家庭教師を手に入れた
私は目の前でほったらかしにされていた勉強道具を端へよせた。ペン入れとして使っている四角い筆箱を椅子代わりに目の前にセットして白木を促す。背もたれは用意できなかったがそこまでの贅沢さはいらないだろう。今はとにかく座れればいいのだ。いや、座りたくないのであれば立っていてもらっても構わないのだが。背もたれがほしいと言われたらその時にまた考えればいい。
「あ、そうだ!」
気になっていたことがあったのを思い出した。不意に大きな声を出して立ち上がった私に白木は不思議そうな顔をした。それを無視して小学生のころに配られ使っていた30センチの竹定規を探す。どこだ、どこへやった。30センチ定規というのはその長さから大きめのものの大きさを測るのには重宝するのだが、如何せんその長さからしまう場所には苦労するもののひとつである。今の場合、筆箱サイズの15センチ定規では長さが足りないであろうことは明白なので30センチ定規がほしいのだ。15センチで足りるだろうと油断していると20センチほどの長さがあって15センチでは足りず、正確な長さがわからないという経験がよくあった。
「定規定規ーっと」
「おい、何する気だ」
私の突然の行動に警戒マックス、私の勢いに押されてたじたじの白木を見ているのは面白いと思う。
「身長計るんだよー。気になるじゃん、白木さんの身長」
「おれは別に――」
「あ、あったあった」
これこれ、と引き出しから取り出した竹定規を白木の座っている筆箱の傍、机の上に垂直に立てる。倒れないように慎重に支えつつ、白木に声をかけた。
「さ、ここに立って身長計りましょう! 異論は認めません、これは強制です」
「な、やめろっ! おい、くそ!」
「はいはい、立って立って―」
白木の罵倒もなんのその。姿が小さくなってしまった白木は筋力も同じように減ってしまったのか、かよわい女子高生である私にも容易につまむことができた。その上白木がいくら暴れても私には大したダメージがない。ちょっと自分で言っていて笑いがこみあげてくる。「かよわい女の子」にいいようにされて抵抗できない二十代半ばの男など笑いものでしかない。
「はい、ここにまっすぐ立って、背筋伸ばして」
白木を定規に押し付け、竹定規と三角定規でうまいこと垂直、平行を組み立てる。あまり押さえつけるのは白木にとってもつらいことだろうというので力を籠めないように慎重に定規を持ってめもりを睨みつける。
「じゅう……ご、ろく? かな。『6.(ろくてん)』いち、にい、さん……。16.4か5くらい? かな」
私がそう読み上げると白木は不思議な顔をした。
「は、16センチ? なんか中途半端な値だな」
「中途半端? もともとどれくらいあったの?」
参考までに聞いてみる。
「もともとっつっても最後にはかったのなんていつだ……だいたい一年くらい前かな。それくらいで175くらいはあったと思う」
「ふうん。もう一回計りなおしてみていい?」
「ああ」
許可を得たので今回も先ほどと同様に慎重に定規を合わせる。さきほど計った時は、白木の頭にあわせて上から定規を押し付けていたが、今回は普段健康診断などでつかう身長測定器で計るときのように、定規二本で地面と平行な辺を作り、それをそのまま平行を崩さないように気を付けながら下ろしていく。
「うーん、じゅうご、ろく……あ、七だ。17.5くらいだよ、白木さん。さっきの間違えてたみたい」
「へえ、じゃ大体10分の1程度の大きさになっちまったのか。1/10スケール! これじゃほんとにフィギュアサイズじゃねえか」
気を付けて計っていたとはいえそれでも多少は圧迫感があったらしい。身長が縮んだらどうしてくれるんだとふてくされたような顔で頭をさすりながら白木は言った。
「こんな小さくなっちまったらほんと、どうすりゃいいんだか」
なんとなく沈んだ様子の白木に私は少し慌てる。あまり頭がいいとは言えない私にとって白木が落ち込んで現実逃避を始めてしまうのはよろしくない。現状の問題を解決していくには白木に頼らなければならないのだ。
「なあ、そういやその話し方、どうにかならんか?」
「その話し方って?」
突然白木がよくわからないことを言い出した。白木の言うことに心当たりがなかったので首をかしげてみる。ちょっとかわいさを狙ってみた。おい、その残念なものを見るような目は何だ。腹立つぞ。
「その敬語とタメ口が混ざったような話し方だよ。距離感掴みかねてるのかなんなのか知らないけど、すっげー気持ち悪い。近づいたり離れたりみたいな。敬語話しにくいならタメ口でいいよ、俺が年上とか気にしなくていいから、めんどくさいし」
