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不倫家族  作者: うわの空
第一章
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1

 ママさんが問題発言をする半年前の夏。一歳半でお年頃のぼくは、朝から入念に鏡を覗きこんでいた。ぼくのことを説明していた、ペットショップのお兄さんのセリフを思い出す。


 アメリカンショートヘアの、シルバータビーです。どうです、きれいな模様でしょう? シルバータビーはやっぱり、アメリカンショートヘアの代表ですよね。ええ、もちろん人気ですよ。短毛種だから、初心者の方でもお世話が簡単ですし。性格も気さくな子が多くて、飼いやすいですよ、アメショーは――


 ペットショップのお兄さんは説明してくれなかったけれど、大きめの耳と、ちょっとだけ垂れている目も、ぼくのお気に入りポイントだ。あと、おでこのMマークも。けれどこの綺麗なMのせいで、マクドナルドなんて名前をつけられそうになったんだから笑えない。


「……猫でも鏡とか見たりするわけ?」


 近くを通りかかったユメちゃんが、訝しげな声を出した。早起きが苦手な彼女は、いつも出発時刻ぎりぎりに起きるくせに、化粧だけはばっちりと決める。おはようと言えないぼくは、にゃあと鳴いたけれど、見事に無視された。

 ユメちゃんはボクを化粧台からどかし、さっきまでぼくが使っていた鏡を見ながら、顔に肌色のクリームを塗り始めた。それが終わると肌色の粉をぱたぱたと顔につけ、目に細工を施したり、まつげの角度を調整したりしていく。暑くなると化粧が崩れるから嫌だとか、ぶつぶつ言いながら。


「ベルは鏡が好きだよね。もしかしたら鏡の中にもう一匹、自分の仲間がいると思ってるんじゃない?」


 背後からそう言ったのは、ムギちゃんだ。ユメちゃんとそっくりの顔で、けれど化粧っけがない。そしてユメちゃんもムギちゃんも、肩の下まである(猫から見れば長い)髪を、先っぽだけウネウネとさせている。そのウネウネのことを、人間はパーマと言うようだ。二人とも同じようなパーマをしているので、ぱっと見は同じ人間に見える……らしい。


 ぼくたち猫にはそういう概念がないけれど、人間は彼女たちのことを『双子』と呼ぶ。確かに顔も声も似ているけれど、人よりも数段耳がよく、人間には解らない周波数も聴き分けられるぼくからすれば、二人の分別は簡単だった。

 そんな二人だけど、人間でもその違いは一目瞭然らしい。ユメは派手、ムギは地味、というのが見分けるポイントなのだそうだ。フリフリのスカートとか、キラキラのアクセサリーをつけてたら派手なユメちゃん。灰色のパーカーとか、安物っぽいスニーカーを履いてたら地味なムギちゃん……という風に解釈するようだ。いつも同じ格好をしているぼくからすれば、人間が毎日、しかも趣味に応じて服を変える意味が分からないけれど。

 ちなみにというか、ユメちゃんがお姉ちゃんで、ムギちゃんが妹さんだ。


 ムギちゃんはぼくに向かっておはようと言うと、ごはんだからおいで、と手招きした。基本的に、ぼくのお世話はムギちゃんがしてくれる。ペットショップでぼくを買ってくれたママさんは、都合のいい時だけ遊んでくれる人間だった。


 化粧台のある洋服置き場から出ると、下へと続く階段が真正面に見える。ムギちゃんは先に下りてしまったらしい。ぼくはリビングへ行くために、いそいそと階段を下りはじめた。

 猫は基本的に上下運動が好きだけど、上るのに比べて下りるのは苦手だ。この家に着た最初の頃、調子に乗って全力疾走で階段を下りようとしたぼくは、走っている最中に後ろ脚が宙に浮き、倒立みたいな形になったあげく、転がり落ちたことがある。その事件以降、階段は慎重に下りるよう心がけていた。ムギちゃんが滑り止めのワックスをかけてくれているけれど、油断はできない。


 階段を下りると、正面には玄関がある。靴箱に入りきらなかったのか、単に脱ぎっぱなしにしているだけなのか、ユメちゃんのサンダルだけが三和土に放置されていた。キラキラしてるビーズが相変わらず綺麗だけど、これに触ろうとして何度かユメちゃんに怒られたっけ。


 ……こんな所に放置している方が悪いんじゃないか。


 ぼくは内心で悪態付くと、階段の左横、玄関から見れば右側にある扉からリビングへと入った。


「やあ。おはようベル」

 

 灰色のスーツを着て、のんびりと新聞を読んでいたパパさんが顔をあげる。爽やかな笑顔と、寝癖にしか見えないセットを施した髪の毛、指紋一つ見当たらない眼鏡。これが、いつものパパさんだ。

 パパさんはぼくに(もちろん他の家族にも)優しいけれど、特別ぼくのお世話をしてくれるわけではない。ぼくは先ほどと同じようににゃあと鳴いて、ひんやりとしたフローリングの感触を楽しみながらムギちゃんの元へと向かった。ぼくのご飯を用意し終わったムギちゃんは、とびきりの笑顔でぼくを見つめている。

