悪い夢を追い掛けて
新越日本科学研究所の応接室に、敦也はいた。その場では大村が、厳しい顔をしていた。
「最終確認だ。どうしても譲ってくれんのだな? ポンも設計図も」
大村は湯呑みを置いた。
敦也は窓を見ながら、口を開けた。
「期待に添えなくて、申し訳ないと思う」
「なぜ、断る?」
「あの子が悲しむ顔を、俺は見たくない。理由はそれ以外に無いが、これを無理矢理、破りたくはないんだ。設計図は悪用や流出されると困る。ましてや悪用されれば、世界レベルで、大惨事が起きる」
「フ! まるで俺は、父親の鏡なんだよって面をしているな」
「勝手にいってくれ。子供の愛に飢えてるのか。大村……」
「貴様!」
形相を一変させ、大村が敦也の襟を片手で掴む。そして敦也の顔面横を殴った。敦也の眼鏡が吹っ飛んだ。
「ツー……」
敦也がいいながら、眼鏡を拾いにいく。
「ハー、ハー」
大村は呼吸を、荒くしている
敦也は眼鏡を拾い、掛けようとしてやめた。
やがて大村が、少し落ち着く。
「すまん。フレームは大丈夫か? 壊れたのなら弁償する」
「いや、いい。これは安物……、しかも100均の伊達だからな」
敦也は部屋の扉を開け、去ろうとする。
「大村……」
扉の前で敦也が、首を横に向ける。
「最近のお前、腐ってるな。後、あの大出部とかいう教授……。いつの間に会社に雇った? 皆、知らないっていってるぞ」
「お前の知った事じゃない。俺のいう事が聞けないなら、どうな……」
「家族に危険が及べば、俺のかつての親友は死ぬ事になる。覚えておくんだな、所長」
敦也は、服を軽く正し、静かに出て行った。
1人応接室に残った大村が、深くソファに座った。
「フ……。腐ってるか……。ならば、とことん腐ってやろう」
大村は含み笑いをしながら、独り言をいった。
それから数日経ち、新しい家族を2人迎えた若井家では、充実した日々が送られていた。
新しい家族の1人はロボットの『PON』である。
ポンは若井博士、李博士、許冠博士、そして現在海外出張中の、忍足博士によって作られた。
ポンは人間でいう、腕と足首だけ間接を持たず、四角い土豆に模した手足併用の部品が4つ浮いている。
体は御田の半片みたいなデザインであり、その裏には牛蒡巻きのような武器を、携えている。
その体から一本の、透明に近い銅線らしき物が伸び、卵型の頭部と、昆布型のレーダーを繋いでいる。
もう1人の家族は、美穂の誕生日に、ペットショップから連れてきた、猫の黒之介だ。品種はボンベイでオス、目が大きく愛くるしい。
そんな若井家の昼時に、早乙女、如月、美月、悪七、エッチーニが、遊びにきた。
和室で美穂とポンが、ママゴトをしている。
「ほぅー。これがポンかぁー」
「そうだよー」
美穂が、悪七にいった。
ポンはママゴト用の小さいフライパンを、振り上げるそぶりをする。
それを近くで見ていた如月が、驚いた顔をする。
「スッゲー。おままごと心得てるよ、このロボット」
「そりゃそうさ。ポンの思考回路を担当したのは、ミスターアルゴリズムのパックマンだからね」
敦也がさも当然のようにいう。
「やり手なんですねぇ。あの人……」
早乙女が腕を組む。
「ポンのデザインを担当したのは、君の指導者のホイなんだよ」
と、敦也がいう。
「あぁー。そう言われると凄い納得しますねー。見るからに御田ですもんね」
「彼はポンに関しては、デザインしか担当してないけども、俺はこのデザイン、凄い気にいってるんだ」
敦也が微笑み、ポンを見る。
和室の網戸の前で、半ズボンの美月が座っている。
美月の座り方は、正座から、両足を少し同じ方向へずらす、いわゆる『お母さん座り』だ。
美月のそんな後ろ姿が、悪七、エッチーニのコンビの目に映る。
「ん……、何で美月は、そんな女々(めめ)しい座り方してんだ?」
悪七はそういって、エッチーニと共に、網戸に寄る。
すると、美月の膝の上に、黒之介が寝ている。美月の表情は優しく、片手で、黒之介の背中を撫でている。
「このニャンニャン、洒落た寝床を手に入れたようだな……」
悪七がもう、テレビへと視線を変える。
しかし、エメラルドグリーンの目の男は、違った。
「さぁてと。そろそろ僕と交代の時間だ。ミスター黒之介」
