ほのぼのと導かれて
美穂の家に、悪七が来た次の日の朝。
敦也は酔ってからすぐ帰ったのだが、昨日の事は余り覚えていない。
短い時間で意気投合した2人が、赤羽駅へ向かっていた。
悪七の知人である『エッチーニ』という男を、迎えに行く為だ。
「ホントすみませんね。敦也の旦那。付き合わせちゃって……」
「いえいえ。退屈しないお方だとお聞きしてますし、ぜひお会いしたいです」
敦也はすぐさま、作り笑顔で返した。
駅に着いた敦也と悪七は、まだエッチーニが来ていないのを確認し、ゲームセンターに入った。
クレーンゲームを操作しながら、悪七が敦也に話し掛けてきた。
「敦也の旦那」
「何でしょうか?」
「エッチーニが来たら、軽く飯でも食って、サウナにでも行きませんか?」
「いいですねぇ」
敦也の応答に悪七はにやけて、
「あいつとサウナに入ると、最低でも2キロは痩せますぜ」
と、いった。
午前10時頃、美穂と美恵は、駄菓子屋にいた。
「はい」
お菓子が入った籠を、美穂が渡した。
会計を済ませると、
「あと200円で、くじ引き券あげるわよ」
と、優しくおばさんがいった。
「翔君の分も買っていい? お母さん?」
「そうね。買っていこっか」
美恵は明るくいった。
その時だ。
おばさんの隣の戸が開き、
「オイオイ! いいじゃねーかぁ」
と、おじさんが出てきた。そして、
「ほらよ。嬢ちゃん」
そういって、くじ引き券を美穂の手の上に置いた。
「ありがとう。おじちゃん」
「そんな……、ちゃんと買いますよ」
慌てて美恵がいう。
「イヤイヤ!」
おじさんが顔の前で、手を横に振り、
「サ! 行った! 行った! 早くクジ引かねぇと、どこぞの馬の骨に、持って行かれますぜ!」
と、続けた。
おばさんはおじさんを、睨んでいる。
美恵は礼をし、美穂と駄菓子屋を出た。
駄菓子屋から声が聞こえてきた。
「くじ引き券は、500円で渡すって決めたのは、アンタでしょーよ!」
怒号のおばさんに対し、
「そんなんだから毎回、ティッシュしか、オメェさんは当たんねぇんだよ!」
と、おじさんの声がした。
その象のヌイグルミは、もう美穂が遊んでいる物ではない事を、美恵は知っている。
美恵は立ち止まり、真剣な表情で美穂を見つめた。美穂の両肩をしっかり掴み、少しかかんで、
「ねぇ美穂。人に物をあげる時は、要らない物をあげるのは、いけない事なの」
美穂は母の目を見続けた。
「これから美穂は大きくなって、綺麗でステキなお姉さんになる為には……、そう、本当にステキな、お姉さんになる為にはね、こういうマナーを覚えるものなの」
「……」
「どうしたの? クジ引くんでしょ? これから」
「うん!」
美穂達は歩き出した。
「ねぇ。お母さん」
「なぁに?」
「マナー教えて」
「ゆっくり覚えようね」
そんな会話をしながら、二人は抽選場へ向かった。
一方、敦也と悪七とエッチーニは、サウナにて一汗掻いていた。
「これから美穂は大きくなって、綺麗でステキなお姉さんになる為には……、そう、本当にステキな、お姉さんになる為にはね、こういうマナーを覚えるものなの」
「……」
「どうしたの? クジ引くんでしょ? これから」
「うん!」
美穂達は歩き出した。
「ねぇ。お母さん」
「なぁに?」
「マナー教えて」
「ゆっくり覚えようね」
そんな会話をしながら、二人は抽選場へ向かった。
一方、敦也と悪七とエッチーニは、サウナにて一汗掻いていた。
エッチーニは大変な親日家で、今回で来日は3度目で、母国のフランスには、もう戻らないらしい。
エッチーニの歳は敦也と、ほぼ変わらない。エメラルドグリーンの目に、金髪のショートヘアのダンディーな男である。
