラが構えていた棒の包みを剥ぎ取れば、鈍く揺らめく刃紋が露わになる。これが、彼の武器らしい。しかし、剣というには刃が長過ぎて、槍というには柄が短過ぎた。


「手早く済まそう」


囁くように告げるや否や、男の脚が力強く地を蹴った。

その、速さたるや。ただの一歩でエスターテの横を通り過ぎ、二歩、三歩と駆け抜ける。砂に足を取られる事もなく、怪物に臆する事もなく、ジュラが巨体に肉薄する。鈍い金属音が響き渡った。ジュラの武器と怪物の棍棒が、ぶつかり合って火花が散る。

驚くべきは、ジュラの膂力である。体格は倍違い、あの丸太のような腕で振るわれる鉄の棍棒を受け止めるだけで、相応の衝撃と負荷がジュラを襲う筈だ。

しかし、それでも怪物を相手に一歩も引かない。武器を打ち付け合う事既に十を超えているにも係わらず、彼は真っ向から怪物を相手取っていた。


「君は、手を、出すな!」

「無茶な事言わないで!」


ジュラはエスターテの反論に答えず、ただ受け止めた棍棒を力ずくに跳ね退けて、後ろに跳びずさり怪物から距離をとった。

怪物がジュラを襲おうと大股に迫ってくる。荒い息遣い、表面が僅かに欠けた棍棒。数十合を超える打ち合いは、怪物を疲弊させるには十分だった。

それと相対するジュラは、息が乱れる事もなく、構える武器の刃もまた、欠けていない。エスターテはそこで、男の異常を認識した。

迫る怪物を前に、ジュラが武器を構え直す。彼が振り被る刃がほの明るい光に、煌いて。風が吹き、舞い上がった白い砂埃がエスターテの視界を一瞬塞ぐ。

その刹那の間に、全てが終わっていた。塔の内部を揺るがす震動が、エスターテの足の裏に伝わる。視界が晴れた。両断された巨体が、白い砂の上に転がっている。


「塔に訪れた者の殆どは、あれに潰されたみたいだ」


怪物の横で、ジュラが呟いた。巨大な武器はいつのまにか、黒い布に包まれている。

エスターテは白い砂を踏み締めて彼の元へ歩み寄り、ちらりと灰色の亡骸を見る。うつ伏せに倒れる怪物の背にも、びっしりと髑髏が生えていた。

では、残された体は、どうなったのか。

二人の視線が床へと落ちる。答えは地面に広がっていた。白い砂。それが塔に訪れた者達の、成れの果て。

わけのわからない気持ち悪さが、喉の奥からこみあげてくる。二人は押し黙った。二度強い風が吹いて、二人の服の裾が揺らめく。


「行こう、先に」


エスターテがやっとの思いで口にした言葉は、ひどく渇いたものだった。




***




階段を登った先にあったのは、巨大な庭園だった。眼下に広がる植物の迷宮に、赤と白の薔薇が点々と続く。緑の迷宮に向かう下りの階段を踏みながら、二人は庭園の攻略に乗り出した。


「貴方、何?」


エスターテが口にした言葉は端的だった。

男が首を傾げる。だが、すぐに言葉の意味を悟ったのか苦笑した。


「昔、魔女に貰った力だよ」


ジュラの思わぬ言葉に、エスターテは目を見開く。詳細を問う彼女の視線に、ジュラは困ったように口を開いた。


「色々あって、死にかけていた時に。勿論、代償もあるんだが」

「それ、呪いじゃないの?」

「どうだろうな」


エスターテの言葉を聞いて笑う彼自身は、呪いとは思っていないようだった。だが、怪物と相手取るジュラの力は異常としか言えない。異常なものは、この世界では生き辛い。それを呪いと言わずして、何と言うのだろう。

ジュラはそれを気取る事もなく、迷路を適当に進んでいく。


「考えなしに進んでいかないでよ!」

「すまない。けど、進まないと始まらないだろう?」

「罠に掛かって死んだらどうするの!」


エスターテは彼を押し止めると、懐から小さな宝石を取り出した。彼女は迷うように石を撫でたが、やがて覚悟を決めたのか、石を乗せた掌を口元へ持っていく。煌くルビィに、息を吹きかける。宝石が微かに光り、形を変える。煌く蝶が、白い掌から飛び立った。


