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不倫家族  作者: うわの空
第一章
7/28

6

 ぼくはごわごわが嫌いだ。せんせーの顔してる時も、ユメちゃんと家に来る時も、ムギちゃんに甘い言葉をかける時も。

 それは彼が『ユメちゃんとムギちゃんの両方に手を出している』から、なのかもしれない。ユメちゃんとムギちゃんが真剣なのに対して、彼が本気ではないのも、気に入らない要因の一つだ。


 ごわごわは結婚している。これは確実だ。一年前、ぼくがきょせー手術を受けた日言ってたもの。今日は結婚記念日だから早く帰らないとなあなんて。ぼくの檻の前で。


 ユメちゃんは『せんせー』こと『ごわごわ』が、結婚しているのを知っている。初めて爪切りに連れていってくれた日、「先生ってもう結婚してるんですね」と確認を取っていたから。そのうえで、ユメちゃんは彼と付き合いだした。


 ただ、ムギちゃんは違う。ムギちゃんはごわごわに騙されて、付き合っている。


 ごわごわは何故かムギちゃんに対しては、僕はモテすぎて大変だから厄除けというか女除けの意味を込めて指輪をつけているだけなんだ、という感じの嘘をついた。更に、自分には家族も恋人もいない、とまで。

 その言葉を信じたムギちゃんは、自分はフリンしていないと信じて、ごわごわとお付き合いをしている。忙しいからなかなか会えないという彼の言葉を鵜呑みにして、いつもメールだけで我慢している。ぼくの爪切りの日を楽しみにしているのは、そのためだ。


 そしてユメちゃんもムギちゃんも、お互いフタマタをかけられていることには気付いていない。

 というよりも、そのことを知っているのは(ごわごわと)ぼくだけだ。



 爪切りから帰って来た後、ムギちゃんは上機嫌だった。ベルは賢かったから、今日の晩ご飯はささみにしてあげるね、と弾んだ声で言う。ささみは嬉しいけれど、彼女が上機嫌なのは『ぼくが賢かったから』ではない。そう思うと少し悲しかった。そもそも、僕はいつだって賢いじゃないか。



 家に帰ると、香ばしいソースの匂いがした。今日の晩ご飯は焼きそばらしい。ぼく以外の家族は、だけど。

 護送車から解放されたぼくがムギちゃんと一緒にリビングへ行くと、キッチンに立っていたママさんが首だけで振り返った。左手にはフライパン、右手には菜箸を持っている。キャミソールの上からエプロンをつけているので、ハダカにエプロン、みたいな奇抜な格好に見えなくもない。

 ママさんはムギちゃんの顔を確認して、にぱっと笑った。


「おかえり紡、ベル。晩ご飯、何食べたい? ちなみにパパは今日、要らないって」

「……何食べたい? って、既に焼きそばを作ってるじゃない」

「一応訊いてみようかと思って」

「訳分かんない」


 ムギちゃんが、少しだけ不機嫌になる。ママさんはムギちゃんの事が好きだけれど、ムギちゃんはママさんの事があまり好きではないらしい。ムギちゃんは口を尖らせつつ、ぼくのささみを用意し始めた。レトルトパウチされている猫用のささみ(丸々一本)を、ムギちゃんは食べやすい大きさにちぎっていく。ぼくはムギちゃんの側で、ささみが出来上がるのを大人しく待つことにした。

 ムギちゃんの声を聞いてか、ソファに寝転がっていたユメちゃんがのろのろと上半身を起こした。


「爪切りの割には時間かかってない? どっか寄ってたの?」

「どこにも行ってないよ、ベルがいるのに。病院が混んでただけ」 


 実際、確かに病院は混んでいた。けれどそれだけじゃなく、爪切りの最中にやたらとおしゃべりしていたのも、遅くなった原因だろうと思う。

 ユメちゃんは、じろじろとムギちゃんを見つめた。


「ふーん……。恋人のところにでも行ってたのかと思った」


 当てずっぽうとはいえ、ムギちゃんはかなり焦ったに違いない。一瞬だけ息をするのを止めて、けれども何もなかったかのように、ぼくのささみをちぎり続ける。


「まさか。行ってないよ」

「あ、そか。恋人いないとか? 紡は興味なさそうだもんね、そういうの」


 その言葉を聞いた途端、ムギちゃんはぼくのご飯入れを勢いよく床に置いた。置いたというより、叩きつけたと言った方が正しいのかもしれない。陶器製のお皿は割れなかったけれど、ごつんという大きな音をたて、床に少しだけ傷をつけた。


「恋愛に興味ないわけじゃない! ただ、夢やお母さんみたいに、だらしないのが嫌いなだけよ!」


 ――ムギちゃんはたまに、というかしばしば怒鳴る。ぼくは大好きなささみにも口をつけず、彼女たちを見守ることにした。……パパさんがこの場にいたら、おろおろしていたに違いない。

