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不倫家族  作者: うわの空
第二章
14/28

4

 花火大会以降、ムギちゃんはずっと不機嫌だ。夏休みという長くて短い時間は終わったというのに、まだあの時の事を引きずっているらしい。『先生って本当に未婚ですよね?』という確認メールに返事がなかったのも、不機嫌の原因だと思う。ぼくの爪切りの時に直接問いただそうとしたら、何故かせんせーは非番になってたし。

 ユメちゃんはユメちゃんで機嫌がよくない。リンゴあめなるものを、自腹で買ったのが悔しかったのかもしれない。ごわごわ、買ってあげるよって言ってたもんなあ。


 パパさんはというと、やたらとがっくりしている。二人の浴衣姿を見られなかったのが、よっぽど悔しかったようだ。もう一度着てくれないかと二人に頼むと、二人は口をそろえて「嫌な思い出がよみがえるからもう着たくない」と拒否した。それが更にショックだったらしい。




「……先生って今、私以外にお付き合いしてる人とかいらっしゃるんですか」


 花火大会から三週間後。久しぶりにうちの家にやってきたごわごわに、ムギちゃんは俯きながら話しかけた。何故唐突にそんなことを訊いたのかというと、花火大会の一件を大学の先輩であるカガさんに電話で相談したからだ。花火大会に二人でいけると喜んでいたこと、なのに急用ができたと断られたこと――。それを相談した結果、まずカガさんが言ったのは「俺だったらそんなことしないな」だった。


「それだけ楽しみしてるんだって分かってるのに、埋め合わせも何もなしってどうなんだろう。俺だったらそんなことしないな。橘の相手を責めるわけじゃないけどさ。だけどそんなの、酷いと思うぞ。言い方がきつくなるかもしれないけど……相手は本当に、本気で橘の事を想ってくれてるのか?」


 カガさんはその後で「俺は相手のこと知らないし、なんとも言えないけど」と言って苦笑した。ムギちゃんは丁重にお礼を言って電話を切った後、悟りでも開いたかのような無表情で何かを考え、かと思えばごわごわにメールを打ち始めた。きっと、カガさんとの会話で、ごわごわに少しだけ不信感が芽生えたんだろう。そして今、その不信感を直接、ごわごわに向けている。


 ソファに腰掛けていたごわごわは一瞬キョトンとしてから、そんな人はいないよと笑う。更には、結婚だってしたことないし、と付け足す。その時、若干面倒くさそうな顔をしたのをぼくは見逃さなかった。ムギちゃんは俯いていたから、見えていなかったと思うけど。


「――それじゃ」


 ムギちゃんはクッキーを乗せたお皿と紅茶の入ったティーカップをお盆に入れて、キッチンから出てきた。


「私は、先生の彼女って言っていいんでしょうか」


 ムギちゃんの表情はどこまでも真剣で、ごわごわの顔からいつもの笑顔が消えた。


「なんだか今日は、紡ちゃんらしくないな。どうしたの? やっぱりこの前、一緒に花火大会行けなかったこと怒ってる? それともメールの返信できなかったこと?」

「それはいいんです」


 ムギちゃんは、揺れている自分を押さえつけるように、それがごわごわにはバレないようにきっぱりと言い放った。


「花火大会は急用があったから、メールの返信は携帯の調子が悪くてできなかったんですよね? それならそれでいいんです。――ただ、私たちの関係って何だろうって、先生はどう考えているんだろうって、それが知りたいんです」


 ムギちゃんはごわごわの前にティーカップを、テーブルの真ん中にクッキーの載ったお皿を置いた。クッキーはねじれたような形をしていたり、砕いたアーモンドが乗っていたり、真ん中に赤いジャムが光っていたりする。確かこれ、大きな缶に入ってる高級そうなやつだ。間近で見ようとテーブルの上に乗ると、ごわごわは「こら」とぼくを叱りつけ、自分の膝の上にぼくを乗せた。やめてよ、ぼくは君の膝なんて興味ないんだ放してよ。

