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不倫家族  作者: うわの空
第一章
5/28

4

 日曜日の清々しい朝。パパさんは珍しく、ぼくのトイレを掃除していた。ちなみにぼくのトイレは物置のような、つまりは特定の人間が使っているわけでもないごちゃごちゃとした部屋に置かれている。

 パパさんはオープンタイプのトイレを覗きこみ、スコップで砂をかき、ぼくのおしっこを丁寧に取り除いていった。少しだけ黄色くなった砂粒も、一粒一粒拾い上げる。その集中力は見事なんだけれど、ぼくはいかんせんトイレ掃除をされるのが苦手だ。汚いトイレも嫌いだから、綺麗にしてくれるという意味では大歓迎なんだけど、自分の匂いがなくなってしまうという点でどうも落ち着かない。


「……そんなすぐ側で見られると、落ち着かないなあ」


 作業を真横で見守っていたぼくに苦笑し、スコップを持っていない左手で、パパさんはぼくの頭を軽く撫でた。その手には、指輪がされていない。いつもは、してるくせに。

 こういう日、――好きな人を家に連れてくる日、パパさんは指輪をしない。それはきっと、ママさんも気付いてるんじゃないかと思う。ちなみにママさんは一年に一度、――結婚記念日にしか指輪をしない人である。


「よーし、綺麗になった」


 パパさんはよっこらせ、という声をあげて腰を上げると、ぼくのアレやソレの入ったビニール袋の口を縛り始めた。

 よーし、無事に終わったか。

 ということでぼくは早速、綺麗になったトイレの砂をかきわけ、自分の匂いを思いっきり染み込ませた。


「……掃除した直後に、するんだね……」


 トイレの後はちゃんと砂をかけるし、文句ないでしょ?



 ママさんが不倫相手の元へ、更にユメちゃんとムギちゃんがそれぞれ遊びにでかけたのはそれから三十分くらい後のこと。パパさんが出かけたのはそれから一時間後だった。

 ただしパパさんだけは、すぐに帰ってきた。何度かここに来たことのある、男の人を連れて。


「こんにちは、ベル君」


 ぼくはゴロゴロとのどを鳴らしながら、ワイシャツ姿の男の人と近づいた。それから彼の脚や手に、額を思いっきりこすりつける。ぼくはこの男の人が好きなのだ。大きな声を出さなかったり、やたらと構ってこなかったり、ぼくが擦りよれば遊んでくれたりするところが。

 男の人の肌はとにかく白くて、まるでパパさんの腕を消しゴムで擦ったみたいな色だった。髪の毛は短くて、つまりはぼくと同じ短毛種なんだけど、いつだってサラサラしていてとても綺麗だ。ごわごわと違って、ちゃんとグルーミングしてるのがよく分かる。

 余談だけれど、人間(特に女の人)は時期や趣味によって長毛種や短毛種に変化するから面白い。


「……菰田こもだ君は本当に猫が好きだね」


 楽しそうにぼくの頭をなでる男の人に、パパさんは笑う。コモダ、という彼はふにゃりとした笑顔を見せた。コモダさんはユメちゃん達より年上のはずだけれど、ママさんやパパさんに比べればずっと若い。


「だって可愛いじゃないですか。たちばな部長の猫」

「名前は?」

「え、……あ」


 パパさんの質問に、コモダさんは顔を真っ赤にした。そうそう、ぼくは『ベル』だよ。


「えと…………卓己たくみ、さん……」


 いやそれパパさんの名前ですから。

 だというのにパパさんは、コモダさんを後ろから抱きしめ、耳元で囁いた。


「――よくできました」


 いやだから間違えてるってば。

 パパさんとコモダさんがお互いの唇を舌でつつきあってるのを見ながら、ぼくはしっぽで床を叩いた。



 ママさん、ユメちゃん、ムギちゃんが誰かを連れてきた場合、女性陣が「ああー」とか「いいー」とか言うことが多い。

 ただしパパさんの場合は、どちらとは決まっていない。相手が言っている時もあれば、パパさんが変な声を出している時もある。更に言うとパパさんたちの場合、ママさんたちに比べて「う」を使う回数も多い気がする。「うっ」とか「ううー」とか。……あ、ほらまた言った。


 パパさんは基本的に、一定期間は同じ相手を家に連れてくる。今回はコモダさん。その前は、衣笠いかさという女の人だった。

 ママさんたちが連れてくるのは常に男の人だけど、パパさんは決まっていない。男の人の時もあるし、女の人の時もある。ママさんいわく、パパさんは『どちらでもいけるタイプで、どちらからも好かれる人間』らしい。もしかしたらパパさんは、寝室に入ると男になったり女になったりするのかもしれない。


 ……そういえば、ハツカさんって男の子? 女の子?