「君は、魔女なのか」


驚きと感嘆の混じった問いに頷きながら、背後の男の動きを窺う。ある意味、この行動は賭けだった。エスターテは短剣の柄に指を添えて、ジュラに問いかける。


「私を捕まえる?」


ジュラは首を横に振った。それで今は十分だとエスターテは振り返り、男の頬に一筋の傷が走っている事に気付いた。指先に息を吹きかけて、その手をジュラへと伸ばす。指が微かに震えたのを、自覚する。


「動かないで」


彼は動かなかった。ジュラの冷たい頬に触れて傷をゆるりとなぞれば、傷は跡形もなくなっていた。礼もそこそこに、二人は歩き出す。ひらりと舞う蝶を追って、迷宮を進んでいく。


「エスターテは、何故塔に?」


出会った時に交わした会話だ。エスターテはその時と同じ言葉を口にする。


「君は優秀だ。この塔に叶えて欲しい願いは、君程の者でも叶えられない物なのか?」


そうでなければ此処に来ないと、彼自身わかっているだろう。それでもジュラは、彼女に問いかけた。だから、エスターテも煌く蝶を追いながら、答えを返した。


「大人になりたいの、今すぐに」


少女の言葉は素気なかった。蝶を追って右へ左へ、上へ下へと歩き続ける。

ジュラの呟きは、エスターテの耳にも届く。


「時間は有限で、だからこそ過ごす時間は貴重なものだ。それを、態々削るのか?」

「だって!」


彼女は咄嗟に言い返してしまう。何も知らない癖に、そんな言葉が脳裏に浮かんで首を振る。沈黙の末、エスターテは絞り出すようにして言った。


「子供は、何も出来ないから」


切実な声だった。後悔や焦燥が混じった言葉に、彼は何も言わなくなった。

エスターテは宝石の蝶を追う。そんな彼女の背を見つめ、ジュラは再び呟いた。


「……本当に、似ている」


自嘲の色を含んだ言葉は、少女に届かず。誰もいない空間に、溶けて消えた。

宝石の蝶を追って長い迷路を抜けた先にあった階段を登りきれば、小さな空間が広がっていた。占い師の水晶玉程の大きさの宝石が壁一面、天井にまで埋め尽くされている。

最上階にもう着いたのか。そんな疑問を胸に抱くも、この塔の主である魔女の姿は見えない。エスターテは恐る恐る歩き出す。ジュラはと言えば、傍の壁に埋め込まれた宝石に近づいていた。

部屋の奥には、やはり誰もいない。それどころか、階段さえない。間違えたのかと彼女が落胆していると、息を呑む音が聞こえた。

振り返って、ジュラを見る。慄くように一歩後退した彼は、エスターテに目を向けた。


「どうか」


「したの」と続く筈だった言葉は、「エスターテ!」と悲鳴のように響いたジュラの声に遮られる。彼女は前を向く。宝石が埋め込まれた壁が一文字に割れて、白い顎が少女を喰らおうとしていた。

逃げる暇はなかった。




***




昔々の、夢を見た。


「母さん。私はどうして、故郷がないの?」

私は母さんと二人で、逃げていました。ずっと。魔女という事を隠して。でないと、人は容易く、私達を売ってしまうから。

「母さん。私はどうして、お家で暮らせないの?」

理由を知っています。私達が魔女だから。人は、私達を捕まえて、引き離して、燃やすから。売ってしまうから。

「母さん。どうして」

零れる涙は宝石に。吐息は命を与えます。私は「金になる」のです。

「私達は」

燃えています。大好きな母さんが、燃えています。

子供だから、戦う事も儘なりません。子供だから、守る事も儘なりません。出来る事はあまりに少なく、それが辛くて、苦しくて。

「幸せになってはいけないの?」

願いが、あります。私達が、魔女が。

逃げなくてもいい世界を創りたかった。





***





少女の夢を、見た。


やりたい事を見付けられなかった青年と、そんな青年を兄のように慕う幼い少女がいた。

少女には夢があった。その為に、早く大人になりたいと願っていた。魔女の迫害はこの村にも少なからず存在していて、魔女であった少女には、幼さを捨てなければ何も守れないと思っていた。

