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始まりは突然で

 私は、ただ過ぎていく日々がとてもつまらなかったのだ。そして、なにか面白いことは起きないものかと常に期待していた。水を通じて異世界へ流されるのでも、異世界から迎えが来るのでも、過去や未来へタイムスリップするのでもいい。とにかく、非日常的な「何か」が起こることを期待していた。それはどんなものでも良かった。最悪、自分の命が危険に侵されるようなことであっても。そしてまた、幽霊や怪物、妖怪などといわれるものに憧れていた。

 けれど、それらの事に憧れるのを許されていたのは中学生までだった。高校に入り、大人に紛れて暮らすことが増えてくると、だんだんとそういった非日常に焦がれることは少なくなっていった。勉強、勉強、勉強。空想に思いを馳せれば馳せるほど親の目は厳しく光り、将来のことを考えるように、将来困らないようにするためにと押し付けられた教材を消化していくことを強要された。わかっていた、こんな日常を選んだのは自分自身であったことは。だがしかし、それでも非日常へのあこがれはおさまらなかった。

 夏休み初日、私は窓を開けはなし太陽の陽射しがさんさんと降り注ぐ明るいはずの室内で一人パソコンに向かっていた。無料動画投稿サイトを開いてランダム再生リストをBGMにSNSをいじる。夏の課題はまだどれも手を付けていないから学校でむりやり書かされた勉強予定表も学校で書いたきり。なんの印も書かれていない。部屋にこもる直前に言われた「勉強しなさいね」という言葉は曖昧な頷きとともになかったことにされ、何の予定もないこの夏の一日をどうやって過ごすかということに思考の大半が奪われる。

「はぁ……トリップしたい」

 ファンタジー小説ではよくある話だ。トイレに流され、アチラの世界から迎えが来て、落とし穴に落ちて、トンネルをくぐればそこは異世界なのだ。パソコンの中に吸い込まれるっていうのもありかもしれない。何にせよ、とにかく非日常を味わいたかったのだ。

 勉強に手を付けようかパソコンに集中しようか、中途半端にシャープペンを持ってくるくると回す。画面の中ではSNSの更新通知が2件3件とふえていく。勉強なんてしたくない、なんで勉強しなきゃいけないんだ……。返ってくる答えなんてわかりきった問いを何度も投げかける。ただ勉強をしたくないだけのワガママに理由をつけて、少しでもしなければいけない現実から目をそらす。なんて滑稽なんだろう。

「やるしかないかな」

 結局うだうだと時間をつぶしているだけでは宿題は消えない。後顧の憂いをとるためには早めに宿題を追わらせるという方法をとるしかないのだ。今は高校二年。学年末には進路希望の提出を求められるだろう。私はキーボードをずらして机の上にうつぶせた。

「あー! 勉強したくない。大学にもいかなくていい。就職も嫌だ、働きたくない。面倒くさいなんにもしたくないー!」

「ないないばっかりだな、お前。でもなぁ、今のうちに勉強しておかなけりゃ将来碌な仕事に就けないことになるし、後々勉強したくなったときには今みたいに十分に時間のあるときなんてないんだぞ。やれるんだったら今のうちにしいっかり勉強しておけよ」

 ただもうとにかく勉強するのが嫌で嫌で仕方のないことだったので叫びながらそれを払拭しようとしていると聞き慣れない声が聞こえた。私は驚いて伏せていた顔を勢いよくあげた。

「誰?」

 説教くさいそれを聞き流しながら声の主を探す。しかし、周りを見渡しても誰もいない。不審な姿の一つも見られなかった。

「え、何今の。なんか声聞こえたんだけど、誰もいないし……。スピーカー? 盗聴器? 何にせよ気持ち悪っ」

 眉を顰めて辺りを一通り見渡して、やはり何も、誰もいないのを再び確認して私は頭を切り替えた。無理にでも明るくしなければやってられないものもある。

「さあーて、宿題やるかー。やんなきゃ終わるものも終わんないよね。手始めに数学からやっつけましょうか、苦手なものを最初に! 好きなものは後! ちゃちゃっと終わりそうな宿題は後からやるのだ。さあ二次関数よ、かかってこい!」

「おい、そこ間違ってるぞ」

 一問目をがりがりと解き終え、二問目にとりかかろうというそのときに今度ははっきりと耳元で先ほどの聞き慣れない声が響いた。心なしか左肩が重いような、そんな気がする。顔の側面を小さな虫か何かが這っているような。しかしそれを意識しないようにして私は尋ねた。この時の私にとって、一番大事なのは宿題であって、肩の上の「何か」はあえて確認するまでもない、勉強のついでに放置しておけば何とかなるであろうものだったのだ。