 前脚で軽くつついて訊いてみたけれど、反応がなかった。ハツカさんは無口なのだ。

 まあいっか、どっちでも。ぼくは足音をたてないよう、そろりとトイレへ向かった。



 トイレ中のぼく、そして寝室にいる二人を驚かせたのは、パパさんの携帯だった。ぼくはさっさとトイレを済ませ、音のするリビングへと向かう。

 ――パパさん、携帯をリビングに置き忘れたな。


「うおっとと……」


 半ズボンとよく似た下着姿のパパさんが、よろめきながらリビングにやってきた。ママさんのそれと違って、真っ二つにパカパカするタイプの携帯を取り上げる。それから携帯に表示されている文字を見て、凝り固まった。が、のろのろと通話ボタンを押し、耳に当てた。


「もしもし、……ママ?」

『あ、パパ? 今からそっちに帰ろうと思うんだけど』


 パパさんの携帯は音が大きいので、相手の声はぼくにもよく聞こえる。ママさんは、いつも通りのハツラツとした口調だった。


『でさあ。今すぐ帰って大丈夫そう?』


 ママさんの質問に、パパさんははっきりしない声を出した。


「え、なんのことかな。なんの問題もないよ」


 パパさんの声を聴いて、ママさんは小さく笑う。


『――そう? あと五分くらいで帰るから。掃除、しておいてね』


 掃除、という言葉を妙に強調してママさんは電話を切る。パパさんは苦いコーヒーを飲んだ時のような顔をして、携帯を再び折り曲げた。それから携帯をポケットに入れようとして、自分が下着姿だったことに気付く。パパさんは一人でため息をつくと、寝室へ向かおうと踵を返した。


「……奥さん、ですか?」


 コモダさんが背後にいたことに、ぼくは気付いていたけれどパパさんは気付いていなかったらしい。勢い余ったパパさんは、コモダさんの胸へと突進した。長身のパパさんに比べれば小柄なコモダさんは、それでもしっかりとパパさんの身体を受け止める。そんなコモダさんはちゃんと、服を着ていた。

 パパさんはカップを割った時同様、はは……と情けなく笑った。コモダさんはすべてを察したのか、パパさんの髪の毛を軽く撫でる。


「そうですか。それじゃ、僕はそろそろおいとましますね」

「すまない、また連絡するから」

「楽しみにしてます、……橘部長」


 コモダさんはパパさんを抱きしめたままぼくへと目をやり、「じゃあねベル君」と挨拶してくれた。


 ぼくの分析によると、フリンするとまずい方……つまりは家族がいる人間が「また連絡する」と言うものらしい。ユメちゃんはいつもごわごわに言われてるし、ムギちゃんも言われている。パパさんの場合は、言う立場の人間らしい。

 ただしママさんは、同じ相手を何度も連れてくることがないので、『また』という言葉を使うこともあまりなかった。



 ママさんは、コモダさんが出ていってしばらく経ったころに帰ってきた。その時、パパさんはというと、またもやぼくのトイレを掃除していた。本当に珍しい。一回してくれるだけでも珍しいのに、二回もだなんて。

 ママさんはぼくの頭を適当に撫でてから、


「ただいま」


 パパさんに後ろから声をかけた。パパさんは振り返ることなく、トイレの砂を掘りながら「おかえり」とだけ答える。ママさんはそっぽを向いているパパさんにそっと近づき、背後から抱き寄せた。そのはずみでトイレの砂が何粒か、床に落ちる。

 パパさんの耳に口を近づけると、息を吹きかけるようにしてママさんは囁いた。


「掃除、ちゃんと間にあったみたいね。お疲れ様」

「……間にあってないよ。ベルのトイレ掃除がまだ」

「そうね」


 ママさんは両腕の力を抜くと、パパさんにぶら下がるようにして笑う。


「パパ、いい匂いがする。……石鹸の」


 ママさんの言葉に、パパさんの顔色が悪くなった。暑かったからシャワーを浴びたんだ、と苦しそうに答えたパパさんに、ママさんは目を細める。パパさんを解放すると、そうねと笑った。


「あたしの好きな匂いよ。――知らない匂いが少しだけ混ざってるのも、好き」


 複雑な顔をするパパさんに対し、ママさんは純粋な笑顔を浮かべると、その場を離れた。

 ママさんのいなくなった部屋で、パパさんはしばらく無言でぼくのトイレを掃除していた。ぼくは頃合いを見計らって、綺麗になったトイレへと向かう。やっぱり、自分の匂いが無くなると落ち着かない。

 砂を掘ってるぼくを見ながら、パパさんはため息をついた。


「……まいったなあ」


 せっかく綺麗にしたトイレを汚すことに文句を言われたらしいぼくは、トイレを済ませるといつもよりも念入りに砂をかけておいた。



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