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連続で打ち上がる花火は、ピンクだったり水色だったり金色だったり、失敗したみたいに横長になってみたり(難しい言葉を使うならダエンケイというらしい)、円を描いた後でパラパラと雨のように降り注いだりして忙しい。
ちなみにぼくが好きなのは、テレビで見たことある『しだれ桜』そっくりのやつだ。金色のしだれ桜が、夜空で咲き誇ってるみたいでとても綺麗だと思う。
だけど、光っているのは綺麗でも、音がいちいちうるさい。人間はそれを風情とかいうけれど、ぼくからすればただの近所迷惑だ。よくもこんなうるさいのを、夜にやろうとするなあ。人間という生き物は騒音に気を遣うくせに、花火についてはどうでもいいらしい。
「……ええと、何の話?」
離婚するつもりはない、と言われたママさんの第一声がこれで、パパさんはかなり挙動不審になった。そりゃあ、あれだけ意を決して言ったのに相手の反応がこれじゃ、キョドキョドしてしまうのも無理はない。ぼくは庭に面した大きな窓から花火を見ているふりをしつつ、窓ガラスに映るママさんとパパさんの姿を見ていた。
「何って……。立花さん、前に言ってたから。離婚するならって」
「ああ。言った言った」
「だから、ちゃんと答えておこうと思って」
パパさんの言葉に、ママさんは飲みかけていたビールを吹き出しそうになった。
「いやいや、あれは『その気になったら言って』って意味だから! 別にイエスかノーの答えを今すぐ求めてたわけじゃないわよ」
ママさんは、パパって本当に真面目ねえと言いながら、お腹を抱えて笑っている。パパさんは顔を真っ赤にして、照れ隠しするみたいにビールを一気飲みした。ぷはあ、と息を吐いて、それでも僕は本気で言ってるんだからね、と釘をさすように言う。それが面白かったのか、ママさんは呼吸困難になりそうなくらい笑い転げた。
けれどその笑い声の合間に、ありがとうと言ったのをぼくは聞き逃さなかった。
「あー面白かった。あ、ほらほらパパ。花火終わっちゃう」
ママさんはスキップするようにぼくに近づくと、窓を全開にした。生温くて湿気の強い風が入り込んで、クリーム色のカーテンとぼくのヒゲを揺らす。どこからか、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。花火大会に行っている子供の声かもしれない。ユメちゃんとムギちゃんは、楽しい時間を過ごせているのだろうか。
「綺麗ねー」
熱心に花火を見つめるママさんの手には、ちゃっかりと二本めのビールが握られている。パパさんも窓際にやってきて、そうだねと答えた。パパさんは、ビールを持っていなかった。
ママさんとパパさんがあまりにも仲良しなので、ぼくも仲のいいところを見せ付けてやろうと、カーテン裏に隠していたハツカさんを手繰り寄せた。ほらほらハツカさん、花火きれいでしょ。ハツカさん、ぼくの話聴いてる? おーい。
「……ベルってば、花火よりもネズミのおもちゃに夢中ね」
ママさんはくすくすと笑い、ビールを仰いだ。
ユメちゃんとムギちゃんが二人一緒に帰ってきたのは、花火が終わって一時間ほど経った頃だった。ユメちゃんの浴衣はちっともはだけていないし、ムギちゃんに至ってはカビが生えそうなくらいジメジメした空気を纏っている。食器の片付けをしていたママさんは、二人の姿を見てぎょっとしたようだ。ちなみにこの時、パパさんはお風呂に入っていた。
「ちょ……なあに、二人とも不機嫌な顔しちゃって」
「二人ともドタキャンくらったの!」
ユメちゃんは怒鳴ると、大きな足音をたてながらソファへと向かった。浴衣にしわがつくのも構わず、どさりとソファに横たわる。黒とピンクのハデハデなぱんつが丸見えだけど、常日頃ママさんのを見慣れている家族からすれば、かわいいものだ。
「え、ドタキャンって二人とも?」
ママさんが眉をひそめると、ユメちゃんはソファの上で足をばたつかせた。
「そう! 二人で一緒に相手を待ってたらさあ、ほぼ同時にメールが届いたの。今日は行けなくなったとかいう、ふざけた文面のやつがね。あーもう! なんで急に奥さんが出てくるかなあ」
「ちょっと夢、それじゃあ私の相手も既婚者みたいじゃない。私は、今日は急用ができたからいけないってメールで言われて……」
