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あなたの、目がすてき

 わたしは中学の頃からひどく地味な女の子で、だから高校に入ってからは変わりたいと思った。だから服装が自由で、同じ学校の子達が行かないような学校に通おうって決めた。


 わたしは高校デビューをしたかったのだ。


 今まではまるで興味もなかったティーンズ向けのファッション誌を買って、お化粧の練習をした。ファッションも――私服は地味なものばかりだったけど、お年玉をはたいて今風なものを買い揃えた。


 芋虫のわたしでも、高校入学というイニシエーションをクリアーすれば繭を破って蝶になれると頑なに信じていた。


 そんなことはない。人間の本質は変わらないし、過去はいつだって影みたいに追いかけてくる。でも小さい頃読んだ本の記述では、「ウシオニ」に影を飲み込まれると、三日の内に死んでしまうという。高校に入学してからしばらくの間、わたしはずっとびくびくと怯えながら過ごした。中学以前の同級生に鉢合わせないよう、最新の注意を払った。どんなに着飾って虚勢を張っても、わたしは地味で臆病で根暗なドブネズミのままだった。


 だからだろうか。その男の子に出会ってからと言うもの、わたしはその子から目が離せなくなった。ひどく憧れた。


 その男の子の目つきはひどく悪い。いつも睨み付けるような顔をしている。顔立ち自体はどちらかと言えば童顔なのだけれど、その目つきの悪さが、その男の子の顔立ちに、途方もない険を産み出している。その子には八重歯がある。八重歯というか、犬歯というか。もっときっぱりと、牙にしか見えない。それから髪の毛は黄色と黒の斑だった。地毛が黒髪の日本人が金髪に染めているとプリンみたいな頭になるが、それとも違って、メッシュというのも少し違う。黄色い髪にストライプが走っているのだ。


 まるで虎だ。


 身長は170センチ半ばだから、別に大柄でもなんでもないのだけど、そんな容姿がその子の印象をひどく近寄り難いものにしていた。実際その子が誰かと仲良く話している姿を見たことがない。彼はいつも一人で、教師でさえ必要に迫られなければ話しかけたりはしない。けど孤独というわけではない。そう、彼氏は孤高なのだ。ココウ。そう、孤高の人。無用な馴れ合いを拒む眼差し。憧れた。もっと眺めていたいと思った。その横顔を眺めるだけで、煌めく宝石を愛でるような、美しい花を慈しむような、甘い陶酔が私の胸に満ちるのだ。


 わたしは男の子の名前を舌で転がして見る。大河虎太郎。オオカワコタロウ。スパイスをたっぷり利かせたホット・チョコレートみたいな味がする。


 きっと、これが初恋の味だ。秘密の味だ。甘酸っぱいレモンの味なんて本当はしない。恋をしたことがない奴の戯言だったのだ。




 ***




 交友関係が広がると、面倒ごとも増える。例えばメールだ。家族が相手なら別に気兼ねはしないけど、メールの返事が遅れたら、相手の不興を買うのではないかと不安になる。きっと相手も同じなのだろう。一度やり取りが始まると、果てがない。LINEなんてツールがそこに加わるともっと悪質だ。あれのメッセージを読むと相手に既読通知が行く。読んだなら返事をしない訳にはいかない。返事をしないというのは無視ということだからだ。あのシステムを考えた奴はきっと悪魔だ。十字架と塩と日本酒をそいつの家の窓から1000ダースくらい投げ込むべきだ。それか「LINEの既読通知をオフにさせろ」とデモ隊を汲んだっていい。既に建ててしまった原発に『再稼働反対』だのと難癖を付けるよりは幾らか建設的だろう。


 ま、それはいい。高校デビューしてからわたしはIT依存症患者になった。いけないと分かってはいても、気付けば通学中にも歩きながらスマートフォンの液晶画面を弄んでいる。それは危険行為だ。交通安全運動に対する圧倒的な冒涜である。往々にして危険行為というのは、事故を招く。事故を招くから危険行為なのだ。


 例えば、通学中に虎と鉢合せをしてしまったりするかも知れない。


 曲がり角でごつん。曲がり角でごつん。在り得ないその現象の産みだした効果は図り知れない。それが目下片思い中の気になる男子が相手であればその破壊力は絶大である。あるいは相手もよそ見をしていたのだろう。思いっきり激突したわたしと大河くんは、互いに盛大な尻もちをついてしまった。マンガみたいだ。それもハンコを押したみたいなラブ・コメディ。


 歩きスマホなんてしているわたしに非があるのは間違いない。わたしは「ごめんなさい」と謝罪をして、ひっと息を吞んだ。


 大河虎太郎。


「ってぇな……」


 特に怒鳴るわけでも威嚇するわけでもない低い声。しかし妙な迫力がある。大型の肉食獣がなんとはなしに唸ったみたいな声だ。


「お、大河君……ごめんね、わたしよそ見して……」


 特に怒鳴っているわけでもない相手に怯えるなんて失礼だ。なんとか謝罪の言葉を重ねるわたしだけど、思わず息を吞んだ。


 ――目。


 虹彩の色が、金色だった。それだけではない。瞳孔が猫のように縦に細い。


 わたしはすっかり固まってしまった。怖かったわけじゃない。


 それ以上に美しいものを見たことがなくて、ただじっと見つめていたくなった。


 わたしが呆けていると大河少年のただでさえ険しい目つきがさらに険しくなった。あ、目が合った。初めてかも知れない。そんなことでさえ心が躍る。


 彼はわたしが『何を見ている』のかすぐに気付いたようだった。はっ、として足元を探り始める。ひどく焦った様子だった。手つきが覚束ない。もしかして目が悪いのだろうか。もしかしたら。