「え、嘘、どこ。どこが」

「ほら、そこだ、そこ」

「だからどこ!」

 そこ等と言われてもこれで間違いないと思って解いている私にはミスのかけらも見つけることができないのだ。要点を掴めない言い回しについ声が大きくなる。

「ここだってば、ここ。こっちの数字とこっちの数字ずれてるだろ、ここで書き間違えてるからそこから先の式も答えも違ってくるんだ。ここ直してもう一回やってみろって」

 そういって問題を指し示す人形はノートの上に陣取って……。陣取って?

「ちょっとまって、あんた誰」

「んあ?」

「いや、あの、さっき普通に会話してたけどさ、なんで人形が喋ってんの。私人形なんて持ってないはずなんだけど。ってか動いた? 動いたよね。おかしいよね、人形が動くの。なんで動くの。何、なんなの」

「おいまて、ちょっと落ち着けって」

 その人形を視認した途端、なにかわけのわからない気持ち悪さというのが腹の底からわき出てきて、私はまずその存在を否定しようとした。ただ頭の中には「気持ち悪い」という単語しか浮かんでこなくて、目の前の人形が何を叫んでいるかすらも分からない。人形が動いて私に触れようとしてきたので、私は思わずそれを振り払い、立ち上がった。机と椅子に挟まれてうまく飛び上がることができなかったがために再び椅子に舞い戻ることになってしまったうえ、机に下腹部を勢いよくぶつけた事による痛みに悶絶する。

「うああ、痛い」

 だが痛みに悶絶することによって言いようのない不快感から発生したパニック症状は多少なりとも緩和された。少しは頭も冷静に働くようになってくる。そこでようやく先ほどの自分がかなり力強く人形を振り払ってしまったことを思い出した。

「痛ってぇ……」

 ゲホ、と振り払われた勢いでそばにあった教科書の背にぶつかった衝撃に詰めた息を吐き出していた人形は、その小さな体にとってすれば大変な衝撃であったろうに何とか無事なようであった。

「あ、人形さん。ご、ごめんなさい」

 血の気が引いた。悪いこと、というよりは人形を傷つけるような行いをした自覚があったために自然私の口調は気弱なものとなる。それが生きているらしい人形ともなればなおさら。

 しばらくしてようやく息を整え終えた人形は軽くほこりを払うようなしぐさの後立ち上がった。

「落ち着いたか?」

 それは私に弾き飛ばされたことなどなかったかのような気楽な口調だった。

「あ、うん」

「はあ、それじゃようやくこれでまともな話ができるってわけだな」

「うん……あ、はい」

 腰に手を当てて仰ぐようにしてこちらを見る人形に私は無意識に背筋をただす。なんとなく、ただ本当になんとなく人形がおとなびて見えただけで、それ以上の意はない。自然と敬語になってしまったのも。

「いいか、ここから先は落ち着いて冷静に聞いてくれよ。とにかく質問があったら後からまとめて行ってくれ。とりあえずあんたよりは俺の方がこの状況を説明できるだろうから。俺がここにいる理由と、俺のこの小さな体の理由と他にいくつか、わかる範囲で説明するから、頼むから俺にもよくわかっていないことが多すぎるんだ、余計な茶々はいれてくれるな。わかったな」

「質問はあとにすればいいんだね」

「ああ」

 睨み付けるような鋭い視線におずおずと頷いておく。

「まず、なにか言えばいいのやら――俺は白木要という。職業は、あー……そこらにいるような会社員だ。ごく普通の。歳は――これも言った方がいいか?」

 問われたのでこれにも頷いておく。気にならないなんてことはない。だってこれでも年頃の少女だ。

「歳は26だ、否定の言葉は聞かん。んで、俺の個人情報はこんなところでいいだろう、もし他に聞きたいことあるなら後で聞いてくれ」

 そこで白木はいったん話しを止めると喉が渇いたとしめすように何かを飲むようなしぐさをとった。

「なにかあったら持ってきてくれないか?ただの水でもいい。さすがに何も飲まずにこのまま喋り続けるのはつらい」

「あ、うん」

 気が利かなかった、失敗したとばかりに私は階段を駆け下りた。エスップレッソ用の小さなコップと普段使いの空のコップを水屋から取り出し、水筒にお茶を移して駆け戻る。

「お茶、冷たいのしかないけどいいよね、白木さんのカップはこっちの小っちゃいのね。重くて持てないかもしんないけど、うちにあるので小っちゃいカップってそういう陶器のしかなくって。そん中でも一番軽い奴持ってきてるから、とりあえずこれ使って」