 ごわごわはムギちゃんに確認もとらず、クッキーを一枚手に取った。ココナッツのにおいがきついそれを口に放りこみ、もごもごしながら答える。


「僕たちは恋人だよ。僕はそう思ってるんだけど、紡ちゃんは違うのかな?」

「私はそう思ってました。でも最近、先生が何考えてるのか分からないから……」

「仕事や法事が忙しくてね。落ち着いたらゆっくりデートしたいと思ってる」


 ごわごわはやっぱり面倒くさそうにそんなことを言い、クッキーを次から次へと口に運ぶ。無言で立ち尽くしていたムギちゃんは納得したのかなんなのか、やがて諦めたみたいにごわごわの隣へ座った。ぼくは急いでごわごわの膝から非難し、カーテンの奥へと隠れる。ハツカさんもいるので、ここは落ち着くスペースなのだ。

 ムギちゃんは結局、怪しみながらもごわごわと二人で仲良くクッキーを食べ始めた。仲良くと言っても若干ぎくしゃくはしていたけれど。それでも、ぼくにおすそわけのクッキーの一枚もくれず、二人で談笑しながら完食してしまった。ぼくはカーテンの隙間からそれを見て、いつになったらムギちゃんは本格的にごわごわを疑うんだろう、と思った。


 ごわごわがどう思っているのかぼくは知らないけれど、ごわごわは結婚してるしユメちゃんともお付き合いしている。それはきっと、ムギちゃんの望んでいる事とは正反対のはずだ。

 ぼくは教えてあげられないけれど、誰かに教えられたらムギちゃんはどうするつもりなんだろう。



 結局二人は、クッキーを食べた後、ムギちゃんの部屋へ行ってしまった。暇になってしまったぼくは、家のあちこちに爪痕を残すことにする。縄張りには爪痕を残すのが、猫の基本だ。ただし、お風呂場とトイレは除くけれど。壁紙がバリバリ剥がれて、床に舞い落ちるけれど気にしない。ここは、ぼくのなわばりですよーっと。

 階段付近の壁紙をガリガリしていると、ムギちゃんとごわごわが下りてきた。日は暮れはじめていて、近所の子供たちがぎゃあぎゃあ騒ぎ始めている。そうか、もうすぐユメちゃん達が帰ってくるんだな。


「それじゃ、また明日」


 爽やかな笑顔を張り付けて、ごわごわは笑う。明日、というのはぼくの爪切りの事で、明日はムギちゃんが連れていってくれることになっていた。

 ムギちゃんは複雑な笑顔で、また明日と返した。


「それじゃあね、ベル君」


 ごわごわはついでみたいにぼくにも声をかけ、さっそうと家から出ていった。それを見送ったムギちゃんは、なんでか疲れた顔をする。


「恋愛って難しいね、ベル」


 それからぼくの方を、更にはボロボロになった壁紙を見て、


「……爪とぎでやってほしかったなあ。せっかく買ったのに」


 更に疲れたような顔をして笑った。

 爪とぎよりも壁の方が、とぎ心地が良いんだよね。



 ムギちゃんが掃除機を使って(ぼくがくずくずにした)壁紙を吸い取っていると、玄関の扉が開いた。


「はー、ただいま! 本日もまったくもって草食系だった!」


 よく分からない挨拶をしながら入ってくるのは、もちろんママさんだ。ムギちゃんは慣れているのかいないのか、おかえりとだけ返し、その後に続いていた言葉はスルーした。


「昨日の人も草食系だったし、一週間前の人も草食系だったし、何か本当に最近草食系の人に巡り合う確率が高い! たまーにロールキャベツ、みたいな。でも問題ないけど。ママは雑食だから、草食でも肉食でもロールキャベツでもピーマンの肉詰めでもなんでも来いよ。あ、ピーマンじゃなくてアスパラの肉巻きか」


 前にも聞いたことあるようなセリフを言いながら、ママさんは靴を脱ぎ始める。ムギちゃんはしばらくその様子を見つめていたけれど、ふいに掃除機の電源を切った。


「……お母さんはそんなことばっかりして、寂しくならない?」

「ええ? うーん、考えたことない」


 ママさんは靴を脱ぎながら、斜め上を見て考え始めた。脱ぎ終わった靴はバラバラに放置したままだ。


「寂しいより素敵だなーと思う部分が勝ってるから、寂しいとは思わないのかも」


 ママさんは酔っ払いのような、けれどもきっぱりとした口調でよく分からない返事をすると、一人で納得してお風呂場へと向かってしまった。

 ムギちゃんはしばらく首をひねってから、ママさんの靴をきちんと並べ直した。それから、


「やっぱりお母さんの思考回路はよく分からない」


 一人で呟いて、再び掃除を始めた。



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