だから、彼女はその方法を模索して実践した。それは奇跡としか言いようがない。まだ齢10ばかりであったその娘は、一日を跨いだだけで20程の若い娘に成長してしまったのだから。

強く、美しくなった娘は夢の為に働き始めた。人々に薬を与え、家畜の不調を直し、率先して魔女と人間の共存を図ったのである。そんな少女と共に、青年は働いた。村を脅かす盗賊を撃退する、魔女である少女を襲おうとする人々を退ける、村の盾として働いた。努力は実を結び、村の魔女と人間は共存するようになった。

彼女は優しい夫を迎え、四人の娘達に恵まれ、小さな小屋で幸せに暮らしていた。

青年は、剣を振るう。更に強くなる為に、大事な人々を守る為に、剣を振るう。


少女には夢があった。それに伴うだけの実力もあった。

しかし、彼女は幼かった。成長する内に獲得する筈だった要素を少女は置き去りにしてしまったが故に、彼女は致命的な過ちを犯す。


村人に望まれるままに、薬を作り、家畜の不調を癒し、壊れた家具を修復する。そんな束の間の平穏は、脆くも崩れ去る。

村人達は知らぬ事。山を下りた先にある国は、飢饉と疫病に苦しんでいた。魔女の業は知らず、その国を襲っていた飢饉も疫病も村から跳ね退けていたのである。偶々、村を訪れた商人が、それを知った。山の上にある村に、魔女が住んでいる事も。


娘は、慌てて山を下りていく商人を気に留めなかった。村人も、気に留めなかった。ただ一人、青年だけが不吉を予感して。

その不吉は現実のものとなった。


王国は、兵隊を村に送った。

薬を奪い、家畜を奪い、抗う者は皆殺された。夫は家族を庇い死に、三人の娘も奪われた。残る一人の娘は青年が取り戻したが、彼は致命傷を負っていた。娘に、癒しの力はない。

力があればと息も絶え絶えに口にする青年の願いを、彼女は叶えた。仮面に力を封じ込め、それを被せた青年は、呪われた。振るった力の分だけ、死ねなくなる呪いだった。


娘の白い頬を滑り落ちる、涙。それはいつの間にか、真紅に染まっていて。

泣きながら、娘は山の麓へ駆けていく。

泣いて、泣いて、泣いて。その内に、娘はその身を塔へと変じてしまっていた。山の麓から聳え立つ塔は、村へ向かう者を阻む。中に入った者は、二度と戻る事はない。

塔は、狂っていた。否、故郷の平和が崩壊した時点で、きっと彼女は狂っていたのだ。


魔女の創った塔だと知った国王は、そこに多くの兵隊を送った。

元より、家族と村の全てを奪った者共だ。彼女は躊躇う事無く、塔の内部で彼らを殺した。訪れる人を見境なく喰らう、魔性の塔。いつからか、願いの叶える塔と噂されるようになった。


青年は娘を止めたかった。だが、止められなかった。呪いの力は、呪いをかけた魔女本人には効かなかったという、どうしようもない話だ。

彼女を、(ころ)せなかった。だから、青年は塔の入り口に立ち尽くしていた。無力さを胸に、剣を振るう。刃の先に、敵はいない。


そうして、長い長い時間が過ぎて。

現れた少女は、かつての娘と同じ顔をしていた。





***




「エスターテ! しっかりしろ!」


名前を呼ぶ、声が聞こえた。エスターテが目を開ければ、ジュラが手を伸ばす姿が視界に飛び込んでくる。わけも無く、目から涙が零れ落ちる。頬を伝って落ちた雫は、硬質な石の煌きに変わって、闇の底へと落ちていった。