 今日の朝ごはんは……


「今日の朝はカリカリね」


 ――カリカリ。ドライフードというらしいそれは、残念ながら贅沢品ではないし好物でもなかった。ぼくはカリカリよりも、ささみとかカツオの缶詰とかが好きなのに。抗議の目をムギちゃんへと向けると、ムギちゃんはくすりと笑った。


「はいはい、ベルは賢いからカリカリでも食べるもんねー?」


 背中を思いっきり撫でながら、なだめるように言ってくる。ぼくは観念し、カリカリを食べ始めた。だってぼくは賢い猫なんだもの。

 カリカリをあらかた食べ終わった頃、リビングの扉が開いた。


「……んー、よく寝たあ」


 入ってきたのはママさんだ。肩よりも上にあるさらさらとした黒髪を、右手でわしゃわしゃとしながら大あくびしている。予期しない彼女の登場に、ムギちゃんとパパさんはギョッとした顔を浮かべた。というよりも主にムギちゃんだけ、呆れた顔をした。そしてその原因は、ママさんの登場ではなくその恰好にあるらしい。


「……お母さん。ここに来る時は服を着てよ」

「下着つけてるからいいじゃない、だって今日暑いし」

「よくない! 下着と服を一緒にしないで!」

「じゃあこれはビキニってことでどう? 下着も水着も大して変わりないし、いいでしょう」

「よくない!」

「何をムキになってるの? 年頃の男の子じゃあるまいし。パパだって下着姿の方が嬉しいわよ。ねえ?」


 いきなり話題を振られたパパさんは、せっかく飲んでいたコーヒーを新聞紙にぶちまけた。新聞紙はコーヒーを吸いきらず、床に茶色の水たまりができあがる。パパさんは汚れたカップをテーブルに置き、あたふたと掃除を始めた。それを見ていたママさんは、ふふっ、と笑う。


「パパってば子供みたい。……そうだ、今夜は誰と寝るつもりなの? 空いてたら私と、――しない?」


 パパさんの心が崩壊する音が、部屋中に鳴り響いた。

 ――先ほどまでカップとしての役割を果たしていたはずのものは、今ではバラバラのキラキラになってしまっている。ユメちゃんのサンダルに乗っかっているビーズに似ている破片それに近づこうとすると、ムギちゃんに止められた。ムギちゃんの顔は真っ赤だ。……こういうときは、余計な事をしないに限る。ぼくはいそいそと後退し、ムギちゃんはずかずかと前進した。


「お母さん!」

「紡はさっきから、なーにを怒ってるの? あ、もしかして嫉妬? ジェラシー?」

「いい加減にして!」

「――……何騒いでるの、皆して」


 派手な顔を作りあげたユメちゃんが、さも面倒くさそうな顔をしてやってきた。『皆して』というのは心外だ。ぼくは騒いでないのに。


「あら夢、おはよう」

「おはようママ。相変わらずのナイスバディーね」


 ユメちゃんの軽口に、ママさんはありがとうと軽く返す。パパさんは助かったというため息をついて、自分の散らかしたものを片づけ始めた。足音もたてず、そっとパパさんに近づくと、パパさんはぼくに向けて情けない笑顔を浮かべた。


「これだけオープンな家族というのも、どうなんだろうね」


 ふむ。あれだけの慌てていたところを見ると、ママさんの下着姿はあながち悪いものではないらしい。ただパパさんとしては、娘のムギちゃんやユメちゃんの前で、そういうのを見せるのは避けたいようだ。だとすれば、毛皮を着てるとはいえ年中ハダカに近いぼくはどうなるんだろう。


「ママ、その下着初めて見るんだけど。もしかして今日も勝負の日?」


 ユメちゃんの質問に、ママさんは嬉しそうに頷いた。胸を張り、ふりっふりの装飾が目立つ真っ赤な『ぶらじゃあ』をどーんと見せつける。パパさんは俯き、ムギちゃんは両手で顔を覆った。


「そう。今日はねえ、二十八の子なのよ」

「二十八? ママより一回り以上年下じゃん」

「そうそう。そろそろ背広が着こなせるようになってきたかなあって感じの。まあ、食べごろだわねえ」


 ママさんは嬉しそうにキャミソールなる(ハダカでも変わらないんじゃないかと思えるくらい露出度の高い)服を着ると、金色のチェーンが目立つ鞄をひっつかんだ。かと思えばパパの方を向き、


「だけどパパの事だってもちろん愛してるわ。今日もお互い、素敵な不倫をしましょうね」


 ――その言葉に、パパさんは手にしていたカップの破片を再び落とした。バラバラのものは更にコナゴナになる。ムギちゃんは顔をしかめて、吐き捨てるように呟いた。


「……最っ低!」


 ぼくはムギちゃんを慰めるため、足元に近寄り、額をなすりつけた。

 ――だけどねムギちゃん、ぼく知ってるんだよ。



 ムギちゃんも、フリンしてるんだってこと。



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