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不倫家族  作者: うわの空
第二章
12/28

2

「今日花火大会でしょう。うちから近いし、家族で見に行かない?」


 日曜の朝、黒の下着の上にエプロンをつけたママさんが、掃除機をかけながらそんなことを言った。ムギちゃんはカーテンを閉め切り、外界とママさんをシャットアウトすると、ため息をついた。


「お母さん、だからその恰好はやめてって言ってるでしょ。近所の人に見られたらどうするの」

「え? 今日はちゃんとエプロンまでつけてるじゃない。――あ、おはようパパ」


 何も知らずにリビングへやってきたパパさんは、ママさんの姿を見ても笑いしか出てこないようだ。おはようと返すと、さっさと新聞紙へと逃げてしまった。


「……ほら、お父さんも呆れてる」

「照れてるだけよ。分かってないわねー、紡は」


 カーテンの隙間からほんの少しだけ差し込む朝日が、かんよー植物をきらきらと照らしている。きらきらに弱いぼくはしばらく、その葉っぱにパンチを続けた。しかしすぐに飽きたので、床に寝そべって体力消耗を防ぐ。なんだかんだで、ぼくはそこまで持久力があるわけではないのだ。ご先祖様が暑い場所に住んでいたからって、暑いのが好きだという訳でもないし。

 おでこを冷やすためにフローリングの床へ擦りつけると、ごつりと音がした。……少し痛い。


「話が逸れちゃったじゃない。花火大会、行くでしょ?」

「ああ……。私、今日は違う人と行く約束してるから」


 ムギちゃんが恥ずかしそうに答えると、ママさんは口をあんぐりと開けた。見開いた目は、白目の面積がいつもの倍以上になっている。かと思うと『がに股』になり、掃除機を手放し、両手を顔の位置まであげて、大きくのけぞった。それから一拍おいて、叫ぶ。


「ええ!?」

「リアクションが古典的すぎるから。そんなに驚かなくていいじゃない」

「さっき、夢も同じこと言ってたのよ。なにこれドッペルゲンガー?」

「ドッペルゲンガーの使い方おかしいから。とにかく、今日は私も夢も他の人と出かけるから、お母さんはお父さんと一緒に過ごしなよ」


 ママさんは、がに股で手を上げのけぞったまま、パパさんにちらりと目をやった。パパさんは新聞新越しに、ママさんを覗いている。おかげで、ばっちりと目があった。


「――だってさ、パパ。それじゃ今夜は二人で思いっきり素敵な」

「それ以上言わなくていいから。いやむしろ言わないで」


 ムギちゃんはママさんの発言を遮ると、軽い足取りで自分の部屋へと行ってしまった。

 ママさんは床に放置していた掃除機を拾い上げ、首筋を掻いた。


「なんだか今日は、夢も紡も妙にご機嫌ね。花火大会で何かあるのかしら」


 二人とも、せんせーと約束してるんだよ。ぼくは心の中で呟いた。



 夕方。暑くてバテたうえ、眠かった僕は、リビングでうとうとしていた。出来る限り涼しくしようと、身体を思いっきり伸ばして白いお腹を見せる。どうだ、白いお腹に点々と黒い模様がついててかわいいでしょ。それにモフモフでしょ。

 しかしぼくのサービスには誰も気を留めず、各々が好きなことをしていた。

 ママさんは二人分の晩ご飯を用意している。うちの家からでも花火は見えるし、こんな暑いときにわざわざ人混みを作りに行くなんて狂気の沙汰だとか何とか言いながら。自分だってさっきまで、行く気満々だったじゃないか。つまりは拗ねてるだけじゃないか。ちなみに、今はちゃんと服を着ている。

 パパさんは庭で植物の世話をしていた。自発的にではなく、ママさんに頼まれたからだ。必死になって枯れた花や雑草をむしっているけれど、普段やっていないせいか要領が悪い。ぼくも手伝ってあげようかと思ったけれど、暑いからやめた。というかそこは野良さんの縄張りだから、あまりいじらない方がいいと思うけど。

 そして一番の気がかりであるユメちゃんとムギちゃんは、二階に行ったまま下りてこない。


「二人とも何してんのかしら」


 冷蔵庫からレタスとキュウリを取り出しながら、ママさんが呟いた。

 ユメちゃんたちが下りてきたのはそれからしばらく後で、ユメちゃんは水色の、ムギちゃんはピンク色の浴衣を着ていた。髪の毛は後ろでまとめられ、かわいい髪留めがされている。切り終わった野菜(サラダにするつもりらしい)を冷蔵庫に入れていたママさんは、二人を見て目を丸めた。