「ジュラっ!」


大きな手が、エスターテの手をしかと握り締めている。どうしてそれが、こんなにも嬉しいのだろう。引き上げられる、華奢な体。人一人分の大きさの穴を抜けてみれば、そこは先程の小さな空間だとエスターテは気付く。何とも言えず視線を落とし、ジュラの血塗れの手を見咎めた。

爪が剥がれ、指は赤く染まり、指先からは血が滴っている。白い壁に穿たれた穴にも、血がこびり付いていて。


「どうして、こんなになるまで」


繋いだまま、彼の手を口元まで持ち上げて、エスターテは息を吹きかける。少しずつ癒えていく肌を見下ろして、ジュラは苦笑した。


「騙していたから。せめて、守りたかったんだ」


その言葉に、彼女は確信する。思ったよりも静かな声が、赤い唇から滑り落ちた。


「此処は願いを叶える場所では、無いんだね」


ジュラは、頷いた。

この塔は、一人の魔女が嘆きの末に変じてしまっただけの物。それを願いを叶える塔と人々が勝手に思い込んで、欲望のままに訪れて、そして死んだ。

ただ、それだけの事だった。

エスターテは、息を吸う。乾ききった口内が気持ち悪いと、彼女は思った。


「私の願いは、間違っていたんだ」


 大人になりたかった、今すぐに。そんな願いは、間違いだった。

口にしながら、同時にエスターテは思う。この塔になった彼女もまた、間違えていた。


「時間は有限だけど貴重なものだって、言ってくれたよね」


彼女の願いを聞いた時、ジュラはそんな言葉を呟いていた。

時は確かに有限で、過ぎた時は戻らない。しかし、それでも、費やした時には確かに得られる何かがある。時を費やさなければ得られない何かは、確かに存在しているのだ。

エスターテは、それをわかっていなかった。そして、この塔になった彼女も、また。


「私、魔女が嫌われない世界を、創りたかった。私みたいな人が生まれない世界、創りたかったんだ」


宝石の涙が零れて落ちる。ルビィ、サファイア、エメラルド。骨の色をした床に落ちて、雨のように床を叩く。

同じ夢を、持っていた二人だった。だが、エスターテと「彼女」には、致命的な違いがあった。だから、エスターテは呟く。


「……そんな世界出来るわけないって、わかっていた癖に」


母親が燃やされたその時に、エスターテは悟っていた。自分が抱いた夢は無意味なものだと、わかってしまった。


「でも、それでも。早く大人になりたかった」

「ああ、わかるよ」


ジュラが首を縦に振る。顔の半分が仮面に隠れているのに、苦く笑っているとわかってしまった。


「何も出来ない無力な自分が許せない。だから、大人になれば何でも出来ると思ったんだろう?」


目を見開く。エスターテはそこまで口にしていないにも拘らず、ジュラはまるで本心を見透かしたかのような言葉を口にしたからだ。


「全く同じ事を言った奴がいたんだ。俺よりも10も年下だったのに、腹が立つ位何でも出来て、その癖子供だと何も出来ないからって、魔法で一足跳びに成長して、俺に並んじまった馬鹿な奴が」


ジュラの口調が、ほんの少しだけぶれる。不自然な程穏やかな響きを保っていた声が、苛立ち混じりに塔の空間に突き刺さった。


「確かに、あいつは大人になって何でも出来るようになったさ。薬を作って、家畜を治して、壊れた物も直せた。でも、あいつは大人になっても『良い子』のままだった」


彼は傷が消えた手で、髪をぐしゃりと掻き乱す。


「エスターテ、わかるだろう? 人間は、子供が思ってる程良い奴がいるわけじゃないし、大人になったからって、何でも出来るわけじゃあない」


彼女の目前に立っているのは、かつて誰かを守ろうとして、守れなかった青年だ。大人というにはまだ若く見える、だが、エスターテよりは遥かに年上だろう姿のジュラを見上げて、そうだねとエスターテは頷いた。