両手でエッチーニが、黒之介を掴み、美月の膝から離す。
「オイ。そんな時間帯、設けた覚えないぞ」
美月はエッチーニにいう。
それに構わず、エッチーニは黒之介を床に降ろし、美月の膝を自分の顔で占拠した。
「独占させるのは、猫の躾によくない……、そうだろ?」
エッチーニは速くも目を閉じ、眠りに入る。
「……」
美月は呆れて物がいえない。
「皆さん、チョコケーキですよ」
フォークと皿に載せたケーキを、美恵が皆に運ぶ。
ポンのエネルギー源は電気なので、当然彼の分は無い。
「飲み物が欲しい時はいつでも、呼んで下さいね」
美恵が耳に優しい声量で、一言で済ます。
「久々のケーキだ……。あぁ、おいしい」
「うん。おいしいね。早乙女のお兄ちゃん」
美穂がいう。
「いやぁ……、うまい。よく栗とか入ったケーキあるじゃないですか? あの粉々の。アレは俺、駄目なんで、このケーキは格別ですぜ!」
中身は何も入ってないこのケーキに、悪七はご満悦だ。
「そうですか。悪七さんの口に合って、何依ですよ」
敦也が口の中身を見せないように、手で隠しつついった。
おいしそうに食事を摂っている美穂に、美恵が歩み寄る。
「ねぇ、ほら見て美穂……」
悪七と談笑する敦也の姿を一緒に見る。
敦也は自分が話し出すタイミングに合わせて、手を口の前に持ってきては、時折、笑顔を見せている。その手と口の間は握り拳、1個分といった所だ。
「あれが大人のマナーね。どう? 男なのに素敵でしょ?」
「うん。立派だね」
父を見つつ、母に小声でいう。
談笑している悪七に、
「悪七さん。見てないなら、テレビのチャンネル、変えていいですか? 『午後の映画地獄』って番組です」
こう、如月が割り込む。
「駄目。俺が見てんの」
「見てないじゃないですか?」
と、如月がいう。
「耳で聞いてんだよ!」
もう悪七の減らず口は、やまない。
網戸前の美月の膝の上に、エッチーニの顔があり、更にエッチーニの頬の上には、黒之介が座っている。
エッチーニは美月の膝枕で、眠っている。その上で黒之介が外を見ている。
美月は膝の上の彼らを気にせず、チョコケーキを食べている。
その時、
『ピンポーン』
と、インターホンが鳴った。
「はーい!」
と、美恵が向かおうとする。
「待て。俺が出る」
と、敦也が立ち、玄関へ行こうとする。
敦也の方を向き、
「じゃ、お願い」
と、そういって、美恵は床に座り、ニュースを見る事にした。
敦也が玄関のドアを、
「どうも、お待たせしました」
と、いいつつ開けると、敦也の下には大きな影が出来ている。
そこにいたのは巨躯の大出部教授だった。
大出部の上のシャツは脂肪で、中から盛り上がり、スラックスもかなり膨れている。頭は丸坊主だ。
「お、大出部教授……、何かご用でしょうか? 直接我が家にくるなん……」
「悪七は今どこにいるか、知っているか?」
敦也の言葉を遮り、無表情の大出部が聞いた。
「悪七さんですね? 今、呼びますね」
と、敦也がドアを一旦、閉めようとした時だ。
「B型か……」
大出部はそういった。
敦也の血液型は確かにB型であるが、教えた覚えは無い。またそれと同時に一瞬、大出部の瞳孔が、青くなったように見えた。
敦也は、
「え?」
と、改めて大出部を見た。
「何でもない。速く呼んで欲しい」
「分かりました。少々、お待ち下さい」
敦也がドアを閉めた。
(こいつの不気味さは、悪七の比じゃないな……)
と、敦也は感じた。
うまい事、悪七を誘いだした大出部は、共に商店街へ向かっていた。くじ引きが行われているとの事だ。
悪七はずっとガムを噛んでいる。
商店街の抽選場が、2人に見えてきた。
大出部の足が止まり、
「ここだ」
と、いって悪七に、くじ引き券を渡した。
「自分は用があるので、これで失礼する。ご武運を……」
「え? 何で俺にやらせるの? 当たったもんは、後で山分けか?」
「理由は2つある。1つはくじ運が強いと、風の噂で聞いたからだ」
「もう1つはなんだよ?」
大出部は歩きながら、
「自分には物欲が無いからだ。当てた物は自由に使え」
と、全く感情の篭ってない目で話し、去っていった。
(一体、何なんだ?)