サウナに入ってから3分程経ったのを、敦也は12分計で知った。
この部屋には敦也、悪七、エッチーニ以外に三人いた。
「しかし、悲しいですな」
と、エッチーニが突然切り出す。
「何がだよ?」
眼鏡を外していた悪七が、そう聞いた。
「僕の鼻にレディの匂いがしないんだ……」
「そりゃあ、女湯のサウナだって汗臭ぇだろうよ」
悪七は不機嫌な顔でいう。
その言葉を聞いたエッチーニは、悲しい表情を浮かべた。
エッチーニの顔から、何かを汲み取った敦也が、
「そうじゃなくて、女性と一緒に入りたかったって事でしょうか?」
と、眼鏡を外していた敦也が、いってみた。
エッチーニは笑顔で、人差し指と親指を立て、それを敦也に向けた。
(こういうひょうきんな男は、沢山の女を知ってんだろうな……)
敦也は随分と勝手な、憶測を立てていた。
そこに、
「でも、フィンランドのサウナには、男女一緒に入れる所が、あるらしいっすよ」
こう割って入ったのは、如月という男だった。
タオルは自前のようで、敦也らの物とは違う。黄色ではなく、ベージュ色のタオルを如月の周りの男達は巻いていた。それらのタオルは『十八番繊維重業』と書かれていた。
敦也は如月の声に、少し聞き覚えがあったが、敢えて何もいわなかった。
悪七は暑さの前に歪む顔が、急に柔らかくなり、
「聞いたか? エッチーニ!」
腰掛けから、悪七が立つ。
「あぁ! この耳に確とな!」
左手人差し指で示し、エッチーニが笑顔で答える。
「行くぞ! いざフィンランドへ!」
そういって、悪七は出口へ向かう。
「あと俺、フィンランドをですね……」
如月の横の『早乙女』が、何か言おうとしていた。
その脇に腕組みをし、目を閉じている『美月』という男がいた。美月の顔は童顔で、滑り台のように滑らかそうな足を、組んでいた。
エッチーニは美月の、足のみを見ていた。まだ、部屋に入ってから、顔は一切見ていない。
他の男は、話し掛けてきた、早乙女を見ていた。
そして早乙女が、
「芬蘭って漢字なら書けますよ」
と、得意げにいった。
「そんなこたぁ、聞いてねぇんだよ!」
悪七が怒鳴った。
まだエッチーニは、美月の足だけを見ていた。相変わらず顔は、一切見ていない。
見られている当人は、目を閉じており、その腹筋は割れている。
如月が口を開く。
「すみません。こいつ空気読めないんですよ」
「ハハ! お前みたいな、おしゃべりなお口よりはマシさ」
早乙女が如月に言い返す。
敦也は口を押さえ、笑みを隠した。
「ふん! まぁいい。凄まじく有益な情報を得た訳だからな」
そういった悪七はドアノブに、手を伸ばしながら、
「行くぞ。エッチーニ。敦也の旦那」
と、続けていい、ドアを開け掛けた。
(オイオイ。俺はフィンランド行かねぇぞ……)
敦也はそう思いつつ、重い腰を上げた。
しかしその瞬間。
「はぁい! 大和ガールに向けて、突撃しまーす」
エッチーニは美月の足に目掛け、ヘッドスライディングした。
「うわ! 何だ? どうした!」
突然の事に、美月はパニックになりつつも、下を見ると、誰かが自分の足に、頬を擦り付けていた。
「何だ! お前は!」
美月がいう。
そんな事は無視し、エッチーニは目を閉じながら、
「サウナという湿地帯に生い茂る、ああそれは、葦の如き醜いスネ毛……。しかし! そんな中に、芋虫の肌にも勝りし肌触り、且つ、可憐なる二茎」
と、スネ毛一本無い、美月の足に、頬を沈めながらいう。
敦也はこの状況をしばらく、見守る事にした。
「ジュ、テーム……」
エッチーニは優しくいいつつ、遂に足に手をまわした。
「気色の悪いモン見ちまった。俺は一服してくる」
