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不倫家族  作者: うわの空
第二章
16/28

6

 動物病院の待合室で、これほど落ち着かなかった時があっただろうか。

 他の動物(ぼくの主観だけど、七割が犬)たちは注射や診察を怖がって、声を出している。それがかえって不安を仰ぐんだって、なんで気付かないんだろう。


「……ベルは相変わらず、ここに来るたびガタガタするわねー」


 暢気な声で、ムギちゃんに化けたユメちゃんが言う。今日に限っては、ぼくの震えは爪切りのせいじゃない。これから起こるだろうことが原因なのだ。ぼくは、ムギちゃんそっくりのユメちゃんを睨みつけた。


「そんなに睨んだって、爪切りは避けられないんだから」


 そんなことのために睨んでるんじゃないんだから。



 ごわごわが診察室の扉を開けたのは、ぼくたちが病院に着いてから十分くらい後だった。ごわごわは「橘さーん、第二診察室までどうぞ」と言い残し、診察室へ消えてしまう。ああ、頼むから今日のムギちゃんの正体に気付いて。無理か、ごわごわってなんだか鈍感そうだもの。

 行きたくないよとダダをこねたい気分だったけれど、これ以上『爪切りにビビってる』んだと思われても面白くない。ぼくにだってプライドはあるのだ。それに今更ダダをこねたところで、もう逃げられない。


 診察室に入ると、ユメちゃんは大きな音が鳴らないよう丁寧に扉を閉め、ごわごわと向き合う形で椅子に座った。あくまでもムギちゃんのふりをするためなのか、いつも通り元気良く話しかけようとしない。確かにムギちゃんは、せんせーが話しかけてくるまで黙っていることが多い。やっぱりユメちゃんは、ムギちゃんの性格をよく知ってるのだ。


「今日も爪切りですね」

「お願いします」

「はいはい、こっちにおいでベル君。……おやおや、どうしたのかなそんなに嫌がって。珍しいね」


 どうにかしてこのごわごわ頭に、目の前にいる女の子が変装してるユメちゃんなんだって教えてやれないだろうか。ぼくは四肢をばたつかせながら、懸命に考えた。


「あれ、本当に今日はどうしたんだろ。大丈夫だよ、ベルー」

「ほーら。紡ちゃんも心配してるぞ、ベル君」


 ごわごわは親しみやすいが裏のありそうな笑顔で、ぼくに話しかけてきた。やっぱりごわごわは、彼女の事をムギちゃんだと思い込んでいる。これはまずい。頼むから余計な話はしないで、ぼくの爪だけ切って終わりにしてほしい。じゃないとまた、カリカリ製の富士山が出来あがってしまう。ユメちゃんとムギちゃんが喧嘩するのも間違いない。そうしてまたハツカさんは投げられ、ぼくのささみは忘れられるんだ。


「――紡ちゃん、まだ機嫌悪い?」

「え?」

「ほら、何だかこの前は不機嫌――というか思いつめた表情してたからさ。まだ調子悪いのかなと思ってね」


 ムギちゃんに扮したユメちゃんは、何の話か分からず「はあ」とだけ答える。今の話ならまだ、『この前ベル君の爪を切りに来た時』で通じるはずだ。実際は、ぼくの家に来た時に――先生は他に付き合ってる人がいるんですか、と問い詰めた時の話なんだろうけど。

 そわそわとするぼくをよそに、ごわごわは愛想よく、雑談しながらぼくの爪切りを進めていく。ああ、早く終われぼくの爪切り。


「……ええっと。すみません、私、この前の事あんまり覚えてなくて。先生と何の話をしましたっけ?」


 面白半分と言った様子で、ユメちゃんはごわごわに質問する。それに対し、ごわごわは不思議そうな顔をした。そりゃあ、この前はムギちゃんから「私達って恋人ですか?」みたいな濃い話を振っていたのに、その本人が今になって「覚えてない」というのはおかしいだろう。

 ごわごわは本当に覚えてないの? と再度確認してから、首をひねった。


「そうだなあ。花火大会の話とか、したんだけど」

「花火大会……」


 ユメちゃんはしばらく考えてから、ああ、と声を出した。


「ドタキャンされちゃったやつですね」

「そうそう」


 ユメちゃんは、『なるほど紡はそんなことを先生に相談してたのか』という顔をしてみせた。笑うユメちゃんと、苦笑するごわごわ。奇跡的に話は通じてるけど、もう少し何か話せばボロが出るに違いない。ぼくのしっぽを一日いじり倒す権利をあげてもいいから、どうかここは穏便に終わらないだろうか。というか、終わって欲しかった。


「――あの時は本当に悪かったって思ってるよ」


 お、お願いだからそれ以上余計なこと言わないでよ。


 ユメちゃんは眉をひそめ、聴こえなかったんでもう一度お願いできますかと頼んだ。この言葉は、ごわごわからすれば責められているように聞こえたに違いない。ごわごわは参ったなあと頭を掻くと、本当に悪かったよと頭を下げた。