と、悪七は思いながらも、貰ったくじ引き券を片手に、抽選機に向かう。
抽選場には黄色い法被に鉢巻きをし、黒いサングラスをした大村がいた。
後ろから、ビニール袋の擦れる音が、悪七に聞こえた。
悪七が名前の知らない大村に、声を掛けようとした時だ。
段々と、ビニール袋の擦れる音が、大きくなってくる。そして、
「ちょっと!」
と、買い物を済ませた中年の女性が、悪七の前に割り込んだ。
悪七は大変、不快な顔をした。
「ねぇ! ここのくじ引き券はどこで貰える訳? どこの店もくじ引き券は配ってないっていってるわよ」
と、女性はいう。
それを聞いた悪七は、この抽選場に不信を抱く様な考えには至らず、
(男1匹で、くじ引きを運営するとは、なんて気前のいいおっちゃんなんだ)
と、悪七は思ったと同時に、口のガムを指で摘んだ。
「選ばれた方だけが、挑戦出来るのでございます」
大村が紳士の様に答える。
「何さ! 意地悪しないでやらせなさいよ!」
それを聞いていた大村は、黙ってた。
女性の後ろから、黄色いガムを女性のビニール袋に入れる、悪七の姿が大村の目に映る。
「どうせあれでしょ! 大物政治家とか、権力者とかにしか、券、渡さないんでしょ? 後は財界人とか……」
悪七が憤慨する女性の肩を、ガムを入れた左手で、2度軽く叩いた。
女性が口を軽く開けたまま、悪七の方へ振り返る。
「奥さんみたいな選ばれてない人は、お呼びじゃないんだってさ」
悪七はそういって、親指だけ立てた右手を、自分の右肩の上にやり、
「失せな!」
そういった。
「フン! なにさ!」
女はビニール袋を揺らしながら、自分の自転車に向かう。
途中、女性は転びそうになった。
「運も魅力もねぇ女だ」
と、悪七は呟き、振り向き大村を見た。
「1等はなんだ? お米券50枚か?」
「お教え出来ません」
「機密事項って訳かい?」
「そういう事です」
「まあいいさ! 厄介者は消えたし。おっぱじめようや」
と、券を渡し、肩を回し気合いを入れる。
「1回どうぞ」
「いやー、それにしてもあの女、いい睨み利かせてたな。まぁ、俺には及ばねーけどな。あんちゃん洒落たサングラスしてるね。外して見せてよ」
「い……。いやー……。これを外すと身が引き締まらないんで。ちとまぁー、ご勘弁を」
と、大村が後ろ頭を掻く。
「そうかい。無理いって悪かったね。じゃあ回すよ」
悪七が抽選機を、にやけながら回す。だが腹の内では、
(めんたま褒めて、サービスしてもらおうと、思ってたのによー)
と、悔しがっていた。
やがて少し色の禿げた黒色の球が出た。
「汚ねぇ玉だな。何等だ?」
「おめでとうございます! 一等賞です」
大村はベルを鳴らす。
「ヤリィー! さぁ、1等はなんだ? エロ本20冊なら俺は要らんぞ」
「一等は執事の『山田 智仁』さんです」
「は?」
悪七は言葉を失った。
美穂の家にて、エッチーニの顔から、黒之介が降りた。
「ふぁぁー。良く寝たー」
と、エッチーニが手を伸ばした後、美月の膝から頭を起こした。
「寝過ぎだ全く。涎が垂れてたぞ」
美月が丸まったティッシュを、持ちながらいった。
「それはごめんよ、美月。アレ?」
と、エッチーニは辺りを見る。
「悪七はどこだい?」
「悪七さんなら、私の知り合いと、どこかへ行きましたよ」
敦也がアイロンをしながらいう。
「ふーん。じゃあ僕も帰ろうかな」
「バイバイ、シャルルさん」
と、美穂がエッチーニにいった。
「うん。バイバーイ、皆」
エッチーニは手を軽く振って、去った。
時間が、1時間程経った。外は豪雨が降っている。
悪七家に居候しているエッチーニはリビングにいた。
そこには、執事の山田として変装した今一と、悪七がいて、
今一が来た経緯を説明された。更に、今一からは風水学的に、日当たりのいい部屋に、住み込みたいとの話も聞かされた。
「へぇ、賞品が執事だなんて凄いじゃん」
と、エッチーニが、今一を見る。
「執事の山田智仁です。以後、お見知り置きを。エッチーニ様」
と、燕尾服を着た今一がいった。
しばらく話をして、
「エッチーニ。今日でお前は、あの部屋とはお別れだ」
と、悪七がいいだした。
「え? なんで?」
「さっき聞いてただろ? どうしてもお天道様に当たりてぇんだよ。山田は」
「そ、そんな・・・」
「庭が空いてんだから、テントでも張りゃあいいだろ」
悪七がエッチーニに、そういった
リビングを出た悪七が、洗面所へ向かい、桶や洗髪用具などを持ってきた。
「ちょっと銭湯行ってくらぁ」
悪七がいう。
「こんなお足元が悪い中ですか?」
今一が聞いた。
「そうだよ。留守頼んだぞ」
「畏まりました」
今一は頭を下げた。
悪七は出て行った。
エッチーニは椅子に座り、静かに俯いている。
エッチーニの所へ今一が歩いて、少し離れた所で止まった。
「私のせいでこの度は、大変、お騒がせ致しました」
エッチーニは顔だけ、今一に向けた。その顔はとても暗かった。
今一は懐に手を入れ、エッチーニにまた寄る。
「これを……」
と、エッチーニの手の上に今一は、札束を1つ、いきなり置いた。
「こ、こ、これは?」
エッチーニは、我が目を疑った。全部、万札なのである。
「気持ち程度ですが、どうぞご納め下さい」
「君にはなにか、裏がありそうだな……、山田」
エッチーニの顔に活気が戻った。