悪七はサウナを出た。
エッチーニは目を開けずに、美月の前に立ち上がり、自分の左手を、心臓の辺りに置いて、
「僕の名前はシャルル・ドゥエイン・エッチーニと、もう……」
目を開け掛けた。
するとエッチーニの視界の下から、綺麗なココア色の物が、自分の顎目掛け、勢いよく向かってくる。
「ス!」
エッチーニがそういったと同時に、美月の放ったマーシャルアーツキックが、顎に炸裂した。
「オゥ!」
痛そうな声を発したエッチーニは、溜まらず顔を押さえながら後ろに倒れた。
「うわぁ。痛そう……」
早乙女がいった。
「その綺麗な足がまさか、男の足だったとはね……。こんな紛らわしい物に心酔してしまうとは。このエッチーニ! 人生最大の不覚!」
エッチーニが起き上がり掛けながら、そんな事を口走っている。
「まずは謝んねぇのか! タコ!」
美月は飛び蹴りを、エッチーニの背中に喰らわせた。
「わお!」
飛び蹴りを受けたエッチーニが、敦也の足下のマットに、転がってきた。
「この野郎! 洗ってなさそうな手で、ベタベタ触りやがって! また手入れのし直しじゃねーか! 馬鹿野郎!」
暴言をいいながら、美月が尚もエッチーニに、ストンピングをかまし続けた。
「おい! そのへんにしとけよ。美月」
「そうだよ。もう充分でしょ」
と、早乙女、如月が強めに美月の上半身を押さえる。だが美月の足による攻撃は、やまない。
「駄目だね!」
こう美月はいいだす始末だ。
その部屋で座りながら溜息を吐き、曇った眼鏡を掛ける男がいた。
眼鏡を掛けた男が、
「やめないか! 美月!」
と、怒鳴る。
怒鳴った男は、他ならぬ敦也だった。
「ん!」
美月が足を止め、その声の主を見た。
「若井博士!」
美月は気付いた。
「あっつ!」
敦也は眼鏡を慌てて外す。
「あーあ。せっかくの威圧感が、台無しですね」
「うるさいぞ。如月」
と、敦也は返し、続けて、
「大丈夫ですか? エッチーニさん」
との呼び掛けに、エッチーニは『ウー』と、唸っていたが、何故か少し微笑んでいた。
午後。商店街では、くじ引きが行われており、美穂は四等のティッシュ5箱を当てた。
美恵がしょうがないよと、いいたげな表情で口を開く。
「さてと。帰ろっか?」
「うん――」
美穂はくじの結果に、満足していない様子だ。
「待って下さい!」
赤い法被を着た、抽選場の運営のおじさんが、呼び止めた。
「あと、1回できますよ」
おじさんがそういって、くじ引き券の裏を、美穂らに見せた。そこには綺麗に折られた、くじ引き券がもう1枚、くっ付いていた。
「あぁ! くっ付いてるぅ!」
美穂はくじ引き券を、指差した。
「今度は、一等当たるといいね。美穂」
「うん!」
美穂は赤い抽選機に付いた、ハンドルを回した。
小さな黄色の玉がでてきた。
「おめでとうございます。二等の新越日本科学研究所主催、豪華レセプションへご案なーい!」
おじさんがベルを鳴らす。
新越日本科学研究所は、敦也の勤める会社である。
「レセプションってなーに? お母さん?」
「うーんと。今度お父さんの会社で、パーティーやるみたいね」
「それに出られるんだ?」
「そうみたい」
「わーい!」
美穂は抽選機のテーブルに手を置き、何度もジャンプした。
銭湯でくつろいだ後、敦也、悪七、エッチーニ、早乙女、如月、美月は、くじ引きをする事にした。
商店街の抽選場にて、
「2回できるみたいです」
と、早乙女が皆に知らせる。
いきなりそこへ、如月が預かっていたくじ引き券を、無理矢理、手から取り、
「この中に、クジ運の強い奴はいるか!」
悪七は声高らかにいった。
「僕は女で外した事はないなー」