「正直だな、君は」

「ジュラは私に慰めてほしいの?」

「いいや。流石にそれは惨め過ぎる」


平静を取り戻したらしいジュラは、エスターテの言葉に肩を竦める。


「それなら、やる事は決まってるよね」


エスターテは床に落ちたルビィを拾い上げた。先程と同じように息を吹きかけると、石は小鳥の姿に変わって、掌から飛び立っていく。


「行こう、ジュラ。この塔を終わらせに」




***




塔の中だというのに、二人はいつの間にか空を歩いていた。

空を歩く、というには語弊がある。星空の中に水晶のように透明な板が階段のように等間隔に続いており、そこを二人は歩いていた。

風はない。寒くもない。ただ煌く無数の光の合間を縫って、エスターテとジュラは無言でルビィの小鳥を追い続ける。そうして辿り着いた空の果てには、木で出来た扉が一つ。エスターテとジュラは目配せを交わし、扉を開けた。

扉の先にあったのは、小さな小さな部屋だった。これまでとは違う、どこかの家の一室のような。

温かな炎が燃える暖炉がある。美味しそうな料理が載せられたテーブルがある。その前に座る、六人の家族の姿があった。

エスターテは、恐る恐る部屋の中に踏み込んだ。温かな空気が、肺を満たす。

生活感に溢れた部屋だ。手作りと思しきレースの刺繍、少しだけ不格好なぬいぐるみ、暖炉の上にはたくさんの置物がある。テーブルでは五人の家族が和やかな雰囲気で会話をしながら、食事を進めていた。


「……あったかい」


エスターテは目を細めて、その家族を見つめる。幼い女の子の姉妹が四人、父親と思しき男性が一人。

最後の一人は、明らかに人間ではなかった。女性の姿をしているが、硝子のような物質で出来ている、胸のあたりに紅玉が嵌め込まれた像だった。ルビィの小鳥は、その像の肩に止まって羽を休めている。この部屋の中で最も異物感のある存在なのに、これこそがエスターテ達の目的だと、わかった。


「本当に、これが?」


ジュラの言葉に、エスターテは頷いた。


「この塔の、心臓だよ」


塔を脅かす異物が近付いているにも拘らず、硝子の像は微動だにしない。眠ったように目を閉じて、椅子に座っている。赤く揺らめく紅玉だけが、生存を示すかのように明滅していた。ジュラが、手を伸ばす。紅玉に触れようとして、だが、触る事が出来ない。


「エスターテ、君が壊してくれないか。やはり俺では、壊せないらしい」


エスターテは振り返ったジュラを見上げる。仮面に覆われた目元は相変わらず感情を伝えてくれないが、引き結ばれた唇が、何よりも雄弁に物を語っていた。


「それなら、私が呪ってあげる」


魔女は、祝福を贈れない。だから、遥か昔にかけられた呪いの上から、エスターテが別の呪いをかける。そうすれば、ジュラが壊す事が出来るだろう。彼女の言葉を聞いて、ジュラが苦笑する。