「う、はい、善処します」
ああ、そこか。ばれてた。たしかにタメ口と敬語が混ざってる自覚はあった。なんでかってそりゃ敬語だと気安さが感じられないってもんだからだ。ただ白木が年上であるということとやはり目上であろう人に対して敬語、というより丁寧語を使わずに喋るというのもなんというかむずむずする。で、ごっちゃになってしまっていたわけだが。白木自身からタメ口の許可が出たのでこれからは気楽に敬語を取っ払って話せるわけだ。めんどくさいという変な言葉が聞こえたような気がしたのは気のせいだと思うことにしておく。
うーん、それにしても疲れた。こうもまじめな話を延々と続けるなんて、どう考えたって私らしくないじゃないか。伸びをして脱力ついでに椅子にもたれた。白木の目? 気にしない。これから先いつまで一緒にいるかわからないけれど同じ部屋で長時間を過ごすことになるのだから、いつまでも恥ずかしがってちゃストレス過剰で倒れかねない。ほどほどに力抜かないとね。
ところで私は先ほどからやらねばならぬことを後回しにして白木との会話に励んでいたのだが、夏休み初日とはいえ今からでも少しずつ進めなければあとから己の首が締まるのは存分に理解している。というより、それがわからないほど馬鹿じゃないんだ、私は。わかっていながらやろうとしていなかっただけで。わかっていてやらない方が性質が悪いというのもよくわかっているつもりだ。なんだ、言葉遊びじゃないぞ。
「そういえばさ、白木さんは頭いいの?」
椅子にぐでっと寄りかかり、回転椅子であることをいいことに足を使ってぐりぐり体を捻ってだらけた恰好で尋ねた私を白木は鼻で笑い飛ばした。おいこら。今一瞬殺意がわいたぞ。
「頭良かったら宿題手伝ってもらおうとか思ってんだろ。考えてることはお見通しなんだよ、ぐーたれてないで宿題やるならさっさとやっちまえよ。お前より歳食ってるぶん深く学んでるところもあるからそこそこはできるぞ。専門じゃないところはわからんが――まあ、高校程度なら何とかなるだろ」
「む、手伝ってもらおうなんて思ってないですよーだ、失礼な。さっきみたいにわかんないとこあったら教えてもらおうと思っただけだよ。手伝ってもらおうと思って声かけたんじゃないんだから、勝手に憶測だけでしゃべらないでくれませんかー」
これはうざい、と自分でも思ったが口から出た言葉はもう元には戻せないのが世の無常。覆水盆に返らずとはこのことか。
「は、どうだか。ま、教えるだけでいいなら教えようか。手伝いはしないから、その期待はすんじゃねえぞ」
「わかってるよ、自分でやらなきゃ身につかないことくらい」
今度は私がぶすくれる番だ。だがいつまでも拗ねていても仕方がないので宿題にとあてがわれたプリント類、ノートそのた必要なもろもろを引っ張り出して準備を行う。まずは、一番苦手な数学をやっつけたい。苦手度で言えば英語も似たようなものであるが、あれはわからなければ辞書を出すか答えを見て解説を読んで地道に頭に叩き込んでいかなくてはならないので後回しだ。
「うー、あー、わかんない」
「どこがだ?」
「ここ」
なんでわからないのかがわからないとでも言わんばかりの白木に見つめられる。うるさい、わかってる奴にはわからない奴の気持ちなんて理解できないんだよ、これだからデキるやつは。どうやら白木は理系の進路をとっていたようで、数学は得意らしい。うらやましい。問題見てすぐに解放をはじき出してすらすら解いてく奴なんてみんな敵だと思う。つまり白木は敵。いくら優しくしてくれたとしても敵であることにはかわりないのだ。
それから数時間、私は黙々と課題消化にいそしんだ。
宿題をやり続けるうちに、私はなるべく白木の手を煩わせないようにして宿題をこなすようになった。それは白木になにかを頼むごとに交換条件を突きつけられ彼が満足しないと碌に勉強が進まないことが判明してきたからだ。何度やっても覚えない奴らと一緒にしてくれるな、学習能力はあるのだ。とはいえ、「あまり俺に聞くな」と言いつつも付属の解説を読んでもさっぱり理解が追い付かず、お手上げ状態になれば文句を言わずに丁寧に詳細な解説と思考法を教えてくれる。どうやら頼りにしてばかりになるなということが言いたいらしい。
「おい、ちゃんと聞いてるのか」
「ごめん、聞いてなかった」
「はあ」
ぼけっとしていたら注意された。全くお前は、と言わんばかりのため息をつかれる。
今回ばかりは他のことを考えていて白木の解説を碌に聞いていなかった私が悪い。なんだかんだと言いながらこちらが理解するまで根気よく解説しようとしてくれるあたりいい人なんだよな。
奴は優しいのか厳しいのかよくわからない。