エッチーニは平然とそういった。
「下衆な奴だ」
1人半ズボンの美月が、そう呟いた。
「よし! エッチーニ! お前が先鋒だ! やれ!」
悪七が抽選機を指差す。
「御意!」
エッチーニが抽選機に向かって、歩きだす。
「頑張って下さいね。エッチーニさん」
早乙女がいう。
「なんか勝手に仕切ってるし、元は俺達の券なのに……」
「なんかいったか?」
悪七が如月に、向き掛けたその時だ。
「はいどうぞ!」
赤い法被を着た、おじさんが何かをエッチーニに渡した。
「オシ! 当てたか! でかしたぞ! エッチーニ!」
悪七が如月を無視して、エッチーニに駆け寄った。
「はい。四等のティッシュ、5箱です」
おじさんが笑顔でいう。
「さぁ。皆。もっと僕を褒め讃えろ!」
エッチーニが悪七達の方に振り返る。四等を当てたにも関わらず、自信に満ちた顔をしている。
「あーあ。悪七さんのせいですよ」
「なんで俺のせいになる! あの色魔が悪いんだろうが!」
悪七が如月に怒鳴る。
「まぁ、いいじゃないですか。もう1回出来ますし……」
こう敦也が宥める。
「敦也の旦那からも、なんかいってやって下さいよ。こいつらの上司でしょ?」
「いやぁ。今日はもう、3キロも痩せちゃって、ヘトヘトなんですよ……」
「あっそ! よし! 次は俺だ!」
悪七が宣言したがそこへ、
「あ!」
そう早乙女がエッチーニの方を見て、呆然としている。
「ん? どうかしたのか?」
と、悪七も、エッチーニのいる抽選機の方へ、顔を向ける。
ベルを鳴らしながら、
「おめでとうございまーす! 二等の新越日本科学研究所主催、レセプションへご案なーい!」
と、おじさんがいった。
「オイ! なに続けてやってんだ!」
悪七がエッチーニに近づく。
「なーんだ。俺達の会社じゃん」
不満げに早乙女がいう。早乙女、如月、美月は皆、新越日本科学研究所で、助手を勤めている。
「わざわざ二等当てなくても、優待券があんのにね。俺達には……」
如月が愚痴をいいながら、エッチーニを見つめる。
「あぁ。俺達にとっては、五等よりも価値が無いかもな」
最後に美月も愚痴を垂れたが、同じ職場の敦也だけは、静観を貫いた。
「そうだったのか……」
そういって、一息ついた悪七は、
「なぁ、アンタ」
と、抽選場のおじさんに、声を掛けた。
「何でしょう?」
「聞いてただろ? やり直し利かねぇかね? 実はさ! こいつら……」
「駄目です。はい! 次の方どうぞ」
聞く耳を持たず、おじさんが次を促した。
「ちょっと待て!」
悪七がおじさんにいう。
「はい?」
少し呆れるおじさんが、悪七に向いた。
「一等は何だったんだ?」
「お米券20枚です」
「……クソ!」
悪七は悲しい顔をして、皆と去る。
敦也達6人は歩いていた。
「要らねぇもん、当てやがって」
悪七はエッチーニを責める。
「お褒めに預かりまして」
「あ? 誰が喜んでんだ! 誰が?」
悪七とエッチーニは、先頭の方で、いい合いをしている。
しばらくして、
「パーテーの券をくれ」
悪七が早乙女に、振り向く。
その言葉を聞いた如月が、
「パーテーだって」
揚げ足を取り、美月に小声でいった。
「なんか、問題でもあんのかよ?」
「いえいえ」
悪七の問いに、如月は目を逸らした。
券を渡した早乙女が、悪七に話しだした。
「それが券ですが……。俺達は似たような物を、持ってますから、タダであげますよ」
「いいの、いいの」
悪七は、にやけた。
「あ! 分かった!」
早乙女がいった。
それに併せて、如月が口を開けた。
「ダフ屋ですね」
「声がでけぇんだよ!」
悪七が如月の頭を叩いた。
「イッタ!」
如月は手で、自身の頭を押さえた。