「わーお、二人とも本格的じゃない! 似合ってる似合ってる、ていうかエロい。でももっとエロくするには、浴衣を若干はだけさせて鎖骨を見せるのがベストね!」

「もっと他に言うことないの、お母さん」


 ムギちゃんは恥ずかしそうに抗議したが、ユメちゃんは胸を張って見せつけるようにした。


「帰ってくるときには浴衣もはだけちゃってるかもね。私の彼ってば激しいし?」

「ふむ、帰ってきたら報告よろしく」

「ちょっ……! もう知らない、私行ってくる!」

「あ、待ってよ紡。どうせあんたも駅前なんでしょ? 一緒に行こうよー」


 競い合うように玄関へと向かう二人に忠告するため、ぼくは後を追った。玄関から先には行けないので、三和土でにゃあにゃあと鳴く。ねえねえ、一緒に行ったらややこしいことになるから、やめておいた方がいいと思うよ。


「なによ、ついて来たいわけ? だーめ、ベルはお留守番」

「さすがに、猫用の屋台はないだろうなあ。ごめんねベル」


 ユメちゃんとムギちゃんはそんな悠長なことを言いつつ、あっさりと玄関から出ていってしまった。

 玄関に取り残されたぼくは、しっぽで床をぱんぱんと叩いた。すると、ぼくに召喚されたようなタイミングでリビングからパパさんが顔を出し、


「夢と紡は? ――ああ、もう出ちゃったんだ。僕まだ二人の浴衣姿見てなかったのに……」


 眉毛をハの字にして、とても残念そうに呟いた。



 花火大会と言えば、去年の夏もこの家で見た。この家に来て五カ月経った頃で、その時生後八カ月とまだまだ子供だったぼくは、初めて見る花火とその音に驚き、かなりのパニックを起こしてしまったのだ。あれは、自分の中でも恥ずかしい昔話だと思う。今年はもう、花火大会がどんなものなのか知っているので驚いてやるつもりはないけれど。


「そういえば去年の花火大会は、ベルが走り回っちゃって大変だったわねえ」


 だからママさん、その話を蒸し返すのはやめてくれる?

 ママさんとパパさんは野菜サラダと枝豆、もろきゅう、冷ややっこに軟骨の唐揚げ、それから生春巻き(つまりはどう見てもつまみメニュー)をちまちま食べながら、ビールをちびちび飲んでいた。

 花火大会はもうすぐ始まりそうだ。近所はいつもよりも静かで、けれどもどこかわくわくした空気に包まれていた。


「ベルは窓際から離れようとしないわね。猫でも花火を見たらテンションが上がるのかしら?」

「……そうだね」


 缶ビールを片手に、パパさんは考え事をしているようだ。ママさんはそんなパパさんの様子に気付いているようだけど、とがめようとはしなかった。というか、一方的に話を続けている。


「しまった。夢と紡が何時に帰ってくるのか聞いてなかった。パパと素敵な事をしてる最中に帰って来られたら困るわ」


 ママさんの軽口にも、あまり反応しないパパさん。ママさんはそれでも話を止めない。まるで、固い空気をほぐすみたいに。


「そういえば、私がベルを買ったときに愛人――いやいや、ペットショップのお兄さんが言ってたの。猫はこう見えて人間の言ってることや、やってることが分かるんですよって。つまり、私達のあれこれがモロばれってことよね。もしもその話が本当なら、今でも沈黙というか『にゃあにゃあ』しか言わないベルって、相当口が堅いと思わない?」


 そうだぞ、ぼくは口が堅いから「おあえいー(おかえり)」とか「あうおー(マグロ)」だって言わないんだぞ。

 ぼくがふんと鼻を鳴らすと、それまでぼーっとしていたパパさんがふいに顔をあげた。そして、呼ぶ。


立花りつかさん」

「――……随分、懐かしい呼び方をするのね。子供が出来てからは『お母さん』で統一してたのに」


 ママさんは柔らかく微笑んだはずなのに、二人の間で息を潜めていた緊張が膨らんだのが分かった。パパさんは左手に持っていた缶ビールと右手に持っていたお箸をそれぞれテーブルに置くと、両手を膝の上に置いて、もう一度「立花さん」と呼んだ。


「僕は、――立花さんと離婚するつもりなんてさらさらないよ」


 綺麗な円が夜空を照らし、数秒遅れでやってきた低い音が、窓ガラスを少しだけ震えさせた。

 ――始まりの合図だ、と思った。



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