 こぷこぷと音を立てて白木の前に差し出したコップの中にたっぷりとお茶を注ぐ。さんきゅ、と呟きながら白木はカップの傍にしゃがみ込んでそのまま縁に口を付けた。その様はひたひたに注がれた酒を表面張力がなくならないように飲み込む酒飲みのようだ。そうして満足したのか口元を拭いて立ち上がった白木はふたたび語り始めた。

「正直言って、どうして今ここに俺がいるのかはよくわからないんだ。ここに来る直前の記憶がおぼろげだとでもいえばいいんだろうか、今朝何していただとか昨日何をしていただとかの記憶はあるのにさっきは何をってってことは思い出せないんだ。ただ、気が付いたらこの部屋にいて目の前のお前がなんか意味のわからん言葉を発していたんだ。そのときには体も今と同じくらいの大きさになってた」

 そこで一口お茶を含む。

「状況説明するって偉そうなこと言ったけどな、実際におれが話せることなんてこれくらいだ。ただ、どうしてここにいるのかわからないことがわかってるだけなんだ」

 そう言いながら白木は悔しそうに自分の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。そのまましゃがみ込む。

「くそ、なんで俺がこんなことに。もっと、もっとやんなきゃなんねぇことがあったってのに、なんでこんな……くそっ」

 おとなしく話を聞いていた私はよくわからないながらに状況を整理していた。彼、白木はつまり彼自身にも理解できないような方法により体が小さくなりこの部屋に存在してるということなのだろう。そしてそれは彼自身の望むところではないと。

「あの、白木さん」

 なにか声をかけた方がいいだろうと思って名前を読んでみたが、そのあとに続く言葉はなかった。何を言えばいいのかがわからない。こんな時はどうすればいいのだろうかそう考えて、ふと思いついた。水筒を手に取って半分ほどにまで減ったコップにお茶を継ぎ足す。水筒の中で氷が音を立てて崩れた。その音に気付いて白木が顔をあげる。

「お茶、飲んでちょっと落ち着いてください。白木さんをたたき出そうなんてもう思ってないですから。それになんとかして元に戻る方法探しましょう。ニュースとか、調べたらなんかわかるかもしれないです。役に立たないかもしれないですけど私も極力協力しますから、そんなに落ち込まないでください」

 落ち着いてよくよく観察していれば白木は整った顔立ちをしている方であった。人形と形容できるだけあってペットボトル程度――いやそれよりも小さいかもしれない――のサイズではあるがその容姿は小ざっぱりと整えられた黒髪に、どちらかと言えば丸い顔だろうか。とはいえいまその黒髪は彼の手によって大いに乱されているが。丸顔ぎみだからといって丸々と肉付きのいい顔というわけでもなく、極端にえらが張って顔が筋張っている様子もない。鼻がすっととおり落ち着いた印象を与える。華やかではないが落ち着いた印象を与える白木は私の言葉に従ってカップに口を付けた。白のシャツに灰色のジャケットは白木の爽やかさを倍増させているようだ。

「なんだよ」

「べ、別に」

 じっと観察していると視線を不快に思ったのか白木が目線をあげた。態度が先ほどまでとは段違いにぶっきらぼうだ。視線の強さに思わずたじろぐ。

「な、なにさ」

「名前」

「え?」

「え? じゃない、お前の名前だ。なんていうんだ」

「あ、あや。斉藤亜矢っていいます。新圧高校二年の」

 言ってなかったっけ、と思ったがそういえば言ってなかったような気がする。白木の話が長くてそんなもの吹っ飛んでいた。

「そうか、なああや。年頃の女の子に対してこういうのもなんだとは思うんだが、しばらく世話してくれないだろうか。こんななりじゃ外に出てもどうしようもない。ダメだってんなら出てくが、協力してくれるってんなら俺、しばらくここに住まわせてもらっても構わないだろうか」

「いいですよ」

 私は軽くうなずいた。

「先に世話するって言ったの私ですし。ご飯とか何とかして持ってきて餓えないように気を付けます。あ、でも着替えとかはのぞかないでくださいね」

「ばっ、覗くかよ!」

 顔を真っ赤にして白木は叫んだ。


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