「本当に、どうしても外せない急用ができたんだよ。僕だって本当は、紡ちゃんと花火を見たかった」


 ……言っちゃったよこの人。ぼくはもう、何も聞こえてないふりするからね。

 ユメちゃんは信じられないという言葉をそのまま顔に張り付けて凝り固まっている。さすがの彼女もムギちゃんの恋人が、というかムギちゃんの恋人『も』ごわごわだったのだと気付いたんだろう。

 目の前にいるのがムギちゃんではなくユメちゃんだと露ほども疑っていない平和なごわごわは、いい事ひらめいた! という風に笑顔を作った。


「そうだ。今度二人で花火を買って、一緒にやらないか? もうすぐ秋だし季節外れかもしれないけど。今ならまだ、スーパーで売ってるんじゃないかな、花火」


 せっかくだから、いいホテルに泊まろうか。花火大会の分も、二人で素敵な思い出を作ろうよ。


 気持ち悪いとしか言いようのないごわごわのセリフ。自分宛てなら嬉しいのかもしれないけれど、ユメちゃんはあんぐりと口を開けたままだ。しかしやがて、あんぐりと開いた口をパクパクと動かした。口の動かし方がおかしいうえに声が小さいせいで、腹話術の人形みたいになっている。


「ええと……。紡――じゃなくて私と先生って、お付き合いしてるんですっけ?」


 その質問は、ごわごわにとっては二回目だ。ごわごわは、何を言ってるんだいと笑った。


「この前も言っただろう。僕と紡ちゃんは恋人同士だって。そんなに信用できないかな?」


 カリカリの富士山が崩壊するような音が、聞こえた気がする。それは恐らくごわごわには聞こえていない。ごわごわに聞こえているのは、ぼくの爪を切る音だけだ。

 ユメちゃんはしばらく動かなかったけれど、やがて「いくつか質問していい?」と訊いた。あくまでも、自分はムギちゃんだと貫き通すつもりらしい。


「先生って、結婚してなかった?」

「それ、何回目の質問かなあ。言っただろ、僕は未婚のバツゼロだよ。薬指の指輪は、ただのお飾り」

「……先生は、いつからわたしの事気になってた?」

「ここに来た頃からずっと。紡ちゃんも、最初から僕に興味を持ってくれてたんだよね?」


 ムギちゃんだけじゃなくユメちゃんも、ここに来た当初から先生とお付き合いしていたけどね。と僕は内心で付け加えた。


「先生って、他にお付き合いしてる人はいないの」


 すがるような声は、ユメちゃんの口調になってしまっていた。けれどそんなことに気付くはずもない天然頭のごわごわは、それもこの前言ったと思うけど、と若干面倒くさそうに答えた。


「そんな人いないよ。僕には紡ちゃんしかいない。紡ちゃん以外の人とお付き合いするなんて、ちょっと考えられないな」


 ――その否定は目の前にいる女性をも否定しているということに、ごわごわは気付いていない。

 ユメちゃんはしばらくしてから、


「そっか。ならいいんです、安心しました」


 なんでもない顔をして、笑った。



 ぼくの爪をすべて切り終わったごわごわは、力強くぼくの頭を撫でまわした。やめてよ病院の匂いがうつる。

 ユメちゃんはごわごわからぼくを受け取りながら、最後に一つだけ、と付け足すように質問した。


「夢の事は気にならないんですか? ――私と同じ顔をした、双子なのに」


 ごわごわは一瞬だけきょとんとした後、大笑いした。椅子から立ち上がり、大きく首を振る。


「まさか。……僕はむしろ、彼女の事は苦手かな」


 ――そこまで言ったら、もう戻れないよ。


 ユメちゃんは笑い、ぼくを護送車に詰め込むように入れた。先回りして診察室の扉を開けようとしてくれているごわごわに、ありがとうございますと微笑みかける。けれども立ち止まり、ごわごわを仰いだ。


「……もしも私が、紡のフリした夢だったらどうします?」


 その言葉に、ごわごわはぎょっとしたようだ。けれどもユメちゃんは「冗談ですよ」と笑い、診察室を後にした。



 駐車場で、ぼくを護送車ごと助手席に乗せると、ユメちゃんは運転席に滑り込むように乗り込んだ。車を発進させるでもなく、ハンドルに額をあてて黙りこむ。その状態のまま、しばらく動かなくなってしまった。けれどやがて、


「……あー」


 目がしらを指で拭うと、髪の毛を振りみだすようにして顔をあげた。怒っているのか悲しんでいるのか泣いているのかよく分からない顔で、ハンドルを睨みつける。そのまま力任せに、ハンドルの中央を叩きつけた。ラッパのマークが描かれている部分に、ちょうど手が当たる。


 再び突っ伏したユメちゃんの代わりに、小さな自動車が悲鳴をあげた。



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