ムギちゃんの説明なんて聞いていなかったらしいママさんは、ふんふんと頷いた。
「まあ、家族優先によるドタキャンなんて、不倫相手の宿命よねえ。妻とは仲良くないんだ……とか言ってても、結局いざという時は家族を取るんだから。男っていうのは」
「それは知ってるけど、なんか悔しいじゃん」
「逆よ、逆! 男の方に悔しいって思わせるような女にならなきゃね、不倫相手なんてやってらんないわよ」
ママさんはガチャリと音をたてて、洗い終わったお皿を水切りかごに入れた。ぱっぱと二、三回手を振ると、タオルで丁寧に拭く。それを眺めていたユメちゃんが、仏頂面で尋ねた。
「ママはないわけ? ドタキャン食らったりとか」
「あるに決まってるじゃない」
ママさんは断言すると、拭き終わったばかりの手で髪の毛を掻きあげた。
「残業になっただの子供が熱出しただの妻にばれそうだの急用だの色々と言い訳されたわよ。色々とは言ったけど、まあ男の嘘なんてバリエーションないわよねえ。もっと突飛なやつ、思いつかないのかしら」
その言葉を聞いたユメちゃんとムギちゃんは、焦がした焼き魚の、とびきり真っ黒な皮でも食べてしまったような顔をした。
「……お母さんは、私達の相手が嘘をついたと思ってるの?」
「知らないわよ、そんなの。見たことない相手だし。ただなんとなく、勘よ」
ママさんはすっぱりと言うと、ムギちゃんの姿をまじまじと見た。下着でも透かそうとしているかのようなママさんの目線は、真剣だ。
「――例えば紡、浴衣にそこまで興味ないでしょう。それをわざわざ買ったってことは、結構前から花火大会に行く約束してたんじゃない? ……相手が未婚で、紡と真剣にお付き合いしてるなら、そんな大切な約束を『急用』の一言ですっぽかすかしら。――しかも連絡、電話じゃなくてメールでしょう? それならまだ『仕事だから』っていう言い訳の方が上手いと思うなあ」
ママさんの回答に、ムギちゃんは真っ赤になる。ムギちゃんは怒ったり焦ったりすると、すぐに顔が赤くなるのだ。ちょうどユメちゃんが持ってる、割り箸に刺さった赤いマルみたいに。
「私の相手は結婚したことないって言ってたし、急用ってきっと仕事の事だよ、そうに決まってる! あの人は嘘なんて吐かない!」
「……だったらそう思っておけばいいじゃない? そう思えるくらいに惚れた相手なら。人の事をそれだけ好きになれるのって、すごく素敵な事だとママは思う」
ママさんの素直な言葉に、ムギちゃんは唇を噛んで泣きそうな顔をしたまま、黙りこんでしまった。けれどやがて「もう着替えてくる」とだけ呟くと、逃げるようにその場から離れていった。
残されたママさんとユメちゃんはしばらく階段の方を見ていたけれど、やがて一人が大きなため息をついた。ユメちゃんだった。
「紡は純粋すぎるのよ。あれ多分、遊ばれてるでしょう」
「……さあ」
ママさんは心配そうな顔をしていたけれど、ユメちゃんの持っている赤いマルへと視線を移した。
「結局、花火大会には行ってきたのね」
「そうよ。ドタキャンされた者同士でね。これ、お土産のリンゴあめ」
ママさんは嬉しそうにそれを受け取る。ねえぼくは? ぼくにお土産は? ぼくの分は?
「……ちょっとベル、あんまり擦りよってこないでよ。浴衣に毛がつくじゃない。あーあ、私も着替えてこようっと」
ユメちゃんはぼくを足で払いのけると、気だるそうにキッチンから出ていった。ねえねえ、ぼくにお土産は?
納得のいかない顔をしているぼくに、リンゴあめなる未知の物体を持ったママさんが笑いかける。
「猫用の屋台でもあればよかったのにねえ」
え、ささみとかマグロを売ってる店はないの?
しばらくすると、ホカホカの空気をまとったパパさんがやってきた。小さなタオルで頭をガシガシと拭きながら、あたりを見渡す。
「あれ? 紡と夢は?」
「もう帰ってきてるわよ。二階で二人とも着替えてるわ」
「えっ! 僕はまだ、二人の浴衣姿見てないのに!」
がっくりうなだれるパパさんに、ママさんは釘をさす。
「――パパ、今二人の部屋に行っちゃだめよ」
「分かってるよ。いくら親子でも、着替えてるところにわざわざ行くなんてセクハラだし」
そういう意味じゃないんだけどね、とママさんは小声で付け足した。