「……コンタクト、落としたの?」


 わたしがおずおずと声をかけると、大河君は小さく舌打ちをした。


「――見たな?」


 わたしは気付いた。気付いてしまった。


 誰だって秘密とコンプレックスを抱えている。例えばそれが仮名佐藤さんにとっては些細なことでも、仮名鈴木さんにとっては重大なことだったりする。


 わたしにとっては美しい宝石でも、


「誰かに話したら、噛み殺してやる」


 この少年にとっては歯を剥くほどのデオキシリボ核酸の瑕疵たり得るのだろう。


 大河君はコンタクトの捜索を諦めて、乱暴に立ち上がった。前髪をぐしゃぐしゃと崩して、無理くりに目元を覆い隠した。


 わたしは、見てはいけないものを見てしまったのだ。


 好きな人の、影のところ。


 その夜、わたしは産まれて初めて自慰をした。瞼の裏に焼き付いた、あの子の縦長の瞳孔を思い浮かべながら。




 ***




 その男の子が何を隠していているのかは知らない。毎日じっと見つめていればいくつか分かることもある。


 例えば、あの黄と黒のまだらな髪の毛。あれは地毛だ。髪は毎日伸び続ける。根本から毎日染め直しているというのでない限り、必ず地の色が見えてくるのに、大河少年の髪の毛はいつだった黄と黒の綺麗なストライプを描いている。髪が傷んだ様子もない。むしろ、羨ましいくらいのキューティクルだった。


 例えば、彼はかなりの頻度で歯科医を訪れている。歯科医に行った次の日の彼は、若干犬歯が短くなっている。きっと牙を削りにいっているのだ。なるほどあんな鋭い歯が生えていてはさぞ喋り辛いだろうし、食事の度に口の中が血塗れになりそうだ。何故歯科医を尋ねたいるのかって? そんなの後をつけたからに決まっている。ま、そんなことしなくても大河君は目立つから、いくらだって情報は入ってくる。後をつけたのは一度きりだ。大河君に会えるかもって、歯科医を変えるぐらいのことはしたけど、それくらいの乙女行為は大目に見てもらっても良いだろう。


 例えば、彼は人間が嫌いだ。人間を憎んでいる。あの髪が、牙が、そして瞳が、好奇の目に、悪意の罵倒に晒されないはずがない。それでも学校に通っているのは、多分彼なりの妥協なのだろう。家族ないし親子という、社会の最小単位に対する最大限の譲歩なのだ。親に対する義理立てというものを、わたしにもなんとなく理解出来ないでもない。


 だからわたしは、煌めく宝石を愛でるように、美しい花を慈しむように、彼を遠くから見つめはしても、声をかけはしない。彼は、凶暴で、強靭で――同時に繊細で壊れやすいいきものなのだ。決して安易に触れてはいけない、減数分裂の果てに産まれた芸術品なのだ。


 ――一度、粋がった体育教師が見せしめを気取って彼の髪を掴んだことがある。馬鹿な奴め、ちゃんと観察していれば地毛だって分かるだろうに。大河君の対応も慣れたもので、反発するでも抵抗するでも抗議するでもなくシンプルに無視だった。


 しばらくしてその体育教師は学校をやめた。懲戒免職だった。生徒への体罰やセクハラが問題になったとか、色々噂があるけど、クスリにはまって頭をおかしくしたのではないか、というのが最も信憑性の高い話である。


 虎に襲われた、と警察に駆けこんで騒ぎを起こしたのだ。訝しんだ警察官が検査を行った結果、覚せい剤の反応がでた、と。覚せい剤の話は眉唾ものだが、虎出現の誤報は地方新聞の三面記事を我が校の輝かしい名前とともに飾った。もちろん動物園から虎が逃げ出したなんて事件は起きていない。というより、市内の動物園には虎を飼育していない。


 ちなみに、どれも嘘だ。大河くんへの仕打ちは多少行き過ぎていたが、体育教師は別にセクハラをしていないし、体罰もギリギリのラインで節度を保っていた。ただ生徒達が皆不満を抱く程度のものでもあったから、みんなで示し合わせて徹底的に無視しただけだ。大人になっても、集団を構成する種にとってもっとも効果的な攻撃は相場が決まっている。ま、もしかしたら『みんな』の中でちょっと行き過ぎた『告げ口』をした者がいたのかも知れないが――わたしの知ったことじゃあない。無視をしたのも別に誰が言い出したわけでもなくて、自然にそういう空気になったのだ。あるいはわたし以外にも、大河くんのシンパがいるのかも知れない。


 本当、人間って怖いね。


 ま、体育教師のことはともかくとして、虎のことは、幻覚ではなかったのではないかと、わたしは思っている。


 何しろ。


 わたしの目の前にも虎がいるのだから。


 わたしは微笑んだ。体育教師は肉体的な傷を負っていない。これはきっと、脅しだろう。


 脅しだったらむしろがっかりだ。彼になら、別に食い殺されたっていいのに。彼の血肉になれるならそれはもっとも美しい結末だ。考えるだけで、ぞくぞくする。


 ――どんなに取り繕ってみせても、人間の本質は変わらない。それは影のようにわたしの後ろについて来る。影を喰われた人間は、三日と持たずに死んでしまう。


 わたしは、地味で、根暗で、陰湿で、歪な女。


 低く唸る美しい獣に、わたしはにこりと微笑みかけた。





「あなたの、目がすてき」




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