「どんな呪いをかけるんだ」


屈んだジュラの耳元で、エスターテはその呪いを口にした。苦笑の形に歪んだジュラの唇が、更に深く歪んでいく。


「それは、呪いと違うんじゃないか?」

「呪いだよ。だって、魔女が贈れるのは、それだけだもの」


そう言って、エスターテは仮面に手をかけた。仮面が無くなり露わになった顔を見て、彼女は微笑みを浮かべる。そして、エスターテは呪いの言葉を口にした。

仮面を戻す。彼女が知る姿に戻ったジュラは改めて、紅玉に手を伸ばした。

その後ろ姿を見つめながら、エスターテはぽつぽつと言葉を零す。


「羨ましいな。幸せに暮らした、記憶があって」


仲睦まじく暮らしている、家族の姿。温かな空気に包まれた、幸福な記憶で満たされた部屋。エスターテが得た事が無いもの。彼女が心底欲しかったものだった。


「私の願いは間違っていたけど、私の夢は間違いじゃないのかもしれないって、この部屋を見て思ったよ」


エスターテが夢見た世界は、かつて、確かに存在していたとわかる。だから、諦めきれないと思ってしまった。

ジュラが紅玉に触れる。掌に隠せてしまえる程の小さい玉が、微かに震えた気がした。


「だから、もう眠ってもいいんだよ」


なんて、ひどい言葉だろう。エスターテはそう思いながらも、その言葉を口にする。

ジュラが微かな声で何かを囁くと、硝子が割れるような音と共に、紅玉は砕け散った。




***





遥か昔の、夢を見た。

彼がまだ、見た目相応の年齢であった頃。一回りも年が離れた妹分が、笑っていた。


「私ね、早く大人になりたいんだ」

「いきなり、なんだよ」


ぷらぷらと足を揺らしている少女の瞳には、年不相応な理知的な光が宿っている。


「私、魔女と人が仲良く平和に暮らせる場所を作りたい。でも、子供じゃ何にも出来ないの。大人って子供の話、全然聞いてくれないから」

「そんな事無いだろ」


目的もない彼にとって、夢を持つ少女の言葉はとても羨ましいものだった。だからつい、冷めた言葉を口にしてしまう。それでも、少女の瞳の光は揺らがない。


「だから、私。大人になろうと思うんだ。そうすれば、きっと何でも出来ると思うの!」


大人になる。なんて馬鹿げた話だろう。

だが、今の彼は知っている。それが実現することを。

仮面を被っていない昔の彼の顔を覗き込んで、少女は唇を尖らせる。


「信じてないなぁ? なら、賭けをしようよ。私が明日大人になってたら、私のお願いを聞いてほしいの!」

「お願い?」

「私がもしも、間違った事をしていたら、止めてほしいんだ」


セピアの思い出に、背を向ける。それでも一度だけ振り返って、記憶の中で微笑む少女に告げた。


「さよなら、マリア」





***




エスターテが気付いた時、彼女の体は雪原に投げ出されていた。起き上がってみれば、髪や服に付いた雪がぱらぱらと落ちていく。


「あの塔、は」


掠れた声で呟く。正面には、ない。振り返ってみても、塔はない。


「あいつは、逝ったよ」


辺りを見回すエスターテの背後から、そんな言葉が投げ掛けられる。出会った時と同じように、ジュラが佇んでいた。


「ありがとう。君のお陰で、あいつを止められた」

「私は何もしてないよ」

「いや、君は此処に来てくれた。だからこそ、俺はあそこまで辿り着けたんだ」


本当に、ありがとう。

そんな言葉が照れ臭くて、エスターテは顔を背ける。そこで、東の空がいつのまにか白んでいた事に気付いた。

空を覆う闇の帳は払われて、白い光が雪原を照らす。雪の結晶が、朝日に煌めいていた。

新たな一日が始まるのだ。美しいと、心の底からそう思う。


「夜明けだ……」


塔に入った頃は夜だから、凡そ数時間しか経過していないとわかる。塔の中では長いと感じていた時は、あまりに短いものだった。


「君はこれからどうするんだ、エスターテ」


いつの間にか隣に並んでいたジュラが、エスターテに問いかける。


「とりあえず、町に戻ってから、考える」


「そうか」と返した男を横目で見て、彼女は逆に問いかけた。


「ジュラは、どうするの」

「俺は、」


ジュラはそこで初めて、言い淀んだ。塔はもう無い。そうなると、ジュラがここに留まる理由も無くなる。彼が生きていた理由も、また。

だから、エスターテは仮面の下で悩み始めた男に声をかけた。


「もし、貴方が良ければだけど」


エスターテは息を吐く。胸が緊張に高鳴っているのがわかる。こんな事は初めてだった。一呼吸置いてから、彼女は男にこんな言葉を持ちかけた。


「私と一緒に、来る?」




***





かつて、願いを叶える塔があったという。

山の麓に聳え立つ、天を貫く白い塔が。立ち入った者は二度と戻らない、魔女の塔が。

今はもう、どこにもない。

願いは叶わなかったし、魔女はどこにもいなかった。理想を夢見た少女が二人、いただけだ。


これはただ、それだけの話だったのだ。






Fin.



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― 新着の感想 ―
[良い点] おとぎ話のように綺麗に作りこまれた世界観と、それに準じて理路整然と進んでいくストーリー。のみならず、適度にちりばめられたダークな要素が、上記を際立たせるとともに、お話しに深みを加えています…
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