 ユメちゃんはやれやれという風に、肩をすくめた。


「うるさいなー。私だって今は、特定の人とお付き合いしてるわよ」

「どうせいつもみたいに、不倫とか二股とかそんなのでしょ!?」


 ムギちゃんの言葉は、ブーメランみたいに自分に返ってきている。彼女はそれに気付いていない。


「いつもいつも人の物ばっかり欲しがる、そういう人間にはなりたくない。だから私は絶対に不倫なんてしない!」

「ふーん。……そんなこと言うの、うちの家では紡くらいじゃない? あ、ていうか『夢やお母さんみたいになるのは嫌』ってことは、パパの不倫は認めるんだ?」

「お、お父さんは……」


 口ごもったムギちゃんは、必死に言葉を繋げる。


「お父さんが不倫してるかどうかなんて、分からないし。お父さんが公言してるわけじゃないし、だから……」


 その言葉を聞いたユメちゃんは鼻で笑った、かと思うと大きなため息をついた。


「あのねえ紡。男なんて、九割は不倫の経験があるか、現在進行形でやっちゃってるんだって考えた方がいいよ。その方が、いざって時にダメージ少ないし。風俗が不倫になるかどうかは置いといてもさ。……パパだって絶対、不倫してるんだから。娘の私が言うのもなんだけど、パパとかすごくモテるだろうし? もしかしたら今だって、かわいい女の子とズッコンバッコンやってるかも」

「下品! 信じらんない!」


 ムギちゃんは顔を真っ赤にして、足元にあったぼくのハツカさんを、ユメちゃんへ向かって投げつけた。ちょ、ぼくのハツカさんが! ぼくのハツカさんが!


「なにすんのよバカムギ!」


 かと思えばユメちゃんが、ムギちゃんめがけてハツカさんを放り投げた。ハツカさんはカラカラと悲鳴をあげ、床に転がり落ちる。ぼくは急いでハツカさんを両脚でキャッチすると、口にくわえてカーテンの裏に避難させた。


 リビングとつながっているキッチンで、二人の会話を確実に聞いているであろうママさんは、それでも平然と焼きそばを作り続けていた。作るのに集中しているのか、二人の会話に集中しているのかはわからないけれど、その顔はとても真剣である。

 ママさんは焼きそばが出来あがるとそれぞれのお皿に盛りつけ、それぞれのお箸も用意し、コップと麦茶まで用意した。

 そして、キッチンカウンターからリビングへ向かって「おーい」と呼びかけた。


「白熱してるとこ悪いんだけど、焼きそばできたわよー」


 気を遣った様子なんて一切ないママさんの口ぶりは、


「そもそもお母さんが!」


 ムギちゃんの怒りに拍車をかけたらしい。ムギちゃんは一定の距離を保ったまま、ママさんへと向き合う。目には明らかに、怒りが宿っていた。


「素敵な不倫とか訳の分からないこと言うから、ゆめまでおかしな方向に走ってるんじゃない! 不倫は皆を傷つけるだけだって、どうして気付かないの!? 不倫したって、家庭が崩壊するだけじゃない!」

「――崩壊してる? うちの家」


 ママさんへ向けたはずの言葉に返事をしたのは、ユメちゃんだった。ソファの上に置かれているクッションを両腕に抱え、大学に行く時によくする面倒くさそう顔で、ムギちゃんを見ている。


「私はそうは思わないんだけど。むしろ、いい家族ぶって中身がドロドロの家族とこより、うちの方が普通に『素敵』だと思うわ。……大っぴらに不倫してないのが、そんなに偉いわけ?」


 なんていうか、猫のぼくからしても、今のはかなりねじ曲がった極論だったような気がする。それでもユメちゃんは真剣だ。ママさんは、何も言わない。


「……最っ低!」


 ムギちゃんは吐き捨てるようにそう言うと、リビングから出ていってしまった。



 ユメちゃんはもう一度ため息をついてたちあがると、ダイニングテーブルに腰掛けた。ユメちゃんの焼きそばにはマヨネーズが、ムギちゃんの焼きそばには紅しょうがが乗っていない。ぼくにも、どの焼きそばが誰の分なのか良く分かる。けれど、紅しょうがの乗っていない焼きそばを食べるはずの人間は、ここにはいない。


「……紡の分、冷めちゃうね。ごめん」


 何故か心底申し訳なさそうに謝るユメちゃんに、ママさんは「いいのよ」と答えて笑った。


「子供に好かれる親になるのって、難しいものね」


 ママさんはそう言うと席に着き、黙々と焼きそばを食べ始めた。



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